(前回からの続き)
ブータンは群雄割拠の時代
当時、ブータンは群雄割拠の時代でした。
パロ、ティンプー、プナカ、ワンデュ・ポダン、トンサなどの有力者が、互いに争っていたのです。
その中で最も有力なのがトンサで、ブータンの東半分を支配下においていました。
その首長(トンサ・ペンロプ)はジグメ・ナムゲルで、ブータンの実質的な支配者でした。
そして、彼の息子ウゲン・ワンチョクこそが、後のブータン初代国王です。
ブータンのデワンギリ逆襲
ブータンに侵攻する英国軍を前に、トンサ・ペンロプは全ブータンが団結するよう訴えました。
そして自ら3千の大軍を率いて、英国軍が占拠するデワンギリ要塞に向かいました(*1)。
要塞に迫ったブータン軍は、1865年1月29日、英国軍に奇襲攻撃を仕掛けました。
ところが、この時の英国軍は、「ブータンにはもはや反撃する力も無い。」と判断して、本隊をインドに戻した後でした。
残された英国軍部隊は、思いもよらぬ大軍の奇襲攻撃に、ただただ慌てるばかりです。
彼らに要塞を守りぬく力は無く、英国軍は無秩序に撤退せざるを得ませんでした。
こうして、ブータン軍の奇襲攻撃は、見事に成功したのです。
伝統的な刀 「パタン」
ブータン軍は英国軍との戦いに際し、要塞の近くで刀を鋳造したとも伝えられます。
ブータンの伝統的な刀 「パタン(Patag)」の中の "Dungsum Thum"型 がそれです。
それにしても、敵を前にして刀を作り始めるとは! --何とものんびりした戦いですね。
*** (次回に続く) ***
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(注記)
(*1) Phuntsho Rapten(2001): Patag – the Symbol of Heroes, Journal of Bhutan Studies, Vol.5, No.8, 2001.