私の曲を聴いてもらうことで、つらいことが起きてもいいんだって、抱えていた気持ちをちょっとでも手放せる時間になったらいい
―このお店を知ったきっかけは?
もともと店長のなっちゃんが知り合いなんです。私がまだ高校3年生くらいの時にアルバイトしていた地元の居酒屋さんに、なっちゃんが飲みに来たのがきっかけで知り合って、そこからすごく仲良くなって。もう5年、6年くらいになるのかな。
―なっちゃんがいるから通ってるんですね。何かおすすめのメニューはありますか?
私もそうですけど、ここのお客さん達はみんな、なっちゃんに会いに来てる感じはありますね。普通にコーヒーも好きですし、豆乳ラテを飲むこともあるし、レモネードも、チャイラテもすごく美味しいんですよ。
ーいいですね。では、1月末に行われたタワーレコードでのイベントについてお聞きしたいです。たくさんのお客様がいらしたそうですね。フロアをすごい数の人が埋め尽くしていましたが、いかがでしたか?
びっくりしましたね。渋谷店で売っていたCD にサイン会のチケットが同封されていたんですけど、それほどお客さんは来ないだろうと思っていたら、予想以上の人でびっくりして。それまで舞台上でエモーショナルになることはあんまりなかったんですけど、 歌い始めたら涙が出てきちゃって。コロナ禍でデビューしたのでちゃんとお客さんと会えるタイミングがあまりなかったので、すごく貴重で嬉しい体験で、ありがたかったです。
タワーレコード渋谷店で行われたサイン会に多くのファンが来場
―さらささんの音楽のルーツを辿りたいです。幼い頃はミュージカルを聴くのが好きだったそうですね。
好きでしたね。子供の時はディズニーチャンネルフリークで、「ハイスクール・ミュージカル」とか「シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ」を観て育ったんです。「アンパンマン」とか日本のアニメは観てないんですよ。カートゥーンネットワークとディズニーチャンネルだけ観ていて、小学校の時にミュージカルをやってました。
―やってたとは?
小学校1年生から通っていたダンシングスクールの先生が、もともとディズニーランドの舞台に出演していて、ダンスもミュージカルも教えていたんですよ。小学校高学年ぐらいの時は劇団ひまわりに入ってお芝居もやってましたね。親は基本的に自分がやりたいことをやらせてくれていたので、自分で調べて行きたいところに通っていました。
―最初はミュージカル俳優になろうと思ったんですか?
歌も歌いたかったし演技もしたかったし、小学生の時はディズニーチャンネルに出たかったけど、その手段が分からないからとりあえず演技とか歌をやらなきゃと思っていて。でもある時、演技は違うかもっていうタイミングがあって、ダンスは続けながら、高校生の時に完全に歌にシフトしたんですよね。
―シフトしていったきっかけを教えていただけますか?
サラバーズ(The SALOVERS、2015年に解散)に中3の時にすごくハマったんです。ちょうど中1とか2ぐらいの時にクリープハイプが流行り始めて、面白いなと思って、バンド好きの友達から他にも色々教えてもらったけど、どれもあまりピンとこないなか、サラバーズにはすごくハマりました。今考えるとボーカルで作曲もなさってる古舘さんが文学少年で、私も小説が好きなので多分そこだと思うんですけど。それでバンドがやりたくなって、軽音部に入りました。
―軽音部はいかがでしたか?
バンドがやりたくて入ったら、実はジャムセッションをする部活だったんです。文化祭ではコピーバンドをやるんですけど、基本的に部活動はセッションを教えてもらうのと半々くらい。先生がベーシストで、「Feel Like Making Love」とか「Just The Two of Us」とか、スタンダード曲の譜面がいっぱい入ったファイルを、 “これ、知っとけよ”って渡されて、そこから洋楽もハマって。
―結構な昔の曲ですよね。
私たちの世代ってブルーノ・マーズが中学の時にデビューしたくらいなので、シャーデーとかロバータ・フラックとかの時代を知って、すごく衝撃的でかっこいいって思って。家で聴いていたら、両親に「なんでこれ知ってんの?」って言われて、部活でやってるんだよみたいな。それでセッションにハマっていくんですよね。
―今のさらささんの歌い方はミュージカルの歌い方ではないですけど、軽音楽部で変わったんですか?
そうですね、色んなきっかけがあるんですけど、軽音楽部で歌い始めた時に憧れていたのがエタ・ジェイムズとかジャニス・ジョプリンとか、シャーデーとか、あとグリムスパンキーのレミさんとか、歌声が低い女性がすごく好きで。私も歌声を低くしたいと思ってたらだんだんとこうなっていったので、後天的ですね。
—プロになろうと決めた出来事はなんですか?
AO入試で大学に受かっちゃったんで、卒業までの4、5ヶ月ぐらいやることがなくて、じゃあ外のセッションに行ってみようっていうのがきっかけで、「Battle of Study」っていうセッションに出た時に、MVPをいただいて、真に受けてミュージシャンになろうって決めました。未来ある若者に期待の意味を込めてだったと思うんですけど、「頑張ってね」ってすごく言ってもらえましたし、その時キーボードで参加していらっしゃったSWING-Oさんが気にかけてくださって、進路相談に乗ってくれたり、いろんな曲を教えてくれたり、他のセッションに誘ってくれたりして、それからも1年くらいはセッションに足繁く通っていました。
―そうでしたか。ところで、さらささんはハワイにも縁があるそうですね?
母親がフラダンスの先生で、お父さんはサーフィンのウエットスーツの会社をやっていて、ハワイにもともと縁がある両親の元で育ってるので、ハワイは子供の時から第二の故郷みたいな感覚があったんですね。私も物心頃つく前からフラダンスをやっていて、母の先生でもあるハワイのカウアイ島の先生に従事していて、初めて舞台に立ったのは3歳の時でした。だからフラダンスはライフワークというか、ちょっと家業に近いような感覚があります。
子供の頃、ハワイにて
―フラダンスにも流派みたいなのがあるってことですか?
ありますね。基本的にはポリネシアンから始まったハワイの民族的な文化なんですけど、家系によってちょっとずつ流派が違うというか。ハワイがアメリカ本土に占領されて、ハワイ語やハワイの文化が全部禁止になった時、フラとか武道とかカヌーでハワイの文化を受け継いでいく流れのなかで、やっぱり家によってスタイルが変わったと思うんですよ。カウアイの先生の流派は、夜中から朝まで真っ暗な山で踊り続けるとか、衣裳をみんなで葉っぱで作るとか、すごくディープな体験というか儀式もあるんです。2025年に行われる儀式にも行くので、それに向けていろいろ覚えないといけなくて、そのために髪も伸ばし始めてて。フラを踊るために高校1年生までは髪が腰ぐらいまであったし、自分の元の姿はそれだっていう感覚もあります。
―素敵ですねぇ。さらささんがフラをやってる姿、見たいです。
コロナ禍で全部なくなったんですけど、毎年江ノ島のイベントでやったり、いろんな各地のイベントに行ったり、海外にもカウアイの先生のヨーロッパツアーについて行ったり、ハワイの大会に行ったりしてました。結構コンスタントにやってたんですけど、最近は私の音楽の仕事の割合が大きくなってきたので、フラのために1、2週間とか休めなくなってきてて。
―フラをやってる時と、歌ってる時と、絵も描くそうですが、絵をやってる時のさらささんは一緒ですか?
そうですね、一緒ですけど、表現してるものが自分のどこに触れてくるのかっていうのは全然違って、一番気持ち良かったり高揚したり、ちょっとトランスっぽい感覚になるのは音楽なんですよ。音楽を根気よく続けられてるのは、歌っていることが自分の中で一番快感に近いからなのかな。フラダンスはちょっと家業っぽい感覚があるので、もちろんハワイの民族の伝統とか文化とか考え方とかは好きだけど、長く続けていくべきだろうなっていう気持ちでやってます。絵を描くのも好きですけど、それは趣味でいいかな。
―美大に通ってたんですよね?
はい。でも入ってみたら大学ってめっちゃお金かかるのにこんなにつまらないんだって気付いて、セッションに行く方が1日で得られることが多いなと思って。大学は半年でスパッと中退して、セッションに通いながら、でも何か吸収したい欲があったんで現代アートの私塾と、雑誌や本が大好きなんで、編集者さんの仕事が気になって、雑誌編集の学校にも一年ぐらい通いました。なんでもやりたくて。
―美術や雑誌編集の勉強は、歌手として成功するためとかじゃなくて、その時にやりたかったものをやろうっていう感覚なんですね。
その時にやりたいと思ったものをやるっていう生き方は、去年ぐらいまでは重きを置いてました。今年は事務所に入ってチームができて、このチームとどこまでやっていこうとか考え方も変わったので、自分のプロジェクトでお金を回せるようにならないといけないとか考えてます。一緒にやってるスタッフをすごく信頼しているから、この先もその人と仕事を長く続けていけるためには、やっぱりお互い興味を持たせ続けなきゃいけないじゃないですか。そのためにはやっぱり一番身近なスタッフに面白いと思ってもらえないといけないと思って。もちろん目先の楽しいこともやりつつ、もうちょっと長期的にも見れたらいいなと。
―昨年末に、「川越コーヒーフェスティバル」に出ていただいた時も感じましたけど、これからさらささんがとんでもないアーティストになっていくんじゃないかという周りの風を感じませんか?
あのフェスもすごく楽しかったです。いつもトラックを使ってライブするんですけど、コーヒーのイベントだし弾き語りでやってみようと思って。ライブも久しぶりでお客さんとコミュニケーションを取りたい感覚があったんで、 MCを多めにしたらやっぱりすごく反応が良くて、美味しいコーヒー飲んだりドーナツ食べたりしていて、全体的に皆さんハッピーだったし、すごくいいなーって。もちろん規模を大きくしていったり、いい演奏をしたい気持ちはあるけど、なんか運命って決まってるのかなって思うところもあって、あまり浮かれるとかはないですね。期待されてる分、いいライブしなきゃっていうことばっかり考えてます。ヘマできないなって。
川越コーヒーフェスティバルにて(2022年12月)
—「ブルージーに生きろ」という、さらささんの音楽の制作テーマについても少しお話していただけますか?
「ブルージーに生きろ」っていうのは、音楽のジャンルのブルースからきています。ブルースの精神性みたいなものにすごく共感しているんです。 中学生とか高校生ぐらいの時って「恋愛の曲書くやつダサくね?」みたいな気持ちがあったんですよ。もっと自分の考え方と価値観とか社会的な事とかの方が興味があったんで、恋愛の話ばっかりしてないでもっと衝撃的なことを教えてくれよみたいなのがすごく強かった。まずそれがひとつ自分の中にあったのと、あと小学校や中学校1年生の時に不登校になって転校してるし、大学も中退してるし、結構うまく馴染めないっていう感覚があって。でもよく考えてみると、転校して中高一貫の学校に行ったことで、その高校の軽音部に入ったり、転入先ですごくいい先生に出会えたおかげで学校に通えるようになったり、一見ネガティブで挫折に感じるようなことがあった時に、人生が好転してるんです。
—いいですね。
傷つくことはしたくないし、なるべく皆傷つかないで生きて欲しいと思うけど、傷ついてわかることってすごく多いし、そこで気づけたことって自分の糧となるじゃないですか。なので、全身で傷つきに行ってもいいんじゃないかなと思っていて。なるべく悲しいことは経験したくないし、周りの人にもしてほしくないけど、私の曲を聴いてもらうことで、つらいことが起きてもいいんだって、抱えていた気持ちをちょっとでも手放せる時間になったらいいなっていう思いで作ってます。
―これからさらささんが目指す場所とか夢があったら教えてください。
自分の中でルールみたいのを作らないで、あまり縛られずに色んな事に挑戦したいし、どんどん変化していきたいなとは思います。変化して上手くいかなかったら、また逃げ道を見つけて、挑戦して、その繰り返しかなと。今はR&B とかそういう感じの曲をやってますけど、何をやってもいいじゃないですか。突然へヴィメタに行ってもいいわけで。
―いいですね。では最後に、さらささんにとって成功とは?
なんだろうなあ、でも健康かな。健康じゃないと何もできないし、歳取っても健康で、80とかになって若いミュージシャンと一緒にセッションできたら、それが一番の成功なんじゃないかな。気持ちと体の健康ですね。
―さらささんのハワイアンも聴いてみたいです。
いいですね、やりたい。フラの先生のヨーロッパツアーにミュージシャンで連れて行ってもらって、1回だけ歌ったんですけど、ハワイの人の歌声がすごすぎてお任せしますってなっちゃったんです。でも、確かにちょっと歌ってみたい気持ちはありますね。
1st Album 「Inner Ocean」
デビューから僅か1年でFUJI ROCK’22への出演を果たし、その独創的な歌声をジャンルや、オーバー / アンダーのシーンすら問わず自由に響かせている”さらさ”の非凡な才能を詰め込んだ1st アルバムが完成!
リード曲「太陽が昇るまで」のMVも公開中。
配信:asteri.lnk.to/innerocean
MV:https://youtu.be/veBZuOJNvC4
1st Album「Inner Ocean」リリースパーティー in 大阪
即日完売し多くのオーディエンスから反響を呼んださらさのリリースパーティー東京2公演を経て、なんと東京を飛び出し大阪/梅田Shangri-Laで開催!
■ 日程 2023. 4. 28 (Fri.)
■ 会場 梅田Shangri-La
■ 時間 OPEN 18:00 / START 19:00
■ 出演 さらさ(Band set)
■ 料金 ¥3,800 +1 Drink
*一般チケットは各ページにて発売中!
(問)SMASH WEST 06-6535-5569
YEAST Cafe
渋谷区神宮前のカフェ&ギャラリースペース
不定期で作家の展示イベントやコーヒー屋のPOPUPなどを開催(*作品は随時募集中)
住所:渋谷区神宮前5-28-7-303 ローヤルタウン神宮前303 TRUNK HOTELとなり