LEO
―幼い頃はどんな子供でしたか?
アメリカ人の父と日本人の母の元に生まれたのですが、幼い頃に両親が離婚して、母は日本人の父と再婚したんです。なので、家では日本語で会話していたのですが、通っていたインターナショナルスクールは全て英語だったので、色々な家庭環境の事情もあって、うまくコミュニケーションが取れない、ちょっとシャイな性格でしたね。結構おばあちゃんっ子で、小学校4年生で箏を始めるまでは、勉強とサッカーばかりしていました。
箏を始めた9歳の頃
―子供の頃、将来の夢はありました?
たしか、僕が幼稚園とか小学校1年生ぐらいの時に「将来サッカー選手になりたい」って言ったら、おじいちゃんに「サッカー選手なんてなれるわけねぇだろ」って言われて、幼いながらに世の中の厳しさを知り(笑)、現実的に育ちました。でもそれがプロの音楽家になるのに繋がってはいるんですけれども。
―9歳の時に箏に出会ったそうですが、当時のことは覚えていますか?
インターナショナルスクールの音楽の授業で、箏が必修だったんです。先生はカーティス・パターソンさんというアメリカ人。僕にとって箏が初めて触れた楽器だったのですが、ギターやヴァイオリンと違って、すぐに音が出ることが楽しかったんでしょうね。同級生全員がやっている中、周りの友達より上手くなりたいっていう無邪気な感じでやっていました。
―それでずっと授業として箏を続けたんですね。
結構すぐにハマって、放課後に個人レッスンをカーティス先生から受けるようになったり、中学生に混じって演奏したり、割と積極的に取り組んでました。家でも、楽器の練習をしてる時間はあまり親から勉強しろって言われなかったので、言われないために沢山練習してました(笑)。そのうち、ある程度上手くなってくるとさらに楽しくなるんですよね。そこからだんだんコンクールに出たりして軌道に乗ってきて、もっと色々知りたくなって、箏曲家の沢井(一恵)先生の所に習いに行きました。
―14歳で全国小中学生箏曲コンクールでグランプリを獲得されましたが、いつごろからプロの世界に進もうと思ったのですか?
最初は毎年のモチベーションとしてコンクールを受けていましたが、14歳ごろから本格的にプロになりたいという気持ちが固まりました。
―それは何かきっかけがあったんですか?
自分がやっててすごく楽しいし、得意だと感じたからですかね。ただ、さっきのサッカー選手になりたかった話のように、箏の演奏家になりたいと言っても家族に絶対に認めてもらえないことは分かっていました。音楽家の家庭じゃない上に、おじいちゃんは実はビジネスマンで、もともとバンド活動していたけれどうまくいかず、それをビジネスに転換して成功した人。自分の経験からも音楽では食べていけないと思ってるし、そのうえ箏でプロ奏者って一般的にあまり知られてないじゃないですか。「それで食べていけるの?」っていうのが最初のリアクションで。両親はそういう世界を知らなかったので、心配ももちろんあったでしょうし、そもそもそんな道が存在するのかっていう。
—どうやって説得したのですか?
コンクールでグランプリを取って看板を一つ手に入れたので、その後ぐらいにまずは「音大に行きたい。東京藝術大学を目指したい」みたいな形でお母さんに相談して、そこを渋々認めてもらって、プロになりたいって打ちあけたのはそれから2年後の16歳ぐらいの時 だったと思います。
「くまもと全国邦楽コンクール」に出場した時。史上最年少最優秀賞・文部科学大臣賞を受賞した
―流石にそういうタイトルを獲ったら反対されないですか?
いや、されました。17歳ぐらいでデビューの話をいただいて、実際デビューしたのは19歳ぐらいなんですけど、その時もまだ認めてもらえてなかったかな。大学に行って大学を卒業するまでに音楽家として食べていけるようになってなかったら、辞めて普通の仕事に就きなさいと言われてたんで 。デビューして「情熱大陸」に出て、二十歳ぐらいになってからはさすがに応援してもらえるようになりましたね。
―藝大に入学されて、大学生活はいかがでしたか?
大変でした。 まず演奏面じゃないところが結構大変で。インターナショナルスクールって敬語の文化がなくて、先生も名前で呼ぶくらい上下関係もなかったのに、藝大の邦楽科は、特に上下関係が厳しい科で、 廊下を歩く時もビシッとしないといけないし、先輩方が歩くたびに止まって挨拶しないといけないし。演奏面でも基礎から学び直す方針なので、一回ゼロに立ち帰って学び直さなければいけなかった。今まで自分が得意としていたような演奏スタイルを一回捨てて、ゼロから基礎を作り直すところから始めたので、両方の面で凄く大変でしたね。
―沢井先生のところはどういうスタイルだったのですか?
結構個性を伸ばすような教え方をされてました。そもそも設立者が沢井さんの旦那さん(沢井忠夫氏)で、二人ともすごいアバンギャルドな活動をしてた方達だったし、流派としてもまだ50年も経ってないぐらいの新しい流派なので、色々な意味で自由にやらせて頂いてたので、藝大とは全然違いましたね。藝大は宮城道雄先生の宮城会というのが主流としてありますが、教えてる先生方によって流派も違うんですよね。だからもちろん演奏するレパートリーも弾き方も違いますし。
―では、大学生活から得たものは?
もちろん人間性みたいなところや礼儀作法は藝大の師匠からも学びました。邦楽科基準からしたら、今もそんなに正しいわけじゃないんですけれども、社会勉強にもなりましたし。それに、一番力を入れて学んだのが古典で、古くからある音楽を学び直していた期間だったので、そのルーツを勉強し直すことによって入学前にやっていた新しい活動にももうちょっと説得力を持たせられるようになったのかな。邦楽科だけじゃなくて作曲とかヴァイオリンをやってる友達とか、美術の方でもいろんな人と関わることで今の活動につながる、いろんなところからインスピレーションも得られるようになったし、本当に人間として成長できたのかなと思いますね。
―今はどのようなライフスタイルを基本的に送ってらっしゃいます?
デビューして、自分にも余裕が出てきて、演奏技術や知識とかがプロの音楽家のレベルにだんだん見合ってきて、ようやく本格活動し始めた頃、コロナ禍になってしまったんですよね。だから、よく分からないまま予定していた公演や企画がキャンセルになり、暇人になっちゃったので、YouTubeを始めたりとかもしましたけれども。コロナが落ち着いていくのと同時に自分の活動を再開して、プロの活動に切り替わっていった感じなのかな。徐々にコンサートなど活動が増えていって、ありがたいことに毎年忙しくなってきてます。
―それでは今年完成したニューアルバム「GRID//OFF」についてお聞かせください。 完成したアルバムを聴いた時の感想は?
僕の中でも初めての取り組みだったんですけれども、今回のアルバムは、レコーディング後に作曲家やアレンジャーさんの手に渡って、そこからまたエディットされてブラッシュアップされていくトラックもあったので、最後まで完成されない感じで、いつもとはちょっと違う感覚でした。今までだったら完成間近になると、自分が生んだ作品達を可愛いなって思う感情だったのに、我が子がちょっと成長して帰ってきたみたいな感覚というか。自分の想像通りの部分もあれば、想像を超えてくるような部分もあったりして非常に面白かったです。
レコーディングの様子
―人の手に渡ってものすごく変わったと思った曲はありますか?
トラックで言うと、網守将平さんのオリジナルの楽曲の 「Perpetuum Mobile Phunk」とか、「Strings of Life」(デリック・メイ)も結構そういう感じでしたね。 自分で即興演奏とかも録音しておいて、素材としてアレンジャーさんに渡していたので、帰ってくるとまた全然違って。その二つの作品は特に自分の中でも楽しかったですね。
―ティグラン・ハマシアンさんの曲はどんな感じで完成したんですか?
ティグランは僕が何年も大好きな音楽家なんですけれども、彼の作品に関しては、僕はクラシカルな編成の中でのライブ感や躍動感のある仕上がりにしたかったので、別にアレンジャーさんにお願いして、またちょっとティグランとは違ったアプローチっていうのは目指してました。
―このアルバムは、どういう人にどういう時に聴いて欲しいですか?
箏の曲って、例えばドライブしてる時に聴きたいような感じでもないし、どちらかというとゆっくり座って聴きたい音楽じゃないですか。でも僕はもうちょっと、立って聴ける音楽というか、自然と体が動くような、気持ちが明るくなるような仕上がりにしたかった。去年初めて出たブルーノートやサマーソニックで、食事やお酒を飲みながら、立って踊りながら聴くような会場での演奏を経験して、そういう場で聴けるような楽曲がもっと増えたらいいなと思ったのも大きいです。だからドライブしながら聴いてもらえたら嬉しいです。
―箏に馴染みがない生活を送ってきてる私にとって、既存の概念を覆されるようなとても衝撃的なアルバムでした。そういう風に感じる人って今の時代は多いんじゃないかなと思うんですね。
そうですよね、多分箏に馴染みのある生活してる人ってほとんどいないと思います(笑)。今まではアルバム作りの時、箏で演奏する意味とか、箏らしくあるにはどうすればいいかっていうことをすごく考えて、そこを最大限に活かせるように演奏と選曲をしていたんですけど、今回のアルバムではそれを一切なくして、単純に今僕が聴いてほしい音楽を選曲してるので、完成品としては今まで以上に箏のイメージからかけ離れたものになってるんじゃないかなと思ってます。
―演奏する上で常に大切にしていることとかは何かありますか?
“適当”に弾かないことですかね。多分これは僕だけじゃなくて、何事においてもみんなそうだと思うんですけど、慣れてきた作業であればあるほど考えずにできるようになってしまう。何十年も弾いてる曲だったら自分なりの考えたものが自然と出てくるようになるんですけど、新しい曲は特に、よく考えて一つ一つの音を紡いでいかないと説得力がなくなっちゃって、うまく取り繕えていても中身がない演奏になってしまうので。全部に意思を持たせる、そんな感覚で演奏に向き合うように気を付けています。
―では、これまで自分の価値観に変化や気づきを与えてくれた出会いはありましたか?
好きな音楽家に出会った瞬間でしょうか。僕は坂本龍一さんとかティグラン、吉松隆さんとかが大好きなんですけど、初めてその方々の音楽を聴いた時は自分の価値観がガラッと変わりました。あとは、いろんな人と喋ること。今回のアルバムでもいろんな作曲家や共演者の方のお力添えをいただいていますが、その人達と喋ったり制作活動の中で意見をぶつけ合ったりするのは、普段自分だけで考えているところを共有してアウトプットして、一緒にブラッシュアップしていけるので。そういうクリエイターや音楽家の方々と関わってる時間もそう思います。
―言葉にするのが難しいかもしれないですけど、例えばティグランさんの音楽を聴いた時に、どういう風に価値観が変わる感じなんですか?
最初彼の音楽を聴いてびっくりしたのは、聴いたことのない音楽ジャンルだったんですよね。彼のルーツとかを知らずに聴いて、めちゃめちゃかっこいいのっていうのが第一の衝撃で、何がどうなってこういう音楽になってるんだろうと調べたら、彼が幼少期から聴いてたメタル、ロックからの影響と、幼少期から勉強していたジャズ、そして彼のカルチャーであるアルメニアの音楽っていうのを混ぜてることが分かった。それを知った上で彼の譜面とか音楽を聴いて勉強してると、絶妙なバランスであったり、自分のルーツを自分だけの音楽言語としてアウトプットできてるんだと思ってすごい憧れたんですよね。自分もそういう音楽家になりたいなって思って。抜群なバランス感覚っていうか、センスの良さと発想力とか、そんなことが可能なんだっていう衝撃もあったし、心を動かされました。
―サマソニしかり、 いろんなフィールドに挑戦してるように感じますけれども、それは何か積極的にされてる理由があるんですか?
音楽が全般的に好きなんで、もっと色んな音楽家とコラボしたいし、色んな音楽を吸収したいし、そのためにいろんな場所で演奏したい。もちろん新しい現場に行く時は知らないことだらけで大変ですけれども、好きでやってる感じなのかな。あとは、いろんなフィールドに自然と入れるピアノなどの楽器と違って、箏はなかなかそうもいかない楽器で、例えば歌舞伎にも滅多に出なければ舞台の音楽としても使われたりしないし、箏の世界だけに留まって、あまり活躍するフィールドがない。だから、どんどん人口も衰退してるし、そのせいで職人さんもいなくなって業界自体も経済的にも衰退していってるんで、自分がそれの一助にでもなればみたいな思いもあります。
―演奏家として続けていく上で大変だと思っていることはありますか?
僕のメインの活動って、今は全国各地のコンサートホールで演奏させていただくことなんですね。お客さんのなかには、どんなものが出てくるのかよく分からない、箏を初めて聴くという方が多いと思うので、箏自体をまず認知してもらう、0から1にする作業をしないといけない。だから箏奏者っていうのが、それこそヴァイオリニストをコンサートに呼ぶぐらいの感覚で認知されるようになるまでが大変なのかなって思います。自分で切り開いていかないといけない道が多くて、楽しくもあり大変でもあるかなという風に思います。
―憧れている人や羨ましいと思う人、尊敬する人は誰ですか?
売れてるピアニストは全員羨ましいと思います(笑)。ピアノはいろんなジャンルに自然と入っていけるし、個性も出せるし、作曲したりソロとしてでもすごいダイナミクスレンジも広いし、できることが多い楽器なんで、羨ましいなって思っちゃいますね。それとは別に尊敬してるのは、坂本龍一さんとかティグランとかは、音楽家としても、人としても尊敬してます。
―ピアノと比べて箏は、その可能性はそんなに狭まっちゃうんですか?
もちろん制限はあります。レンジ、音域も音量もそうだし、ダイナミクスですよね。箏は、西洋とは全く別に、日本で発展してきた音楽なので、そもそもの美徳感が違いますし、小さい音だとか間であったりだとか、ブワーって向こうに届ける音楽じゃなくて、聴いてる人を吸い込むような表現なのも、クラシックとはまたちょっと違います。最近は、その表現の違いだからこそのアンサンブルを楽しめるようにはなってきてるし、箏にもそこで負けないぐらいの良さがあるって思いますけれども、その傍ら羨ましいなと単純に思っちゃう時もあります。
―ご自身のスタイルをご自身の言葉で表現何かする言葉ってありますか?
難しいですね、何でもやっちゃうので何でも屋さん?(笑)。
―好きな映画や写真、アートなどで一番影響を受けたものは?
音楽以外だと、ファッションが一番好きなのかな。素敵な服だなとかって思うだけじゃなくて、デザイナーのことから、 ファッションショーにはどういうテーマがあったのかっていうところまでを調べるのが好きなので。デザイナーで言うと、Rick Owens(リック・オウエンス)とYohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)のようなファッションが好き。
―これから挑戦してみたいことは何かありますか?
今回のアルバムで、本当に自分がやりたい音楽をアウトプットできたんですけれども、今までを振り返ると、まず守るべき伝統っていうところを頑張って表現してた時期があって、そこから今までアプローチできなかった人達に届けたい思いから、クラシックとかも勉強したし、このサイクルが大事だと思うんですよね。守らないといけないものだったりとか、広げるための音楽であったりとか、そこから発展して今までなかった新しいものを作るみたいな。今後もそのサイクルはずっと続けていきたいと思ってますし、あとはコンサートホールだけじゃなくてライブハウスやいろんな場所で演奏できるようなスタイルと演奏技術と経験を積んでいきたいなと思います。
―では、社会で起こっていることで気になることは何ですか?
気になるといいますか、すごく尊敬するのは、例えば震災の時に、いち早く被災地に赴いて、赤字覚悟でコンサートを開いたり、コロナ禍にオンラインコンサートをやったりしたアーティストさん達。当時は僕はまだそこまで頭が回るほど成熟してなかったですけれども、気持ちが病んでしまった時とか元気が出ない時に、音楽に力があると伝えられるような、そういう懐の広いアーティストになりたいなという風に思います。
―視界が開けた瞬間とか自分が成長したなと実感した出来事は何かありますか?
自分が尊敬しているアーティストとコラボした時に、一番自分の成長や課題を実感できると思いますね。あるアーティストと2年ぶりにコラボした時に、自分のコミュニケーション情報量が当時と変わって、そういう成長を実感する瞬間もあれば、音から予測できるようなことがあったりして。それは多分自分の技術だけじゃなくて、耳が良くなったり知識とかが増えたりしたから、相手はこうしたいのかなって想像力が働くようになっているんだろうと。元々シャイな性格で言葉でコミュニケーションを取るのが苦手だったので、そうやって音楽でコミュニケーションできるレベルがどんどん上がっていくことに一番喜びを感じるし、好きな瞬間ですね。
―それは演奏中に感じたりもするんですね。
演奏中もそうだし、作曲家とのやり取りも同じかもしれない。書いていただいた作品に対して、読み取れるものがより多くなったりとか。
―それでは、LEOさんにとって、チャンスとは何ですか?
ありきたりな答えになっちゃうかもしれないですけど、僕はここに来るまで本当に運が良くて、チャンスに恵まれていたとは思いますが、割と人一倍練習してきた自信もありますし、10代の頃からプロの音楽家になるために自分はどうしないといけないか、どうやって個性を出していくべきかとかってずっと考えていたので、やっぱりチャンスっていうのはもちろん運もあるんだけれども、それをものにするための準備が必要だから、その運と実力と両方の兼ね合いなのかなと思います。
―LEOさんにとって、成功とは何ですか?
僕にとって成功っていうのは、多分幸せでいられることなのかなって思ってます。大金持ちになったりとか幸せな家庭を築いたりとか、それもそれで成功と言えるのかもしれないですけど、僕にとっては自分の大好きな音楽を仕事にして、それをいろんなお客さんだとか聴いてくれる人に届けられて、その喜びを共有できることが成功なのかなと思います。
―理想の人間像はありますか?
やっぱり精神的にも肉体的にも、自分が余裕を持っていろんなことができるようにならないと、他の人に何かを与えることはできないと思うので、余裕のある人間が自分の理想の人物像かなという風に思います。
―3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?
10代の頃からプロの音楽家になりたいと思って、何年後の自分はどうしていたいってことをずっと自分に問いかけてはいたんですけど、気付いたら想像していた音楽家とは全然違う風になっていて。でもいいんです、楽しいし、好きな方向に結局は行ってるんで。だからあんまり先のことを想像するのは今はしてなくて、1、2年後に自分はどうしてたいかっていうミニマルな目標を立てながら、50年後、60年後の死ぬまでに何を達成したいかっていう、本当に両極端を何となくイメージしてます。1、2年後は、もっとコラボレーションできるようになるために、技術もレパートリーも、懐を肥やしていきたいなって思います。 そして僕が音楽家を引退するまでには、箏が、それこそ50年前の一般的にすごく普及してた時代のように、そこまでとは言わずとも、日本人にとって今よりはもう少し身近な楽器になってたらいいなという風に思います。
6th ALBUM 「GRID//OFF」
1. 今野玲央:DEEP BLUE
サウンド・プロデュース:坂東祐大/共演:伊藤ハルトシ(チェロ) ロー磨秀(ピアノ)
2. 網守将平:Perpetuum Mobile Phunk
3. スティーヴ・ライヒ:Nagoya Marimbas
共演:木村麻耶(25絃箏)
4. 今野玲央:空へ
5. デリック・メイ: Strings of Life
サウンド・プロデュース:久保暖(1e1)
6. 坂本龍一:Andata
編曲・シンセサイザー:網守将平
7. ティグラン・ハマシアン: Vardavar
編曲:篠田大介/共演:伊藤ハルトシ(チェロ) ロー磨秀(ピアノ)
8-14.吉松隆:すばるの七ツ
15. 坂東祐大:もっと上手にステップが踏めますように
共演:山澤慧(チェロ)
16. 今野玲央:松風*=共演:伊藤ハルトシ(チェロ)、ロー磨秀(ピアノ)
LEO コンサート
6月9日(金)LEO箏リサイタル2023 ~GRID ON //GRID OFF~
会場:あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
18:30開場/19:00開演
8月27日(日)LEO箏リサイタル2023 ~GRID ON //GRID OFF~
会場:浜離宮朝日ホール
16:30開場/17:00開演