村雨辰剛 / Tatsumasa Murasame | 武士道精神に魅せられ、日本に帰化したスウェーデン出身庭師。日本人として、文化を継承していくことに相応しい人間になれるよう、日々鍛錬を続ける
BICULTURAL SOULS
#19 | Mar 24, 2020

武士道精神に魅せられ、日本に帰化したスウェーデン出身庭師。日本人として、文化を継承していくことに相応しい人間になれるよう、日々鍛錬を続ける

Interview & Text: Minori Yoshikawa / Photo: Atsuko Tanaka

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をインタビューし、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂くコーナー“BICULTURAL SOULS”。第19回目のゲストは、スウェーデン出身の庭師、村雨辰剛さん。中学生の時に日本の歴史に興味を抱き調べていくうちに、戦国時代の武士道精神に大きく感銘を受ける。14歳の若さで既に日本に住むことを目標にし、インターネットを駆使して日本語を独学で習得。高校卒業後、語学講師として来日するが、日本の伝統に携わる仕事を探していたところ庭師のアルバイトを見つけ、自然を最も美しく見せる日本庭園の極意に魅了される。2012年、愛知県にある加藤造園に弟子入りし、のちに日本の父となる親方、加藤剛氏に従事。2014年には念願だった日本への帰化を果たす。日本の伝統の尊さを世界に伝える為にSNSで造園の魅力を伝え始めたところ予想以上の反響を呼び、2018年からは、テレビ番組やCMに出演し人気を呼んでいる。グローバリゼーションが進む昨今、日本固有の文化こそが日本の武器になり得ると語る村雨さんに、それ程までに魅了された日本の美、尽きない向上心、将来のビジョンなどについて伺った。
PROFILE

庭師 村雨辰剛 / Tatsumasa Murasame

北欧スウェーデン生まれ。幼い頃から諸外国に興味を持ち始める。 スウェーデンとなるべく違う環境と文化の中で生活してみたいと言う気持ちが芽生え始める。 歴史が古い、アジアに興味を持ち、その中でも歴史が、独自の発展を遂げている島国日本に興味を持ち日本語を勉強し始める。 その頃のあだ名は「日本人」だった。 16歳の時、3ヶ月間、ホームステイで日本へ。 やがて日本語の上達と共にその気持ちはいつしか、日本で日本人として暮らしたいと強く思い始めた。高校を卒業すると、特技である語学能力を活かし、日本で語学(スウェーデン語や英語)の教師として働き始め、 同時に外国人事務所にスカウトされ、CM、PR、通訳や翻訳の仕事をこなす。 23歳の時にもっと日本古来の文化と関わって仕事がしたく、 造園業の世界に飛び込み見習い庭師に転身。 26歳の時に念願の目標であった帰化許可を頂き、日本国籍取得と村雨辰剛に改名。 現在は、庭師として日本庭園の良さを広く知ってもらうための活動と 趣味で行ってた筋肉を鍛えてる事が注目され、NHK「筋肉体操」へ出演。 活動の場を広げている。

村雨辰剛

ご出身はスウェーデンのエルケルユンガ(Örkelljunga)だそうですが、どんな場所なのですか?

人口8000人くらいの自然豊かな小さな街で、湖と森がたくさんあります。とても田舎で、生活に必要最小限なものしかないようなところです。一番近い都市は、バスで40分くらいのヘルシングボリで、映画を観に行く時などはそこに行っていました。

小さい頃の印象に残っている街の情景や、子供の頃の思い出を教えてください。

思い浮かぶのは、大きな森の中に人々が暮らしている情景です。夏には湖で泳いだり、キャンプしたり、自然の中で遊ぶことが多く、自然が暮らしの中心にありましたね。

子供の頃

ご両親はどんな方で、どんな教えを受けましたか?

小さい頃に両親が別れて、僕は母と母の新しいパートナーと暮らしていました。母は優しく包容力があり、子供のことをいつでも優先してくれましたね。家庭と仕事を両立しつつ、趣味などに使う時間も上手に作れる人でした。義父は真面目で正義感が強く、目標を決めたらそれを突き通す人で、僕は彼にとても影響を受けました。厳しい生活の中で少佐まで上り詰めた軍人で、とても尊敬する憧れの存在でした。また、実父のところには隔週末行っていましたが、頑固で自由な生き方を好む人でした。

通った小学校、中学校はどんな学校でどんなことを学びましたか? 

日本で学ぶような科目も勉強しましたが、叩き込んで教えるスタイルの日本の教育と違って、小学校から性教育のさわりのようなものも教わりましたし、宗教についても詳しく学びました。色々な宗教の特性を学んで、世界に出て実際に色々な宗教を持った人々と関わった時に、彼らの考えが理解できるように備えるんです。体育の授業は全て自然の中で、冬は凍った湖でアイスホッケーしたりしました。

当時はどういうことに興味がありましたか?

暮らしが自然中心なので、学校でも友達とも外で遊ぶことが多かったんですが、実はインドア派で、室内でテレビゲームやコンピューターゲームをして一人の時間を過ごすのが好きでした。RPGは特に好きで、そのおかげで英語を習得することができました。と言うのは、スウェーデン語はマイナーな言語なので訳されることなく、そのまま英語で入ってくるんです。なので、ゲームを通して、読み書きも、リスニング力も自然と身に付きました。

中学の時に世界史のクラスで日本の歴史を学んだことで、日本に興味を持ち始めたそうですね。どういうところに興味を持ったのですか?

友達がクラスで発表した日本についてのプレゼンがすごく興味深かったんです。歴史は元々好きでしたが、それからは日本の歴史や文化について、たくさん勉強しました。特に戦国時代の武士道や、日本独特の戦い方、武将間のやり取りなど。海外では戦争というと、敵をやっつけるしかないですが、日本では例えば武田信玄と上杉謙信のいきさつに代表されるような、自分の信念や美学をその中に持ち合わせているところに惹かれたんです。どんなに自分が有利な状況にあっても、相手の背後からは責めなかったり、そういうことが深く魅力的でした。歴史や戦争に興味を持ったのは、軍人だった義父の影響も強かったと思います。

日本語を勉強したり、日本に住みたいと思い始めたのはいつ頃ですか?

日本の歴史を勉強していくうちに日本語に興味を持ち始めました。当時14歳くらいでしたが、その頃から早くスウェーデンから出て冒険に出かけたいという迫る思いがあったんです。スウェーデンとは文化も言語も全く違うところに行きたいという想いと、日本に対する興味が重なって、日本に住みたいと思うようになりました。森の中の孤立した環境で育ったことが、そういう気持ちにさせたんだと思います。

日本語の勉強はどのようにされたのですか?

僕が住んでいた街には、日本語を教えているところがなかったので、パソコンで日本の映画やテレビ番組を観たり、当時あったYahoo!チャットで日本の人たちとチャットすることで勉強しました。

当時、日本にはどのような印象を持っていましたか?

やっぱり戦国時代の戦いでの作法の印象が強かったですね。鎖国など歴史上のユニークな特徴から、他の国とは全く違う文化を持つ国というイメージで、そういうところ魅力を感じていました。

16歳の時に初来日されていますが、実際に日本に来てみてどうでしたか?

たくさん情報収集していたので、描いていた印象を再確認するような感じでした。やっぱり日本は面白いものがたくさんあって、興味深いし、大好きだと思いましたね。特に、しっかりと独自の文化にアイデンティティーを持っていて、自国を愛しているところがすごいと思いました。スウェーデンは、あまり愛国心や文化を強く出すと、受け入れた移民の人たちに失礼に当たるという考えから、そういった気持ちをすごく抑えているんです。それは優しい心から来る、良いことでもありますけど、そうすることでアイデンティティーを失ってしまっているのが残念で、違和感を持っていました。

初めて日本に来た時

日本人が自国を愛しているとは、具体的にどんなところで感じましたか?

例えば、日々の生活の中で自然と神社やお寺に参拝することや、古き良きものを大事にするところとか、美味しい物を食べたり、良い文化に触れたときに、「あー、日本人で良かった~」って言うことなどに愛を感じますね。

なるほど、自分たちではなかなか気づいていなかったことですが、そうなのですね!では、その来日で3か月間のホームステイをされたそうですが、どのような体験をしたか教えてください。

お世話になったホームステイ先は、たまたま古民家で伝統的な生活をされている家庭でした。着いた日の翌朝、そこのお父さんがお経をあげているのを聞いて嬉しくて一緒にやらせてもらいました。彼は特に信心深いわけでもないのに毎朝お経をあげる、というのが興味深かったですね。そして、お母さんは茶道をやっていて、朝ご飯は毎日和食を作ってくれたり、初めて日本に行くにはとても恵まれた環境でした。家は鎌倉の近くだったので、しょっちゅう鎌倉に足を運んで、神社やお寺に行ったり、文化をたくさん見て吸収しました。鎌倉は今でも大好きでよく行ってます。

帰国後、高校生活はどのようなことをして過ごされましたか?

それからは、どうしたら日本に住めるかを考える毎日を送っていました(笑)。どこに行くにも日本の本を持ち歩いて、スペイン語のクラスの時も、隠れて日本語の勉強をしていました。だから、高校時代は日本に行く準備期間だったといっても過言ではないですね。実はその時から日本に帰化したいと思っていたんです。それを目標に、限られた環境の中で日本人とチャットするなどして、日本語になるべく触れる時間を作りました。友達との付き合いもぐんと減って、パソコンの前で過ごすことが多かったですね(笑)。

そして高校卒業後、語学講師として日本に移住されます。実際に住んでみて、興味深かったことやカルチャーショックなどはありましたか?

ただ遊びに来るのと、実際に住んで働くというのは全く違って、初めてそこで生活の厳しさを実感しました。カルチャーショックだったのは、語学学校で英語と少しスウェーデン語を教えていたのですが、日本の子供たちを見て、大変そうだなと感じたことです。みんな、放課後は部活動をしたり、塾や英語のレッスンを受けたり、他にも習い事をして、いつも疲れた顔をしていて、将来の夢や目標を持った子が少ないことにもびっくりしました。社会人の方たちも同じく、休みが少なくたくさん働いていて、日本人は大変だなと思いましたね。もう一つは本音と建て前を使い分けるところです。スウェーデン人は思ったことをはっきり口に出して言うので、日本の文化に慣れるのに苦労しました。今は言わなくてもわかりますけど、やっぱり言うべきところはしっかり言わなくては嫌ですね。

その後、東日本大震災の直後スウェーデンに帰国したものの、すぐ日本に戻られましたね。どうしてそうされたのですか?

国によって報道の内容が、日本と海外で全く違ったんですね。スウェーデンでは、日本が崩壊するという具合に報道されていたので、家族は僕のことをとても心配しいていたんです。なので安心してもらうために、当時結婚していた元妻と一緒に一時帰国したのですが、少し落ち着いた後、すぐに大好きな日本に戻りました。

日本に戻られてから造園業のアルバイトをして、本格的に学ぶために弟子入りしようと思われたそうですが、造園のどんなところに魅力を感じたのですか?

スウェーデンに一時帰国した時に、英会話の仕事も辞めたので、一生続けていける仕事を探すいい節目だと思ったんです。大好きな日本の伝統に携わる仕事がしたいと思い、宮大工に興味があったので、何社か問い合わせてみたのですが、狭き門で諦めました。そんなある日、求人誌に伝統的な日本庭園の造園の仕事が載っていて、すごく面白そうだと思い応募したところ、運良く採用してもらえたんです。そこは小さな個人経営の造園業者だったので、毎日違う個人宅のお庭で働かせてもらうことができ、まるで毎日違う美術館で日本の独特な美学を学ばせてもらっているようでした。一言で日本庭園と言っても、幅が広く色々な形式があり、技術を駆使して人工の要素を見せないようにする奥深さに特に感銘を受けました。

弟子入りできる造園業者を探すのは大変だったのでは。どのような工程、体験を経て見つけるに至ったのですか?

アルバイトは一シーズンだけの契約だったのですが、完全に造園業に魅了されていたので、徒弟制度を採用している他の業者を探そうと思いました。愛知県の、中でも造園業が盛んな場所を探し、やみくもに何社にも当たりました。ですが、そういう制度があるところは少なく、とにかくなんでもいいから仕事を探さなくてはいけない状況になり、ハローワークに足を運んだんです。そうしたら、そこで会った担当の方が、たまたま後に親方となった加藤剛さんの知り合いで。ちょうど親方も雇ったばかりの弟子が急にやめてしまい困っていたところでした。ご縁ってこういうものなんだと思いましたね。

親方の加藤剛さんと

そして、2012年から5年間、その親方の下徒弟として働かれましたが、どのような体験をし、学びましたか?また、徒弟制度についてはどう思われますか?

アルバイト先で植物の名前や大体の動きを身につけていたので、あまり怒られずに済みましたが、掃除から始め、認めてもらうにつれ色々なことを教えてもらいました。庭師のような美学要素が多い仕事は、教科書で学べるものではないので、徒弟制度はすごく効率がいいと思います。スウェーデンにも専門学校などの一環として現場で学べることが少しはできますが、このように朝から晩まで親方について、生活をも共にして学ぶというのはないので、本当に貴重な体験をしたと思います。また、この頃離婚を経験するなど、個人的にも色々なことがあったので、公私共に濃い5年間でした。

そうだったのですね。ところで、2016年に日本に帰化されましたが、スウェーデンのご家族はどう思われましたか?

家族は僕が小さい時から日本狂ぶりを見ているので(笑)、すんなり認めてくれました。元軍人の義父からは、「日本が戦争したら僕は日本のために戦えるのか?」というようなことは聞かれましたが、それ以外は何も聞かれることはなく、必要だった書類へのサインをしてくれました。

その時に名前を村雨辰剛に変えられたのですよね。名前の由来を教えてください。

帰化したいという気持ちを長年温めていたので、名前は元の名に当て字を使ったものではなく、日本名にすると決めていました。そして、自分で決めるより、ご縁のある方に付けてもらいたいと思ったので、親方に頼んだんです。親方のお父さんが、歴史小説家の村雨退二郎の苗字が好きだったので、それが苗字になりました。名前の辰剛は自分で考えましたが、僕は辰年なので「辰」と、親方の名前の「剛」をかけて辰剛にしました。

日本らしい素敵な名前ですね。ところで、ここ2年程は色々なテレビ番組やCMなどに出演されていますが、どういうきっかけでメディア活動を始めることになったのですか?

庭師の仕事をしているうちに、人々の日本文化への感心が減り、伝統が消えゆくことに不満を覚えるようになりました。それで、ツイッターやインスタなどのSNSで自分の弟子入り生活を紹介していったら、皆さんに興味を持ってもらえるようになったんです。そんな時に今の事務所から声がかかりました。庭だけに専念することは勿論いいことではあるのですが、少しでも多くの人に興味を持ってもらうために、メディアに出て自分の活動を発信しています。

現代に見合ったいいアイデアですね!これから日本庭園の魅力をどう伝えていきたいですか?

まずは日々の勉強を怠らず、技術を向上させ、文化を継承していくということにふさわしい人間になれるよう日々鍛錬していきたいです。「この人に任せておけば大丈夫」と思ってもらえるような人になりたいんです。グローバリゼーションが進む今、日本固有の文化こそが日本の武器になると思います。日本に魅了され、訪れる多くの外国人がいるのですから、日本人として他の色に染まってしまうことなく、自国の文化をきちんと残していき、世界の中で日本の立場を保っていくことが大切だと思います。僕のような外から来た人間が真剣に学んで、守ろうとしている姿勢を見ることで、皆さんに少しでも興味を持ってもらえれば嬉しいです。例えば、バルコニーに小さな日本庭園を造ろうと思ってもらえたり、日本庭園と繋がりのある茶道や華道、わびさびの精神などにも繋がっていったら素晴らしいですね。

日本文化が消えゆくことを悲しみつつも、何をしたらいいかわからないという人たちにできることは何だと思いますか?

まずは、日本のアイデンティティーや文化に興味を示すのが第一歩だと思います。でも、そうするには、一度日本を出てみないと日本の良さを再確認するのは難しいと思うので、どんどん外に出て欲しいですね。

将来弟子を取ることは考えていますか?

もっと経験を積んで状態が整ったらそうしてもいいなと思ってます。海外の方から弟子入りしたいという依頼を頂くこともありますが、今は無理でも、いつかできたら面白いなと思います。不思議な造園屋ですよね(笑)。あと、自分には娘がいるので、娘がいつか庭師に興味を持つことがあったら教えてあげたいですね。

日本の伝統の美を誰より愛する素敵な造園屋さんになると思います。ところで、 NHKの「みんなで筋肉体操」で村雨さんを知った方も多いかと思いますが、肉体改造にはどうして興味を持ったのですか?筋トレの魅力を教えてください。

スウェーデンは実は筋トレがすごく盛んで、映画館もないエルケルユンガにもジムはたくさんあるんです。自分の努力が結果となって、体に表れるというところがとても分かりやすくてハマってしまいました。

日々の努力の積み重ねを本当に大事にされていらっしゃるんですね。それでは話は変わりますが、スウェーデン人の国民性を教えてください。

シャイで自己主張をあまりしないですね。最初は固く閉じているけど、心知れるとすごくフレンドリーで仲良くなれるので、スウェーデン人はよく瓶の蓋に例えられるんです。表情をあまり変えないので、冷たく思われがちですが、几帳面で真面目な人が多いですね。そこまでは日本人と似てると思います。違うところは、個人主義性が強くて思ってることをはっきり言うところと、無駄が嫌いなところですね。意味のない会話をせず、必要なことだけを言うのでとても効率性が高いです。

日本語とスウェーデン語で好きな言葉は?

日本語は、「不退転」です。屈せずに自分の信念や目標を最後までやり通すことに理想を感じますし、帰化という目標に向かって長年大事にしてきた言葉でもあります。あと、「いただきます」も好きですね。いただくものに感謝するという姿勢がすごくいいなと思います。スウェーデン語は、「ちょうどいい」という意味の“Lagom(ラゴム)”が好きです。スウェーデン人はみんなLagomであることを大事にしています。でも自分は苦手な方なんです。「こう」と思うと100%そこへ向かってしまうので、ちょうど良さをもっと大事にしたいですね。

では、スウェーデンに行ったら是非行って欲しい、村雨さんの大好きな場所を教えていただけますか?

ガムラスタンという、「魔女の宅急便」のインスピレーションになったとも言われる、ストックホルムで一番古い旧市街がお勧めです。ストックホルム宮殿もある人気観光スポットですが、すごくいい所です。スウェーデンの森も是非見て欲しいですね。また、北極圏まで行くとオーロラも見えますよ。

日本で好きな場所はどこですか?

やっぱり鎌倉ですね。自然も、神社仏閣も、古い伝統や町並みも残っているところが好きです。特に好きなのは報国寺。山の中に美しい竹林があって、全体の空間がすごく好きです。日本庭園の静寂を感じることができるところもいいですね。

鎌倉の報国寺にて

今度是非行ってみますね。村雨さんが好きな日本人の特性はどういうところですか?

日本人とスウェーデン人は自然観が似てると思うのですが、両国ともはっきりとした四季があって、自然をとても大事にする人が多いですよね。四季に美を感じるところがすごく好きです。そして、自然の美しさを残したインテリアを好み、物を大事に長く使ったり、使えば使う程味が出る経年美化を大事にするところも好きですね。

では、逆に変化が必要だと思うところを教えてください。

政治や、社会などに対して個人の意見を持つべきだと思います。あまり意識せず、なんとなく過ごしている人が多いように感じますね。政治自体にも問題があると思いますが、投票率は低いですし、政治に興味を持ってる人が少ないので心配になります。

スウェーデン人はその点は違いますか?

スウェーデンでは、子供の頃から政治に興味を持つように教育ができているんです。もちろん子供に投票権はないですが、選挙の時期になると、学校の中で模擬の選挙が行われます。生徒たちが党となるグループを作り、どこが政権を握るべきかを自分で決め、投票した理由を討論するんです。そうすることで自然と政治に興味を持つようになるからです。また、学校だけでなく、家庭の食卓などでもそういう話が自然とされます。日本でも、政治に興味を持ったり自分の考えを持つ教育をしていったら変わっていくと思います。

確かにそうですね。では、村雨さんが日本に住みながらも、大事にしているスウェーデンの文化や習慣はありますか?

スウェーデン人は、家に人を呼ぶのが好きなので、いつでも人が来ても良いようにいつも家をきれいに保っています。僕も、生活空間が片付いた心地良い状況にしておくことが好きですね。

それでは、生きていく上で一番大切にしていること、また、これからの夢を教えてください。

大切にしていることは、向上心と初心を忘れないことです。僕の場合、日本人に帰化して、日本に住んでいることが当たり前になっていますが、日本という国に魅了され、冒険心を持って来たこと、そして、今も尚まだ冒険の途中だということを忘れないようにしたいと思います。夢は、庭の魅力を自分の作品を通して伝えていくことです。究極の庭、自分の傑作と呼べるものを残していきたいですね。日々の努力を怠らず、筋トレと同じように毎日一つ上を目指していきたいです。

最後になりますが、村雨さんにとって成功とは何ですか?

死に逝くときに、良い人生だったと思えれば成功だと思います。何かをやらなかったことでの後悔はしたくないですね。人生を振り返って、「ああ、これで良かったな」と思えたらいいなと思います。

取材協力:江東区芭蕉記念館
https://www.kcf.or.jp/basho/

村雨 辰剛(Tatsumasa Murasame) official info