●絶賛開催中の東京・春・音楽祭、31日昼は東京都美術館の講堂で「ティツィアーノとヴェネツィア派展」記念コンサート vol.3 太田光子(リコーダー)。最大8名によるルネサンス・リコーダーのアンサンブル。この音楽祭ならではのミュージアム・コンサートで、今回は都美術館で開催中の「ティツィアーノとヴェネツィア派展」と連動して、ティツィアーノと同年代のヴェネツィアで活躍した音楽家たち、アドリアン・ヴィラールト、シルヴェストロ・ガナッシらの作品を中心としたプログラムが組まれていた。16世紀前半となると、自分にとっては守備範囲外の時代なんだけど、新鮮な気持ちで1時間のショート・プログラムを満喫。軽快、澄明。パドヴァーノの「バッタリアによる8声のアリア」は、バッタリア(戦いの音楽)というからどんな勇ましい音楽かと思いきや、リコーダー8本で奏でる音楽は昼下がりのお茶会並みの安らかさなのであった。ガブリエーリの「第7旋法による8声のカンツォン」は軽やかでありながらも壮麗。ここのミュージアムコンサートではいつもそうだと思うんだけど、演奏者のトークが入る。太田光子さんはお話しもすごく達者で、みんなが楽しい気分になれる。
●お花見シーズンの上野は昼間から大変な混雑ぶり。しかし公演が終わって外に出てみると雨が降り出していた。ぞろぞろと駅へ向かう人たち。
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●今週末の「題名のない音楽会」(テレビ朝日、日曜あさ9時)から、司会に新たに石丸幹二さんが就任する。先代の五嶋龍さんは番組を卒業。石丸さんの初回は「劇場支配人の音楽会」をテーマに、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲~第3楽章(小林美樹さんの独奏)他が演奏される。引き続き番組作りのお手伝いをさせていただいているので、ここでご案内を。
2017年3月アーカイブ
東京・春・音楽祭 2017 「ティツィアーノとヴェネツィア派展」記念コンサート vol.3 太田光子(リコーダー)
フェスタサマーミューザKAWASAKI 2017、プログラム発表
●29日はミューザ川崎でフェスタサマーミューザKAWASAKI 2017の記者会見があったのだが、ラジオ収録の仕事と重なってしまったので断念。代わりにウェブで発表されたプログラムをじっと眺める。「首都圏で活躍する10のオーケストラが川崎に集結」というのが謳い文句の音楽祭だが、今回は特別参加としてゲルギエフ指揮PMFオーケストラと井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が出演するのにびっくり。ゲルギエフ指揮PMFオーケストラはシューベルトの「ザ・グレイト」を演奏。OEKはティエリー・エスケシュとの共演で、2016年に委嘱したエスケシュのオルガン協奏曲をとりあげる。
●サマーミューザって、公演ごとにプログラムの性格がまったく違うんすよね。シリアスなプログラムを組む楽団もあれば、思いっきり親子コンサートとかポップス・オケ的なプログラムを持ってくるところもある。それぞれ客層もずいぶん異なるのでは。
●で、シリアス派のなかで特に興味深いものを挙げると、開幕公演がジョナサン・ノット指揮東響で、なんと、シェーンベルク「浄められた夜」とストラヴィンスキーの「春の祭典」。真夏にがっつり。必聴ですね、これは。
●村上寿昭指揮東京シティ・フィルのバロック名曲集もおもしろい。ヴィヴァルディの「四季」(有希 マヌエラ・ヤンケ)、ヘンデル(ハーティ編)の組曲「水上の音楽」、バッハ(マーラー編)の管弦楽組曲という、ある意味で失われたバロック名曲プログラム。近年モダン・オーケストラのプログラムでみかけなくなった名曲が、一周回って20世紀バロックとして新鮮味を獲得しつつあるのかも。あとは、ヤクブ・フルシャ指揮都響のスメタナ「我が祖国」全曲にもひかれる。
●公演によっては当日に公開リハーサルあり。ほとんどざっくり通すだけみたいなこともあれば、そんなに細かいところを何度もやり直すの?みたいなこともあって、まちまち。
ニッポン代表対タイ代表@ワールドカップ2018最終予選
●アウェイでのUAE戦に続いて、今度はホームに移動してのタイ戦。ホームとはいっても、多くの代表選手は欧州でプレイしているわけで、欧州→中東→日本と移動して、これが終わったら欧州に帰る大移動。ホームだろうがアウェイだろうが、東アジアの欧州組は常に長距離移動を強いられる。
●ニッポンは前の試合で大迫と今野が負傷。大迫の代わりが岡崎というのはだれもが予想する通りだが、今野の代わりにサイドバックの酒井高徳を起用したのがサプライズ。所属チームではここでプレイしているそうだが、代表では初めてでは。GK:川島-DF:酒井宏樹、吉田、森重、長友-MF:山口、酒井高徳-香川(→清武)-FW:久保裕也(→宇佐美)、原口(→本田)-岡崎。
●前半8分に先制点。センターバックの森重から右サイドに開いた久保にロングパス。久保がディフェンスを交わしてクロスを入れ、中央で受けた香川がシュートフェイントをはさみながら鋭いシュートでゴール。こういった効率的な攻撃はハリルホジッチ監督の好むところでは。前半19分にはまたしても久保のクロスからニアで岡崎が頭で合わせて追加点。久保はオールラウンドにすぐれたプレーヤーだが、クロスの質の高さも光っている。つい少し前までいちばん調子に乗っていた逆サイドの原口がかすむほどの活躍ぶり。さらに後半12分、久保は右サイドのスローインを受けて、中央に切れ込みながら豪快に蹴り込んで3点目をゲット。前の試合に続く圧巻の久保祭り。後半38分にはコーナーキックから吉田のヘディングが決まって4対0。結果を見れば完勝なのだが……。
●しかし奇妙なことに、これだけ大差がついたのに、シュートの本数ではタイが上回っていた。かなり攻められてもいたわけで、これは珍しい現象。川島がファインセーブを連発、PKまで止めてしまったので無失点で済んだが、タイの決定力不足に助けられた。主にニッポンの不用意なミスから攻め込まれ、ディフェンスの組織も乱れがちだった感あり。交代選手も流れを変えられず、なんだか締まりのないゲームになってしまった。
●タイは一昔前とは様変わり。なにが違うかといえば、選手の体格がぜんぜん違う。ずいぶん大型化して、ニッポンに対しても遜色がない。もともと伝統的にテクニックにすぐれた選手が多かったところに、パワーやスピードも増して、見違えるほど強くなった。なるほど、ホームでオーストラリア相手に引き分けただけのことはある。まだまだ伸びしろがありそうなので、遠からずアジアの勢力地図を塗り替えることになるかも。
●さて、ライバルたちだがオーストラリアはホームでUAEを下した。UAEはこれで連敗。そしてサウジアラビアはホームでイラクに1対0で勝利。結果的に上位国がそろって勝点3をゲットしたことに。1位ニッポン勝点16、2位サウジアラビア勝点16、3位オーストラリア勝点13。ニッポンは得失点差でわずかに1だけサウジをリード。前にも書いたように、ニッポンは最後の3試合がきつい。次はアウェイのイラク戦だが、6月の中旬に開催されるということで、欧州がすっかりシーズンオフに入っているのが難点。コンディション面ではJリーグ勢が断然有利なので、国内組の活躍を期待したいところ。
「未到 奇跡の一年」(岡崎慎司著/ベスト新書)
●昨シーズンのレスター奇跡の優勝を受けて発売された本なんだけど、なぜか見落としていたようで、今頃になって読んだ。「未到 奇跡の一年」(岡崎慎司著/ベスト新書)。実に読みごたえがある。だれひとり予想もしていなかったレスターの優勝が実現し、岡崎慎司がシーズンを振り返る。で、こうして本が出た。そして今シーズン、レスターは優勝争いどころか残留争いをする立場に逆戻りして、ラニエリは解任されてしまった。今、読むからこそ味わい深いってのはあると思う。構成はサッカー・ライターの飯尾篤史さんという方(ワタシと血縁はない……と思う)。構成が抜群にうまい。こういう本のおもしろさは、だれがまとめるか次第。
●岡崎ってレスターとロンドンの両方に家を借りているんすよ。どういうことかというと、レスターにはひとり暮らしの住居があって、ロンドンには妻子の住む家がある。岡崎は試合が終わると、ロンドンに帰って、家族とともにオフ日を過ごして、それから練習のためにレスターに向かうという英国内単身赴任みたいなライフスタイルをとっているのだとか。海外に赴任する人たちの多くが直面する家族の問題が、やっぱりサッカー選手にもある。
●ドイツ時代の岡崎は家族みんなで快適に暮らしていたんだけど、長男がドイツ語を話せず幼稚園で友達がなかなかできず、いつも家で次男や父親と遊んでばかりで、親の立場としては「かわいそうだな」と感じるようになった。で、小学校からは日本の学校に通わせようということで、家族を帰国させ、当初イングランドでは岡崎はひとりで暮らしていた。練習が終わってからの楽しみは、家でオンラインゲームで同じドイツの内田や清武と遊ぶこと。しかしいくらサッカーについて充実した日々が続いていても、ずっと家族と離れたままでは辛いもの。悩んだ末に、子供の教育を考えて家族はロンドン、自分はレスターに住むことに決めたという次第。
●国境を超える選手の移籍って、こういう家族の問題が大変そう。プロ・スポーツ選手は自分の現役時代の姿を子供に見せるためにか、早くから家庭を持つような印象を漠然と抱いていたけど、逆に海外組の選手のなかには「子供が小学校に入る年齢に達する前に(移籍か引退かで)帰国する」ような青写真を描いている人も少なくないんじゃないだろうか。なにせ普通の仕事と違って、どんなに現地で成功してもせいぜい30代半ばで引退年齢に達してしまうわけだし。
アンドラーシュ・シフ・ピアノ・リサイタル The Last Sonatas
●23日は東京オペラシティでアンドラーシュ・シフのピアノ・リサイタル。モーツァルトのピアノ・ソナタ第17番ニ長調、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調、ハイドンのピアノ・ソナタ第52番変ホ長調、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番ハ短調という、それぞれ最後のピアノ・ソナタを集めたプログラム。それだけだといかにも大家にふさわしいプログラムといったところだが、なんと、4曲をこの順番で休憩なしで弾き通すという趣向。うーん、それはいくらなんでも長すぎなんじゃないかとか、シューベルトの第21番を聴いた後にすぐに別の曲を聴く気になるものだろうかとか、うっかり知らずにやってきたお客さんのトイレ退出が続出するんじゃないかとか、いろんなことが気になった。でも始まったら、もうなにも気にならない。ただ音楽があるのみ。一度も袖に帰らず最後まで。
●4曲こうして並ぶとメガ・ソナタって感じもする。モーツァルト、シューベルト、ハイドン、ベートーヴェンの各ソナタを楽章に見立てれば、快活な第1楽章、歌謡的な第2楽章、諧謔的な第3楽章、フーガと変奏からなる第4楽章、とも? 時間の感覚が拡大していって、一回り外枠で描かれるメガ・ソナタ、あるいは巨大なソナタのなかにまたソナタがあるフラクタルなソナタというか。粛々と続く音楽に浸りきっている内に時間感覚が麻痺していくような眩暈の悦楽。
●長いプログラムだけど、休憩がなかった分、時間を稼げて、9時ごろに本編が終了。しかし、そこからさらに続くのだ。そのまま30分強にわたる大アンコール大会に突入。バッハのゴルトベルク変奏曲のアリア、同じくバッハのパルティータ第1番からメヌエットとジーグを続けて、ブラームスのインテルメッツォ変ホ長調op117-1、バルトークの「子供のために」から「豚飼いの踊り」、モーツァルトのピアノ・ソナタ第15番ハ長調第1楽章、シューベルトの即興曲変ホ長調D899-2、シューマンの「楽しき農夫」。リラックスした家庭音楽会のような雰囲気の選曲で、モーツァルトやシューマンを弾きだしたときは会場から「くすくす」と笑いが漏れて一段と親密な雰囲気に。最後は鍵盤のふたを閉じて聴衆に別れを告げた。スタオベ多数。決してお尻が痛くなったからではなくて。
UEA代表対ニッポン代表@ワールドカップ2018最終予選
●最終予選はここからが後半戦。まずは難敵UAEとアウェイで戦う。思い出したくもないが、ホームでの初戦でわけのわからない判定が相次いで、1-2で敗れてしまった相手。おかげでグループBが大混戦となり、ニッポンは難しい戦いが続くことになっている。で、ニッポンはこの重要な一戦に不動のキャプテン長谷部を欠くことになってしまった(所属フランクフルトではリベロのようなポジションで新境地を開いたりと絶対的なレギュラー選手。しかし膝の手術を敢行するとか)。ハリルホジッチ監督は意外なスタメンをそろえてきた。一言でいえばベテラン頼み。
●GK:川島-DF:酒井宏樹、吉田、森重、長友-MF:山口、今野、香川(→倉田秋)-FW:久保(→本田)、原口-大迫(→岡崎)。びっくりしたのは2年ぶりに代表に呼ばれた34歳今野の復帰。長谷部の代役に収まった。キーパーの川島も予想外。所属のメスでは第3キーパーの扱いと聞いていたけど。試合にはまったく出ていないはず。西川は相当に悔しいのでは。長友もインテルではたまにしか出番が巡ってこない状況ながら、ハンブルガーSVでキャプテンを務める酒井高徳をベンチに追いやった。一方、岡崎と本田はベンチ。ベルギーで絶好調の久保が先発するのは納得。トップに入った大迫も今やケルンで不可欠の選手になっている。
●UAEには絶対的なエース、オマル・アブドゥルラフマンがいる。ほとんどフリーポジションみたいな特権を持ったプレイメーカー。ボールを触りたいタイプで、躊躇なく自陣にまで戻ってくる。現代サッカーでは希少種となった一人でやるタイプだが、ボール扱いのうまさは抜群で、巧みにキープしながらキラーパスを狙う。こちら側から見るとこの選手はもっとゴールの近くにいたほうが怖いのだけど、すぐに下がってしまう。なので、オマル・アブドゥルラフマンに守備をさせるという展開が狙いとしてあったと思う。守りはほとんどアリバイ守備だし。実際、オマル・アブドゥルラフマン対策はかなり成功していたのでは。前半は厄介だったが、後半途中からはほぼ消えていた。
●懸案の審判はウズベキスタンのセット。フェアな笛で安堵。前半14分、右サイドをあがった酒井宏樹から、ディフェンスラインの裏に走り込んだ久保へパス。浅い角度だったが久保はダイレクトにシュートを放ち、これが見事に決まった。祝、代表初ゴール。ベルギーのヘントでゴール量産中の久保だが、判断の速さが印象的。あのコースを瞬時に狙えるのはすごい。ほかのプレイでも視野が広い感じ。ニッポンは珍しく早い時間帯に先制できた。
●前半20分にはマブフートが川島と一対一のシュートチャンス。これを川島が足で防ぐスーパーセーブ。決まっていれば展開が違っていた。タイトな展開が続いて前半はニッポンが1点のリードで折り返す。UAEはこの試合のために、わざわざピッチの両サイドを縮めて、通常より4m狭いフィールドを用意してきた。スペースがなければニッポンに不利と読んだわけだが、先に失点してしまうとかえって困る面もあるのでは。基本、スペースが少ないほど、点は入りにくい。
●この日は大迫のポストプレイのうまさが際立っていた。ドイツではまったく高いとはいえないはずだが、それでも前線でボールを収めるのが大迫の巧みさ。この日もどれだけ後ろの選手を助けてくれたことか。後半7分、その大迫が頭でボールを落とし、受けた久保が右サイドからファーにクロス。そこになぜか今野が走り込んでいて、てっきり中央に折り返すのかと思ったら、自分でトラップしてシュートを決めてしまった。まさか今野が守備のみならず攻撃でも活躍するとは。2対0。
●ここから試合は中盤が間延びして、雑な展開に。お互い運動量がぐっと落ちてしまい、狭いはずのピッチにスペースができる。香川を倉田に、足をつって動けない久保を本田に交代。暑さと疲労で苦しい時間帯が続いたが、相手も疲れで集中力が落ちていく(中東勢相手によく見る展開)。後半37分、大迫が負傷退場して岡崎と交代。所属のレスターでは昨季とは打って変わって困難な状況が続くものの、監督交代以降は出場機会を取り戻しつつある岡崎。コンディションはよさそうだが、せっかくやってきた決定機を決めきれない。近年の岡崎は献身性とひきかえに決定力が後退している感も。
●意外だが、高さではニッポンに分があった。今や中東勢相手でもそんなふうになるんだ。おかげで終盤につまらないパワープレイを受けずに済んだのは吉。しっかりと2対0で勝ち切った。ベテラン抜擢の策からオマル・アブドゥルラフマン対策まで、すべてが狙い通りに運べて、ハリルホジッチ監督はご機嫌では。完璧。
●ライバルたちだが、サウジアラビアはアウェイのタイ戦に完勝する一方、オーストラリアはアウェイのイラク戦に引き分け。これでグループBはサウジが1位、同じ勝点でニッポンが2位、勝点3の差でオーストラリアが3位。少しオーストラリアが引き離されつつある。ニッポンは28日にホームでタイ戦を迎える。その後はアウェイのイラク戦、ホームのオーストラリア戦、アウェイのサウジアラビア戦という厳しい試合が続く。
●反対側のグループAでは韓国がアウェイで中国に敗れるという番狂わせがあった。イランが頭一つ抜けて1位を走っている。
井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢のバルトーク&モーツァルト
●21日は東京オペラシティで井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢。前半にダニイル・グリシンの独奏でバルトークのヴィオラ協奏曲、後半にオーケストラ・アンサンブル金沢合唱団が加わってモーツァルトのレクイエム。独唱は半田美和子、福原寿美枝、笛田博昭、ジョン・ハオ。前半のバルトークでは、OEKでは首席奏者としておなじみ、クレメラータ・バルティカで首席奏者としても活躍したダニイル・グリシンが圧巻のソロ。純然たるソリストとして聴いたことは今まであったっけ? すごい音が出てくる。強靭。後半は金沢からやってきた合唱団が熱演。魂のモーツァルト。3月11日の金沢公演でもふたりの作曲家の遺作が並べられた同じプログラムが演奏されていて、哀悼の意を込めた選曲ではあるはずだが、レクイエムを終えたマエストロの挨拶では「遺作をふたつ並べましたが、特に意味はありません。みんな、生きてます」。
●バルトークのヴィオラ協奏曲もモーツァルトのレクイエムも遺作であると同時に、他人の補筆完成版によって演奏されざるを得ない作品でもある。よく使用される補筆完成版に対してさまざまが議論があり、別の補筆が行われるという状況も似ている。バルトークは一般的なシェルイ版、モーツァルトはバイヤー版が用いられていた。バルトークで補筆をしたシェルイって、もっぱら補筆者として名前を聞くけど、この人自身も作曲家なんすよね。しかもバルトークの補筆をする前に、自身の作品としてヴィオラ協奏曲を書いている。このシェルイのヴィオラ協奏曲を録音で聴いてみると、なんだかバルトークとの親近性が感じられるのがおもしろいところ。たまたまなので、宣伝しておくと、拙ナビによるFM PORT「クラシックホワイエ」の今週末の放送(土曜夜10時~)で、バルトークのヴィオラ協奏曲(シェルイ版)を流して、おまけにシェルイのヴィオラ協奏曲の第1楽章後半抜粋をかけている。ラジコプレミアム利用者は全国から聴取可、新潟県内からは電波でも受信可。えっ、そんな「たまたま」がありうるわけ? あるのです……。
●今日の深夜はニッポン代表のW杯予選もあるのだが、時間帯が遅すぎるので生は断念。朝に録画観戦するので、厳重に結果バレ禁で臨みたい。
インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
●21日は東京芸術劇場でエリアフ・インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団。旧称はベルリン交響楽団。2006年からこの名称に変わっている。1952年、旧東独に設立された楽団だが、現在のサウンドはとても輝かしくて、すっかり垢抜けている感じ。重厚さと機能性、壮麗さを兼ね備えたすばらしいオーケストラだと実感。インバルが首席指揮者を務めていたのは2001年から05年までとけっこう前の話なんだけど、そうとは思えないくらい指揮者とオーケストラとの間に緊密さを感じる。コンサートマスターは日下紗矢子さん。
●プログラムはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(五嶋龍独奏)とマーラーの交響曲第1番「巨人」。前半は五嶋龍さんの持ち味が存分に発揮されたメンデルスゾーン。冒頭主題からとても情感豊かで豊麗。芯の強い潤いのある音色、雄弁な感情表現、ここぞというところでぐっと「見得を切る」かのような思い切りのよさが魅力。鮮やかなソロに場内は喝采。カーテンコールでヴァイオリニストが楽器を持たずに出てくる光景は、パリ管弦楽団でのジョシュア・ベルでも見たっけ。アンコールがないってはっきりしていて吉。メンデルスゾーンで充足。
●後半のマーラー「巨人」はインバル得意のレパートリー。「自家薬籠中の物」とはまさにこのことかというくらい、綿密に設計された壮絶なスペクタクル。ディテールまで練りに練って、仕上げ磨きをなんども繰り返したであろう解釈なんだろうけど、ルーティーンを聴かされている感は皆無。第1楽章と第2楽章をほとんどアタッカでつなげて演奏するのが、なんだか前半のメンデルスゾーンと相似形をなすようでおもしろい。第4楽章の激情の奔流はスリリングだが、過度に咆哮せず、絢爛たるクライマックスへ。最後にホルンは立奏。まろやかで深みのある音色に聴きほれてしまう。
●アンコールなしで終演。オーケストラが退出した後、いったん拍手は止みかけたもののパラパラと途切れることなく続き、次第にふたたび勢いを増して、インバルのソロ・カーテンコールへ。そうこなくては。
小泉和裕指揮名古屋フィル東京特別公演
●20日は東京オペラシティで小泉和裕指揮名古屋フィル。同楽団創立50周年を記念しての特別公演で、曲目はブルックナーの交響曲第8番。小泉和裕音楽監督時代になってから、初めて名フィルを聴くことができた。名フィルはマーティン・ブラビンス常任指揮者時代に2度ほど名古屋で聴く機会に恵まれ(うーんと太古の昔に遡ると外山雄三時代にたくさん聴いているんだけど)、近年の充実ぶりは承知している。ただ、ティエリー・フィッシャー、ブラビンスという流れからすると、大きく方向転換したなという印象。
●で、ブルックナー。ここ数年、意識的にいろんな楽団のブルックナーをたくさん聴くようにしてきて、自分内テーマとしては、音の大伽藍じゃないブルックナー、多様で色とりどりのブルックナー、最新モデルのピカピカのブルックナーを追い求める旅みたいな気持ちで楽しんでいたんだけど、一周回って本格派の一本筋の通ったブルックナーに再会したという気分。精悍で推進力に富み、厳かな正調ブルックナー。
●開演前のロビー室内楽は名古屋でもやってたっけ。お得感。場内アナウンスとプログラムに挟まれた紙で、この日の使用楽譜がノヴァーク版からハース版に変更されるという案内あり。このパターンはたまにある。同じ交響曲なのに、版の違いがここまでクローズアップされるというのはブルックナーにとっての幸福なのか、不幸なのか。しかし第1稿ノヴァーク版とか第2稿ハース版とか第2稿ノヴァーク版とか、旧全集だとか新全集だとかいろんな稿やら版やら呼び方やらがあって、その複雑さだけでもブルックナーにひるんでしまう人も多いんじゃないだろうか。バージョン管理をもっとシンプルで明快な方法でやり直すことはできないものか。Windows 8.1とかiTunes 12.5.5みたいな感じで、Bruckner 8.2.2(=第8番の第2稿の2番目の版)とか。差分ファイルでバージョンアップできる的ななにか。
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●お知らせをひとつ。NBSのサイトでバイエルン国立歌劇場日本公演に向けて「オペラへの招待」というシリーズ記事(全4回くらい?)を始めたのでご笑覧いただければ。第1回はおとなしくスタートして、第2回以降はくだけたテイストになる予定。
「天界の眼 切れ者キューゲルの冒険」 (ジャック・ヴァンス・トレジャリー/国書刊行会)
●先日ご紹介した「宇宙探偵マグナス・リドルフ」「奇跡なす者たち」に続いて、国書刊行会から刊行されているジャック・ヴァンスをもう一冊。これが最新刊かと思うが、「天界の眼 切れ者キューゲルの冒険」を読んだ。いやー、これは痛快! 自称切れ者のキューゲルを主人としたピカレスク・ロマン。ろくでもないお調子者であり憎めない小悪党であるキューゲルが、行く先々で騒動を巻き起こす。楽しさという点ではヴァンスのなかでもピカイチでは。
●舞台はヴァンスお得意の「科学が衰退し魔法が効力を持った遠未来の地球」。この一冊だけに関して言えば、特にそういう背景設定がなくても、単純に魔法世界のファンタジーとして成立している気もする。連作短篇集の形をとっており、ひとつひとつのストーリーは完結しているが、全体としては旅と復讐の物語。「宇宙探偵マグナス・リドルフ」でもそうだったんだけど、ヴァンスってイジワルな話が好きなんすよね。登場するのは、笑う魔術師、食屍鬼、ネズミ人間、絶世の美女、巡礼者たち。華麗な異世界描写と底意地の悪いユーモアはヴァンスならでは。幕切れの鮮やかさにも舌を巻く。そこそこ出来不出来のある作家だと思っていたが、この一冊に関して言えば、ぜんぶ傑作なんじゃないかな。
●キューゲルものの短篇はほかにもいくつも書かれているようだが、いずれ翻訳されることはあるのだろうか。ぜひ読みたい。過去に刊行されていたヴァンスの主要諸作品も多くは絶版状態のようだし、新訳で復活してくれないものか。まあ、昨今の出版事情的には難しいだろうけど、この渇望感をどう満たせばいいのやら。
ヴィヴァルディとヴァーグナー
●先日ここで軽く触れたVivaldiブラウザーだが、日経BPのサイトに特集記事を発見→日本で「生産性が上がる新型ブラウザー」がひそかに人気。標準ブラウザが簡潔化していく流れのなかで、その反対の自由にカスタマイズできるブラウザーを作ろうという発想で設計されたとか。アクティブ・ユーザーがいちばん多いのが日本というのが意外だった。しかし記事中では「ヴィヴァルディ」ではなく、新聞みたいに「ビバルディ」表記なのであった。
●最近、ドイツのブンデスリーガでホッフェンハイム所属の大型ストライカー、ヴァーグナー選手が大活躍しているのであるが、この選手の新聞表記はどうなっているのだろう。バーグナー? それともワーグナー?
新国立劇場「ルチア」
●14日は新国立劇場「ルチア」新制作、初日へ。さすがに力の入ったプロダクションで、歌、オーケストラ、舞台美術、すべてがひたすら美しい「ルチア」。オルガ・ペレチャッコ=マリオッティのルチアも期待通りのすばらしさだが、アルトゥール・ルチンスキー(エンリーコ)とイスマエル・ジョルディ(エドガルド)の男性陣も遜色ない。イスマエル・ジョルディの甘く軽やかな声はこの役にぴったり。指揮のジャンパオロ・ビザンティは東フィルから角の取れた柔らかで端麗なサウンドを引き出して、決して力まず吼えず。歌手にやさしい。
●演出はジャン=ルイ・グリンダ。先日の会見で演出コンセプトとしてロマン主義、すなわち自然に対する畏怖の念を挙げていたが、舞台美術も絵画的で格調高い。というか、ちゃんと場面が転換してくれるということが吉。異なる場面をセットを変えずに表現する節約感(自分内用語でバリューセット)に耐えなくて済むという時点でうれしい。まだこれから公演が続くので、ネタバレは避けておくけど、いくつか目立つ独自性もあり。ルチアの着替えや、幕切れの一工夫は効果的なのでは。「狂乱の場」、ペレチャッコは過度に鬼気迫るふうではなく、むしろ清澄なくらいなのが吉。グラス・ハーモニカ(ヴェロフォン)は終演後にもピット内で喝采を受けていた。
●で、作品だ。ドニゼッティの「ルチア」って、本当にオペラ的なオペラというか、オペラのお約束に深く立脚した作品で、自分のような「オペラは見たままに理解しよう」派からはなかなか手強い相手。なにより、ルチアはなぜ死んだのか。どうしてみんなも「この人はもうすぐ死ぬよ」って了解できるのか。それがわからない。狂ったのはいいとして、医学的に死因はなんなの? あんたが死ぬからエドガルドまで。みんなそんなホイホイと死ぬなとオペラの登場人物全般に対して言いたい。で、それでもここのところで自分なりに筋の通った答えを用意するなら、「幽霊に憑かれたから」なのかな、と解している。これって幽霊譚なんすよね。幽霊に憑かれて絶命するのは、ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」からスティーヴン・キング「シャイニング」に至るまでの伝統だし。ルチアはすでに第1幕で亡霊を見たって語っているので、もうこの時点で憑かれているのかも。ウォルター・スコットの原作を日本語で読むことはできないのだろうか。
久保裕也の4人抜きゴールとJ2の神々
●いろいろあった週末のサッカー界だが、なんといっても筆頭に挙げられるべきはベルギー1部のヘントで活躍する久保裕也の4人抜きゴール。絶好調ゴール量産中。4人に囲まれながらのダブルタッチは神。
●で、久保のゴールも神だが、J2にも神々が降臨。DAZNが各試合5分程度のしっかりしたハイライトを配信してくれるおかげで、次々と名シーンを見れるのがありがたい。まずは横浜FCvs群馬でカズが史上初の50歳(!)ゴールを挙げた。これが決勝点となって横浜FCが勝利。もちろん、自身の最年長得点記録を更新。カズダンスも披露。いったいこのカズダンスは何十年前から踊られているのか。もはや日本サッカー界のいにしえの踊り。
●このゴールはイバのシュートのこぼれ球を押し込んだもの。実はその少し前の左サイドからクロスボールを入れるシーンがさらにスゴかった。群馬の6番と一対一の勝負になって、カズは得意のまたぎフェイントで勝負したんすよ。これが! 全盛期を知るだけにまるでスローモーションのようななまくらフェイント。もちろん相手はまったく反応してくれない。でもそこから縦に抜けようとする姿勢に入って、すぐさま微妙なフェイントで相手のタイミングを外してきれいに中央にクロスを入れてしまった。またぎフェイントはその先の一手まで見越した狡猾なワナなんすよね。いくらカズが史上最強の50歳だといっても、スピードもパワーも体のキレもJ2の若いアスリートたちにかなうはずがない。前の試合の映像を少し見たけど、やっぱり前線で孤立してる時間は長い。そして、後ろの選手たちはカズではなくイバにボールを出す。でもその現実を前提として受け入れたうえで、通用するプレイを丹念に探し出しているから、クロスも入れられるし、ゴールも決められるのだろう。ファンにとっての夢は、選手にとってのリアリズム。
●熊本対山形の試合では、試合終了直前のアディショナルタイムに、熊本のゴールキーパー佐藤昭大に劇的な同点ゴール。コーナーキックに後方からキーパーが上がってくる捨て身の攻撃シーンはたまに見かけるが、本当にゴールが決まることはめったにない。ニアできれいに合わせた。それにしても熊本の試合会場が「えがお健康スタジアム」(旧うまスタ)という名前になっていて驚く。
●もう一つ珍しいシーン。岐阜vs松本山雅では両チームのユニの色が似すぎていて混乱が生じるという恐ろしい展開に。序盤から相手にパスを出してしまう珍プレイが続いて、たまりかねて選手たちが主審に相談。岐阜が緑、松本山雅はグレーのユニだったのだが、芝がちょうどその中間のような色調で、デイゲームだとなにがなんだかわからない。主審と両チーム関係者協議をするものの、どちらも替えのユニを持たず。結局、ホームの岐阜の関係者が事務所まで替えのユニを取りに行くことになり、前半はそのまま続行して(わわ)、後半から岐阜が白のシャツに着替えて登場した。もちろん試合前にJリーグ側がユニの色を確認しているはずだが、明るい室内で見て問題はなくても、太陽光のもとピッチ上で見ればそっくりということもあるんだろう。グレーのシャツは要注意って気がする。
低音デュオ第9回演奏会
●10日は杉並公会堂小ホールで低音デュオ第9回演奏会。松平敬(声)+橋本晋哉(チューバ/セルパン)のおふたりによる現代作品+古楽少々のプログラム。ランディーニの2曲、川浦義広「アクセス・ポイントI」 (2013 初演)、湯浅譲二「ジョルジオ・デ・キリコ」 (2015)、三輪眞弘「お母さんがねたので」 (2014)、山本裕之「細胞変性効果」(委嘱新作)、チコーニアの2曲、足立智美「超低音デュオ」(委嘱新作)、木ノ脇道元「TORERO」(委嘱新作)。新しい曲と猛烈に古い曲の両極端が並ぶ。知らない音楽にたっぷりと触れることができるのがこのユニットの魅力。
●いちばんおもしろいと思ったのは山本裕之「細胞変性効果」。奏者の発する音にPCを用いてディレイをかけ、それを相手方のヘッドフォンに伝えるという仕掛けになっていて、そこでふたりの間にずれが生まれる。ディレイは一定ではなく、変化しているようで、曲名が示唆するような生物的な変性を連想させる。これって演奏者はヘッドフォンの音だけが聞こえているんだろうか。相手方の生の音もうっすら聞こえてしまって混乱しないのかな? テキストの意図までは汲めずに聴く。
●三輪眞弘「お母さんがねたので」は題材に気付かずに聴き始めて、途中でこのテキストがなんだったかに思い当たった。最初にチューバが演奏し、これをラジカセ(懐かしい)で録音する。このチューバがなんらかの日本語を発話しているように聞こえる。で、その抑揚だけでも、これが楽しそうなものではないことは伝わってくる。続いて録音を再生して、声がチューバの演奏を模倣するように言葉を載せていく。その途中で、この言葉がある高校生が自ら命を絶つ際に残した遺書であったことに気づく。遺書の文面の一節に自身の発話に関するくだりがあったと思う。最後の一言だけはチューバの模倣ではなく、ストレートに発声される。この事件は、当初は学校でのいじめ事件として報道され、その後、母親の異常性へと焦点が移っていったようである。が、事件についてはよく知らない。そこに至るプロセスにどんな真実があったにせよ、絶対にあってはならないことが起きてしまったという重苦しい現実の一端に触れてしまうと、もう自分はそのことばかりが頭のなかに居座ってしまう。なにしろそれは創作物ではなく、生々しい現実なので。終演後もずっととりとめなく考えが漂って、抑えきれない。演奏が終わって笑いが起きたのはなぜなんだろう。
●アンコール相当として演奏された木ノ脇道元「TORERO」は「正式には『21世紀の男らしさについて』」と題されていて、「ポップソング的なものを」という依頼にこたえて書かれたのだとか。ポップソングじゃないけど、みんなが知ってるオペラの有名曲だった。曲名で見当がつかなくて悔しい。
Bunkamura バッティストーニの「オテロ」記者会見
●9日はBunkamuraで記者会見。9月8日と10日に上演されるヴェルディの「オテロ」(演奏会形式)について、指揮のアンドレア・バッティストーニと映像演出を担うライゾマティクスリサーチの真鍋大度(写真左)が登壇。「演奏会形式と舞台上演の中間のようなものを目指したい。今まで見たことのないような最新のテクノロジーを駆使したオペラになる」(バッティストーニ)というように、演奏会形式とはいってもまったく新しい映像演出が試みられるところが最大の注目点。映像演出のライゾマティクスリサーチについてワタシは知らなかったのだが、メディアアートとしても研究開発要素の強いプロジェクトを扱っているということで、大いに期待できそう。というのも、これまで東京で上演されてきた「映像演出付き」のオペラは、テクノロジー面で周回遅れのような消極的なものが多かったという印象を持っているので。もっとも「先にネタバレしても……」(真鍋氏)ということで、具体的なイメージまではこの日の会見ではわからず。なお、映像演出はライゾマティクスリサーチだが、バッティストーニが指揮と演出を行なうと記載されている。芸術面に関してはバッティストーニが見てくれているので、作品内容から乖離した技術的デモンストレーションに陥る心配はなさそう。
●で、もちろん、純粋に音楽面だけでもバッティストーニが「オテロ」を振るとなれば注目度は高い。東京フィル、新国立劇場合唱団、フランチェスコ・アニーレ(オテロ)、エレーナ・モシュク(デズデーモナ)、イヴァン・インヴェラーディ(イアーゴ)といった陣容。バッティストーニはシェイクスピアにも相当に造詣が深いようで、言葉の端々から意気込みが伝わってきた。バッティストーニの「シェイクスピアは決して叫ばない」という言葉が印象的。たとえば、シェイクスピアはイアーゴがなぜオテロに悪意を持ったかをはっきりと書いていないと言い、そこにいろいろな可能性がありうることを指摘する。カッシオが副官に選ばれたから。イアーゴの妻がオテロと関係を持ったから。イアーゴがオテロを欲していたから(これは今風の作品解釈として、とても魅力的で筋が通っているんすよね。デズデーモナに嫉妬するイアーゴ)。物語世界の持つ奥行きの深さ、晩年に一段と高みに到達したヴェルディの音楽の革新性等、見どころ聴きどころは多い。
●なお、今回、通常の公演とは別に、9日にBunkamuraとソニー音楽財団とによる10代のためのプレミアムコンサート「はじめての演奏会オペラ~イタリア・オペラ編」という教育プログラムも開催される。そうそう、「オテロ」でなるべく若いうちに人間不信を植え付けておかないと……ってのはウソとしても、イヤーゴみたいな存在が放つ磁力って多感な時期の若者にこそ作用すると思うんすよね。
アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア 2017 vol.1 フックスとその周辺
●8日は東京オペラシティの近江楽堂でアンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア。松永綾子、山口幸恵(ヴァイオリン)、懸田貴嗣(チェロ)、渡邊孝(チェンバロ)の4名からなるアンサンブル。昨年、同アンサンブルで「ウィーンのトゥーマ」をテーマに知られざる作曲家トゥーマの音楽を聴いたが、今回はそのトゥーマの師匠筋であるフックスが主役。フックスはトゥーマよりは知られているにしても、作品を聴いて親しんでいるとはいいがたく、むしろ対位法の大家であり理論書「グラドゥス・アド・パルナッスム」の著者として教科書的な記述で目にする存在というべきか。どんな音楽辞典にも必ず乗ってる名前。そんな厳めしいフックス像が一新されるような、精彩に富んだ音楽を味わうことができた。練りあげられたプログラム。
●前半はヨハン・ゲオルク・オルシュラーのトリオ2曲の間にトゥーマのシンフォニアが1曲はさまる構成。オルシュラー……。うーん、まったく知らない人だ。ブレスラウ生まれで、ウィーンでフックスに作曲を師事した人なんだとか。前半終わりのトリオ ヘ短調(この日の2曲はどっちもトリオ ヘ短調なんだけど)はおしまいに堂々たるフーガが置かれていて、思い切りテンションが上がる。入念なフーガで、けっこう粘着質な人だったのかなと勝手な想像を膨らませる。
●後半はフックス尽くし。パルティータを2曲とシンフォニア。最初のパルティータ E.64はヘクサコードの定旋律で開始され、いかにも生真面目なフックスだが、続くパルティータ K.323は第1曲「戦闘員たち」、第2曲「勝者たち」という標題が示すようにバトルモード全開の音楽で、ハジけまくってる。「戦闘員たち」とか言われると、字面からついショッカーの「ヒーッ!」とか叫んでる手下たちを思い浮かべるが、そうではなく、トルコによるウィーン包囲。その描写を読みあげる渡邊孝さんの語りから曲に突入するという鮮やかな演出付き。でもこの曲、後半はメヌエットとかガヴォットとかリゴードンと普通に舞曲が続くという謎展開。トルコのモチーフは、続くシンフォニア ハ長調 K.331にも引き継がれ、トゥルカリア、イェニチェリといった各曲から怪しげなエキゾチック・トルコが浮かびあがり、フックスのユーモアに笑う。こんなにサービス精神の旺盛な人だったとは。
●前回の公演での渡邊孝さんのお話しで、フックスの作品番号はモーツァルトと同じくケッヘルが整理していて、このトルコ風のシンフォニアにK.331(モーツァルトだとトルコ行進曲付きのソナタ)が付いているのは確信犯だろうとあったのを思い出す。ふふ。
CDのソフトケース詰め替え大作戦 その4
●さらに続く、この話題(その1、その2、その3)。当サイトのfacebookページのコメント欄で、ワタシなんぞのCDのソフトケース詰め替え大作戦より、さらにラディカルな収納方式をいくつか教えていただいた(感謝)。なかでも「なるほど!」と思わされたのは、CD-R用の不織布ケースを使う作戦と、角形7号封筒を使う作戦。どちらも背中は見えなくなるので割り切りが必要だが、見えない場所に収納してしまう前提ならこれは妙案では。インデックスをはさむなど工夫次第である程度検索性も保てるかもしれない。そして格段に安価。
●で、試しにPC用品として販売されているサンワサプライ DVD・CD不織布ケースをゲットしてみた。これは両面収納タイプになっているのだが、音楽CDを詰め替える場合は片面にディスクと背ジャケット、もう片面にブックレットと帯を入れるのがよさそう。あるいはどうせ背中で探せないんだから、片面にディスク、片面にその他一式でもいいか。ディスクが飛び出ないように両端にささやかなストッパーが付いているのだが、これがあると紙類がやや入れづらいのが惜しい。といっても、1枚当たりの詰め替え作業時間はコクヨのメディアパスなんかと変わらないかな。そして、なにより薄い。猛烈に薄い。1/2どころか1/3になるんじゃないのか。最強の収納効率。実勢価格は1枚あたり6円弱。メディアパスの1/4くらいで済む。
●もうすでにCDソフトケース詰め替え作業はだいぶ進行しているんだけど、ラックに棚刺しにせずケースとか箱に収納する一部のディスクについては、この不織布ケースを使ってみようかな♪(←あえて楽しげに)
新国立劇場「ルチア」制作発表会
●6日は新国立劇場でドニゼッティのオペラ「ルチア」制作発表会。3月14日から26日にかけて5公演が行われるということで、主要キャストが会見にそろった。写真は左より演出のジャン=ルイ・グリンダ、指揮のジャンパオロ・ビザンティ、オルガ・ペレチャッコ=マリオッティ(ルチア)、飯守泰次郎芸術監督、アルトゥール・ルチンスキー(エンリーコ)、イスマエル・ジョルディ(エドガルド)。
●今回のプロダクションはモンテカルロ歌劇場との共同制作で、新国立劇場で初演後、2019年にモンテカルロでも上演される。演出のジャン=ルイ・グリンダはモンテカルロ歌劇場の総監督でもある。「共同制作が実現するまでの道のりは決して平坦ではなかったが、すばらしい機会を得られて心より感謝している。劇場のみなさんはやる気があって技術が高く、日々刺激的。このチームがすばらしい成果をあげると確信している」(同氏)。
●ルチア役を歌うのはオルガ・ペレチャッコ=マリオッティ。「ベルカントの新女王」とのふれこみでスターのオーラも十分。ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン・オペラ、ミラノ・スカラ座など主要歌劇場で大活躍中。新国立劇場には初出演だが、実はペレチャッコは2010年のラ・フォル・ジュルネ(以下LFJ)に出演している(前にも書いたけど最近このパターンがホントに多い。ルネ・マルタンの慧眼ぶりを認めるしか)。この年、ワタシはナントのLFJも取材していて、日本からのプレス陣はみんなペレチャッコに魅了されて、口々に「この人はきっと東京のLFJでもスターになる!」と言ってたんだけど、LFJ東京では会場が5000人収容のホールAで、出番も少なく、思ったほどには評判を呼ばず。しかし、こうしてルチアで堂々たる帰還を果たすことに。
●「ルチア」といえば「狂乱の場」。今回はフルートの助奏ではなく、本来のグラス・ハーモニカが用いられる。そのためにドイツから奏者を呼ぶのだとか。3月22日には新国立劇場小劇場でレクチャー&ミニコンサート「グラスハーモニカって?」が開催されるそう(要申込・先着順・無料)。
●指揮はジャンパオロ・ビザンティ。「イタリア人として、自分は『ベル・カント』の大使であらねばと思っている。最高の布陣で上演を迎えることができてうれしい」。「ベル・カント」については一家言あるようで、質疑応答では長々と語ってくれた。特に印象に残ったのは、ドニゼッティを指揮する際の指揮者の四か条。1.歌を愛せ。2.歌を助けよ。3.歌を支えよ。4.テンポを押し付けない。オーケストラと歌手が一体となることを望み、そのシナジー効果を期待しているという。そういえば、演出のグリンダも「歌手に害にならないようなプロダクションにする」と明言していた。歌手たちにとってはベストな環境が整いそう。飯守芸術監督は「望みうる最高のキャストで上演できることがうれしい。キャスティングには本当に力を入れた」と期待を煽ってくれた。
DAZNのJリーグ第2節、マリノスvs札幌戦
●開幕節で一部試合で配信トラブルがあったDAZN。その後、メールが届いて「ご迷惑をおかけした皆様に2週間の無料期間を提供させていただきます」。開幕当初ということか、思い切ったなという印象。この週末の第2節はJリーグ中継のトラブルはなかったが、ブンデスリーガの2試合でキックオフ時刻になっても中継が始まらないというトラブルがあった模様。従来のテレビのようなスポーツ中継のイメージだとありえないトラブル続きのように思えるかもしれないが、海外のストリーム配信サービスを使っていると思えばそんなものかという気もする。
●むしろ問題は無線LAN。有線ではほぼ問題ないが無線では安定的に速度が出ないようで、画質が粗くなったり止まったりする。対策を目下検討中。心当たりはあるのだが。
●マリノスはホーム三ッ沢で札幌戦。バブンスキー、富樫敬真、途中出場のウーゴ・ヴィエイラの3ゴール、無失点で完勝。珍しく今季は外国人選手たちが活躍している。これで開幕2連勝。たまにはそんなこともある。2戦ともホームゲームだったのだが、今季のJリーグは開幕が早かったためもあってか、最初の2節は北のチームは基本的にアウェイゲームを戦うことになっている。その分、ほかのチームはホームゲームが多くなっているわけだが、このあたりの日程の有利不利は微妙なところ。
CDのソフトケース詰め替え大作戦 その3
●(その1、その2から続く)さて、CDをソフトケースに詰め替えると決断したら、次に悩むのはどのソフトケースを使うか。あちこちのサイトを調べまくって、先日ご紹介したコクヨのメディアパスを採用することにした。何度か細かな改良を重ねて商品として完成度が高くなっているようだし、コクヨなのであちこちで取り扱いがあるのも吉。amazonやヨドバシカメラ等々、通販で頼めばすぐに届く。しかも100枚入りのパックを買えば比較的安価(この種のものは10枚入りとか50枚入りをちまちま買っていると高くつく)。特に大量導入する場合、コストの問題は大きい。
●ほかにタワレコスマートケースという選択肢もある。最初、120枚入りが最大サイズだと思っていて、それだと1枚あたり30円くらいでコストの面でどうかなと思って見送ってしまったんだけど、後で気がついたらドカーンと500枚入りっていう商品もあった。こちらだと1枚あたり20円で劇的に安くなる。リンク先に映像で収納方法の説明があるが、コクヨとは方式が違って少し独特な感じ。これはこれで工夫されているのかな。
●で、ここでもう一種類ご紹介したいのは伏兵、エレコムの省スペースディスクケース。これはコクヨと同じ収納方式が採用されていて、材質が少し違う。端的に言えば、コクヨのメディアパスの同等品で、価格が安い。1パック30枚入りという少なさにもかかわらず、1枚あたり実勢価格で21円。コクヨが100枚入りで買っても26~27円なので、ずいぶんがんばっている。そこで、ワタシはコクヨと並んでこのエレコムも何百枚か試してみたのだが、悪くはない。ただ、コクヨに比べると表面がつるつるしていて、摩擦が少ないんすよね。重ねて積むとすぐ崩れる。別に重ねて積むものじゃないんだからそんなことはどうでもいいといえばいいのだが、コクヨのほうが微妙に質がいい。質というのは、いいかえれば、詰め替え作業の楽しさ。より楽しいのがコクヨ、より安いのがエレコム。あとは、ディスクを詰めやすいのはコクヨ、ブックレット等の紙を詰めやすいのはエレコムって気もする。この辺は好みの問題か。
●あとは価格だ。ここで紹介している市販品のCDソフトケースって、1枚あたり20円から30円くらいするじゃないすか。もっと単純なビニール袋だったら1枚数円で済むはずだと思うと、これってかなり高価ではあるんすよ。たとえば25円だとすると、100枚なら2,500円で済むけど、1000枚だったら25,000円なわけだ。それってけっこう立派な棚が買えるじゃん! いや、その棚を置けないから袋を買ってるわけだけど。で、もっと怖いことをいうと、(ワタシはそんなに買わないが)もし4000枚買ったら10万円になるってことなんすよ! ただのビニール袋みたいなものに10万円出すって、頭がどうかしてるんじゃないか。そう思うのが普通人の感覚だ。でもそれをいうなら、そんな大量のCDを買い込んでいる時点ですでにどうかしてる。
●で、そこは考え方だ。このお値段は、袋の値段じゃない。そうじゃなくて、これは空間の値段。袋を買っているようでいて、本当は広さを買っている。広さほど高価なものはない……かもしれない。
CDのソフトケース詰め替え大作戦 その2
●(承前)やっぱり、この話題、反響がある! なので、続きを。
●CDをプラケースからソフトケースに詰め替える際に、いちばん引っかかるのは棚に並べたときに背タイトルが読めないんじゃないかという心配だと思う。実際にどうなるか、写真で見てみよう。ソフトケースに詰め替えた状態で棚にさした場合は、真正面から見てもなにがなんだかわからない。特に棚の左側から眺めると、ソフトケースの裏面を目にすることになるので、左上の写真のようになにがどうなってるんだか、さっぱりだ(一番手前側は比較のためにプラケースのまま)。
●ところが、棚の右側から見れば、この通り。右の写真はさきほどの写真と同じ場所を写したものだが、どこになにが入っているか、明確に読める。これはバッハの鍵盤楽器曲を収めた一角なのだが、こんな小さな写真でも一枚一枚どのタイトルが入っているか、わかってしまいそうだ。帯のある国内盤は格段に読みやすいが、輸入盤だって十分に読める。……えっ、右側から見ても読めない!? あ、そうかぁ、そうだよなあ~、他人のCD棚なんてそんなもんだ。でも、これが自分の棚なら問題なく読めるんすよ。だって、過去に自分が欲しいと思ったCDばかりなんだから。それにレーベルがわかれば、ある程度はあたりがつくわけだし。左から見ても読めないが、右から見れば読める。だから大丈夫。最後は愛の力で読める! そもそも音は(おおむね)ストリーミングで聴けるんだから、現物が必要となる頻度は主にブックレットを見返したいとか、ジャケットを眺めて所有欲が満たされたというラブリーな気分に浸りたいときに限られているんだから、これくらいで問題ない……きっと。
●で、CDのなかには2枚組や3枚組、あるいはボックスセットなど、詰め替えられないCDもある(分厚いタイプの2枚組は2枚組専用のソフトケースに移し替えてもいいが、昨今主流の薄型2枚組は十分効率化されている)。そういう詰め替えられないタイプのCDが、棚のなかでうまく「見出し」の役割を果たしてくれるので、「あ、ここからはバッハだな、ここからはヘンデルだ」みたいに棚の作曲家地図は一瞥してわかる。ただし、ほんの1、2枚しか持っていないような作曲家のCDをソフトケースに詰めてしまうと、どこに行ってしまったのか見失ってしまうので(というか存在そのものを忘れかねないので)、ある程度まとまった分量の枚数を持つ作曲家なりアーティストなりのCDのみを詰め替える、という方針でひとまず進めるのがいいんじゃないだろうか。
●次回は、各社から出ているソフトケースのどれがいいのか問題について。(つづく)
CDのソフトケース詰め替え大作戦 (たぶん)その1
●さて、これはなんでしょう。そう! CDの収納スペース問題に悩む音楽ファンなら一度は導入を検討したに違いない、CDソフトケース。実はいまだに(いや今だからこそ?)この種の商品には需要があるようで、各社さまざまなタイプのソフトケースを発売している。そのなかでももっともよくできていると思われるのが、このコクヨのメディアパス。一応、説明しておくと、CDってプラケースに入っているから無用に厚みがあるじゃないすか。あのプラスケースを捨てて、代わりにディスクとブックレットと裏ジャケット、帯など一式をソフトケースに入れるんである。すると、厚みが1/2未満になる! ババン! 一気に棚の収容能力が2倍以上に。CD収納問題の最終回答がここにっ!
●と、いうものである。コレクター系の方は今さらなにをとおっしゃるかもしれないが、それはわかる。もう20年近く前だと思うがワタシの周囲の業界内で「CDのビニール袋詰め」が大流行した。そのときは、単なるCDサイズの薄いビニール袋を使い(コスト最優先で)、ディスクからブックレットからぜんぶまとめてビニール袋に詰めるだけというシンプルな方式が広まっていた(その現物はいくらかワタシの手元にもある。購入希望者を募ってどこかの工場に特注品を大量発注したんじゃなかったっけ?)。でも、その際は悩んだ末に、自分は導入を見送った。いろいろとそこまで割り切れなかったので。
●が、それから時を経て2017年。時代は変わった。部屋のCD棚に収まりきらなくなり、床の上に積みあげられたり、段ボール箱に詰められたりしたCDの多くは、わざわざCDプレーヤーのトレイに乗せなくても、ストリーム配信で聴けてしまう。トホホ、いったいこのCDの山にいくら注ぎこんだのか……とか考えてはいけない。便利な時代になったのはよいこと。で、思った。もしかして、今こそCDのスペースを物理的に圧縮すべきタイミングなんじゃないか。CDは依然として高い資料性と趣味性を有するものの、実用頻度はぐっと低くなった。タイトルの視認性はある程度犠牲になるが、今のソフトケースはよくできていて、まったくダメというわけでもない。ただのビニール袋と違って、埃も入らない。というか、あまりのんびりしているとCD時代が去るとともにこの種のソフトケースも市場から消えてしまいかねない。
●なにもすべてのCDをこのソフトケースに収める必要はないわけだ。CD棚からはみだしている分だけでも収納できればいい。まず最初に100枚だけソフトケースを購入して試してみたところ、感触はよかった。行ける。これで大丈夫な気がする。じゃあ、とりあえず1000枚までは導入することにしよう。そう決めて、1000枚分のソフトケースをゲットして、詰め替え作業を進めているところなのであるが。(つづく)