記憶と「おばあさん細胞」 | 日本脳科学関連学会連合
知ってなるほど!脳科学豆知識
脳科学豆知識一覧に戻る

第12回目 記憶と「おばあさん細胞」

第12回脳科学豆知識

「ジェニファー・アニストン細胞」という言葉を聞いたことがありますか?あるいは「トム・クルーズ細胞」や「ハル・ベリー細胞」はどうでしょうか?これらはすべて、ヒトの脳で実験により発見されてきた「おばあさん細胞」と呼ばれる活動を示す神経細胞(ニューロン)のことを指しています。
わたしたちの脳は、ニューロンから成り立つネットワークをもちいて世界を認識しています。この広い世界で日々出会う数多くのヒトやモノや場所、無限にも思えるそれらの組合せの情報を、有限の資源しか持たない脳はどのように処理しているのか?これは科学者たちが長年にわたり取り組み続けている問題です。それに対する仮説のうちもっとも極端な例のひとつが、アメリカの認知科学者であるジェローム・レトビン博士により1960年代に提唱された「おばあさん細胞」です。
「(私の)おばあさん」という情報を表現するのに、どのような方法があるでしょうか?おばあさんの顔のパーツや髪の色、あるいは「年配の女性」といった情報に反応するニューロンが一緒に活動することで、組合せとしての「おばあさん」を生み出すやり方が考えられます。その対極にあるのが「おばあさん細胞」で、これは複雑だけれどもまとまった意味のある、ただひとつの知覚や概念(=私のおばあさん)について選択的に反応するニューロン(の集団)が脳の中に存在するという仮説です。
それではどうして、この「おばあさん細胞」を指す人名がジェニファー・アニストンだったりトム・クルーズだったりするのでしょうか?これはそれぞれの研究者が単にお気に入りの女優や俳優の名前を挙げているわけではなく、ちゃんとした歴史的背景があるのです。
薬物難治性てんかんの患者さんは、治療方針決定のために脳に電極を埋め込んで、ニューロンの活動を記録することがあります。アメリカの神経学者であるイツァーク・フリード博士らは、この患者さんたちの協力を得て、2005年に画期的な成果を報告しました。ヒトの脳の内側側頭葉には、ある特定の人物や物体について、どんな角度から撮られた写真だろうと、どんな役柄を演じているときだろうと、さらには名前の文字列だけであっても、選択的に反応するニューロンがいることを発見したのです。この論文の図表で例として挙げられたのが、まさにジェニファー・アニストンであり、ハル・ベリーでした。この研究は「おばあさん細胞」が発見された実例として大々的に取り上げられ、以降は「ジェニファー・アニストン細胞」の呼び名が定着していくことになります。
それでは、トム・クルーズはどのような経緯で登場することになったのでしょうか?フリード博士らは、前述の研究をさらに発展させた成果を2008年に報告しています。この研究では、さまざまな映画やドラマなどの一場面を繋ぎ合わせた動画を見せたあとで、患者さんに感想を求め、何かが思い浮かんだ瞬間に言葉で報告してもらいました。この実験で発見されたのが、トム・クルーズの動画を見ているときだけでなく、トム・クルーズという概念が脳裏をよぎる瞬間にも活動する「トム・クルーズ細胞」だったのです。
こういうわけで、いわゆる「おばあさん細胞」の実例を指す「○○細胞」にはいくつかのバリエーションが生まれたのでした。今後も研究が発展すれば、たとえば「ドナルド・トランプ細胞」なんかが生まれる可能性もあるかもしれませんね!

注: ジェニファー・アニストン、トム・クルーズ、ハル・ベリー、ジョージ・クルーニーは米国の有名な俳優。

文責:田尾 賢太郎
所属学会:日本神経科学学会
所属機関:東京大学定量生命科学研究所 行動神経科学研究分野