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日本の地震災害で最多の犠牲者を出した1923年(大正12年)の関東大震災。90年後の今も未曽有の災害から学ぶべきことは多い。10万5千人余の犠牲者の9割近くの原因となった火災は、ちょうど日本海側にいた台風による強風で拡大し、逃げ場を奪った。揺れや大津波、山崩れ、地盤の液状化による被害も大きい、複合災害だった。関東大震災で何が起きたかを知り、現代ならどんな被害が出るかを考え、いずれ見舞われる都市直下の大地震の備えにしたい。
【編集委員・黒沢大陸】9月1日午前11時58分に発生した関東大震災は、マグニチュード(M)7・9の巨大地震だった。震源域は神奈川県から房総沖に及ぶ、長さ130キロ、幅70キロの範囲におよんだ。
大きな余震が相次いだ。発生から5分で東京湾北部と山梨県東部でM7級の余震が起きた。東京・上野で地震に遭った物理学者の寺田寅彦は「最初にも増した烈(はげ)しい波が来て、二度目にびっくりさせられた」と書き残している。
M7級の余震は2日までに計5回。その後も、翌年1月の丹沢地震(M7・3)など、阪神大震災級の余震が6回。気象庁のまとめでは、1年間でM6以上の余震は29回に達した。関東大震災の研究を続けてきた武村雅之・名古屋大学教授は「本震は一級、余震は超一級だった」と表現する。
東京の中心部でも現在の震度6~7に相当する地域があった。住宅の倒壊による死者は全体で1万1086人、阪神大震災の犠牲者の2倍だった。
大震災が起きたとき、台風が新潟県付近にいた。台風に吹き込む形で、関東地方には強い南風が吹いていた。今の大手町では秒速10メートルを超えた。さらに、深夜には20メートル以上の風が観測された。炎が起こす風が加わったとみられる。台風の移動とともに風向は変わり、延焼につながった。全体の犠牲者10万5385人のうち、火災が9万1781人を占めた。
震源域は陸上にも及ぶ直下型地震だったが、本来は相模トラフ沿いで起きる海溝型地震だった。震源域が海底にあるため津波が発生、伊豆半島東岸や神奈川県の相模湾岸、房総半島を大津波が襲った。山崩れや地盤の液状化も広範囲で起きた。多様な地震被害が同時に起きた複合災害だった。
学ぶべき教訓も多い。
都心部で大きく揺れたのは元禄地震(1703年)や安政地震(1855年)と同じ場所。次の地震でも大きく揺れる恐れがある。今は、企業の本社や官庁など災害時に司令塔となる施設が密集している。土地の開発で、揺れやすい場所はさらに増えている。
当時の東京市での134件の火災のうち、初期に消し止められたのは57件。都心部の大地震では消防力を超える火災が起きる恐れがあり、延焼の危険が大きい木造住宅の密集地域の対策が急がれる。
避難場所となった軍服工場である被服廠(ひふくしょう)跡地では荷車で持ち込まれた家財道具が火災で燃え、人々は身動きできなかった。東日本大震災では、大津波から逃げようとした自動車による渋滞が発生した。社会の変化と災害の起き方を踏まえ、避難のあり方や避難場所の安全性を改めて確認する必要がある。
横浜や横須賀であった石油タンクなどの火災は、現代では社会を支える湾岸部のコンビナートのリスクを示している。
神奈川県の大山では地震から2週間後に降った雨で土石流が発生した。直接被害だけでなく、大地震では土砂崩れや治水施設の損壊が多発する恐れがあり、復旧が進む前の台風や豪雨を想定する必要がある。大きな余震も含め、地震後も相当期間は警戒を怠れない。
■中林一樹・明治大特任教授(都市防災)
この90年間で、関東地方は大きく変わった。当時の日本の人口は約6千万人、東京圏には600万人足らずだったが、今は1億2千万人のうち南関東地方に3500万人が暮らす。
関東大震災の後、郊外の田んぼや畑に復興事業で区画整理された都心部から多くの人が移り住んだ。農道に長屋が建ち、消防車が動き回れる道路もないまま木造密集市街地が広がっていった。
首都直下地震が起これば、木造密集市街地で火災の被害が大きくなる。内閣府は2004年、揺れなどによる全壊は20万棟、火災での焼失は65万棟と試算している。
当時はラジオもなく、災害情報を出す機関もなかった。震災で人々は右往左往し、デマが流れ、朝鮮人が虐殺されるという不幸なことが起こった。人が人の命を奪った災害でもあった。
今は情報時代なので、うまく情報を活用することで混乱は避けられるはずだ。ラジオや携帯電話のワンセグ機能がある。電話は不通でも、メールなど文字情報は見られるかもしれない。落ち着いてどう活用するか、どういう心構えを持つかが大切だ。
大都市では地下に空間が広がり、高層ビルや地下鉄、高速道路もある。高層階の火災など当時とは違う被害も考えられる。生活が全て電気によって維持され、ライフラインが途絶えると思わぬ支障も起こりうる。大切なのは阪神大震災や東日本大震災などを振り返り、災害をイメージしてみることだ。想像することで我が家の対策がとれる。市民が過去の災害から学ぶことで、災害に強い街になっていく。
被災後の復興を事前に考えておくことも必要だ。当時は人口増加を前提に都市を近代化させたが、人口が減る時代に質の高い生活が可能な都市やまちを造ることが求められる。被害想定を前提に、迅速に復興するため、今から復興計画にも取り組む「事前復興」が大事になっている。(聞き手・合田禄)
■災害別特集ページまとめ
熊本地震、こう揺れた(2016/04)
3Dで見る阿蘇大橋周辺の被害地図(2016/04)
ふるさとの復興への思いを語る西田敏行さんインタビューや「データで見る被災地」「原発の現状」など特集紙面がご覧いただけます。
発生から2年までの復旧・復興への歩み、原発事故のその後を、この特集でさぐる。多くの困難なのか、それでも前を向く人々。「忘れない」という誓いを胸に、これからも支えたい。
1923年9月1日の関東大震災から1年たった24年(大正13年)9月15日、大阪朝日新聞は、付録として「関東震災全地域鳥瞰図絵」を発行した。絵図は吉田初三郎画伯が描いたもので、関東大震災の主要な被害のほか、当時の交通網や世情も反映され、裏面は「震災後の一年間」と題して、被害状況と復旧状況をまとめ、各地の写真を載せている…[続きを読む]
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著者:朝日新聞社 価格: ¥1,680
朝日新聞のシリーズ企画「災害大国 迫る危機」が本になりました。活断層、津波、地盤、斜面災害、インフラ、火山のリスクを地域ごとに示した大型グラフィックや対策の現状などを収録。書籍化のために各地域の災害史を書き下ろしました。いつ見舞われるか分からない災害の備えとして役立ちます。B4判変型(縦240ミリ、横260ミリ)でオールカラー、120ページ。
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