千年の災害史 明日の防災へ生かす:朝日新聞デジタル

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災害大国 あすへの備え

千年の災害史 明日の防災へ生かす

 過去に起きた災害は、将来、再び起きる可能性が高い。9世紀の大津波の痕跡から、東北での巨大な津波の恐れが指摘され始めたところで起きた東日本大震災は、「歴史に学べ」という大きな教訓を残した。歴史をさかのぼることは、めったにない大災害への備えにつながる。過去千年あまり、この国はどんな災害に見舞われ、現代はどんな危機に直面しているのか。

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特集など

南海トラフ地震津波避難対策特別強化地域で高台移転を実施・計画する129公共施設の種類と状況

南海トラフ津波対策(2015/9/28)

南海トラフ巨大地震による津波の被害が特に懸念されるとして、国の津波避難対策特別強化地域に指定された139市町村のうち、43市町村が東日本大震災以降に公共施設の高台移転を実施・計画していることが、朝日新聞社と関西学院大学災害復興制度研究所の共同調査でわかった。
【特集】南海トラフの被害想定

「災害大国 あすへの備え」一覧

  • 風水害

    新たな脅威 高まる都市のリスク

北海道

2013年北海道で暴風雪 娘を抱いたまま男性が凍死するなど9人死亡。視界が真っ白になるホワイトアウトが影響したとみられた 写真で見る写真を閉じる

暴風雪で境界線が分からなくなった道路=2013年3月、北海道網走市

2006年低気圧による暴風と大雨近畿から北海道にかけて暴風や大雨、全国で死者34人、行方不明者16人
2006年竜巻北海道佐呂間町などで竜巻被害。死者9人、重傷6人
2006年平成18年豪雪前年12月から1月上旬を中心に豪雪、全国で死者152人
2004年釧路沖地震負傷者52人
2003年十勝沖地震 死者1人、行方不明者1人、家屋全壊116棟 写真で見る写真を閉じる

2003年9月26日 十勝沖地震地震発生から2日後の28日午前、出光興産北海道製油所のナフサタンクが炎上、30日朝まで約44時間燃え続けた=9月28日午後8時26分、苫小牧市真砂町で

2000年有珠山 山腹で噴火、道路や耕地、家屋に被害。住民が多数避難 写真で見る写真を閉じる

2000年3月31日 有珠山噴火22年7カ月ぶりに噴火し、黒煙を噴き上げる北海道・有珠山=31日午後1時45分、朝日新聞社ヘリから

1994年北海道東方沖地震釧路、根室地方で被害。負傷者436人
1993年北海道南西沖地震 奥尻島を中心に津波と揺れ。死者・行方不明者230人、家屋全壊601棟 写真で見る写真を閉じる

1993年7月12日 北海道南西沖地震 震源域のただなかに浮かぶ奥尻島では死者・行方不明者が200人を超える惨禍となった。青苗地区は680戸の集落の約3分の1が津波に流され、約半数が火災によって焼失。電線、水道管、電話線なども完全に引き裂かれた=13日、奥尻町青苗地区

1983年日本海中部地震渡島、櫓山、奥尻で津波と揺れにより被害。北海道で死者4人、全国で104人
1982年浦河沖地震日高地方沿岸を中心に負傷者167人
1979年台風20号ほぼ全国を暴風域に。北海道東部で漁船の遭難が相次ぐ。全国で死者110人、行方不明者5人
1977年有珠山大噴火が続き、翌年には泥流で死者2人、行方不明者1人
1977年昭和52年豪雪北海道や東北などで大雪、全国で死者101人
1973年根室半島沖地震津波と揺れで釧路、根室地方に被害。負傷者26人
1970年十勝支庁南部で地震日高地方に被害、負傷者32人
1968年1968年十勝沖地震南西部中心に津波被害。死者2人
1963年昭和38年1月豪雪前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人
1962年十勝岳噴石で大正火口縁の硫黄鉱山事務所を破壊。死者4人、行方不明者1人
1960年チリ地震津波死者・行方不明者15人。家屋全壊38棟、流失158棟
1956年発達した低気圧北海道で融雪洪水、漁船遭難、大火もあり、全国で死者47人、行方不明者53人
1954年昭和59年豪雪太平洋側にも被害が多発、全国で131人が死亡
1954年洞爺丸台風青函連絡船「洞爺丸」が遭難して1139人が犠牲に、死者は全国で1361人
1952年十勝沖地震太平洋沿岸に津波被害、死者33人。家屋全壊815棟、流失91棟
1944年有珠山翌年にかけて溶岩ドームが成長、昭和新山ができた
1940年神威岬沖で地震天塩、羽幌、利尻を中心に津波などの被害。死者10人
1934年函館市の大火強風にあおられて火災が拡大、全市の3分の1を焼失。2000人以上が死亡
1933年三陸沖地震津波被害。死者13人、負傷者54人
1926年十勝岳熱い岩屑なだれが積雪を溶かして泥流が発生、死者・行方不明者144人
1915年広尾沖で地震帯広地方で被害、死者2人
1910年有珠山噴火にともなう泥流で死者1人。明治新山(四十三山)ができた
1896年明治三陸地震死者約2万2000人、北海道から宮城にかけて家屋流失全半壊1万棟以上
1894年根室南西沖で地震根室、釧路、厚岸に被害。死者1人
1856年北海道駒ヶ岳噴石や火砕流により、21~29人が犠牲に
1856年日高・胆振・渡島や東北で地震北海道南岸一帯に津波。函館で浸水
1843年釧路・根室で地震釧路で4~5メートルの津波、釧路・根室で溺死46人
1834年石狩で地震石狩川河口付近を中心に被害。家屋全壊23棟
1833年羽前・羽後・越後・佐渡で地震全国で、死者100人、家屋全壊475棟、津波被害大
1822年有珠山火砕流で50~103人が犠牲に
1792年後志で地震津波により死者5人
1741年渡島大島噴火で山が崩れて海になだれ込み、津波が起き、北海道や津軽で約1500人が犠牲に
1663年有珠山爆発により家屋が焼失や埋没、死者5人
1611年慶長の三陸沖地震三陸、北海道で被害。北海道東部でも溺死者多数

東北

2011年東日本大震災 日本の観測史上最大の地震。死者1万8493人、行方不明者2683人(2013年3月11日現在、総務省消防庁集計) 写真で見る写真を閉じる

2011年3月11日 東日本大震災津波で壊滅した宮城県女川町の中心部=2011年3月13日午前9時7分、朝日新聞社ヘリから 自衛隊のヘリに救助される被災者=2011年3月12日午前11時36分、岩手県陸前高田市、朝日新聞社ヘリから 東日本大震災によって起きた東京電力福島第一原発事故は、史上最悪級のものとなった =2011年3月12日、福島第一原子力発電所、朝日新聞社ヘリから 津波にのみこまれる仙台空港の滑走路。 地震前に飛び立っていた海上保安庁のヘ リコプターから撮影した=2011年3月11日、宮城県名取市、同庁提供 東日本大震災では内陸部でも液状化現象が発 生。道路から土砂が噴き出し、マンホールが飛 び出た=2011年3月11日、宮城県白石市 東日本大震災で堤防が決壊し、下流域の家屋 や田畑に被害をもたらした藤沼湖=2011年4月27日、福島県須賀川市、竹谷俊之撮影 津波で被災した原町火力発電所=2011年10月6日、福島県南相馬市 黒煙をあげて燃えさかる仙台港の製油所=2011 年3月12日、仙台市、朝日新聞社ヘリから

2008年岩手・宮城内陸地震 死者17人、行方不明者6人 写真で見る写真を閉じる

「岩手・宮城内陸地震」で発生した、荒砥沢ダム近くの大規模な地すべり跡地 =10月25日午前11時57分、宮城県栗原市、朝日新聞社ヘリから、河合博司撮影

2003年宮城県北部で地震負傷者677人、家屋全壊1276棟
2003年宮城県沖で地震負傷者174人
2000年東海豪雨愛知、三重、岐阜を中心に記録的な大雨。死者10人、行方不明2人。床上浸水約2万3000棟
1994年三陸はるか沖地震 八戸を中心に被害。死者3人 写真で見る写真を閉じる

1994年の三陸はるか沖地震の後、青森県八戸市の埠頭(ふとう)で液状化現象が発生、砂が噴き出して噴火口のような穴が 現れた=94年12月29日、青森県八戸市

1993年北海道南西沖地震夜中の発生。津波の被害が大きく、死者・行方不明者230人
1984年昭和59年豪雪太平洋側にも被害が多発、全国で131人が死亡
1983年日本海中部地震秋田、青森、北海道などで被害。津波の被害が大きく、全体で死者104人
1968年1968年十勝沖地震津波があり、青森を中心に北海道南部、東北で被害。死者52人、建物全壊673棟
1964年新潟地震新潟、山形、秋田を中心に被害。死者26人、家屋全壊1960棟。地盤液状化被害大
1963年昭和38年1月豪雪前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人
1960年チリ地震津波南米チリ沖の地震により日本各地に津波が襲来。全国で死者・行方不明者142人
1956年発達した低気圧北海道で融雪洪水、関東や東北で大火。全国で死者47人、行方不明者53人
1954年洞爺丸台風青函連絡船「洞爺丸」が遭難して1139人が犠牲に、死者は全国で1361人
1948年アイオン台風東北の太平洋側で大雨。北上川や支流が氾濫。全国で死者512人、行方不明者326人
1947年力スリーン台風関東や東北で大雨。全国で死者1077人、行方不明者853人。東北では北上川が氾濫して大きな被害
1939年男鹿地震死者27人、家屋全壊479棟など
1933年三陸沖地震大津波で被害。死者・行方不明者3064人、家屋流失4034棟
1914年仙北地震地割れや山崩れ多く、全体で死者94人、家屋全壊640棟
1901年八戸地方で地震八戸から青森にかけて津波を含めて被害。死者18人
1900年安達太良山噴火で火口の硫黄採掘所全壊。死者72人、負傷者10人。山林耕地被害
1900年宮城県北部で地震死者13人、家屋全壊44棟
1896年陸羽地震秋田、岩手で被害が大きく、死者209人、家屋全壊5792棟
1896年明治三陸地震死者2万1959人、北海道から宮城にかけて家屋流失全半壊1万棟以上
1894年庄内地震主に庄内平野で被害。死者726人、家屋全壊3858棟、焼失2148棟
1893年吾妻山噴火。火口付近調査中の2人が死亡
1888年磐梯山岩屑なだれで山麓の村落が埋没、死者461人。桧原湖、秋元湖などができた
1867年蔵王山御釜沸騰、硫黄混じりの泥水が増水し、洪水を起こし死者3人
1856年北海道や津軽・南部で地震津波が三陸や北海道南岸に襲来。南部藩で溺死26人、八戸藩で死者3人
1833年羽前・羽後・越後・佐渡で地震各地で津波。死者約100人。庄内地方で被害が大きい
1810年出羽で地震男鹿半島の東半分を中心に被害、死者57人
1804年象潟地震死者300人以上、家屋倒壊5000棟以上
1801年鳥海山登山者8人が噴石で死亡。1804年にかけて噴火
1793年陸奥・磐城で地震死者44人以上、沿岸に津波。家屋の流失1730棟余、余震多い
1793年西津軽で地震死者12人、小津波あり
1772年陸奥で地震盛岡、遠野、宮古、大槌、沢内で被害。落石や山崩れで死者12人
1766年津軽で地震弘前から津軽半島に被害大きく、圧死約1000人、焼死約300人
1704年出羽・陸奥で地震死者58人。家屋倒壊435棟、焼失758棟
1694年能代地方で地震死者394人。家屋倒壊1273棟、焼失859棟
1677年磐城・常陸・安房・上総・下総で地震磐城から房総などで津波。小名浜などで死者・行方不明者130人余、奥州岩沼領で死者123人
1659年岩代・下野で地震会津、那須に被害。死者多数
1611年慶長の三陸沖地震三陸、北海道で被害。伊達領内で死者1783人、南部・津軽で人馬の死3000余
1611年会津で地震会津地方で山崩れ、人家倒壊多数、死者3700人以上
869年貞観の地震三陸沖の巨大地震。大津波があり溺死者1000人以上、家屋倒壊、圧死者も多数

関東

2013年伊豆大島で土石流 台風26号による記録的な大雨で土石流が発生。死者・行方不明者39人 写真で見る写真を閉じる

土石流で倒壊した住宅=2013年10月、東京都大島町

2013年埼玉、千葉で竜巻 埼玉県越谷市や千葉県野田市などにかけて竜巻が発生。60人余がけが、約1400棟が損壊 写真で見る写真を閉じる

埼玉県越谷市で撮影された竜巻=2013年9月、読者提供

2012年北関東の竜巻国内最大級の竜巻により茨城県つくば市で1人死亡。計3カ所の竜巻で50人超が負傷
2011年東日本大震災 日本の観測史上最大の地震。死者1万8493人、行方不明者2683人(2013年3月11日現在、総務省消防庁集計) 写真で見る写真を閉じる

2011年3月11日 東日本大震災13日の夕方になっても燃え続けるコスモ石油千葉製油所=千葉県市原市、朝日新聞社ヘリから

2006年低気圧による暴風と大雨近畿から北海道で暴風や大雨。海難事故や山岳遭難が発生。全国で死者・行方不明者50人
2004年新潟県中越地震群馬でも負傷者6人、埼玉で負傷者1人
2000年三宅島噴火、有毒な火山ガスが大量放出。全島避難
2000年三宅島・神津島・新島近海で地震死者1人、負傷者15人、家屋全壊15棟
1987年千葉県東方沖で地震千葉を中心に被害。死者2人、負傷者161人
1986年1986年伊豆大島噴火 外輪山の外側でも割れ目噴火。全島民1万人が島外に避難 写真で見る写真を閉じる

1986年11月 伊豆大島・三原山の大噴火花火のように放物線を描いて溶岩片を噴き上げる。内輪山を越えた溶岩はカルデラに茂るカヤを燃やしながらゆっくり流出した=1986年11月19日

1958年狩野川台風死者888人、行方不明者381人。伊豆半島を中心に被害。首都圏でも崖崩れや浸水被害
1956年発達した低気圧北海道で融雪洪水、関東や東北で大火。全国で死者47人、行方不明者53人
1949年今市地震今市を中心に被害。死者10人、家屋全壊290棟、山崩れも多発
1949年キティ台風関東地方に大きな被害。全国で死者135人、行方不明者25人。群馬の土砂災害で32人が生き埋めに
1947年力スリーン台風関東や東北で大雨。全国で死者1077人、行方不明者853人。群馬・栃木で死者・行方不明者1100人以上。利根川・荒川決壊で関東平野水浸し
1947年浅間山噴火続く。8月の噴火では、噴石や降灰、山火事、登山者9人死亡
1940年三宅島噴火。溶岩が集落に。大量の火山灰、火山弾を放出。死者11人
1935年台風群馬で死者218人、行方不明者39人。全国で死者・行方不明者377人
1932年草津白根山火口付近で死者2人、負傷者7人、硫黄鉱山施設が破壊
1931年西埼玉地震死者16人、家屋全壊207棟
1930年北伊豆地震2~5月に群発地震。死者272人。神奈川でも死者13人、家屋全壊88棟
1930年浅間山活発に噴火。8月の噴火では火口付近で死者6人
1924年丹沢地震東京、神奈川、山梨、静岡に被害。死者19人、家屋全壊1200棟余
1923年関東大震災 死者・行方不明者は、10万5000人余。強風で火災が延焼。沿岸に津波も襲来 写真で見る写真を閉じる

1923年9月1日 関東大震災関東大震災で建物が倒壊した東京・浅草周辺

1922年浦賀水道地震東京湾岸で被害。東京、横浜で死者各1人
1917年大正6年東京湾台風災害台風による高潮で東京湾岸などで広範囲が浸水。死者・行方不明者約1300人
1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大間半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1911年浅間山活発に活動。降灰広範囲。8月の噴火で死者多数
1910年関東大水害 梅雨前線と2つの台風で大雨。利根川や荒川、多摩川の流域で氾濫が多発。浸水家屋27万戸、被災者150万人 写真で見る写真を閉じる

1910年 関東大水害洪水が押し寄せた亀戸周辺(東京都江東区)=国土交通省荒川下流河川事務所提供 亀戸付近で被災者を見舞う慰問隊=国土交通省荒川下流河川事務所提供 浸水した北千住(東京都足立区)=国土交通省荒川下流河川事務所提供

1895年霞ケ浦付近で地震被害は関東の東半分。死者6人
1894年明治東京地震死者、東京で24人、川崎・横浜で7人。鎌倉、浦和方面にも被害
1855年安政江戸地震下町で被害が大きく、武家屋敷にも大被害。死者は計1万人くらいと推計
1854年安政東海地震、安政南海地震32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話
1853年小田原付近で地震小田原を中心に被害。死者24人、家屋全壊1088棟
1783年浅間山(天明噴火)大噴火。死者1151人。北麓で土石なだれ、せき止められた河川が決壊して流域の村落を流失。江戸、銚子でも降灰
1721年浅間山噴火。噴石で登山者15人死亡
1707年富士山(宝永噴火)南東山腹で大噴火。江戸にも降灰。川崎で厚さ5センチ
1703年元禄地震江戸、関東諸国などで被害。房総半島から伊豆半島に大津波。死者は1万人以上
1677年磐城・常陸・安房・上総・下総で地震磐城や房総などで津波。水戸領内で溺死36人、房総で溺死246人余などの被害
1659年岩代・下野で地震塩原温泉1村がほとんど土砂に埋まり、死者多数
1649年川崎・江戸で地震川崎で民家140~150棟倒壊、死傷者多数
1649年武蔵・下野で地震侍屋敷、長屋の破損・倒壊。圧死者多数
1633年相模・駿河・伊豆で地震小田原で死者150人、箱根で山崩れ
1615年江戸で地震家屋倒壊多く、死傷者多数
1605年慶長地震南海トラフ沿いの巨大地震、津波の被害が大きく、各地で死者多数。八丈島谷ケ里で死者57人
1498年明応地震南海トラフ沿いの巨大地震、津波が紀伊から房総に。各地で大被害。鎌倉でも溺死者200人
1410年那須岳噴石や埋没で死者180人余。牛馬多数被害
1293年鎌倉で地震寺社や家屋倒壊、焼失など。死者は数千人あるいは2万3000人余の説あり
878年関東諸国で地震相模、武蔵を中心に被害。圧死者多数
864年富士山(貞観噴火)青木ケ原溶岩流出、人家埋没

甲信越・静岡

2011年長野・新潟県境付近の地震東日本大震災によって誘発。死者3人
2007年新潟県中越沖地震 死者15人、負傷者2346人。家屋全壊1331棟。柏崎刈羽原発に被害 写真で見る写真を閉じる

2007年7月16日 新潟県中越沖地震地震で倒壊した酒造会社の建物=2007年7月16日午後1時13分、新潟県柏崎市で、朝日新聞社ヘリから

2004年新潟県中越地震 死者68人、負傷者4805人。家屋全壊3175棟。避難生活者の死亡も 写真で見る写真を閉じる

2004年10月23日 新潟県中越地震あちこちに亀裂が走り大きな段差ができた関越自動車道=2004年10月24日午前9時45分、新潟県小千谷市で、朝日新聞社ヘリから

1989年伊豆東部火山群群発地震があり、伊東湾で海底噴火
1984年長野県西部地震御岳山の山崩れで被害。死者・行方不明者29人
1978年伊豆大島近海地震死者25人、家屋全壊96棟。伊豆半島で被害多い
1974年前線、低気圧、台風8号5月から8月に全国で大雨。死者145人。7月7日に静岡で七夕豪雨
1974年伊豆半島沖地震死者30人、家屋全壊134棟
1968年寒冷前線による大雨死者106人、行方不明者13人。岐車では観光パス2台が川に転落、104人が死亡
1967年羽越豪雨新潟と山形で大雨。新潟の死者・行方不明者は130人を超えた
1966年台風24号、26号二つの台風が同日に上陸。死者238人、行方不明者79人。富士山麓で土石流、山梨で死者・行方不明者170人以上
1965年松代群発地震1970年まで続く。負傷者15人、家屋全壊10棟
1964年昭和39年7月山陰北陸豪雨死者114人、行方不明者18人。新潟地震直後の大雨で新潟でも被害
1964年新潟地震新潟、山形、秋田を中心に被害。死者26人、家屋全壊1960棟。地盤液状化被害大
1963年昭和38年1月豪雪 前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人 写真で見る写真を閉じる

1961年6月24日からの集中豪雨長野県内の天竜川とその支流が各地で氾濫、伊那谷地方は大きな被害を受けた。写真は、泥に埋まったままの長野県飯田市川路地区の桑園

1961年昭和36年梅雨前線豪雨関東甲信でも大雨。死者302人、行方不明者55人。天竜川の氾濫で伊那谷で100人を超える死者
1961年新潟県中越地方で地震局地的な地震。死者5人、家屋全壊220棟
1958年狩野川台風死者888人、行方不明者381人。伊豆半島を中心に被害。首都圏でも崖崩れや浸水被害
1952年ダイナ台風紀伊半島から東海、関東を通過、静岡を中心に被害。死者65人、行方不明者70人
1944年東南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。静岡・愛知・三重などで死者・行方不明者1223人、家屋全壊1万7599棟、諏訪盆地でも被害。各地に津波。戦時中の地震
1935年静岡地震静岡・清水で被害多く、死者9人
1930年浅間山活発に噴火。8月の噴火では火口付近で死者6人
1930年北伊豆地震2~5月に群発地震。死者272人。神奈川でも死者13人、家屋全壊88棟
1924年丹沢地震東京、神奈川、山梨、静岡に被害。死者19人、家屋全壊1200棟余
1923年関東大震災死者・行方不明者は、10万5000人余。強風で火災が延焼。沿岸に津波も襲来
1915年焼岳噴火。泥流で梓川のせき止め、決壊、洪水発生。大正池生成
1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1854年安政東海地震、安政南海地震32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話
1847年善光寺地震死者1万人前後、崩壊土砂でせき止められた川の決壊による水害、各地からの参拝者も多数犠牲に
1833年羽前・羽後・越後・佐渡で地震各地で津波。死者全体で約100人
1828年三条地震死者1600人。家屋倒壊12800棟、焼失1200棟
1802年佐渡で地震死者19人、家屋全壊732棟、焼失328棟
1783年浅間山(天明噴火)大噴火。死者1151人。北麓で土石なだれ、せき止められた河川が決壊して流域の村落を流失。江戸、銚子でも降灰
1751年越後・越中で地震死者1500人以上。高田領の死者830人、家屋全壊4294棟
1729年能登・佐渡で地震能登半島先端で被害大きく、死者5人。佐渡でも死者、家屋倒壊
1721年浅間山噴火。噴石で登山者15人死亡
1714年信濃北西部で地震大町以北で死者56人
1707年富士山(宝永噴火)南東山腹で大噴火。江戸にも降灰。川崎で厚さ5センチ
1707年宝永地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も甚大。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟
1703年元禄地震江戸、関東諸国などで被害。房総半島から伊豆半島に大津波。死者は1万人以上
1666年越後西部で地震高田城破損、死者約1500人、家屋倒壊多数
1605年慶長地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、伊豆西岸では内陸1キ口以上まで津波。浜名湖付近でも死者多数
1498年明応地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。静岡でも死者多数
1096年畿内・東海道で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が、伊勢、駿河を襲う。駿河で寺社・家屋流失400棟余
864年富士山(貞観噴火)青木ケ原溶岩流出、家屋埋没

東海

2000年東海豪雨 東海地方で記録的大雨、7万棟が浸水。死者10人、行方不明者2人 写真で見る写真を閉じる

2000年9月11~12日 東海豪雨東海豪雨で水につかった車=9月13日、名古屋市西区あし原町で

1995年焼岳山頂の南東の安房卜ンネル建設に伴う工事現場で水蒸気爆発、水蒸気と土砂が噴出。4人が犠牲
1962年焼岳中尾峠側の山腹に新火口。多量の噴石、降灰、付近の山小屋で負傷者2人。泥流も
1961年北美濃地震福井、岐車、石川に被害。死者8人
1959年伊勢湾台風 伊勢湾や紀伊半島沿岸で甚大な被害。死者4697人、行方不明者401人。家屋全壊約4万棟 写真で見る写真を閉じる

1959年9月 伊勢湾台風伊勢湾台風で浸水した名古屋市内。人々はボートやいかだで移動した=1959年9月27日、名古屋市港区 伊勢湾台風による高潮で浸水した名古屋市港区の市街地=1959年9月28日、朝日新聞社機から

1958年狩野川台風死者888人、行方不明者381人。伊豆半島を中心に被害。首都圏でも崖崩れや浸水被害
1953年台風13号愛知、三重、京都、滋賀、大阪、福井で大被害。死者393人、行方不明者85人
1953年南山城の大雨京都、三重県境で豪雨。死者・行方不明者430人
1952年ダイナ台風紀伊半島から東海、関東を通過、静岡を中心に被害。死者65人、行方不明者70人
1952年吉野地震死者9人
1946年南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波
1945年三河地震 死者2306人、家屋全壊7221棟。津波も 写真で見る写真を閉じる

1945年1月13日 三河地震三河地震で倒壊した家屋と住民ら=1945年1月、愛知県西尾市で、西尾市提供

1944年東南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。静岡・愛知・三重などで死者・行方不明者1223人、家屋全壊1万7599棟。各地に津波。戦時中の地震
1935年静岡地震静岡・清水で被害多く、死者9人
1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1909年江濃地震(姉川地震)滋賀、岐阜で死者41人、家屋全壊978棟
1899年紀伊半島南東部で地震木ノ本、尾鷲で死者7人
1891年濃尾地震日本最大の内陸地震。死者7273人、建物全壊14万棟余
1889年明治22年大水害8月と9月の台風で奈良県十津川村で土砂災害、伊勢湾で高潮被害。多数の犠牲者
1858年飛越地震飛騨北部、越中で被害大。飛騨で死者203人、潰家319棟
1855年飛騨白川・金沢で地震山崩れ。死者12人。金沢城で石垣に被害
1854年安政東海地震、安政南海地震32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話
1854年伊勢・伊賀・大和などで地震各地で死者多数。伊賀上野付近で死者約600人など
1847年善光寺地震死者1万人前後、各地からの参拝者も多数犠牲。飛騨でも山崩れで圧死者が数十人
1833年美濃西部で地震大垣北方の村々で山崩れ多く、死者11人
1718年信濃・三河で地震死者50人余
1707年富士山(宝永噴火)南東山腹で大噴火。江戸にも降灰。川崎で厚さ5センチ
1707年宝永地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も甚大。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟
1686年遠江・三河で地震遠江の関所、三河の城で被害
1662年東海・近畿・北陸一帯で地震美濃、伊勢、三河などで被害。美濃で家屋被害多数
1605年慶長地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、各地で死者多数
1586年天正地震飛騨、美濃、伊勢、近江など広域で被害。死者5500人以上
1554年白山1556年にかけて噴火。小規模火砕流、噴石、社堂破壊
1498年明応地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。伊勢大湊で溺死者5000人など
1361年畿内・土佐・阿波で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。各地で強い揺れ、津波で死者多数
1099年南海道・畿内で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。興福寺、摂津天王寺などで被害。土佐で津波
1096年畿内・東海道で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が伊勢、駿河を襲う。京都の諸寺に被害
887年五畿・七道で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。京都で家屋倒壊多く圧死者多数。沿岸部は津波で溺死者多数
864年富士山(貞観噴火)青木ケ原溶岩流出、家屋埋没
762年美濃・飛騨・信濃で地震被害不詳
745年美濃で地震美濃で仏寺、民家などが多く倒壊
684年白鳳地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。諸国で家屋倒壊、津波。死傷者多数

北陸

2013年立山連峰で雪崩 富山県の立山連峰・真砂岳で雪崩が発生。山スキーの7人が死亡 写真で見る写真を閉じる

真砂岳の雪崩。手前に写る人がいる場所と斜面の間には谷があり全員無事だった=2013年11月、読者提供

2007年新潟県中越沖地震死者15人、負傷者2346人。住宅全壊1311棟。富山でも負傷者1人
2007年能登半島地震 石川を中心に被害。死者1人、家屋全壊686棟 写真で見る写真を閉じる

2007年3月25日 能登半島地震地震の激しい揺れで全壊した興禅寺=25日午後2時43分、石川県輪島市門前町走出(はしりで)で、朝日新聞社ヘリから

2004年平成16年7月福井豪雨福井や岐阜で大雨。堤防決壊で浸水害多数。死者4人、行方不明者1人
1981年昭和56年豪雪 前年12月から3月にかけて大雪。死者133人、行方不明者19人 写真で見る写真を閉じる

1980~81年 昭和56年豪雪福井市の小学校ではPTAが総出で屋根の雪おろし=1981年1月15日

1977年昭和52年豪雪前年12月から2月にかけて大雪。死者101人、負傷者834人
1964年昭和39年7月山陰北陸豪雨鳥取西部から島根東部、石川、富山で豪雨。死者114人、行方不明者18人
1963年越前岬沖地震敦賀湾、若狭湾沿岸などで小被害
1963年昭和38年1月豪雪北陸地方を中心に大雪。前年12月末から2月初めに全国で死者228人、行方不明者3人
1961年昭和36年梅雨前線豪雨四国、近畿、東海、関東甲信、北陸で大雨。死者302人、行方不明者55人
1961年北美濃地震福井、岐阜、石川に被害。死者8人
1959年伊勢湾台風 伊勢湾や紀伊半島沿岸で甚大な被害。死者4697人、行方不明者401人。家屋全壊約4万棟 写真で見る写真を閉じる

1959年9月 伊勢湾台風伊勢湾台風で浸水した名古屋市内。人々はボートやいかだで移動した=1959年9月27日、名古屋市港区 伊勢湾台風による高潮で浸水した名古屋市港区の市街地=1959年9月28日、朝日新聞社機から

1953年台風13号愛知、三重、京都、滋賀、大阪、福井で大被害。死者393人、行方不明者85人
1952年大聖寺沖地震福井、石川で死者7人
1948年福井地震 規模のわりに被害大きく、死者3769人、家屋全壊3万6184棟。気象庁が震度階級に7を新設 写真で見る写真を閉じる

1948年6月28日 福井地震福井市を中心にM7.2の大地震が襲った。市内は地震とともに発生した火災で壊滅状態になった

1933年能登半島で地震七尾湾沿岸の被害大きく、石川で死者3人、負傷者55人。富山でも負傷者2人
1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1900年福井県鯖江付近で地震負傷者6人、家屋などに被害
1892年能登半島で地震死者1人、負傷者5人
1891年濃尾地震日本最大の内陸地震。死者7273人、家屋全壊14万棟余
1858年飛越地震飛騨北部、越中で被害大。飛騨で死者203人、家屋倒壊309棟
1855年飛騨白川・金沢で地震山崩れ。死者12人。金沢城で石垣に被害
1833年羽前・羽後・越後・佐渡で地震各地で津波。死者全体で約100人、輪島で47人。能登で大破、流失家屋約345棟
1799年加賀で地震(金沢地震)金沢城下で家屋全壊26棟など。全体で死者21人
1729年能登・佐渡で地震能登半島先端で被害大きく、死者5人。佐渡でも死者、家屋倒壊
1662年寛文近江・若狭地震北陸や近畿、東海で被害。死者800人以上
1640年加賀大聖寺で地震越前、加賀の境で被害。死傷者多数
1586年天正地震飛騨、美濃、伊勢、近江など広域で被害。死者5500人以上
1554年白山1556年にかけて噴火。小規模火砕流、噴石、社堂破壊
863年越中・越後で地震山崩れ、家屋損壊、圧死者多数

近畿

2011年台風12号による大雨 紀伊半島を中心に大雨。和歌山、奈良、三重などで死者82人、行方不明者16人 写真で見る写真を閉じる

2011年9月 台風12号川の増水で倒壊した建物。家の前にあった橋は流された=2011年9月3日、奈良県黒滝村赤滝

2009年台風9号による大雨東西日本の広範囲で被害。避難中に流されるなど兵庫県佐用町で20人、計27人が犠牲に
1995年阪神大震災 活断層による直下型地震。死者6434人、行方不明者3人。家屋全壊約10万棟、全半焼約7000棟 写真で見る写真を閉じる

1995年1月17日 阪神大震災地震発生から12時間以上たっても燃え続ける神戸市長田区の市街地。朝日新聞社ヘリから 地震のため阪神高速道路の橋げたが落ち、危うく中ぶらりんで止まった観光バス=1995年1月17日、兵庫県西宮市甲子園

1990年前線、台風19号台風が和歌山に上陸、本州を縦断。死者42人、行方不明者2人
1961年第二室戸台風暴風と高潮の被害が大きく、死者194人、行方不明者8人
1961年昭和36年梅雨前線豪雨四国、近畿、東海、関東甲信、北陸で大雨。死者302人、行方不明者55人
1959年伊勢湾台風 伊勢湾や紀伊半島沿岸で甚大な被害。死者4697人、行方不明者401人。家屋全壊約4万棟 写真で見る写真を閉じる

1959年9月 伊勢湾台風伊勢湾台風で浸水した名古屋市内。人々はボートやいかだで移動した=1959年9月27日、名古屋市港区 伊勢湾台風による高潮で浸水した名古屋市港区の市街地=1959年9月28日、朝日新聞社機から

1953年台風13号愛知、三重、京都、滋賀、大阪、福井で大被害。死者393人、行方不明者85人
1953年南山城の大雨京都、三重の府県境で豪雨。死者・行方不明者430人
1953年南紀豪雨紀伊半島などで豪雨。和歌山で1000人を超える死者・行方不明者
1952年吉野地震奈良、大阪、京都、兵庫、滋賀などで死者9人、負傷者136人
1952年梅雨前線近畿地方に大雨、大阪で被害大きく、全体で死者67人、行方不明者73人
1950年ジェーン台風大阪湾で高潮。大阪、兵庫、和歌山などで大きな被害。死者398人、行方不明者141人
1946年南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波
1945年阿久根台風全国で暴風雨、死者377人、行方不明者74人。兵庫では200人を超える死者
1944年東南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。静岡・愛知・三重などで死者・行方不明者1223人、家屋全壊1万7599棟。各地に津波。戦時中の地震
1938年大雨兵庫の被害が特に大きく、死者708人、行方不明者217人
1936年河内大和地震奈良、大阪の府県境で揺れ強く、死者9人
1934年室戸台風 大阪の被害が特に大きく、死者2702人、行方不明者334人 写真で見る写真を閉じる

1934年9月21日 室戸台風29人の死者が出た弥刀小学校の校舎倒壊現場で後片付けをする人たち=1934年9月21日、大阪府弥刀村 倒壊した学校で遭難者を救助する人たち=1934年9月21日、大阪市東成区 室戸台風で倒壊した四天王寺の五重塔=1934年9月22日、大阪市天王寺区 暴風で倒壊した気象台の高さ39メートルの無線塔=1934年9月22日、大阪市大正区

1927年北丹後地震京都、兵庫、大阪で死者2925人、負傷者7806人。家屋の全半壊多数
1925年北但馬地震死者、兵庫で421人、京都で7人など
1916年神戸などで地震神戸、明石、淡路北部で被害。死者1人
1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1909年江濃地震(姉川地震)滋賀、岐車で死者41人、家屋全壊978棟
1899年紀伊半島南東部で地震木ノ本、尾鷲で死者7人
1899年別子鉱山台風四国縦断の台風で四国、岡山、兵庫などで1000人以上が犠牲。別子鉱山で大被害
1891年濃尾地震日本最大の内陸地震。死者7273人、建物全壊14万棟余
1889年明治22年大水害8月と9月の台風で奈良県十津川村で土砂災害、伊勢湾で高潮被害。多数の犠牲者
1854年安政東海地震、安政南海地震32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話
1854年伊勢・伊賀・大和などで地震伊賀上野、奈良などで死者。全体で死者は1500人を超える
1707年宝永地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟
1662年東海・近畿・北陸一帯で地震美濃、伊勢、三河などで被害。美濃で家屋被害多数
1605年慶長地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、各地で死者多数
1596年畿内などで地震(慶長伏見地震)伏見城の天守大破、「地震加藤」の逸話で有名。家屋倒壊、死者多数
1586年天正地震飛騨、美濃、伊勢、近江など広域で被害。死者5500人以上
1498年明応地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。伊勢大湊で溺死者5000人など
1361年畿内・土佐・阿波で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。各地で強い揺れ、津波で死者多数
1185年近江・山城・大和で地震社寺、家屋の倒壊、死者多数
1099年南海道・畿内で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。興福寺、摂津天王寺などで被害。土佐で津波
1096年畿内・東海道で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が伊勢、駿河を襲う。京都の諸寺に被害
976年山城・近江で地震仏寺などの被害多く、清水寺では死者50人以上
887年五畿・七道で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。京都で家屋倒壊多く圧死者多数。沿岸部は津波で溺死者多数
684年白鳳地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。諸国で家屋倒壊、津波。死傷者多数

中国

2005年台風14号、前線 九州、中国、四国で長時間の暴風雨。宮崎などで人的被害多く、死者26人、行方不明者3人 写真で見る写真を閉じる

2005年9月 台風14号台風14号で住宅街に流れ込んだ土砂を取り除く住民たち=9月7日、広島県廿日市市宮島町で

2005年福岡県西方沖地震死者1人、負傷者1204人。山口で負傷者1人
2004年台風23号、前線 岡山、京都、香川、愛媛など西日本を中心に土砂災害。死者95人、行方不明者3人 写真で見る写真を閉じる

2004年10月 台風23号による土砂崩れ土砂崩れで壊れた住宅では行方不明者の捜索が続いた=10月21日午前、岡山県玉野市で

2004年台風16号瀬戸内を中心に高潮被害。死者14人、行方不明者3人
2001年芸予地震 広島、愛媛、山口で被害大きく、死者2人、負傷者288人、家屋全壊70棟 写真で見る写真を閉じる

2001年3月24日 芸予地震芸予地震で被害の大きかった呉市内の急傾斜地。家の屋根には青いシートが目立つ=3月30日午後、広島県呉市で、朝日新聞社ヘリから

2000年鳥取県西部地震 鳥取、島根、岡山で被害大きく、負傷者182人、家屋全壊435棟 写真で見る写真を閉じる

2000年10月6日 鳥取県西部地震鳥取県境港市では民家の倒壊被害が出た

1999年台風18号熊本など九州北部や中国地方瀬戸内海沿岸で高潮被害。死者31人
1999年福岡豪雨 活発化した梅雨前線により西日本で豪雨。広島では土石流や崖崩れで31人死亡、福岡では地下街に濁流が流れ込み1人死亡 写真で見る写真を閉じる

1999年6月29日 福岡豪雨飲食店従業員の女性が死亡した地下の排水作業をする消防隊員=1999年6月29日、福岡市博多区 一面冠水したJR博多駅前=1999年6月29日、福岡市博多区

1993年台風13号九州を中心に各地で暴風や大雨。死者・行方不明者48人
1982年昭和57年7月豪雨と台風10号長崎を中心に記録的な豪雨。広い範囲に被害。死者427人、行方不明者12人
1972年昭和47年7月豪雨熊本、高知で被害大。中国地方では浸水害多発。死者421人、行方不明者26人
1967年昭和42年7月豪雨長崎、広島、神戸などで大雨。死者351人、行方不明者18人
1962年梅雨前線による大雨九州、中国地方西部などで大雨。死者110人、行方不明者17人
1961年前線、台風26号九州から近畿にかけて浸水や土砂災害多発。死者78人、行方不明者31人
1961年第二室戸台風死者194人、行方不明者8人
1951年ルース台風山口で土砂災害、鹿児島で強風や高潮被害。死者572人、行方不明者371人
1949年安芸灘で地震呉で死者2人、下松市で負傷者2人
1949年デラ台風愛媛で漁船が多数遭難、旅客船の沈没で死者多数。死者252人、行方不明者216人
1948年低気圧九州北部で大雨。長崎、佐賀で特に被害大。死者121人、行方不明者126人
1946年南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波
1945年阿久根台風全国で暴風雨、死者377人、行方不明者74人。兵庫では200人を超える死者
1945年枕崎台風死者2473人、行方不明者1283人。広島で2000人を超える犠牲者。戦後まもなくで防災体制も整っておらず大被害
1943年鳥取地震鳥取で死者は1000人を超え、家屋全壊は7000棟を超えた
1943年鳥取沖で地震2日連続であり、両方で負傷者11人、建物倒壊68棟
1942年周防灘台風気象情報が規制された戦争中の災害。山口県などで死者・行方不明者1158人
1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1905年芸予地震広島、呉、松山付近で被害大きく、広島県で死者11人、負傷者160人
1899年別子鉱山台風四国縦断の台風で四国、岡山、兵庫などで1000人以上が犠牲。別子鉱山で大被害
1872年浜田地震石見東部で被害大きく、海沿いでは隆起や沈降、小津波。死者約550人、全壊約5000棟
1857年伊予・安芸で地震宇和島、松山、広島などで被害。郷町で死者1人、郡中で死者4人
1854年安政東海地震、安政南海地震32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話
1711年伯耆で地震因幡、伯耆で死者4人
1710年伯耆・美作で地震伯耆で死者75人、家屋倒壊1092棟、美作で死者2人
1707年防長で地震佐波郡で死者3人、家屋倒壊289棟
1707年宝永地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟
1686年安芸・芸予で地震広島中西部で被害大きく、死者2人、家屋損壊147棟
1676年石見で地震津和野城に被害。家屋倒壊133棟、死者7人
880年出雲で地震神社、仏寺、民家などの倒壊や破損が多数

四国

2005年台風14号、前線九州、中国、四国で長時間の暴風雨。宮崎などで人的被害多く、死者26人、行方不明者3人
2004年台風23号、前線岡山、京都、香川、愛媛など西日本を中心に土砂災害。死者95人、行方不明者3人
2004年台風16号 瀬戸内を中心に高潮被害。死者14人、行方不明者3人 写真で見る写真を閉じる

2004年8月 台風16号高潮につかった道路。住民は水の中を歩き、周囲には動けなくなった車が放置された=8月31日午前8時35分、高松市松福町1丁目で

2001年芸予地震 広島、愛媛、山口で被害大きく、死者2人、負傷者288人、家屋全壊70棟 写真で見る写真を閉じる

2001年3月24日 芸予地震愛媛県今治市内では、マンション駐車場の柱が壊れ、車が押しつぶされた

2000年鳥取県西部地震鳥取、島根、岡山で被害大きく、負傷者182人、家屋全壊435棟。香川で負傷者2人
1995年阪神大震災活断層による直下型地震。死者6434人、行方不明者3人。家屋全壊約10万棟、全半焼約7000棟
1993年台風13号九州を中心に各地で暴風や大雨。鹿児島では土砂災害などで死者33人。死者・行方不明者48人
1982年昭和57年7月豪雨と台風10号長崎を中心に記録的な豪雨。広い範囲に被害。死者427人、行方不明者12人
1972年昭和47年7月豪雨 熊本、高知で土砂災害の死者多数。中国地方では浸水害多発。死者421人、行方不明者26人 写真で見る写真を閉じる

1972年7月5日 豪雨による山崩れ高知県香美郡(現香美市)土佐山田町繁藤で集中豪雨による山崩れが発生、約10万立方メートルの土砂が国鉄土讃線の繁藤駅になだれ込んだ

1968年日向灘地震高知、愛媛で被害が多かった
1961年前線、台風26号九州から近畿にかけて浸水や土砂災害多発。死者78人、行方不明者31人。大分では、電車が崖崩れで土砂に埋まり31人が死亡
1961年第二室戸台風死者194人、行方不明者8人
1960年チリ地震津波南米チリ沖の地震により各地に津波。全国で死者・行方不明者142人。高知で負傷者1人
1949年デラ台風愛媛で漁船が多数遭難、旅客船の沈没で死者多数。死者252人、行方不明者216人
1946年南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波
1945年枕崎台風死者2473人、行方不明者1283人。広島で2000人を超える死者・行方不明者。戦後まもなくで防災体制も整っておらず大被害
1934年室戸台風 室戸岬での911.6ヘク卜パスカルは観測史上最低。近畿、中国、四国を中心に被害。死者・行方不明者約3000人 写真で見る写真を閉じる

1934年9月21日 室戸台風29人の死者が出た弥刀小学校の校舎倒壊現場で後片付けをする人たち=1934年9月21日、大阪府弥刀村 倒壊した学校で遭難者を救助する人たち=1934年9月21日、大阪市東成区 室戸台風で倒壊した四天王寺の五重塔=1934年9月22日、大阪市天王寺区 暴風で倒壊した気象台の高さ39メートルの無線塔=1934年9月22日、大阪市大正区

1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1905年芸予地震広島、呉、松山付近で被害大きく、広島で死者11人、愛媛で負傷者17人
1899年別子鉱山台風四国縦断の台風で四国、岡山、兵庫などで1000人以上が犠牲。別子鉱山で大被害
1857年伊予・安芸で地震宇和島、松山、広島などで被害。郷町で死者1人、郡中で4人
1854年安政東海地震、安政南海地震32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話
1789年阿波で地震徳島で家や蔵などに被害。香川でも堤防などに被害
1707年宝永地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟
1686年安芸・芸予で地震広島中西部で被害大きく、死者2人。松山で城の石垣破損など
1649年安芸・芸予で地震松山城、宇和島城に被害。民家も破損
1605年慶長地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害が大きく、各地で死者多数
1596年畿内などで地震(慶長伏見地震)伏見城の天守大破、「地震加藤」の逸話で有名。家屋倒壊、死者多数
1498年明応地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波が紀伊から房総に。各地で大被害。伊勢大湊で溺死者5000人など
1361年畿内・土佐・阿波で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。各地で強い揺れ、津波で死者多数
1099年南海道・畿内で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。興福寺、摂津天王寺などで被害。土佐で津波
887年五畿・七道で地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。京都で家屋倒壊多く圧死者多数。沿岸部は津波で溺死者多数
684年白鳳地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。諸国で家屋倒壊、津波。死傷者多数

九州・沖縄

2012年九州北部豪雨 熊本、大分、福岡で死者21人、行方不明者8人。九州北部を中心に被害 写真で見る写真を閉じる

2012年7月11~14日 九州北部豪雨田植え後の棚田にも土砂崩れが発生していた=7月15日午前11時15分、福岡県うきは市、朝日新聞社ヘリから

2010年霧島山新燃岳で噴火
2005年台風14号、前線九州、中国、四国で長時間の暴風雨。宮崎などで人的被害多く、死者26人、行方不明者3人
2005年福岡県西方沖地震 死者1人、負傷者1204人 写真で見る写真を閉じる

2005年3月20日 福岡県西方沖地震歩道には割れたガラスが散乱していた=20日午前、福岡・天神で

2004年台風16号瀬戸内を中心に高潮被害。死者14人、行方不明者3人
1999年台風18号熊本など九州北部や中国地方瀬戸内海沿岸で高潮被害。死者31人
1999年福岡豪雨 活発化した梅雨前線により西日本で豪雨。広島では土石流や崖崩れで31人死亡、福岡では地下街に濁流が流れ込み1人死亡 写真で見る写真を閉じる

1999年6月29日 福岡豪雨飲食店従業員の女性が死亡した地下の排水作業をする消防隊員=1999年6月29日、福岡市博多区 一面冠水したJR博多駅前=1999年6月29日、福岡市博多区

1993年台風13号九州を中心に各地で暴風や大雨。鹿児島では土砂災害などで死者33人。死者・行方不明者48人
1991年雲仙岳 出現した溶岩ドームが崩落して火砕流発生。43人が犠牲に。泥流による災害も発生 写真で見る写真を閉じる

1991年6月 雲仙・普賢岳噴火6月16日朝、山頂部を見せた普賢岳。地獄跡火口側の新火口から噴き出した溶岩ドームが再び盛り上がり、約70メートルの高さに成長していた

1982年昭和57年7月豪雨と台風10号長崎を中心に記録的な豪雨。広い範囲に被害。死者427人、行方不明者12人
1979年阿蘇山噴火。死者3人、重傷2人
1972年昭和47年7月豪雨熊本、高知で土砂災害の死者多数。中国地方では浸水害多発。死者421人、行方不明者26人
1968年えびの地震死者3人。前年から地震が続いていた
1967年昭和42年7月豪雨長崎、広島、神戸などで大雨。死者351人、行方不明者18人
1966年台湾東方沖で地震与那国島で死者2人
1962年梅雨前線による大雨九州、中国地方西部などで大雨。死者110人、行方不明者17人。佐賀県太良町で大規模な土砂災害
1961年前線、台風26号九州から近畿にかけて浸水や土砂災害多発。死者78人、行方不明者31人。大分では、電車が崖崩れで土砂に埋まり31人が死亡
1961年第二室戸台風死者194人、行方不明者8人
1961年日向灘で地震宮崎、鹿児島で死者2人
1960年チリ地震津波南米チリ沖の地震により各地に津波。全国で死者・行方不明者142人。沖縄で死者3人
1958年阿蘇山噴火。死者12人、負傷者28人
1957年諌早豪雨梅雨前線が活発化、長崎、熊本、佐賀で大雨。死者586人、行方不明者136人
1953年梅雨前線九州北部で大雨。死者748人、行方不明者265人。熊本では死者・行方不明者が500人を超えた。福岡、佐賀、大分、山口でも甚大な被害
1953年阿蘇山噴火。観光客死者6人、負傷者90人余
1951年ルース台風山口で土砂災害、鹿児島で強風や高潮被害。死者572人、行方不明者371人
1949年ジュディス台風佐賀など九州各地で被害大。死者154人、行方不明者25人
1949年デラ台風愛媛で漁船が多数遭難、旅客船の沈没で死者多数。死者252人、行方不明者216人
1947年与那国島近海で地震石垣島で死者1人、西表島で死者4人
1946年南海地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。死者1330人、家屋全壊1万1591棟。静岡から九州で津波
1945年阿久根台風全国で暴風雨、死者377人、行方不明者74人。兵庫では200人を超える死者
1945年枕崎台風死者2473人、行方不明者1283人。広島で2000人を超える死者・行方不明者。戦後まもなくで防災体制も整っておらず大被害
1941年日向灘で地震大分、宮崎、熊本で被害。死者2人
1922年島原で地震島原半島、熊本で被害。長崎で死者26人
1914年桜島(大正大噴火)溶岩流で大隅半島と地続きに。降灰は西日本一帯から関東、仙台まで。地震と噴火で死者58人
1911年奄美大島近海で地震喜界島、沖縄島、奄美大島に被害。死者12人
1889年熊本で地震熊本市を中心に被害、県全体で死者20人
1854年安政東海地震、安政南海地震32時間の差で発生。関東から近畿まで被害。死者は数千人、家屋倒壊3万棟以上。「稲むらの火」の逸話
1792年雲仙(島原大変肥後迷惑)噴火。5月に強い地震で眉山が大崩落、有明湾になだれ込み、津波が発生。死者約1万5000人
1779年桜島(安永大噴火)噴石と溶岩流。死者150人余
1771年八重山地震津波石垣島での被害が特に多く、全体で死者約1万2000人
1723年肥後・豊後・筑後で地震肥後で家屋倒壊980棟、死者2人
1707年宝永地震南海卜ラフ沿いの巨大地震。津波の被害も大きい。死者少なくとも2万人、家屋倒壊6万棟、流失2万棟
1703年由布院・庄内で地震山奥の村で家屋倒壊273棟
1663年雲仙岳溶岩流出。翌春、九十九島火口から出水、氾濫、死者30人余
1625年熊本で地震地震で熊本城の火薬庫爆発。死者約50人
1596年別府湾で地震(慶長豊後地震)湾内にあった瓜生島(沖ノ浜)が陥没し死者708人、と伝えられる

869年 貞観の地震

宮城県東松島市の宮戸島中央部にある石碑。海岸部から約1キロ離れたこのあたりまで津波が来たという伝承がある=川島秀一・東北大教授提供

 【合田禄】三陸沖で発生、陸奥国(現在の東北地方)を津波が襲い、仙台平野の内陸数キロまで達した。死者は推定1千人以上、マグニチュード8.3とされる。
 各地に津波が来たという伝承があるほか、最近の津波堆積(たいせき)物調査でも、内陸まで津波が押し寄せた痕跡が確認されている。
 国は東日本大震災の後、貞観地震の伝承があったにもかかわらず対策に生かせなかったとして、めったに起きない地震でも、最大の規模を想定して対策をとる方針に切り替えた。

1596年 畿内などで地震(慶長伏見地震)

慶長伏見地震を題材にした歌舞伎「地震加藤」の錦絵=国立劇場提供

 【野呂雅之】安土桃山時代の首都を襲った直下型の大地震で、マグニチュードは推定7.5以上。京都から淡路島まで大きな被害を及ぼし、太閤(たいこう)秀吉の居城である伏見城は倒壊、城内だけで約300人が犠牲になった。
 その10年前、天正地震の揺れを経験した秀吉は築城にあたり、手紙で「なまつ大事」と指示している。
 「なまつ(鯰〈なまず〉)」とは地震のこと。耐震に気を配れという意味であり、この手紙が地震と鯰を関連づけた最も古い史料だ。
 秀吉は地震後、大坂城に移り、執政をつかさどった。「地震考古学」を提唱した地震学者の寒川旭さん(67)は「大坂と伏見。いわば首都機能の分散であり、築城にあたっての指示といい、リアリズムに根ざした秀吉の対応には見習うべきものが多い」と話す。
 伏見地震は長く語り継がれ、謹慎中の加藤清正が救援のため伏見城に駆けつけて秀吉に謹慎を解かれた逸話は、明治になって歌舞伎の「地震加藤」になった。
 だが、戦後は「関西には地震がない」という誤解が広まり、伏見地震が顧みられるようになったのは阪神大震災後のことだ。

1703年 元禄地震

千葉県茂原市の鷲山寺にある供養塔。九十九里浜の南部の村々の被害を伝える。2150人余りが津波の犠牲になったと刻まれている=鷲山寺提供

 【合田禄】房総半島沖の相模トラフで発生し、マグニチュードは8級とされる。南関東の相模湾沿岸から房総半島にかけて、強い揺れと津波で1万人以上が死亡した。津波の被害は房総半島の沿岸で大きく、2800人以上が水死し、5千軒以上の家屋が流失した。九十九里浜では、津波が川沿いに海岸線から2~3キロの内陸まで入り込んだ。
 相模湾沿岸や房総半島南端では震度7だったとみられ、小田原では城下町が全滅し、東側の東海道の宿場も川崎付近までほとんど全滅した。箱根などでは山崩れや地割れが相次いだ。江戸も強く揺れ、江戸城や大名屋敷の石垣や門が壊れた。
 房総半島の各地に供養塔や波切地蔵が残り、惨状を伝えている。現在、千葉県や神奈川県、東京都では、元禄地震を想定した津波対策が実施されている。

1707年 宝永地震

宝永地震の供養塔の側面には、小さい文字で津波の教訓がびっしりと記されている=三重県南伊勢町

 【森直由】東海、東南海、南海の三つの地震の震源域が同時に動いたとされ、マグニチュードは推定8.6。津波が紀伊半島から九州までの太平洋岸や瀬戸内海を襲い、死者は2万人とみられる。
 三重県埋蔵文化財センターによると、県内で確認された宝永地震の石碑は4基。このうち2基が三重県南伊勢町にある。
 南伊勢町の甘露寺には、犠牲になった約80人の三十三回忌に合わせて1739年、墓地の入り口に供養塔が建てられた。約9メートルの津波が来たと書かれ、「もし後の世でこのようなことが起きたら、みんなで屋根より高い山の頂上に逃げ、決して引き返してはならない」「高潮はすぐに襲ってくるので、逃げる途中で命を失ってしまう。だから後の世の子や孫に、この一大事を知らせるために、事細かく知らせておく」などと記されている。
 地元の古文書などを調べている元小学校長の仲西栄助さん(70)は「昔の人の教訓を伝えることが、今を生きる私たちの役目だ」と話す。東日本大震災後、手作りの紙芝居で、地震や津波の教訓を伝えている。4作品をまとめた絵本も作り、町内の小中学校に配った。「これからも紙芝居をつくり、子どもたちへ教訓を広げていきたい」

1707年 富士山(宝永噴火)

現在の静岡県沼津市で描いた絵図。赤い火柱が見える=個人所蔵、静岡県歴史文化情報センター提供現在の静岡県御殿場市付近から見た噴火状況を描いた絵図=滝口文夫氏所蔵、静岡県歴史文化情報センター提供

 【合田禄】南海トラフ沿いの巨大地震である宝永地震が起きた49日後、富士山の南東斜面から大噴火し、16日間、断続的に噴火を繰り返した。東側のふもとでは、火口付近から落ちてきた高温の石で家屋が焼失。火山灰が大量に積もったところでは家屋が倒壊した。
 火山灰は偏西風に乗って関東地方に広く降り注ぎ、川崎市で厚さ5センチ、100キロ以上離れた房総半島にも届いた。その後も大量の噴出物が山や谷にたまり、洪水が頻発した。
 国は2004年、宝永噴火並みの規模の噴火が起きた場合を想定した被害予測を公表した。神奈川県のほぼ全域で降灰し、横浜市では最大10センチ前後、東京都心部でも最大2~10センチの降灰が見込まれる。
 都市部での火山灰の影響は大きく、路面でのスリップなどによる公共交通機関のまひや、送電線からの漏電が予想されている。

1741年 渡島大島

「寛保津波と渡島大島噴火の図」=函館市中央図書館所蔵「北海道旧纂図絵」から

 【熊井洋美】8月、北海道南部の松前町から南西60キロの日本海上にある無人の火山島・渡島大島が突然噴火。じわじわと山体崩壊が起き、海に流れ込んだ大量の土砂の影響で、北海道の日本海沿岸部約130キロが津波に襲われた。
 当時の松前藩の報告によると、溺死(できし)者1467人、流失家屋791戸、漁船の遭難は1521隻に上る大災害だった。北海道大学・地震火山研究観測センターの西村裕一助教(地震学)は、感染症などによる犠牲も含め2千人以上の死者が出たと分析する。
 津波が駆け上がった地点の標高は15メートルに達したとされる。2代目住職が津波にのまれた八雲町熊石地区の無量寺には、背中に穴が三つ開いた慰霊地蔵がある。寺によると、海の遺体をやすで突いて引き上げたことを記すものだという。
 火山による津波被害は、国内では他に北海道駒ケ岳の山体崩壊(1640年)、長崎県の雲仙岳眉山の山体崩壊(1779年)が記録に残り、小規模を含めると10例以上になる。
 渡島大島噴火には未解明な部分が多く、西村さんらは昨年から現地調査に取り組んでいる。「(地震と違って)噴火開始から避難までに時間の余裕はあるが、海に面する地域では、津波発生の可能性も踏まえて火山ハザードマップ作りを考えてもいいのではないか」と話す。

1771年 八重山地震津波

明和八重山地震や2000年前の津波など複数回の津波で打ち上げられたサンゴの塊「津波大石」。大きさは約10メートル、推定1千トン。海岸から約100メートルの所にある。3月、国の天然記念物に指定された=12日、沖縄県石垣市

 【東山正宜】4月24日、沖縄県八重山諸島の石垣島や宮古諸島の沖が震源とみられる大地震が発生。大津波が石垣島や周辺の島を襲い、計1万2千人が死亡した。壊滅した集落もある。地震の規模は評価が分かれるが、マグニチュード7.4~8.5と推定されている。
 琉球王朝への報告書には、津波の高さが最大「28丈2尺(約85メートル)」と記されている。ただ、地元住民らでつくる八重山明和津波研究会は、津波を受けたとされる墓地や、逆に被害がなかったとの記録が残る集落の標高を調べた結果、津波が陸地に駆け上がった高さ(遡上〈そじょう〉高)は最高30メートルほどだったとしている。
 石垣島の海岸や近くの陸地には、津波で沖合から運ばれた最大10メートルほどのサンゴの塊「津波石」がいくつも残る。うち四つは今年3月に国の天然記念物に指定された。
 研究会のメンバーで市文化財課の島袋綾野さん(40)によると、当時、丘の上の畑にいて助かった住民の子孫の家には、早起きは三文の徳ならぬ「早起きしないと津波にのまれる」という家訓が残されているという。

1783年 浅間山(天明噴火)

浅間山を南側から見た構図。大きな炎と煙を上げている=三井文庫所蔵「信州佐久郡浅間ケ嶽大変略図」

 【合田禄】経過や被害についての詳細な史料が残っている中で国内最大の噴火。4月、浅間山から鳴動が聞こえ出し、噴火が始まった。7月に本格的な噴火に入り、火砕物が山を下って家屋の焼失や倒壊などを引き起こした。
 火砕流や噴出した岩の塊は地表の土石を巻き込んで川を流れ下り、火口から13キロ離れた旧鎌原村のほとんどが破壊された。利根川流域を中心とする関東平野にも被害をもたらし、約1500人が死亡したとされる。
 噴火を伝える古文書は数多く残っている。各地に被災の記憶や復興の功績を伝える石造物もあり、供養祭も200年以上にわたって続いている。

1792年 雲仙(島原大変肥後迷惑)

1792年、長崎県の雲仙岳が山体崩壊を起こし、有明海になだれ込んだ。対岸の肥後と天草を津波が襲い、計約1万5千人が死亡した=崇城大学図書館提供

 【東山正宜】5月21日、長崎県島原半島の雲仙岳が噴火した後に地震が起き、隣にある標高700メートルの眉山が突然崩れた。大量の土砂が島原城下を押しつぶして有明海になだれ込み、大津波が発生、対岸の熊本(肥後)を襲った。大きな被害を与えたうえ、折り返した津波が再び島原を襲い、計1万5千人が死亡したとされる。
 島原半島の土石流被害を「島原大変」、熊本の津波被害を「肥後迷惑」と呼ぶ。肥後藩主の細川家は、幕府に3万両の救済金の借用を願い出たという。島原半島から生き延びた僧侶らが爆発の様子を見取り図にしており、幕府への被害報告として多くの写しが描かれたとみられている。

1847年 善光寺地震

天然ダムの崩壊による洪水や、大規模な火災、斜面崩壊が描かれた絵図=東京大大学院情報学環所蔵「信濃国大地震火災水難地方全図」

 【合田禄】長野市から長野県飯山市にかけて延びる長野盆地西縁断層で発生、マグニチュードは推定7.4。善光寺では折しも、秘仏の御開帳が行われる観光シーズンで、周辺の宿屋には7千~8千人の観光客が泊まる夜だった。
 地震で多くの民家が倒壊し、火災は3日間続いた。土砂災害は4万カ所以上で発生したとされる。崩れた土砂は民家をのみ込み、川の流れをせき止めた。せき止められた川の上流では水害が起きたほか、せき止めが決壊して洪水が起き、下流の地域を襲った。全壊や焼失した家は約2万戸、犠牲者は計8千人を超えた。
 揺れによる1次災害だけでなく、火災や土砂崩れ、洪水など多様な2次災害で被害が拡大するという教訓を残した。

1854年 安政東海地震、安政南海地震

宝永と安政の南海地震の教訓を刻んだ石碑=高知県須崎市

 【長田豊】高知県須崎市の県道脇に、「宝永津浪溺死(できし)之塚」と刻まれた石碑がひっそりとたつ。側面には、宝永地震(1707年)と安政南海地震(1854年)の2度の教訓を記した碑文が残る。
 石碑が建てられたのは安政地震の2年後の1856年。碑文によると、須崎では宝永の大地震と津波で400人以上が亡くなり、いかだを組むように流れ着いた遺体を池のほとりに埋葬した。
 さらに、150年忌に合わせて改葬の準備を進めていた安政元年、また大地震で津波が起きたが、「昔の事を伝え聞き、記録もあったので」多くの人が山林に逃げ登って助かったという。
 後段では、約150年間で2度の大地震が起きたことを強調し、「後世もしこのようなことが起きた際の心得にもなるようにと衆議して」石碑を建てたと伝えている。
 長年、雑草に囲まれて顧みられなくなっていた石碑は約20年前、地元住民の手できれいに整備され、易しい表現で内容を伝える案内板も設置された。
 高知県立歴史民俗資料館(南国市)では現在、この石碑を含む県内24カ所の地震・津波碑を紹介する展示をしている。須崎市出身の岡本桂典学芸課長(56)は「展示資料を小学校の教材に活用したいという要望もある。碑の教訓をしっかり後世に伝えていきたい」と話す。

1891年 濃尾地震

地震断層観察館で保存されている上下に6メートルずれた断層=岐阜県本巣市

 【森直由】岐阜県の山間部にある旧根尾村(現・本巣市)付近を震源に、10月28日午前6時38分、マグニチュード8.0の地震が発生した。死者7273人のうち、岐阜県(4889人)と愛知県(2339人)が9割以上を占める。
 地震とともに高さ約6メートルの崖が村に出現した。地震を起こした根尾谷断層だ。断層を保存し、震災の風化を防ごうと1992年に「地震断層観察館」が建てられた。年間約2万人が訪れる。
 地元に濃尾地震を経験した人はもういない。代わりに元小学校長の宮脇俊治さん(70)らボランティアガイドの男性2人が、地震の教訓や被災者の体験談を来館者へ伝えている。
 宮脇さんによると、村では145人が犠牲になり、791戸のうち無事だったのは8戸のみ。発生の翌11月下旬に約1メートルの雪が積もり、村は食糧不足に陥った。村人同士で食べ物を分け合い、長い冬を乗り切った。宮脇さんは「災害のとき、近所づきあいが非常に役立つ。普段からのつきあいを大切にしてほしい」と話している。

1914年 桜島(大正大噴火)

20世紀以降、国内で最大の噴火となった桜島噴火=鹿児島県立博物館提供

 【東山正宜】1月12日、桜島(鹿児島市)が噴火し、火山灰は東北地方まで飛んだ。流れ出た溶岩が大隅半島と隔てていた海峡を埋め、桜島は陸続きになった。死者58人、噴出量は約20億立方メートルと、国内では20世紀以降最大規模の噴火だ。
 島内はその135年前の安永噴火が伝承として残されており、多くの住民は事前に避難して無事だった。だが、当時の鹿児島測候所は噴火の可能性を否定し続けた。逃げ遅れた住民が冬の海を泳いで対岸に渡ろうとして20人以上が行方不明になった。
 噴火の10年後、東桜島小学校に建てられた碑には「住民は理論に信頼せず、異変を認知する時は、未然に避難の用意、尤(もっと)も肝要」と刻まれている。科学を信用せず、自主避難の大切さを訴える内容だ。「科学不信の碑」とも言われる。

1945年 枕崎台風

枕崎台風の供養塔=広島県廿日市市

 【清水謙司】広島県廿日市市宮浜温泉1丁目の特別養護老人ホームそばに供養塔がたっている。1945(昭和20)年9月17日、この地域を含めて、県内で2012人が亡くなった枕崎台風による災禍を伝える。
 広島への原爆投下から約1カ月。鹿児島県枕崎市付近に上陸した台風で、広島県大野村(現・廿日市市)の川で大規模な土石流が発生した。下流にあった大野陸軍病院が直撃を受け、入院していた被爆者や原爆調査に来ていた京都大の研究員ら156人がのみ込まれた。
 「山津波」は、病院の対岸にある同県宮島でも発生。世界遺産・厳島神社にも大量の土砂が押し寄せた。急傾斜地が多い同県呉市では、千戸を超す家屋が流失するなどして1100人以上が犠牲になった。
 当時、看護師として大野陸軍病院に派遣されていた守屋ミサさん(91)=茨城県在住=は、手記を発表するなどして悲劇を語り継いできた。「原爆の後の台風のことはそれほど知られていない。台風でも戦争に関係した犠牲者が多く出た。マスコミは9月17日を忘れず報道してほしい」と願う。「土砂災害危険箇所」が全国最多(約3万2千カ所)の広島県では今も、ホームページに枕崎台風の概要を掲載している。

1959年 伊勢湾台風

伊勢湾台風で大きな被害を受けた白水小学校の校庭にある「友情の碑」=20日午後、名古屋市南区、高橋雄大撮影

 【森直由】1959年9月26日午後6時すぎ、和歌山県の紀伊半島に巨大台風が上陸。愛知、三重両県の伊勢湾沿岸などで被害が出た。死者・行方不明者5098人。95年の阪神大震災まで戦後最大の自然災害だった。
 被害の主な原因は高潮。台風が通過した名古屋港では、26日午後9時半ごろ、3.89メートルの高潮が発生。名古屋市南区で1417人が犠牲になり、最大の被災地となった。
 この台風をきっかけに61年、災害対策基本法が制定された。国などは伊勢湾級の高潮に耐えられる高さの堤防建設を計画。名古屋港の沖合約10キロに64年、海面からの高さ6.5メートル、総延長7.6キロの高潮防波堤がつくられた。高潮が防波堤を越えた場合の「最終防衛ライン」として、同じころに海面近くの陸上に高さ6~6.5メートル、全長26キロの防潮壁も建てた。
 防波堤は完成から半世紀近くたち、最大約1.5メートル沈下。巨大地震による津波も想定し、最大3メートルほどかさ上げして高さ8メートルに補強する工事が進む。
     ◇
 【山田史比古】名古屋市立白水小学校(同市南区)では、全校児童2337人のうち142人が犠牲になった。校舎から水がひくのに2週間以上かかり、授業が再開したのは10月19日だった。
 校庭の一角には犠牲者の冥福を祈り、二度と惨禍を繰り返さないという誓いを込めて65年に「友情の碑」が建てられた。台座の高さは当時の浸水の水位と同じ2.75メートル。その上に子ども2人を抱えて逃げる母親の像がある。
 白水小では毎年9月下旬、地元のお年寄りを招いて4年生が当時の体験談を聞いたり、碑の前で全校集会を開いて犠牲者に黙祷(もくとう)を捧げたりしてきた。教務主任の豊島斉教諭(45)は「子どもたちに地元で起きた水害について学んでもらい、これから災害があったときに生かしてほしい」と話している。

1910年 関東大水害

 【合田禄】1910年、梅雨前線による雨と、8月11日に房総半島沖を通過した台風に加え、14日に静岡県沼津付近に上陸した台風のため関東地方は豪雨に見舞われた。
 利根川や荒川などで氾濫(はんらん)が相次ぎ、上流域では土砂災害もあって、関東地方で769人が死亡、78人が行方不明となった。流失家屋は2796戸にのぼった。
 東京では現在の北区、荒川区、足立区、葛飾区、台東区、墨田区、江東区などで浸水。宮村忠・関東学院大名誉教授(河川工学)によると、当時は川が氾濫することを前提としていた地域もあったが、市街地への流入を防ぐ隅田堤の一部が決壊、被害が広がったという。
 この水害を受け、政府は20年かけて全長22キロ、幅500メートルの人工河川「荒川放水路」を造った。堤防も増え、氾濫が繰り返されてきた地域にも市街地が形成されるようになった。宮村名誉教授は「水害は減ったが、建設からかなりの時間が経っている堤防もある。維持管理に力を入れることが必要になっている」と指摘している。

1934年 室戸台風

 【野呂雅之】1934年9月21日、高知県室戸に上陸した台風は中心気圧911.6ヘクトパスカル。強い勢力を保ちながら北上、朝8時すぎに大阪で瞬間風速が60メートルを超え、観測機器を取り付けていた気象台の鉄塔が倒れた。
 国内で過去最大の超大型台風。暴風と高潮の被害で大阪府内の死者・行方不明者は1888人にのぼり、全国の6割を占めた。
 すさまじい暴風で学校の古い木造校舎が倒壊。府内の死者数の37%にあたる676人は小中学生だった。35年に発刊された大阪市風水害誌によると、市内の小学校244校の7割以上が全壊・大破した。
 これを教訓にして地震や火災にも強い鉄筋の校舎づくりが進み、現在の学校耐震化につながっている。
 当時の気象予報の精度は低く、暴風警報が発令されても学校が休校にならないこともあった。いまの注意報、警報制度の原型ができたのは、室戸台風の発生翌年だ。

1999年 福岡豪雨

豪雨の際は貯水池になる野球場=2013年6月24日、福岡市博多区公園の地下にある貯水池。豪雨の際は25メートルプール50杯分の雨水をためられる=2013年6月24日、福岡市博多区

 【東山正宜】福岡市のJR博多駅周辺は最近十数年間でも2回、付近の川があふれ、地下街や駅ビルが被害を受けた。
 1999年6月29日、梅雨前線の活発化による豪雨に見舞われた。福岡市を流れる御笠(みかさ)川があふれて市中心部が冠水。JR博多駅ビルなど81の地下施設に水が流れ込み、近くの商業ビルでは逃げ遅れた飲食店従業員の女性(当時52)が死亡。市全体で3478戸が浸水した。
 1時間に約80ミリの非常に激しい雨が福岡市や上流で降ったことに加え、上流域の急速なベッドタウン化で雨水が地中にしみ込まなくなったことで、川の水位は通常状態から4時間で一気に危険水位を超えた。
 御笠川は2003年にも氾濫(はんらん)し、97の地下施設と2916戸が浸水した。
 その後、福岡市は御笠川の川底を深くしたり、周辺の土地を買って川幅を広げたりして、流せる水量を毎秒400トンから890トンに倍増させた。野球のグラウンドを1.8メートル掘り下げて大雨の時に臨時の「貯水池」になるようにしたほか、地下に最大直径5メートルの雨水管を13キロ整備して、氾濫を防ごうとしている。
 また、雨水が地表を伝って一気に川に流れ込まないように、上流の自治体と連携し、雨水が地中にしみ込む側溝を増やしている。  市の担当者は「三たび浸水させないためにハードのほか、水位情報を携帯に送ったり、避難訓練したりといったソフト面も組み合わせて被害をなくしたい」と話す。

災害大国 被害に学ぶ

◆【災害大国】被害に学ぶ・特集へ

過去の災害の被害や将来の被害想定から、必要な対策を探り、備えに役立つ情報をお伝えします。

◆【災害大国】あすへの備え・特集一覧

タイムライン・熊本地震(4月14~15日)

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タイムライン・熊本地震(4月16~17日)

写真、SNSの反応などをまとめてタイムラインで

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原発事故のあと福島県外で避難生活を送る母子。負担に耳を傾けました

農業用ダム・ため池、510カ所で耐震不足

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被災者と同じ空気を吸う記者たちが、リレー方式でつづります

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大震災の被災地、岩手・大槌駐在の記者が現地から報告します

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自主再建を断念した銚子電鉄の沿線をめぐる

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紙面別刷り特集!あの日から、重ねた5年

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災害時にどんな言葉を、どんなタイミングで検索しているのでしょうか

【2015 震災4年】

 ふるさとの復興への思いを語る西田敏行さんインタビューや「データで見る被災地」「原発の現状」など特集紙面がご覧いただけます。

 発生から2年までの復旧・復興への歩み、原発事故のその後を、この特集でさぐる。多くの困難なのか、それでも前を向く人々。「忘れない」という誓いを胸に、これからも支えたい。

 かつて「野鳥の森」と呼ばれた福島第一原発敷地内の森は、汚染水をためるタンクで埋め尽くされそうとしている。

(阪神大震災20年)遺族の思い

朝日新聞社と関西学院大人間福祉学部による遺族調査

【阪神大震災20年】レンズの記憶

被災直後の神戸の街や人々の写真を公開

会員限定 阪神大震災・「あの日」の紙面

阪神大震災 阪神大震災

 1923年9月1日の関東大震災から1年たった24年(大正13年)9月15日、大阪朝日新聞は、付録として「関東震災全地域鳥瞰図絵」を発行した。絵図は吉田初三郎画伯が描いたもので、関東大震災の主要な被害のほか、当時の交通網や世情も反映され、裏面は「震災後の一年間」と題して、被害状況と復旧状況をまとめ、各地の写真を載せている…[続きを読む]

  • 「表面・関東大震災俯瞰図絵」ビューアーへ
  • 「裏面・震災後の一年間」ビューアーへ

◆ 地震動予測地図

地震調査研究推進本部の資料から

◆ 女子組版「災害時連絡カード」

印刷して切り抜き、財布などに入れてお使いください

 鹿児島県・口永良部島で29日、噴火があった。箱根山では火山性地震が増え、噴火警戒レベルが引き上げられた。昨年は御嶽山が噴火、桜島や西之島は活発に噴火を続け、蔵王山でも地震が増加、日本が火山列島だと痛感している。…[続きを読む]

著者:朝日新聞社 価格: ¥1,680

 朝日新聞のシリーズ企画「災害大国 迫る危機」が本になりました。活断層、津波、地盤、斜面災害、インフラ、火山のリスクを地域ごとに示した大型グラフィックや対策の現状などを収録。書籍化のために各地域の災害史を書き下ろしました。いつ見舞われるか分からない災害の備えとして役立ちます。B4判変型(縦240ミリ、横260ミリ)でオールカラー、120ページ。

日本列島ハザードマップ 災害大国・迫る危機

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