同胞の「重要なインフラ」インド食材を日本で扱う誇り
インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる世界の食文化を紹介します。
豊かな軽食文化「ファルサン」息づく家庭の食卓
どんな腕の立つコックであろうと、日々台所に立つ人であろうと、あるいは単身赴任の男性であろうと、調理するインド亜大陸出身者にとって必要なのがスパイスや米・小麦といったインドの食材群である。
料理の腕のよしあしを問わず、必要となる食材がなければそもそも料理にならない。そういう意味でインド食材とは、インド亜大陸出身者にとって最も重要な生活インフラにほかならない。
そのインド食材を輸入から業務用卸、小売りまで一手に引き受ける国内最大手のインド系商社が、東京都台東区に本社を置く「アンビカ」だ。
今回訪問させていただくのは、そのアンビカに長年勤めているムンバイ出身のパテルさんのお宅。個人的にも彼が2006年に来日した当初から懇意にしていて、気心の知れた間柄である。とある休日の午後、以前も何度か訪れた千葉県市川市のマンションを再訪した。
中に通されると、パテルさんは奥の部屋で30年ぐらい前のボリウッド映画を見ていた。
「最近の若い俳優はよくわからなくてね……」
同じおじさん世代の私も全く同感だ。昔は映画でヒンディー語を覚えようと熱心に見ていたが、最近はあまり見る機会がなくなってしまった。たまに封切られたばかりの新作を見てもパテルさん同様、若い俳優たちの顔の見分けがつかない。それで結局、なじみのある古いボリウッド映画をくり返し見てしまうのだ。
そこへ妻のジャヤナさんがチャイと、お茶請けのガティヤ(ひよこ豆粉の揚げスナック)とバタタ・ワダ(衣をつけて揚げたスパイシーなマッシュポテト)を持ってきてくれた。このようなお茶請けや軽食はグジャラート語で「ファルサン」と総称される。その言葉に象徴されるように、グジャラートには豊かな軽食文化が息づいているのだ。
「ボクはムンバイで生まれ育ちましたけど、元々の出身はグジャラート州のナヴサーリーです。おじいさんの時代に、ボンベイ(現ムンバイ)のイギリス人家庭に仕事を得て、それで一家で移り住んだんです」
独学で覚えたという流暢(りゅうちょう)な日本語でパテルさんが家族の歴史を教えてくれた。
グジャラート州は商都ムンバイを擁するマハーラーシュトラ州と州境を接している。古くから仕事や進学のために大勢のグジャラート出身者がムンバイに移り住んだ。とりわけパテル姓の人たちは、ムンバイからさらに海外、とりわけ北米大陸へとチャンスを求めて雄飛する人が多く、一時期アメリカでは宿泊施設で受付の仕事に就くパテル姓の人々のあまりの多さから「ホテル、モーテル、パテル」などと揶揄(やゆ)されていたほどである。