ほぼ日刊イトイ新聞
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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-03-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「ほぼ日」で「老いと死」というテーマを、
 少しずつやっていこうと決めてから、
 ま、ほんとうにじぶんたちなりにやってきたわけです。
 ある意味、だれがやっても重すぎるテーマでしょうし、
 どうやっても軽々しく見えやすい題材でもありますが、
 ぼくらなりに身の丈で、力も弱いままに進めてきました。
 正直言って、75歳を過ぎたぼく自身が
 「平熱」のままで「老いと死」をテーマにできることが、
 ちょうどよく好都合だったのです。
 「だって、おれ本人だって老いのご当人だもの」とか、
 「だって、おれ本人だって死はすぐそこにあるんだ」とか、
 開き直りやすいというのは、ほんとうによかったです。

 昨日までの連載の『笠井さんが老人ホームに入った。』も。
 笠井さんが、ぼくのひとつ歳上で、とても元気なんですよ。
 当人が元気なうちに語ってる「老いと死」というのは、
 あんがいあんまり聞いたことが少ないんですよね。
 それが、「ほぼ日」でできて、ほんとによかったです。
 取材している永田さんの年齢は、
 笠井さんやぼくよりは、ずいぶん下ですが、
 人生に折り返し地点があるならば、復路にいるでしょう。
 でも、実際に復路にいる人たちは知っているのです。
 「ありゃま、復路のほうが長いし、ある意味おもしろいぞ」
 というようなことをね。
 沈む夕陽に向かって歩いているわけではなく、
 夕陽を背にして後ろ向きに歩いているような
 (オーケストラの指揮者のような向きですぞ)、
 そういう感じでもいけるんですよね。
 ここらへんのことは、共感できる人と、
 そうでない人がいるんだろうと思いますが。
 当人が「老いと死」を考えたり書き留めていくことは、
 けっこう新鮮でおもしろいんです。
 笠井さんの話しぶりも、おもしろそうだったでしょう?

 前にもちょっと書いたかもしれないですが、
 「老いたものは、希望を歌うのが義務でしょう」
 と、ぼくは思うのです。
 去年に「老いと死」をやろうと言って、
 今年は「雑草」とつきあいをはじめて、
 そこらへんから「希望」という鍵を集めだしています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」が小さいなりにできることは、かなり多いですね。


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