2023-11-04(Sat)
土曜日のバタバタと、考えたこと
11月28日(土)11時40分から愛犬撮影会でした。
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道が混むと間に合わなくなると思って、
早めに出たら、拝島橋も左入のところもスムーズで、
なんと11時15分には着いてしまいました。
前の方の撮影はかなりスムーズだったのか、
25分に「どうぞ」と呼ばれました。
最初に打ち合わせをしました。
「10枚は欲しい」と私が欲しい写真のアイデアを伝えました。
こんな人も珍しいでしょうね💦
あんは大丈夫と思ったのに、
「怖がり」ということをすっかり忘れていました。
カメラマンさんがカメラに視線を向けたいと思って、
鳴らす口の音(赤ちゃんをあやすような)が怖くて、
セットから飛び出してきてしまう・・・
毎回違う置き方で、あんをセットに戻したせいか、
あんの出来上がり写真はとても変化に富んだものになりました。
心配だったくるみは、しっかり待てて・・・。
でも、初めてのカメラマンさんに、怒り顔💦
最初のお誕生日写真は、9割がた怒った顔でした
はっきり言って、小型犬の方が小物もたくさん使えるので、
かわいい写真が撮れる気がしましたよ!
終了して、さて帰ろうと思ったら、
バックしすぎて、後ろのドアが開ききらない。
お店の方を呼んで、くるみを持ってもらって、
車を少し前に出して、くるみを乗せて、
ほっとした瞬間・・・。
急に右胸が痛く、呼吸が苦しくなって、
普通に息ができなくなってしまい、倒れそうになりました。
救急車???
初めて命の危険を感じました。
それでも、しばらくしたら、落ち着いたので、
とにかく家に帰って、
くるみたちをハウスさせようと思ってしまいました。
道もすいていたし、呼吸もできたので、
ここから先は必死に安全運転。
あんとくるみをハウスさせて、荷物を車から降ろしたら・・・
起きていられなくて、少し横になったものの、
横になれば余計胸が苦しくなり・・・。
普通の呼吸ができなくて、
自分では救急車を呼ばなくてはと思うものの、
まだ歩けるから、救急車は早い??という自分もいて、
#7119に連絡しました。
話の内容から、自分で病院を探すようにと、
電話を教えてもらいました。
話すのも大変な人に非情だ!と思いました。
「もしも今よりひどくなるようでしたら救急車を呼んでください。」
とも言われましたが、
まずは病院を探そうと思いました。
教わった病院案内所の通話は平日のみで、
土曜日はやっていないとアナウンスで切れ、
教わった病院はどこも専門医がいないと、断られました。
ちょうど救急救命の看護師をしている友達からLINEが来たので、
状況を伝えたら、「早く診察を受けた方がよい」と返事。
そして、救急を受け付けてくれる病院を2軒教えてくれて、
その1軒目で、受け入れてくれるというので、
タクシーを呼んでいきました。
問診、検査から、心臓ではない。
すぐに血液検査。
血液検査の結果から膠原病でもない・・・
血液検査の結果から膠原病でもない・・・
白血球の値が高く、どこかで炎症が起こっている。
自宅では熱もなかったのに、
診察中にどんどん温かくなって、37.3度まで上がって来たので、
レントゲンを撮りました。
どの段階か忘れたけれども、
どの段階か忘れたけれども、
点滴を1つしました。
レントゲンに影が映ったので、外科医を呼び、
CT撮影。
造影剤に吐き気・・・我慢するのが大変。
造影剤に吐き気・・・我慢するのが大変。
もしかすると、救急な外科的な病気かと、
触診とこのCT画像から外科的なものではないと診断。
こんなに急変することはない、
今までに何か前兆があったはず…と言われたものの、
その時は思い当たることはなく・・・。
肺であることが診断され、影があり、肺炎を起こしていて、
肺に水が溜まっていることとから
胸膜炎であると診断されました。
まずは抗生物質でウィルスや細菌を殺すとのこと。
一番は点滴なので、痛みもひどいので、入院を勧められました。
でも、家族と連絡が取れず、
こういう日は都内のホテルに泊まってきてしまうので、
あんとくるみが心配で、
自宅で療養はできないか話しました。
入院中にしたい点滴をしてから帰宅すること、
先生の次の診療の時間に来ること、
もし悪化した時は、病院にすぐ連絡をして診察を受けること、
いくつか約束をして、入院中に飲ませたいという薬をもらって帰宅しました。
副作用がびっしり書かれた用紙・・・。
注意をたくさんされたけれども、
あまりの痛みに覚えきれなくて💦
抗生物質の点滴をしながらだったか、
4枚の書類を記入しました。
その中に「がんの告知は誰にするか」というものがあり、
はっきり言って生きた心地がしなかったです。
帰宅しても何もできず・・・。
あんなに心配なあんやくるみのこともできず・・・。
ようやく夜7時前に家族と連絡が取れて、
今から帰宅するとのこと。
2時間はかかる場所にいたので、
あんとくるみには謝るしかなくて・・・。
横になることができなくて、座っているのが一番楽。
でも、動けないし、息も普通には吸えない・・・。
それでも、点滴の効果なのか、痛み止めの効果なのか
少し楽になって、トイレに行け、
お腹空いたと思えました💦
治療してもらう前の苦しさは、
今まで生きてきた中で一番の苦しさと痛さで、
初めて死を意識しました。
それと同時にここで、このまま死んでしまったら、
全然片付けできていない・・・と。
そればかりが心に残りました。
死を前にしたら、残しておきたいものって、なんだろう。
朦朧としながら、考えたら、
大好きな急須も、
大好きだったミュージカルや歌舞伎の舞台のパンフレットも、
薄ボケたものになりました。
薄ボケたものになりました。
そして、あんとくるみのことと家族のことだけでした。
迷惑が掛からないように、保険やお金のことを
話せる状態になったので、家族に伝えました。
(これ、脳腫瘍が見つかった時に何度も話したのだけれど、
全く聞いていないから・・・)
非常持ち出し袋的なリュックを作ってあるので、
入院時はそれを持っていくことを伝えました。
それにしても、万が一の時、あんとくるみは、
家族に引き継げるのか・・・
真剣に考えてしまいました。
あんはまだしも、くるみは大丈夫か・・・。
もし誰かにお願いするとしたら、誰にする???
真剣に考えてしまいました。
かわいい、かわいいだけではなく、
パートナーとして、しっかりしつけられる人にお願いしたい。
ゴールデンは警察犬犬種だもの、
その知恵を生かしてあげたい。
しっかりしつけ(訓練)してあげてほしい。
水遊びが大好きだから、遊んでくれる人がいいな・・・。
そんな私の思いを理解できる人っているかな・・・。
パッと思い浮かんだ方がいたけれど、
あんとくるみ2頭をお願いはできない・・・
バカみたいにずっとずっと頭の中でぐるぐる考えていました。
なんとしてもあんとくるみよりも元気に長生きできるように
頑張って治療しなければと思ったのでした。
土曜日はそんなこんなで、人生の終わりのような気持ちで、
すごくつらかったです。
結局すぐに職場で連絡できる方に連絡して、
来週水曜日までの3日間は休むことを伝えました。
薬が効いてきたのか、微熱はあるものの、
横になれるようになりました。
そして、水曜日。
朝1番に病院に行き、尿検査、血液検査、レントゲンを受けました。
尿検査は、尿の中に排出された菌が混ざることがあるそう。
陰性でした。
血液検査は、炎症が起きている証拠としての白血球数が落ち着いてきたこと。
血液検査は、炎症が起きている証拠としての白血球数が落ち着いてきたこと。
ただ、副作用として起こる、肝臓に関わる数値が上がってきたので、
もう痛み止めは使いたくないようなお話でした。
レントゲンは、影があったのが少しはっきりしてきて、
それもよい方に向かっていることが分かりました。
がんでなかった~~
すごくすごくほっとしました。
水もどこかに消えたのか???
痛み止めが切れると痛いので、
かなりショックでしたが、
どうしても痛みが続くようならば、
入院して点滴か、入院できないなら点滴に通ってほしいとのこと。
その言葉に安心して、
咳が出てきたことを伝えたが、肺炎の治る過程では、出るそうで、
でも、今咳止めが薬局で品切れしていて
たぶん処方箋に記入しても出せないので、
書けないと言われました。
薬は軽いものになり、もう1週間飲んで、
肺と肝臓の様子を見るために、
また血液検査とレントゲン検査をするとのこと。
いろんな話を伺って、処方箋を持って病院近くの薬局に行き、
歩くと胸が苦しくなるけれども、駅まで歩き、
電車とバスで帰宅しました。
がんでなくてよかった、
よくなってきていてよかった、
そんな気持ちで浮かれていたけれど、
帰宅したら、熱が上がっていて、
こんな移動だけで疲れてしまうことにびっくりして、
木曜日も仕事を休みました。
11月3日文化の日は、最近の恒例で、
八ヶ岳に紅葉を見に行く予定でした。
行ってみたいレストランの予約もして、
買い物もして、パン屋さんにも寄って・・・
たくさん楽しいことを考えていました。
翌日の4日、5日は、訓練競技大会。
4日はオビディエンスとプロの作業の見学をするのが楽しみでした。
そして、5日はずっとあんと練習をしていた
服従訓練試験を受ける予定でした。
行けるかな・・・と思ったけれども、
これ以上職場に迷惑はかけられないから、
無理だな・・・。
会場が近くなので、試験だけ受けて帰ってきたいな。
まだ未練がましく思っているけれど、
1週間も練習していないで、
あの怖がりあんが10種目をそつなくこなすなんて、想像つかず・・・。
春までお預けになります。
動けるようになったら、
やっぱり真剣に片づけをしようと思いました。
取っておきたい本などまだ本棚に1竿あるけれど、
私がいなくなったらゴミだものね。
これ、畑服にしようととっておいた服も、
枚数を絞って、処分。
1軍だけの服に厳選しなくては・・・。
なかなか断捨離できない私のアクセサリーや、
母の服や小物やアクセサリーも、
少しずつ処分しなくちゃ。
(アクセサリーは親戚の方に引き継ぎましょ)
今まであまり「死」に向き合うことがなかったけれど、
今年は、母の亡くなった歳と同じということを
肝に銘じて生活していかなくてはいけない。
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