2016-06-21 Tue
Moi!引き続き真っ青な空が広がるいいお天気が続いています。先週は豪雨だったので台風一過のお天気にも似ています。
さて、この前の週末にはセイナヨキのサッカー場のオープニングゲームが開催されたのですが、それとは別に多くの人が集っていました。それはKarjalaisten kesäjuhlatといって直訳すると”カレリア人のサマーパーティー”といったところでしょうか。
フィンランドの東部にカレリア地方があるのですが、ロシアとの冬戦争および継続戦争の後に一部がロシアの領土となりました。詳細はこちらのWikipediaからどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A2
そしてロシア領となったカレリア地方に住んでいた約40万人!の人達は戦争難民としてフィンランドの各地に散らばったのです。義母もその一人。そしてエテラポフヤンマーにも多くの戦争難民が逃れてきたとのことです。例えばセイナヨキにはJaakkimaの住民が、アラヤルヴィにはUukuniemiの住民が、アラヴスにはLumivaaraの住民がといったふうに。
ある日国が戦争に負けてこの土地は相手国のものになったから新しいところに移住しなさい、と勧告を受けたとしたら。今まで住み慣れた土地を捨てて、見ず知らずの土地に移住しなければならなかった40万人の人達の気持ちを想像するだけで胸が痛くなります。
実はテウヴァのトーヴェ・ヤンソンの描いた祭壇画のあるテウヴァ教会。そこにシャンデリアがあるのですが、そのシャンデリアはLumivaaraの教会で発注したものだったのですが、発注後に戦争が勃発したため、恐らく当時の発注者が移住した先のテウヴァに送られ、そのまま使われているとのことでした。
少し写真が歪み、その上見づらいのですがそれがこのシャンデリアです。
話は元に戻し、セイナヨキで週末に行われたKarjalaisten kesäjuhlatにはフィンランド各地からカレリアにルーツを持つ人が集まり、マラソンがあったり、ダンスがあったり、セミナーがあったり、↓のように雨の中500mに渡って民族衣装を着て行進などもしたのだそうです。
戦争もずいぶん昔のことになり、強制移住を体験した人達も高齢化し、少しずつ人々の記憶からこの悲しい出来事は薄れつつあるのかもしれませんが、このように民族衣装を大切に保管し是非子孫にも受け継いでいってほしいと思ったのでした。
ということで皆さま、よい一日をお過ごしください。
なんだかしんみりしてしまいましたが、
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