2021-03-30 Tue
Moi!今朝は久々に雨が降りました。冬の間雪ばかりだったので傘を使う必要がなかったので本当に久しぶり。そして溶けかけの雪がさらにまただいぶん溶けました。ちなみに庭は20cmほどあった雪が10cmぐらいになったでしょうか。木の周りは地面が見えていますがまだ雪景色です。最高気温は6度でした。
さて、最近立て続けに”oma rauha”という言葉を見かけたり聞いたりしたのでそれについてちょっと思ったことを綴ろうと思います。もともとのTwitterのつぶやきは鍵アカウントの方だったので残念ながら共有できないのですが。
”Oma rauha”は直訳すると”自身の平和”となりますが、この”rauha”という言葉は”平和”だけでなく”平静”とか”安心”とか”安らぎ”とか素敵な言葉が並んでいます。私の中では名詞よりも副詞としての”rauhallisesti”を使うことが多いです。意味は”ゆっくりと”とか”穏やかに”。
Twitterのつぶやきでは保育園で”これをやってはダメ”とかと言うのでなく”他の人にrauhaを与えてあげて”という言い方をすることもあるのだと。意訳をすれば”その子をゆっくりさせてあげてね”といったところでしょうか。もちろんそれですべて子どもが言うことを聞いてくれる訳ではないでしょうが、”oma rauha”の意味がわかっているし、また言われることによって意識として根付いていくのでしょうね。
また別のメディアで日本在住のフィンランド人が"oma rauha"を大切にしているとも言っていました。”oma rauha"という観点からすると日本のマスコミは”oma rauha"に踏み込み過ぎていると。確かにこちらでセンセーショナルなニュースがあったとしても、マスコミが押し寄せることもないし、被害者、加害者の詳細も伝えないし、ましてやその家族がどうだとか報道されることも殆どない印象。あったとしたらゴシップ誌でしょうが、あまり読んだことがないので何とも言えません。少なくとも日本の新聞で見かける毒々しい週刊誌の広告のようなものは見たことがありません。(スーパーではちょっと毒々しいゴシップ新聞を見かけることはありますが。)
また”oma rauha"で思い浮かぶのはこの画像。
「新しいソーシャルディスタンスのルールはひどい!2m離れないといけないなんて!」
「わかるよ!なんでいつもより距離を縮めて立たないといけないんだ?」
出典:Very Finnish Problems
そう、心だけではなく物理的にも”oma rauha"を保つには2mじゃ足りないフィンランド人。
もちろん人や状況によって違うでしょうが、義両親もスープの冷めない距離に住んでいますがお互いに"oma rauha"を尊重している、いやどちらかというと義両親が尊重してくれている気がします。遠いアジアの国からフィンランド語も話せない日本人の私がやって来て。困った時は快く助けてくれ、言葉がきちんと話せなくても、車を買ったものの慣れなくて乗りこなせない時も、”少しずつ慣れていけばいいから。”と温かく見守ってくれました。
もちろん”oma rauha"を尊重され過ぎると物足りなく感じる時もあるでしょうし、冷たく感じられることもあるかもしれませんが、マイペースでいいというのは私の気質に合っている気がします。
ということで皆様、よい一日をお過ごし/お迎えください。
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