幸せを求めることって…
昔外国でコカインが合法的に販売され高揚感・多幸感をうりに喧伝されていたが、その後有害なのがわかってきたように、今の抗うつ薬も同様な弊害がわかってくるのかもしれない。薬物によって無理やり増やされたセロトニンが人生の質を高めるのか、日々の健全な暮らしの中で自然にセロトニンが増えて幸せになるのか、どっちでも同じなのだが、人間は神経伝達物質に左右された存在なのかもしれない。まるで電気刺激されたマウスのように、自分の意志で幸せを目指しているようで、実際には神経生理学的化学的な反応に従って行動しているだけかもしれない。宗教で癒された感じになるのも、仕事でやりがいを感じるのも、人生で生きがいを抱くのも、高尚なことでも何でもなく、ただ社会的動物である人間が進化獲得してきた脳の働きの結果に過ぎず、倫理も理性も神も全て幻想に過ぎないのかもしれない・・・
いったい、何を目指せばいいのだろう・・・
子どもをもち、家庭を築き、平凡でも幸せな生活を送ることすら、結局、神経伝達物質に操られての行動に過ぎないのかもしれない…
コカイン:南米、インカ帝国時代、神聖なものとして王族、聖職者がコカの葉を使用。インディオたちはこれを噛みながら、疲労や衰弱を癒し金を発掘した、みじめさや不幸を忘れさせてくれた。1850年ごろイタリアの医師がコカをヨーロッパに紹介し、ウイーンの生化学者がコカインの合成に成功。ヨーロッパではワインにコカインを混ぜ、精力をまし心地よい陶酔をもたらすとして広く一般大衆に飲用された。コカコーラも当初、このコカインを含んだ炭酸飲料だった。精神分析で有名なフロイトもコカインを常用していたことを示す内容の書簡がある。当初フロイトはコカインを治療に使えると思っていたようである…
いったい、何を目指せばいいのだろう・・・
子どもをもち、家庭を築き、平凡でも幸せな生活を送ることすら、結局、神経伝達物質に操られての行動に過ぎないのかもしれない…
コカイン:南米、インカ帝国時代、神聖なものとして王族、聖職者がコカの葉を使用。インディオたちはこれを噛みながら、疲労や衰弱を癒し金を発掘した、みじめさや不幸を忘れさせてくれた。1850年ごろイタリアの医師がコカをヨーロッパに紹介し、ウイーンの生化学者がコカインの合成に成功。ヨーロッパではワインにコカインを混ぜ、精力をまし心地よい陶酔をもたらすとして広く一般大衆に飲用された。コカコーラも当初、このコカインを含んだ炭酸飲料だった。精神分析で有名なフロイトもコカインを常用していたことを示す内容の書簡がある。当初フロイトはコカインを治療に使えると思っていたようである…