大森荘蔵の「時間と存在」を読んだ。
中でも色即是空の実在論に期待したのだが・・・
まったく期待外れだった。
(まず、大森荘蔵の本は冗長かつ上辺だけな気がする。欧米の作家と同様いろんな言葉を駆使し自分の知っている知識を大量に散りばめれば他人からの評価が高まると思っているのであろう。Amazonのレビューで「わかりやすかった」と短いコメントを残しているけれど、そんなことはない。きっと桜であろう。桜でなくても何かレビューのコメントを残したいだけの野次馬だろう。と愚痴ばかり言ってしまったが、、、本題に移ろう)
大森や仏教系の日本の哲学者は、自分なんて存在しないと主張することで欧米に対抗しようとしている。
自分なんて単なる思い込み、ただの「エゴ」「我」に過ぎない、と主張したいんだろう。
コギトエルゴスムを知っている欧米哲学者は自分なんて存在しないという主張に半信半疑で興味を持つ。
仏教の「空」という概念に興味を持つ。「空」は「無」でもなくもちろん「有」でもない。こんな変な概念を悟ることが仏教の教えなのであろうが、もちろん、賢明な人はそんな詐欺にひっかかる必要はない。まるでねずみ講のように理論的にも現実的にもあり得ないのだから。
でも、、、もしかしたら、「空」というものがあり得るのかもしれないという夢はいつも心の片隅に置いておきたい。。。
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