06/30/2012 猫と人生。
どーもどもこんにちは、小さい人間です。
猫が野垂れ死ぬ季節になってきましたが、今年は雨も少ないし割と湿度が低いなぁ。
なんとか「水漏れ修繕工事で居候」は避けられそうな予感がします。予感だけですので当てには出来ませんが。多分半日掛けて台所の流し引っぺがして終わる…筈…(´・ω・`)
引っぺがすとなるとショボDIYで作った棚とか一旦解体しないといけなかったりして七面倒な話です。
まぁ「なんちゃって施工」だからすぐ元に戻るけどネ!(自慢すべきポイントではない件)
そんな中、まぁマターリとブログ更新。本にマターリ。
話題はモップ(仮)の件です。
ちょっと前にモップファンレターを頂き、モップの写真をどんどんうpしたいなぁ、なんて思っていた矢先、事件が起きました。
否、事件というほどではないし、まぁ解り切ってた事なんですけどね、モップが発作を起こしました。
そう、以前書いたか失念したけど彼は持病持ちだ。「持病」っても具体的には何か分からない、ただ偶~に痙攣発作を起こすのだ。
一応病院で相談もしたものの、「発作が起きてるときでないと正直分からない」と言われまして。まぁ、そーだわな。
ただ症状を聞く限り、恐らく神経障害、脳の障害か何かだと思われるとの事だった。
我が家に来たときは3ヶ月に2度ほど連日で起きていたのだが、最近パッタリと影を潜めていたので油断してたらコレだ。
油断してようがしてまいが発作が起きていると小生に出来ることなど何もなく、ただ見守り、粗相を始末し、収まった後茫然自失となりフラフラ~と彷徨う彼を猫男(仮)と猫女(仮)の攻撃(障害物を避けれなくなっているのでタックルしまっくて殴られる)から守り、毎回必ず取る行動である「ご飯一気食い」に備え餌を足してやるのみなのだ。
毎度毎度本当に心臓に悪い。
何故か毎回深夜に発生するので、コチラもアタフタと冷静さに欠けている。
多分、これからもこれは続く。発作自体が直接彼を死に至らしめる事はないであろうが、発作の原因となっているものが彼の寿命を縮めるかもしれない。
それはそれで、やはりアレな感じである。
彼を引き取ってから、割と早い段階で発作が起きたときは、何が何だか分からず焦って保護主様に電話をした。
彼女は小生に謝り「良ければその猫は返して貰って他の猫にしますか」と言ってくださった。
「猫の譲渡」という行為の中で、そういう流れはもしかすると自然なのかもしれない。
然しながら小生の中ではなんだかそういうのはよく分からない。
例えば電化製品なら、正常通りに動作しないもの、難があるものは返品交換すればいいだろう。
でも、彼らは「生きている」し、小生はモップ(仮)に出会ってしまった。
生きているモノと共に人生を歩む限り、これから先も「予期せぬ事態」は起こりうるし、「ちょっとアレだわ」的なことも多いだろう。
猫男(仮)が意図的且つ的確に就寝中の人間のみぞおちを踏みつける癖があったり、猫女(仮)の頭突きが異常なまでに強力で最早ハリケーン・ミキサーだったり、、豆(仮)の音量調整の壊れっぷりが完全に嫌がらせだったり、バッファローのハイトーンボーカルがRob HalfordのPainkillerのシャウトより強烈だったりする(例えが分かりにくすぎる)。
でも、駅前でポリバケツに入ってた猫男(仮)をバケツごと拾ってきたときから、「1歳未満のハツラツとしたオスの猫が欲しい」と連絡した猫ボランティアさんから、「いい子がいます」と猫女(仮)を紹介され、「オレの希望1個もカブってねぇ!!」と驚愕しつつも「ハイ」と言ってしまったときから、またまた同じ猫ボランティアさんから、「カワイイ長毛の子がいるんです!是非写真見て!写真の毛は短いですけど!」と言われて送られてきた写真を見て「コレ猫じゃねぇぇぇぇぇブッサァァァッァ」と爆笑したときから、集会所の脇で1匹取り残され、ボロ雑巾みたいになっていた豆(仮)を雑巾に包んで「どっちが雑巾かわかんねぇ」などと不謹慎極まりないことを考えながら病院に持っていたときから、早朝、甲高い声子猫の鳴き声で目覚め、腹を立てながら階段を降りたときから、彼らが「どんな猫」であろうと、人生を共にすることは決定していた。
そんな訳である。そんな訳なのだ。
運命、などというと何故だか浮ついた感じに聞こえてしょうがないのだが。
病気の猫を飼うのはツラい。最初からそうと分かっていれば尚更ツラい。それは実体験上痛感している。
でももう会っちゃったんですわ。
1日とか2日とか、3ヶ月とか1年とか長さは関係なく、もう「出会ってしまった」「手を差し伸べてしまった」そのときから、「受け入れて対処していく」以外に選択肢などない、と思うのだ。
勿論小生の意見だから違うと思う人も多くいらっしゃると思うが。
因みにモップ(仮)はとても元気です。元気すぎてブレた写真しか撮れません。ゴメンナサイ。
もっと精進してモップ(仮)をキャワワに撮れるようにします。
生きとし生けるもの、自然の摂理に抗ってもいいことなどない、だから現状を甘んじて受け入れその枠の中で幸福を見つけ出す、ってのが結構乙な感じではないかな、と思った今日この頃。
例えモップ(仮)に障害があろうとも、先が短くとも、いいのであるよ。
眠い日は、お昼寝すればいいのであるよ。(それは違う)
本当にどうでもいい事を徒然なるままに書きなぐったブログとなってしまった。
オチもマトモに付けられないまま終えた事を遺憾に思う。
次回からは、毎度おなじみのグッタリ系に戻ります。
なんだかセンチになった小さい人間に励ましのポチー
↓ ↓ ↓ ↓
猫が野垂れ死ぬ季節になってきましたが、今年は雨も少ないし割と湿度が低いなぁ。
なんとか「水漏れ修繕工事で居候」は避けられそうな予感がします。予感だけですので当てには出来ませんが。多分半日掛けて台所の流し引っぺがして終わる…筈…(´・ω・`)
引っぺがすとなるとショボDIYで作った棚とか一旦解体しないといけなかったりして七面倒な話です。
まぁ「なんちゃって施工」だからすぐ元に戻るけどネ!(自慢すべきポイントではない件)
そんな中、まぁマターリとブログ更新。本にマターリ。
話題はモップ(仮)の件です。
ちょっと前にモップファンレターを頂き、モップの写真をどんどんうpしたいなぁ、なんて思っていた矢先、事件が起きました。
否、事件というほどではないし、まぁ解り切ってた事なんですけどね、モップが発作を起こしました。
そう、以前書いたか失念したけど彼は持病持ちだ。「持病」っても具体的には何か分からない、ただ偶~に痙攣発作を起こすのだ。
一応病院で相談もしたものの、「発作が起きてるときでないと正直分からない」と言われまして。まぁ、そーだわな。
ただ症状を聞く限り、恐らく神経障害、脳の障害か何かだと思われるとの事だった。
我が家に来たときは3ヶ月に2度ほど連日で起きていたのだが、最近パッタリと影を潜めていたので油断してたらコレだ。
油断してようがしてまいが発作が起きていると小生に出来ることなど何もなく、ただ見守り、粗相を始末し、収まった後茫然自失となりフラフラ~と彷徨う彼を猫男(仮)と猫女(仮)の攻撃(障害物を避けれなくなっているのでタックルしまっくて殴られる)から守り、毎回必ず取る行動である「ご飯一気食い」に備え餌を足してやるのみなのだ。
毎度毎度本当に心臓に悪い。
何故か毎回深夜に発生するので、コチラもアタフタと冷静さに欠けている。
多分、これからもこれは続く。発作自体が直接彼を死に至らしめる事はないであろうが、発作の原因となっているものが彼の寿命を縮めるかもしれない。
それはそれで、やはりアレな感じである。
彼を引き取ってから、割と早い段階で発作が起きたときは、何が何だか分からず焦って保護主様に電話をした。
彼女は小生に謝り「良ければその猫は返して貰って他の猫にしますか」と言ってくださった。
「猫の譲渡」という行為の中で、そういう流れはもしかすると自然なのかもしれない。
然しながら小生の中ではなんだかそういうのはよく分からない。
例えば電化製品なら、正常通りに動作しないもの、難があるものは返品交換すればいいだろう。
でも、彼らは「生きている」し、小生はモップ(仮)に出会ってしまった。
生きているモノと共に人生を歩む限り、これから先も「予期せぬ事態」は起こりうるし、「ちょっとアレだわ」的なことも多いだろう。
猫男(仮)が意図的且つ的確に就寝中の人間のみぞおちを踏みつける癖があったり、猫女(仮)の頭突きが異常なまでに強力で最早ハリケーン・ミキサーだったり、、豆(仮)の音量調整の壊れっぷりが完全に嫌がらせだったり、バッファローのハイトーンボーカルがRob HalfordのPainkillerのシャウトより強烈だったりする(例えが分かりにくすぎる)。
でも、駅前でポリバケツに入ってた猫男(仮)をバケツごと拾ってきたときから、「1歳未満のハツラツとしたオスの猫が欲しい」と連絡した猫ボランティアさんから、「いい子がいます」と猫女(仮)を紹介され、「オレの希望1個もカブってねぇ!!」と驚愕しつつも「ハイ」と言ってしまったときから、またまた同じ猫ボランティアさんから、「カワイイ長毛の子がいるんです!是非写真見て!写真の毛は短いですけど!」と言われて送られてきた写真を見て「コレ猫じゃねぇぇぇぇぇブッサァァァッァ」と爆笑したときから、集会所の脇で1匹取り残され、ボロ雑巾みたいになっていた豆(仮)を雑巾に包んで「どっちが雑巾かわかんねぇ」などと不謹慎極まりないことを考えながら病院に持っていたときから、早朝、甲高い声子猫の鳴き声で目覚め、腹を立てながら階段を降りたときから、彼らが「どんな猫」であろうと、人生を共にすることは決定していた。
そんな訳である。そんな訳なのだ。
運命、などというと何故だか浮ついた感じに聞こえてしょうがないのだが。
病気の猫を飼うのはツラい。最初からそうと分かっていれば尚更ツラい。それは実体験上痛感している。
でももう会っちゃったんですわ。
1日とか2日とか、3ヶ月とか1年とか長さは関係なく、もう「出会ってしまった」「手を差し伸べてしまった」そのときから、「受け入れて対処していく」以外に選択肢などない、と思うのだ。
勿論小生の意見だから違うと思う人も多くいらっしゃると思うが。
因みにモップ(仮)はとても元気です。元気すぎてブレた写真しか撮れません。ゴメンナサイ。
もっと精進してモップ(仮)をキャワワに撮れるようにします。
生きとし生けるもの、自然の摂理に抗ってもいいことなどない、だから現状を甘んじて受け入れその枠の中で幸福を見つけ出す、ってのが結構乙な感じではないかな、と思った今日この頃。
例えモップ(仮)に障害があろうとも、先が短くとも、いいのであるよ。
眠い日は、お昼寝すればいいのであるよ。(それは違う)
本当にどうでもいい事を徒然なるままに書きなぐったブログとなってしまった。
オチもマトモに付けられないまま終えた事を遺憾に思う。
次回からは、毎度おなじみのグッタリ系に戻ります。
なんだかセンチになった小さい人間に励ましのポチー
↓ ↓ ↓ ↓