何日かで1知識 「国家のエゴ」②
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「国家のエゴ」②



「国家のエゴ」(佐藤優著、朝日新聞出版)より


  国家と社会

 イギリスの社会人類学者、アーネスト・ゲルナーの主著に『民族とナショナリズム』(訳書は岩波書店、2000年)があります。

 この本のなかで、ゲルナーは人間と社会の関係についてわかりやすい説明を行っています。人間の社会は三段階に分かれて発展していると意味ます。
 まず、狩猟採集社会がありました。人間は群れを作って生きる動物です。その意味でアリやハチと同じです。アリやハチの世界にも「社会」があることは想像できるように思います。ところがそれは「国家」ではありませんね。それと同じで、人間の狩猟採集社会には国家はありませんでした。それでも集団が円滑に生きていくための決まりはありました。それが社会です。
 次の段階が農耕社会です。農耕社会は国家がある場合もありました。これを単純に図式化すると、外敵から農耕民を守る代わりに年貢や税を徴収し、その収入で生きていく階層がいる。そうしたシステムが国家です。逆に、自給自足の自律的な農村共同体が成立していて、国家がない場合もありました。
 第三段階が産業社会です。これが、私たちがいま生きている世界です。国家がありますね。産業を興し、維持・発展させてゆくには、たとえば、生産設備を使いこなせるだけの基礎教育を受けた人間の継続的な育成が必要です。国家による義務教育が徹底されれば効率よく労働者を育成できます。国家にとっては巨大な税収が得られるというメリットがあります。国家と社会が不可分に見えるのはお互いの依存度が非常に高くなっているからです。
 ただ、私は国家が機能しなくても人間社会は存続できることが皮膚感覚でわかります。外交官時代の1991年8月19日、ソ連共産党守旧派のクーデター未遂事件から、同年末にかけてソ連が崩壊していくプロセス、そして新しいロシアの誕生、その一部始終を私は現地で目の当たりにしました。この間、国家は機能していませんでいしたが、人々はそれぞれの秩序感覚にしたがって暮らしていました。国家と社会が別のものであることを、身をもって知ったのです。
 
 普段は、個人、家族、社会、国家が同心円を描いていて、国家なくして社会はない、というような意識を持ちやすくなりますが、それが虚偽意識だということに気づかせてくれることでしょう。


  国家と賢く付き合う知恵

 冒頭に立てた問いの答えを求め、ここまでいろいろな視点から戦争を考えてきました。

①日本で戦争をすることを決めるのは誰なのか
②国民を兵士として、あるいは戦争支持者として動員するには、人間の精神にどのような働きかけを行うのか

 答えを再確認します。

①いまの日本には、すでに戦争をするかしないかを決める国家安全保障会議が存在する
②国家や歴史、救済といった“大いなるもの”と死者とを結びつける方向で「死者との連帯」を行うと、人を殺すことに抵抗を覚えなくなるような思想を産む出す場合がある

 これらの答えが得られたからといって、終わりではありません。問いの答えを求めて設定したいろいろな視点の中にも、答えの中にも、たびたび登場する要素があります。それは「国家」です。
 私は本書において、普通の生活者として、戦争を正面から考えようとしてきました。
 戦争で人を殺したり殺されたりするような目には遭いたくない。自分は直接かかわらなかったとしても自分の国が戦争をするようなことはしてほしくない。これらは思想的な深みはないかもしれませんが、素朴で強い願いです。
 その願いをかなえるためには、国家と賢く付き合う知恵をもつことが必要になってくるのではないかと思います。

 大切になってくるのが、国家との距離のとり方です。一人ひとりがバラバラだと、国家が何かを迫ってきたときに、距離を置けるだけの強さを持てません。
 
 国家をいったんカッコに入れることで、心理的にも距離をつくれます。国家の意思を代弁するかのような有識者やマスメディア、ネットメディアのさまざまな勇ましい声が小さく聞こえることでしょう。 
 そうしておいて、自分の愛する人、親しい人――それは亡くなった人も含めて――を起点に、人間関係をつなげ、強固にする、そうした姿勢で向き合ってみてはいかがでしょうか。


>>一人ひとりがバラバラになることなく、国家と賢く付き合う知恵をもつことが大切なのは間違いない

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