「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」③
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第2章 まず民族と宗教を勉強しよう
■毛沢東の予言
佐藤 毛沢東に「十大関係について」という講和(1956年4月25日、中国共産党中央政治局拡大会議)があります。
その「十の重要な関係」の一つは「民族の関係」だとして、次のように述べています。
「わが国の少数民族は人数が少なく、占めている地域が広い。人口についていえば、漢族は94%を占め、圧倒的に優勢である。もし漢族の人たちが大漢民族主義をふりかざし、少数民族を差別するならば、それはきわめてよくないことである。では、土地はどちらのほうが広いか。土地は少数民族のほうが広く、50ないし60%を占めている。中国は土地が広大で物産が豊富、そして人口が多い、というが、実際には『人口が多い』のは漢族、『土地が広大で、物産が豊富』なのは少数民族であって、すくなくとも地下資源については、少数民族のほうが『物産豊富』だろう」
あの毛沢東も、民族問題については非常にバランスのよい見方をしていたのです。
今、中国で起きているのは、大きく見れば、産業化、近代化です。しかし近代化は、ネーション・ステート(国民国家)なしに可能なのかどうか。つまり、中国の場合、漢族ではなく「中華民族」という新たな民族意識を形成し、国民国家をつくることが近代化に不可欠なのか。それとも、ネーション・ステートの形成を経ずに、今の共産党政府に従い、後は自分たちの父系親族である宗教のセーフティー・ネットワークさえあれば、近代化は可能なのか。いわば中国は、プレモダンの国が、近代的な民族形成を迂回してポストモダンに辿り着けるのか、という巨大な実験をやっていると思うのです。
■ダライ・ラマと五回会った
佐藤 チベットに関しては、モンゴルという補助線が重要だと思います。
戦前の中華民国の時代に、ソ連と中華民国とイギリスの間で不思議な現象が起きました。まず、ソ連が外モンゴルを独立させるのをイギリスは事実上認めた。一方、ソ連はチベットの独立を事実上認めた。互いに緩衝国家として認めたわけですが、モンゴル問題とチベット問題は連動しているのです。さらにモンゴルとチベットの宗教は、同じチベット仏教ですからつながりが非常に深い。
その後、中国の人民解放軍がチベットのラサに入る際、これを正当化する論理のひとつは、奴隷制度からの解放でした。それまでチベットに奴隷制があったのは間違いのない事実です。これによって、チベットにおける中国の正当性は、実は比較的保たれているのです。
ダライ・ラマは、西側で評判がよいのですが、彼自身が西側の民主的な世界観の人なのかというと、果たしてどうか。中国への対抗という政治的な思惑から評価が高まっている側面がかなりあるように思うのです。そこにはインドの世界戦略も関わっています。日本では、中国に抵抗するダライ・ラマは、とくに保守派に評判がいいのですが。
■「宗教は毒だ」と毛沢東はダライ・ラマに囁いた
池上 1955年春、チベットへ帰る前日に毛沢東が自分の執務室に彼を呼び出します。
「最後に、ぐっと身体を近づけ、『あなたの態度はとてもいい。だが、宗教は毒だ。第一に、人口を減少させる。なぜなら僧侶と尼僧は独身でいなくてはならないし、第二に、宗教は物質的進歩を無視するからだ』といった。これを聞いて、わたしは激しい嵐のような感情が顔に出るのを感じ、突然非常なおそれを抱いた。『そうなのですか。あなたは結局ダルマ(法)の破壊者なのですね』わたしは心のなかで怒りをこめて呟いた」(『ダライ・ラマ自伝』山際素男訳、文春文庫、163頁)
そしてチベットに戻ってみると、自分の留守の間にチベット仏教がすっかり弾圧されていた。それで反発し、インドに亡命することになりました。
■中国政府 vs.ヴァチカン
佐藤 要するに、チベット仏教といっても、中国からすると二つあるわけです。中国に土着しているのがパンチェン・ラマのチベット仏教。それに対してダライ・ラマのは「外来のチベット仏教」。カトリックも、ヴァチカンのものは「外来のカトリック」。それに対して、天主教愛国会こそ「土着のカトリック」である、と。そして土着のものは認める。
これは中国側の論理で、宗教の論理とは噛み合いません。ですから、チベット仏教だけではなく、カトリックとも、プロテスタントとも折り合いがつけられない。宗教の感覚がわからないから、迷信だといって弾圧を加える。
太平天国の乱が結びついて統制不能になったように、中国で大乱が起きるときは必ず宗教と結びつく、共産党政権は宗教によって転覆させられる危険性があるのではないかという。歴史につながる恐怖をもっているような感じがします。
■クリスチャンだった金日成
佐藤 ソ連で、宗教弾圧を本格的に行ったのは、レーニンとフルシチョフです。それ以外の政権では、共産党と宗教はうまく折り合いをつけていた。すたーりんにしても神学校出身(中退)でしたから、中国とはまったく違います。
北朝鮮でも、金日成は非常に宗教的な感覚がいいでしょう。彼自身クリスチャンでしたから。
金日成は、キリスト教の思想と主体思想は基本的に同じものと思っている、ということまで言っています。
「全世界の人が平和でむつばじく暮らすことを願うキリスト教の精神と、人間の自主的な生き方を主張するわたしの思想とは、矛盾しないものとわたしは考えている」(『金日成回顧録――世紀とともに 1』82~83頁)
中国に入ると、禅でも、天台宗でも、インドの仏教とはまったく違うものになる。
池上 だから、インドから中国を経由して日本に来た仏教は、みんな不思議な仏教でしょう。
■フランスは完全世俗国家
佐藤 宗教との関係で、常に構造的な緊張をもっているのは、フランスです。イラクのような宗派間の対立を抱えているわけではありません。フランスは完全世俗国家で、政教分離を徹底させていく。この観点からすると、中国とフランスをアナロジーでとらえるのがいいのかもしれない。
池上 トルコも、アタテュルク(トルコ共和国初代大統領)が徹底的な政教分離をしました。それ以来、トルコでは、公の場で女性がスカーフをかぶってはいけない、という世俗国家を貫いてきました。ところが、今のエルドアン大統領は、イスラム的です。首相の頃から奥さんは、公の場にスカーフをかぶってくる。これが大問題になりました。そして「世俗国家の体制を守れ」と主張する若者たちが、2013年、イスタンブールで暴動を起こしたわけです。
エルドアンは、汚職摘発を名目に軍を徹底的に弾圧した。そのために骨抜きになって、今のトルコ軍は、エルドアンに反抗できない状態になっています。
佐藤 政教分離が建前にはなっているけれども、大統領就任式にはロシア正教会の総主教が出てきて、プーチンは、その前で憲法に手を添え、宣誓する。前回の就任式の際は、プロテスタントも、イスラムも、いろいろな宗教の代表者を読んで横に立たせていました。しかし、そのなかでもロシア正教は一段高い位置に置かれます。なぜならロシア正教は、単に数ある「宗教」のうちのひとつではなく、「ロシア人の習慣」だからです。これは、戦前の日本の国家神道とも似ています。
池上 「国家神道は宗教ではない」ということで、仏教の上に置いたわけですね。
■「イスラム国」の正体は?
佐藤 マルクス主義では、「本来、国家は死滅すべきものだ」ということになっているのに、ロシア革命において、どうしてソビエト国家ができたのか。レーニンは、これは「国家」ではなく「半国家」であると言いました。国家は、階級抑圧の道具だから、本来、悪である。ソビエトも、最終的には全世界に革命を起こして国家を廃棄する。けれども、今は帝国主義国家に囲まれている。囲まれているかぎりにおいては、それに対抗するための「半分国家であるようなもの」が必要だ。ただし、国家は悪で階級抑圧の道具だけれども、そういう悪がまったくないのがソビエト国家である、というのです。
原罪をもたない国家です。その国家の目的は、世界のプロレタリア革命を行うことにある。
「イスラム国」の場合は、この「世界プロレタリア革命」を「世界イスラム革命」に置き換えればいいのです。
アフガニスタンのタリバン政権も、一国イスラム主義のように見えましたが、目的は世界イスラム革命でした。一時期、チェチェンとダゲスタンの間にできた「イスラムの土地」みたいなグループも、目的は世界イスラム革命でした。「イスラム国」は、そういう過渡期国家を目指して、実際にそれを半ばつくってしまったわけです。
池上 カリフ(イスラム指導者)をトップに据え、シャリーア(イスラム法)を適用する政教一致国家です。イスラム教の創始者ムハンマドの時代、ムハンマドを指導者にして、ムハンマドが伝える「神の言葉」に従って人びとは敬虔な暮らしをしていた、と考える人たちが、その理想の社会を現代に取り戻そうとしているのです。
この考え方を「イスラム原理主義」と呼びます。イスラムの理念を復興させようというものですから、必ずしも過激な武装闘争と結びつくものではありません。平和裡に行動しているイスラム原理主義者も多いのです。
「イスラム国」の中期的な目標は、「西はスペインから東はインドまで」です。かつてのイスラム王朝が支配していた土地を取り戻したい、というものです。
■破綻国家とビル・ゲイツ
池上 結局、「アラブの春」で露呈したのは、不安定で脆弱な中東諸国の実態だったのですね。
佐藤 最も成功したとされるチュニジアでさえ、破綻国家の仲間入りをしていると見たほうがいいでしょう。どこも、首都を中心とした一部の領域しか統治できていません。
池上 ナイジェリアでは、ボコ・ハラムというイスラム過激派が女子高生約300人を拉致し、イスラム教に改宗させて、人質交換を迫る事件を起こしました。北部の貧困地域で勢力を伸ばし、政府関係施設や警察などに対するテロ攻撃を行っています。
佐藤 国際法上の国家として承認されるための要件は、第一に、当該領域の実行支配が確立していること、第二に、国際法を守る意思があることです。
シリアの場合などは、自国民に毒ガスをまくなどして国際法を守る意思もなく、当該領域の統治もできていませんから、従来の国際法の解釈からすれば、すでに「国家」ではないのです。その意味で、「国家ではない国家」がたくさん出現しているのが、今の世界の特徴です。
イスラエルのネタニヤフ首相の官房長を務めた人が、おもしろいことを言っています。
―― 金融政策や財政政策といったって、世界の富は、国家を迂回して動いているんだ。安全保障の分野だってアメリカは膨大な情報を集めているけれども、それがテロの防止に役立ったことは一度もない。スマートフォンを使いこなす大学生のほうが、政府高官より情報を入手できる可能性が高いという有様。冷戦後、20年も経って、政府が情報とマネーを統制できなくなっている――
リアルな情報分析です。国家が空洞化している、ということですね。
そして続けて、こうも言いました。
――ただし、世の中には旧来型の戦争観をもっている国がある。戦争の勝者には、歩留まりはいろいろだけれども、戦利品を獲る権利がある。そう思っているのが、ロシアであり中国であり、イランだ。ウクライナもそうだ。民主主義国は、極力戦争を回避して外交によって解決しようとする。ところが戦利品が獲れるという発想をもつ国は、本気で戦争をやろうとする。すると、短期的には、戦争をやる覚悟をもっている国のほうが、実力以上の分配を得る。これが困るところなんだ――
■慰安婦問題はアメリカが深刻
佐藤 それと、国家の空洞化と並行して、ナショナリズムの新たな形態も生まれています。とくにアメリカで大きな問題になるのは、遠隔地ナショナリズムです。アメリカが世界各地のトラブルの発生地になる可能性があります。
現在、慰安婦が深刻な問題になっていますが、その追及の激しさを比べてみると、韓国国内よりもアメリカのほうが激しいのです。
池上 アメリカでは、訴訟になって話題になったカリフォルニア州のグランデールほか各地に慰安婦像が建てられています。
佐藤 それは、もはや韓国には帰らず、また韓国語よりも英語のほうが上手になり、子どもたちもアメリカ社会に同化させようと思っている在米韓国人たちがやっている運動です。ふるさとの韓国で、その歴史について勉強したこともなかった韓国で、こんなことが行われていたんだ、と聞いて、自分たちの心の祖国を大事にしたいという、ナショナリズム論でいうところの「遠隔地(遠距離)ナショナリズム」が働いている。ナショナリズム論のベネディクト・アンダーソンは、こう言っています。
「このナショナリズムは、生真面目なものではあるがしかし根本的には無責任であるような政治活動を生み出す。 彼らを釈迦の周辺に追いやり、彼らに負の烙印をおす当の国民国家が同時に、地球の反対側では一瞬にして、彼らに国民的英雄を演じる力を授けているのである」(『比較の亡霊』126~127頁)
■「遠隔地ナショナリズム」が世界を覆う
佐藤 今回、ウクライナ情勢がこれだけ険悪化したことの背景にも、カナダのエドモントン周辺に住んでいるウクライナ人(約120万人)の遠隔地ナショナリズムが関わっています。
「民族のサラダボウル」と言われるアメリカが、それぞれの遠隔地ナショナリズムの発生地になりつつあるのです。
こうなると、世界各地の地域紛争がアメリカから生じてくることになる。その第一号が慰安婦問題ではないか。ですから、慰安婦問題に関しては、日本がいくら韓国と交渉しても埒があかない。アメリカ政府と交渉しても打開できません。在米韓国人ときちんと交渉しないと解決しないと思いますが、これが非常に難しいわけです。
池上 彼らは、日本の歴代の首相が元慰安婦にお詫びの手紙を送ったことを知りません。「日本は謝罪を拒否している」と思い込んでいます。「日本は謝罪している」という事実を伝えることから始めるしかありません。「慰安婦を強制連行した証拠は見つかっていない」とだけ言っていると、謝罪していないと誤解されてしまうのです。
>>>「遠隔地ナショナリズム」が考慮されていないように見える、今回の韓国との外相会談で慰安婦問題は解決されるのだろうか