「あるキング」
「あるキング」(伊坂幸太郎著、徳間書店)より
五年前、アメリカのマイナーリーグからやってきた、フランクリン・ルーズベルトという打者がいる。第三二代大統領と同姓同名の彼は、ろくな記録も残さぬまま帰国したが、その直前、「仙醍キングスにこれ以上いると、悟りを開いてしまう」と言い残した。
半分は皮肉だったろうが、残りの半分は本心だったに違いない。仙醍キングスはチーム創立以来、今シーズンに至るまで、一度も日本一になったことがなく、リーグ優勝すらも経験していない。それどころか、大半が最下位なのだ。ひたすら敗戦に耐えることが日常的に続くため、何らかの悟りの境地に至ってもおかしくはない。そのアメリカ人選手は、「私たちが恐るべきは、負けることではなく、負けることを恐れなくなっていることだ」と、まさにルーズベルト大統領の演説のアレンジとも言える台詞を残した。
王求という名前をつけたのは、おまえの父親だ。
産院のベッドで横になり、母乳を飲み終えて眠るおまえを眺めながら、母親は閃いた。「将来、この子は仙醍キングスで活躍をする男になるのだから、王という漢字がつかないのはおかしいと思ったの」でもなければ、「王という漢字を使うのはどうかしら」でもなく、「つかないのは、世の摂理としておかしい」という言い方だった。
おまえの父親もすぐに賛同した。「それならば、将来、キングスに求められる存在なのだから、王に求められる、と書いて、王求はどうだろう」と提案した。
「王が求める、という意味でもいいよね」
「王が求め、王に求められる。凄くいい」
おまえの両親の気持ちは盛り上がり、悩むことなく、その名を決定した。おまえの父親は区役所に出向き、出生届を記入したが、その時、王求と横書きではじめて書いた瞬間、その文字の並びが、「球」という漢字を間延びさせたようにも見えることを発見した。
フランクリン・ルーズベルトは、「わたしたちが恐れなくてはいけない唯一のことは、恐れることそのものだ」と言った。仙醍キングスに在籍したことのある、あるアメリカ人選手ではない。同姓同名の第三二代大統領の演説の言葉だ。おまえの母親はその言葉を肝に銘じていた。
何かを恐れてうろたえることが、もっとも恐ろしい。
そしてその言葉は、おまえの両親が心酔していた選手、あえて客観性を補うために名前で呼べば、南雲慎平太が、現役時代に残した台詞とも重なり合う。雑誌「月間野球チーム」に掲載された、それはそれは小さなインタビュー記事の台詞だ。「まわりが、おまえたちのチームは弱すぎる、最低だ、って罵ってくるとね、必死に自分に言い聞かせるんです。恐れちゃいけないって。プレイをしているのは俺だから。俺は俺のプレイを、俺の野球をやらなくてはいけないって。俺の野球人生に代打は送れないですしね」
恐れてはいけない、正気を失って取り乱してはならない、とおまえの母親は分かっていた。まわりの雑音や攻撃に流され、山田桐子の人生を失ってはいけない。山田王求の母親の人生を生きなくてはいけない。母親に代打は送れない。そう考えると自然、落ち着くことができた。
倉知巳緒は、おまえの母親の横顔を、その真剣な面持ちを見る。普段は、明るく穏やかな表情豊かな、年齢の割にずっと若く見受けられるおまえの母親は、テレビでおまえを見つめる時だけは、尋常ならざる顔になる。魂の目のようなものを駆使し、おまえの一挙手一投足を確かめるかのような形相になる。倉知巳緒もその表情を目の当たりにしたばかりの時は、恐ろしさを感じ、ひるんでしまうところがあったが、だんだんと理解もできるようになった。おまえの、その、人並みはずれた精神力と威風の源泉が、この異常ともいえるほどの母親の感心、庇護にあるのだとすれば、それはさほど奇妙なこととは思えず、むしろ、腑に落ちた。必要とあらば誰かの首を斬ることもためらわない、冷淡で神聖な王、それを支えるのは歴史の力強さ、引き継がれる血の魔力に違いない。倉知巳緒はそう思う。マクベスには妻がいたが、山田王求にはこの親がいる。
「本とも」連載中はとにかく、「自分が読みたい物語を自由に書きたい」と思っていました。が、書き上げてみると、当初の思惑よりは、自由に書いていなかったのではないか、と不安になり、単行本化にあたって書き直しを行ったのですが、すると、本筋は同じであるもののまるで違う様子の物語になりました。もちろん、いつもの僕の小説とも雰囲気の異るものになりました。あたたかく後押ししてくださった、徳間書店の編集者さんたちにもお礼を申し上げます。
【初出】
「本とも」2008年4月号~2009年3月号
単行本化にあたり、大幅に加筆・修正しました。
>>恐れてうろたえることがないよう精進したい