「国家のエゴ」(佐藤優著、朝日新聞出版)より
国家と社会
イギリスの社会人類学者、アーネスト・ゲルナーの主著に『民族とナショナリズム』(訳書は岩波書店、2000年)があります。
この本のなかで、ゲルナーは人間と社会の関係についてわかりやすい説明を行っています。人間の社会は三段階に分かれて発展していると意味ます。
まず、狩猟採集社会がありました。人間は群れを作って生きる動物です。その意味でアリやハチと同じです。アリやハチの世界にも「社会」があることは想像できるように思います。ところがそれは「国家」ではありませんね。それと同じで、人間の狩猟採集社会には国家はありませんでした。それでも集団が円滑に生きていくための決まりはありました。それが社会です。
次の段階が農耕社会です。農耕社会は国家がある場合もありました。これを単純に図式化すると、外敵から農耕民を守る代わりに年貢や税を徴収し、その収入で生きていく階層がいる。そうしたシステムが国家です。逆に、自給自足の自律的な農村共同体が成立していて、国家がない場合もありました。
第三段階が産業社会です。これが、私たちがいま生きている世界です。国家がありますね。産業を興し、維持・発展させてゆくには、たとえば、生産設備を使いこなせるだけの基礎教育を受けた人間の継続的な育成が必要です。国家による義務教育が徹底されれば効率よく労働者を育成できます。国家にとっては巨大な税収が得られるというメリットがあります。国家と社会が不可分に見えるのはお互いの依存度が非常に高くなっているからです。
ただ、私は国家が機能しなくても人間社会は存続できることが皮膚感覚でわかります。外交官時代の1991年8月19日、ソ連共産党守旧派のクーデター未遂事件から、同年末にかけてソ連が崩壊していくプロセス、そして新しいロシアの誕生、その一部始終を私は現地で目の当たりにしました。この間、国家は機能していませんでいしたが、人々はそれぞれの秩序感覚にしたがって暮らしていました。国家と社会が別のものであることを、身をもって知ったのです。
普段は、個人、家族、社会、国家が同心円を描いていて、国家なくして社会はない、というような意識を持ちやすくなりますが、それが虚偽意識だということに気づかせてくれることでしょう。
国家と賢く付き合う知恵
冒頭に立てた問いの答えを求め、ここまでいろいろな視点から戦争を考えてきました。
①日本で戦争をすることを決めるのは誰なのか
②国民を兵士として、あるいは戦争支持者として動員するには、人間の精神にどのような働きかけを行うのか
答えを再確認します。
①いまの日本には、すでに戦争をするかしないかを決める国家安全保障会議が存在する
②国家や歴史、救済といった“大いなるもの”と死者とを結びつける方向で「死者との連帯」を行うと、人を殺すことに抵抗を覚えなくなるような思想を産む出す場合がある
これらの答えが得られたからといって、終わりではありません。問いの答えを求めて設定したいろいろな視点の中にも、答えの中にも、たびたび登場する要素があります。それは「国家」です。
私は本書において、普通の生活者として、戦争を正面から考えようとしてきました。
戦争で人を殺したり殺されたりするような目には遭いたくない。自分は直接かかわらなかったとしても自分の国が戦争をするようなことはしてほしくない。これらは思想的な深みはないかもしれませんが、素朴で強い願いです。
その願いをかなえるためには、国家と賢く付き合う知恵をもつことが必要になってくるのではないかと思います。
大切になってくるのが、国家との距離のとり方です。一人ひとりがバラバラだと、国家が何かを迫ってきたときに、距離を置けるだけの強さを持てません。
国家をいったんカッコに入れることで、心理的にも距離をつくれます。国家の意思を代弁するかのような有識者やマスメディア、ネットメディアのさまざまな勇ましい声が小さく聞こえることでしょう。
そうしておいて、自分の愛する人、親しい人――それは亡くなった人も含めて――を起点に、人間関係をつなげ、強固にする、そうした姿勢で向き合ってみてはいかがでしょうか。
>>一人ひとりがバラバラになることなく、国家と賢く付き合う知恵をもつことが大切なのは間違いない
「国家のエゴ」(佐藤優著、朝日新聞出版)より
2015年8月30日第1刷発行
1 いま、戦争を正面から考える
――私が若い読者に伝えたい、いくつかのこと
日本は戦前も戦後も「強い国」
映画『風立ちぬ』が教えてくれることは、二つあると思います。
一つは、この作品に「描かれなかったこと」を自分で補うことが、ここで問題提起したような戦争の諸相を考えるきっかけになるということです。
二つ目は、日本が「強い国」だということです。日本人は自国の力を過小評価する傾向がありますが、その認識は違います。
日本は朝鮮、中国、東南アジア各国に、大義名分は何であれ、軍隊を送り戦争をしました。戦後は、日本が侵略した国々への賠償外交、開発途上国へ長期、低金利で資金を貸し付ける円借款、資金や技術を許与するODA(政府開発援助)などとセットで、アジア各国に日本企業が進出し、そこから利益を挙げました。日本国家としても、政治的・経済的影響力を及ぼしてきたことは確かです。
その意味で、日本は戦前戦後を通じて「強い国」、言い換えれば、帝国主義国であり続けているのです。
日本が帝国主義的であるという点について補足的に説明します。現在の国際関係について、私は、帝国主義的な力関係で成り立っていると認識しています。
では改めて、帝国主義とは何か。まず、古典的な定義を見ていきましょう。
二つの『帝国主義論』
20世紀初頭に活動したイギリスの経済学者、ジョン・アトキンソン・ホブソンの著書に『帝国主義論』があります。資本がどんどん大きくなってくると、鉄豪事業や製鉄業など、巨大産業が生まれます。さらに事業を拡大するには、一人の資本家の力だけで資金を調達することができません。そこで、株式会社をつくる。すると、経済の貨幣的側面である金融の力が大きくなり、金融資本が誕生する。最初は海外に製品を輸出していたけれども、やがて、産業資本や金融資本そのもの、あるいは生産設備自体を輸出し、さらに利潤を追求する。
そのときに、資本は国家の庇護を必要とし、国家は資本がもたらす富をあてにする。両者の利害は一致し、国家と資本が一体化したものが、帝国主義である。ホブソンはおよそこのようなことを述べています。
ホブソン論を踏襲したのが、ロシアの革命家、レーニンの『帝国主義論』なのですが、新たに植民地と戦争について詳しく論じています。国家と資本が一体化して海外に進出し、利潤を追求する過程で、進出先の国家や地域を植民地化し、自国の価値観を一方的に押し付つけたうえに、利益を吸い上げる。やがて世界は限られた帝国主義国によって分割される。
しかし、世界はそれで安定することはなく、すでに植民地を獲得している帝国主義国とこれから植民地の獲得を狙う後発の帝国主義国との間で、植民地再編をめぐる戦争が起きる。その争いは全面戦争になる、と述べました。
それが二度の世界大戦だと言えますが、第二次世界大戦後、植民地は次々と独立を果たしました。
この話を前提に、現在の帝国主義について考えてみましょう。1991年にソ連が崩壊し、第二次世界大戦終結から続いてきた東西冷戦が終わり、これで平和が訪れると期待が高まりました。このころ、アメリカの政治学者、フランシス・フクヤマは、ヘーゲルの『精神現象学』を下敷きに『歴史の終わり』という本を刊行しました。
フクヤマは、共産主義イデオロギーに対し、資本に裏付けられた民主主義が勝利を収め、今後、それに代わる優れた政治制度は生まれないだろうという意味で「歴史の終わり」としたのです。この本は世界中で広く読まれ議論を呼び起こしました。日本語版は英語学者で保守の論客、渡部昇一さんの翻訳で1992年に刊行されました。
しかし、歴史は終焉することはありませんでしたし、世界が退屈にもならなかったことは、その後の世界情勢を見れば明らかです。
強い国は相変わらず自国の利益を最大化しようと振る舞い、その病理を私たちは克服することができずにいまに至っています。そんな状況を「新・帝国主義の時代」と私は名付けています。
帝国主義国とは、国際社会において、自分たちで秩序をつくることができる強い国家のことを言います。国際社会は、ゲームのルールをつくることができる国(帝国主義国)と、そのルールに従わざるを得ない国に二分されます。
帝国主義の数はそんなに多くはありません。まず、アメリカ、中国、ドイツとフランスを中心にした広域的国主義国のEU(欧州連合)が挙げられます。それからロシア、イギリス、もちろん、日本も帝国主義国です。
帝国主義国の特徴は、相手国の立場を考えずに、自国の利益だけが最大になるよう行動することです。その勢いに相手国が怯み、国際社会も黙っていると、その間にどんどん権益を広げていきます。しかし、相手国が抵抗し、国際社会も非難し始めると、譲歩します。
たとえばウクライナ危機(ウクライナにおける親欧派と親ロシア派との武力衝突)をめぐってのEUとロシアとの綱引きは、明らかに国際社会の動向を睨みつつ行われています。
日本と隣り合う帝国主義国の中国の海洋進出が著しいことを考えてみてください。2013年1月30日には、尖閣諸島の領有権をめぐり、中国海軍のフリゲート艦が火器管制レーダーを、海上自衛隊の護衛艦に照射した事件も起きました。一時期の極度に高まった緊張状態は緩んだと思いますが、日本と中国が絶対に交戦しないとは言い切れません。今後は海南島や南沙諸島の情勢も注目する必要があります。「イスラム国」とめぐる情勢も、テロが日本で起きる可能性は排除できないわけですから、決して遠い地域の出来事だとは言えません。
戦後七十年を経たいま、これまで見てきてように、戦争について正面から考えざるをえないような日々を、私たちは生きています。早合点してほしくないのは、日本が戦争のできる国になるべきだと主張しようとしているわけではない、ということです。
>>帝国主義国としての国際社会における日本の役割を国民一人ひとりが考えていかねばなるまい
「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」(見城徹著、双葉社)より
第三章 起業は甘くない
理念なんかいらない
僕は角川書店の現役編集者時代、17年間ダントツで売上トップを驀進した。取締役編集部長まで昇進した僕が、なぜ会社を辞めたのか。角川春樹社長がコカイン疑惑事件を起こし、逮捕2日前に取締役全員で辞任要求を決議することになったのだ。
春樹さんと文字通り寝食をともにし、春樹さんに育てられた僕も、取締役として辞任に賛成の一票を投じた。長年世話になった恩師に弓を引くのである。春樹さんを追いやりながら、自分はのうのうと会社に居座るわけにはいかない。筋を通すために、僕は角川書店を辞めることにした。僕は30代半ばから常に辞表を持ち歩き、いつ会社を辞めてもいいという覚悟を持っていた。筋を通すにあたり、後悔も躊躇もなかった。
僕は自ら望んで幻冬舎を起業したわけではない。角川書店を辞めなければ、僕の中で人間としての筋道が通らなかったのだ。
倒産の崖っぷちに立ち緊張感にさらされながら、数字という結果を叩き出す。その覚悟と圧倒的努力のない者が、安易に理念や目標など口にすべきではない。
リスクのない転職なんかない
現状維持している限り、「昨日とは違う明日」はやって来ない。現状維持の人には、「昨日と違う明日」ではなく「昨日と同じ明日」しかないのだ。明日を生きる時、僕は見たこともない新しい風景に出会いたい。昨日と同じ風景になんて興味はない。
「昨日と同じ明日で構わない。自分は安全策を選ぶ」という人は、現状維持の人生を歩めばいい。「現状をなんとかして変えたい。昨日とは違う明日を行きたい」と君が願うのであれば、安全策は捨ててしまおう。迷いがあっても一歩前に踏み出し、暗闇の中でジャンプすればいいのだ。
人は必ず死ぬ。今この瞬間は、死から一番遠い。今から1分経てば、僕も君も1分だけ死に近付く。死があって生があり、生があって死がある。生と死は不可分だ。「自分には必ず死が訪れる」と認識した時、生が輝き始める。生きているうちにやるべきことが見えて来る。
第四章 切なさを抱えて生きる
幸せの定義
「今起きていることはすべてプロセスだ。プロセスの中で生じた暫定的な結果によって、人生がすべて決まるわけではない。最後の勝負は、死ぬ時にあなたがどう思うかだ」
要は死ぬ瞬間に自分が満足できていればいいのだ。
自分との戦いに挑み続けて、積み上げた小石が崩れぬ山と聳え立った時、僕は死の淵で「俺の人生は幸せだった」と莞爾として微笑むことができるだろう。
第六章 悲しくなければ恋愛じゃない
善悪を突破するような恋をしろ
吉本隆明は『共同幻想論』の中で「対幻想だけが共同幻想を突破できる」と言っている。あなたのためなら犯罪を犯しても構わない。共同体の倫理や道徳、法律を突破してでも、二人だけの性愛を貫きたい。性愛という幻想は、共同体が定めた善悪の基準をジャンプして飛び越えることができる。
「不倫」という言葉がある。結婚している人と付き合ってはいけないというルールなど、共同体が決めただけのものだ。
燃えるような恋に落ちた相手と性愛を貫くためなら、共同体のルールなんていても簡単に突破できる。そもそも恋愛とは多かれ少なかれ背徳を含むものであって、背徳をまったく含まない恋愛など官能的ではない。
性愛を根源的に突き詰めて行った時、生きることの意味が問われる。
恋愛が下手なやつに仕事はできない
恋愛だけは、時代がどう変わろうと不変だ。他者について想像力の翼を広げ、さまざまな道筋をシミュレーションする。そうしなければ恋愛は決して成就しない。
恋愛は、他者の気持ちを知るための絶好の機会である。
第七章 人生を豊かにする遊び・買い物・食事
ゴルフの奥深さに浸る
ゴルフは人生とも仕事ともリンクする。
7割のリスクを避けるため一打を無駄にし、いったん安全地帯にボールを逃してからあらためてグリーンを狙えばどうか。その方法を取れば、一打損するが池や林にボールを落とし、何打も叩く危険性を確実に避けることができる。
それとも敢えてリスクを冒し、一気にグリーンへ躍り出る可能性に駆けるのか。
自分の意志とは無関係に変化する環境に翻弄されながら、不確定要素をどうマネジメントするかが問われるのだ。
ゴルフとは想像以上に奥深く、突き詰めれば突き詰めるほど難しい。そして面白い。
僕はビジネスではできないことをゴルフ場で試し、いわば人生の補償行為としてゴルフをやっているところがあるのかもしれない。
麻雀で運を鍛える
麻雀もゴルフと同じくビジネスとも人生ともリンクする。
麻雀では、勝つための技術と攻めの実力を兼ね備えた人間だけが勝つとは限らない。ポイントはあくまでも勝負勘と大局観だ。もっと言うと、運を支配する人間が麻雀を制する。
大事なのは自分がコントロールできる範囲の負けを自ら作ることだ。勝っている時に敢えて負ける局面を作り、勝ち負けのアップダウンを制御できれば「運を支配した」と言える。
勝利の記憶は、必ず人を敗因に導く。「負けるが勝ち」と達観し、自ら負けを作り、受け入れることができなければ、長く第一線に立ち続けることは難しい。
戦闘服のこだわり
金なんて、使わなければただの紙に過ぎない。使って初めて意味が生まれる。もちろん最低限の貯金はストックしておいた方がいいとは思うが、たくさんの金を銀行に預けっぱなしにしていて、ちっとも身銭を切ろうとしないようでは人生にダイナミズムは生まれない。
人は死んでしまえば、墓場にまで金を持ってはいけない。だったら生きていて体が元気なうちに、どんどん使ってしまった方がいい。資産をたくさん残したところで、自分が死んでからどこでどう使われるか解ったものではないのだ。
むしろ、家族や子どもに迷惑がかからないのならば、少しくらい借金を残してしぬくらいでちょうどいいと思う。
何しろ人は死んでしまえば、今生の記憶さえ思い出すことはできないのだ。
願わくば、きれいに金を使える人生でありたいものである。
おわりに―血染めの旗を掲げよ―
2014年11月10日、俳優・高倉健が永眠した。高倉健死去に際し、所属プロダクションは彼が生前心に刻んでいた座右の銘を発表した。
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
なんと美しい覚悟だろうか。
人間はスーパーマンではない。悲しみながら、傷付きながら、自分自身と向かい合うしかないのだ。苦難に耐えることはあっても、人に安目に売らない。やせ我慢を通し切る。安目を売って楽をし始めたら、人生はバーゲンセールのように薄っぺらくなってしまう。
2015年3月 見城徹
>>ゴルフでは不確定要素をマネジメントして、意味がある金を使いながら、自分が満足できる人生を送っていきたい
「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」(見城徹著、双葉社)より
2015年3月22日 第一刷発行
はじめに-755の奇跡-
囚人番号755番。2013年3月27日、長野刑務所に服役していた懲役囚・堀江貴文が仮釈放された。その瞬間、彼は「755」という無機質な記号ではなく「堀江貴文」という有機質な氏名を娑婆で奪還した。
出所した堀江は懲役囚時代の疲れを癒やす間もなく、藤田と共にすさまじい勢いで活動を開始した。ツイッターやフェイスブック、LINEに続く新しいSNS(ソーシャル・ネットワーキング¥サービス)「755」を立ち上げたのだ。
こうして2014年8月29日、僕は755に第1号の投稿をすることになる。
「見城です。今日から始めます。宜しくお願いします。」
本書は755で発した僕の言葉を土台とし、全面的に再構成した書下ろしである。
2015年3月 見城徹
第一章 仕事に熱中する
なぜ仕事に熱狂するのか
「なぜそこまで仕事に熱狂できるのか」とよく聞かれる。
僕の場合は、死の虚しさを紛らわせるために他ならない。
人は誰もが全員、死を背負って生きている。生から死への道は一方通行だ。
生の虚しさを紛らわせる要素は、せいぜい①仕事②恋愛③友情④家族⑤金の5つしかないと思う。人によっては、これに⑥宗教を加えるかもしれない。僕の場合は、①~⑤に熱狂しながら虚しさを紛らわせてきた。
スリリングでエキサイティングで、気分がワクワクする仕事をしていたい。労働によって、誰も見たことのない価値を創造する。そんな仕事を常にやっていなければ、僕は気が済まない。
他人ができないことをやれ
上司や同僚ができることをやっても面白くもなんともないに決まっている。
朝から晩まで仕事について考え抜き、骨の髄まで仕事にのめり込む。そして上司や同僚ができない仕事を進んで引き受け、結果を出す。
そうすれば、自然と仕事は面白くてたまらなくなるはずだ。
結果が出ない努力に意味はない
努力することに意味があるなどと言うのは単なる人生論であって、仕事に関して言えば「成功」という結果が出ない努力に意味はない。いや、そう考えるしかないのである。
圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題なのだ。どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決するのだ。
一休みなんかするな
「ああ、なんの後悔もない満足な人生だった」と最後に思える人など、およそ存在しないと考えた方がいい。死の瞬間には、誰しも多かれ少なかれ後悔するに決まっているのだ。だったら、死の瞬間に後悔を少しでも減らすために熱狂したい。
どうせ生きるならば、仕事に熱狂し、人生に熱狂しながら死を迎えたいと僕は思うのだ。
売れない本に価値はない
僕は部数がいくら出たか、利益がいくら上がったかという数字にこだわり続けたい。売れる本は良い本である。視聴率を取るテレビ番組は優れている。
大衆は愚かではない。大衆の支持によって数字を弾き出すコンテンツは、おしなべて優れているのだ。愚かなのは、数字を曖昧にして自分の敗北を認めない表現者や出版社の方なのである。
第二章 圧倒的結果を出す
心に決めた人を裏切るな
僕は師・角川春樹の差し出す無理難題に正面突破し全力で応えてきた。
その春樹さんがコカイン疑惑事件で社長を追われた時、僕は筋を通すため会社を辞めた。
「この人」と心に決めた人との信頼関係はなんとしても死守するべきだ。
癒着に染まれ
「癒着」という言葉の意味について『広辞苑』を引いてみると「本来関係あるべきでない者同士が深く手を結び合うこと」と癒着は悪い意味で使われることが多い言葉だが、仕事を成功させるために非常に重要な要素だ。
癒着とはどういう状態を指すか。お互いがお互いを必要として結果を出す唯一無二の関係だ。しかし、誰かと癒着するにはキラーカードを持っていなくてはならない。
パートナーとして長く癒着の関係を保つためには、キラーカードを何枚も手元に持っておかなければならない。お互いが圧倒的努力を重ねて何枚ものキラーカードを常に獲得し続けるからこそ、お互いがお互いを必要とする癒着は続いていく。
そして、キラーカードを切り合った先に、大きな成果が出ると癒着は益々深くなる。 勘違いしてほしくないのだが、「癒着」と「人脈」は似て非なるものだ。僕は「人脈」という言葉を聞くと虫唾が走る。
どちらかが、どちらに依存するのではなく、お互いが欠くことのできない者同士として多くの血を流し、命を張る。その関係を批判するのは、ビジネスにおいて本当の人間関係を理解しない者のやっかみである。癒着こそが大きな結果を産むのだ。
何も持たない者同士が生半可な関係を築いたところで何の結果も生まれない。キラーカードを持つ者同士の濃密な癒着こそが大きな結果を生み出す。
人脈は一朝一夕でできあがるが、癒着は決して一朝一夕では成立しないのである。
GNOは絶対死守
GNO(「義理」「尋常」「恩返し」の頭文字)こそが、仕事においても人生においても最も大事だと思っている。
相手の心をつかみ、いざという時に力になってもらうにはどうすればいいか。「あの時よくしてもらった」「お世話になった」と相手に思ってもらうことが大切なのだ。
安目を売るな。やせ我慢しろ
任侠の世界に「安目を売らない」という言葉がある。下手に出る必要のない場面でへりくだり、相手に借りを作る。それが弱みとなり、相手を優位に立たせてしまう。安目を売らない生き方を貫くためには、「やたらと貸し借りしない」という軸をブレさせないことだ。安目を売らずやせ我慢すれば、君の生き方はブレない。
僕は常々「貸しは作っても借りは作るな」と自分に戒めてきた。
スランプに浸かれ
「全てはプロセスである」という人生哲学だ。
何をやっていても無駄な時間などない。過ごした時間は必ず先に活きて来る。当面、無駄な時間に思えても、自堕落な時間を貪っても、必ず意味を持って来る。起こっていることは常に正しいのだ。
スランプにはとことん浸かり、圧倒的努力とともに再び這い上がればいいのだ。
>>他人ができないことに努めて、圧倒的な結果を出し続けていきたい
「90分でわかる日本の危機」(佐藤優著、扶桑社)より
第二章 危機のおいては教育こそ最重要
――下村博文文部科学大臣と(2015年2月22日放送)
緊急提言!
日本が生き残るための三か条
佐藤 「新聞と本を読もう」
「論理の力をつけよう」
そして「他人の気持ちを理解する人間力をつけよう」
やっぱり情報の基本になるのは新聞や本をきちんと読むことです。読む習慣をつけるということが、とっても重要だと思います。聞いてきたもの、あるいはネットでなんとなく見たから、ああ、こうなんだろうと思いこむのではなくて、新聞とか本とか、しっかりしたもので専門家たちの意見、編集が加わっているようなものを読む習慣をつけるということが、とても重要だと思います。
「論理の力をつけよう」です。 これから日本の教育をどうすればいいか、あるいは日本の進路、インテリジェンスをどうすればいいかについても理屈が重要です。理屈に合わない話に対しては「あれ?」と思わないといけません。
「他人の気持ちを理解する人間力をつけよう」
「人はどういうふうに思っているんだろう」「こういうことを言われたらどういうふうに他人は思うかな」といった形で、他人の立場になって物事を想像することができるわけですね。
ちょっと勇気をもって一歩下がって「相手はどう受け止めるかな」と思うということは、我々は結構できると思うんです。そうすると生きやすくなると思う。
「理屈に反することを自分が言っているんじゃないだろうか」「自分の言っていることは論理がちゃんと通っているかな。感情論だけでは駄目だよね」と、振り返る姿勢をもつことです。「感情の要素もあっていいけれど、理屈も大切にしないと」と。
それから新聞や本を読んで、自分で経験できないことは代理経験・追体験しておくということが重要だと思います。やはり経験が増えないと寛容さも出てこないし人間力も付きません。その“経験”というのは人の話を聞くのでもいいのですが、本や新聞を読んで、離れた土地のこと、昔のことを代理経験するというやり方が、すごい近道だと思うのです。
第三章 漂流する政治のブレーキとアクセル
――山口那津男公明党代表と(2015年6月8日放送)
現実的にあり得ないことを議論して
事の本質を見失うな
佐藤 自民党の一部に、なぜかホルムズ海峡あたりの掃海艇の派遣に固執するような人がいるのですが、あそこは基本的にオマーンの了解です。国際航路体が通っていて、そこに機雷を敷設する国はどこなのかわかりません。前回の掃海艇派遣とのときは戦闘行為が終わっていますから、いわば、ごみを掃徐するという国際法的な位置づけですね?
いまの「イスラム国」は海軍をもっていないですから機雷を仕掛けられないです。イラン? しかしいま、イランとアメリカは「イスラム国」対策では提携しつつあります。それからイランと日本は友好的な関係を維持しています。そうするとイランを仮想敵にするような議論はなかなかなじみません。イランをオマーンも良好な関係にあるわけですから、イランとオマーンの間で戦争が起こるなんていうことは、おそらく日本の海上自衛隊とフィリピン海軍が衝突するということについて議論しているぐらい現実から離れていることです。
四島一括という旗は降ろしたのにその十分な説明をしていませんでした。「恒久的」という言葉を入れるという小手先のことではなく、「ソ連と違ってロシアは交渉に応じているのだから、方針を変えた。人道目的でのインフラ整備はできる」と説明すればよかったのです。
>>新聞や本を読んで、論理を力をつけて、他人の気持ちを理解する人間力を身につけていきたい
「90分でわかる日本の危機」(佐藤優著、扶桑社)より
2015年9月1日初版第1刷発行
第一章 外交危機とインテリジェンス
――作家・外交journalist手嶋龍一さんと(2015年2月22日放送)
「迫り来るテロの危機、過激派組織『イスラム国』を知れ」
「イスラム国」を過小評価するな!
佐藤 「イスラム国」というのはシリアとイラクのちょうど間ぐらいのところに実効支配している地域を持っています。面積にするとイギリスぐらい。人口にすると約800万人。それだったらとるに足らない勢力のように見えるのですが、地球にあるさまざまな国家と違って国境を越えてネットワークをもっています。
そして世界をたった一つのイスラム帝国(カリフ帝国)にすることを狙っています。アッラーの神さまが一つだから、それに対応してシャリーアというイスラム法で統治されるカリフ帝国という単一の帝国を本気でつくろうとしている運動です。目的のためには暴力でもテロでもなんでも使うという運動です。目的のためには暴力でもテロでもなんでも使うという運動です。ですからほんとうに怖いです。
歴史のうえで、これと似たようなことがありました。1917年の3月(ロシア暦2月)にロシアで共産主義革命(二月革命)が起きました。その最初のころ、ボルシェビキの人たちは、ロシアだけでなく世界中で革命を起こそうと考えたのです。1919年にコミンテルン、即ち共産主義インターナショナルという組織をつくって、各国にその支部を設けるわけです。それで世界中で革命をやろうとしていました。どうでしょうか、手嶋さん、ちょっとあのころのコミンテルンのやり方にも似ていますよね?
手嶋 ええ、世界各地で同時に共産主義革命を起こそうと試み、その革命司令部こそがコミンテルンでした。その後、ソ連は革命の輸出に挫折し、第二次世界大戦もあって一国社会主義に閉じこもっていきます。
世界規模での聖戦
グローバル・ジハードは日本でも起こり得る
佐藤 グローバル・ジハード論――世界的規模での聖戦論という考え方があって、「二、三人で実行しろ。横の連絡をとるな。それで自分たちができる簡単なことをやれ」という指示が「イスラム国」から出たとします。たとえば、ポリタンクにガソリンを入れて、どこかのお店や事務所に行って、撒いて火をつける。自爆の覚悟でやれば十人、十五人は簡単に殺せます。こういうようなことをやって社会不安を煽る可能性があるのです。
それを「イスラム国」がインターネットで指示するのです。いま、トルコでもテロが問題になっていますよね。あれは、「イスラム国」から少人数によるテロをやれという指示が出ているからです。フランスでもやれという指示が出ている。そして、そういう指示が日本に対して出た場合には、日本でもテロが起こるというのは十分あり得る話なのです。
「日本よ、情報を評価・分析する能力をもて」
情報を正しく読み取れない、ピント外れなメディア
佐藤 これは少し裏の話になりますが、現状、ヨルダンという国は実はアラブ諸国のなかではイスラエルと外交関係をもっている特別な立場にある国なのです。アメリカとの関係も良好です。今回の事件ではヨルダンの情報、さらにイスラエルの情報機関との連携は、すごく重要になってくるわけです。だから対策本部をアンマンに置いたのは正解です。そんな自明のことが議論になること自体が不思議ですね。
「イスラム国」が後藤さんの件を持ち出して、ヨルダンの国内の分断を図ろうとしているわけです。「日本人を救うために、我々のヨルダン人パイロットを見殺しにするのか」というような世論をかき立てようとした。実際に一部ではやはり抗議活動も置きました。こういうことを「イスラム国」は巧みに計算してやっていたということですね。
もはや対岸の火事ではない
「日本よ、テロとの戦いに備えよ」
佐藤 湯川遥菜さんが殺害されたときに「イスラム国」は映像にキャプションをつけていました。「日本人傭兵」とつけていたんです。それに対して後藤健二さんには「十字軍兵士」です。なんでその違いが出てきたのか? 実は日本ではほとんど注目されていませんが、後藤さんがキリスト教徒だからです。ですからそのあとエジプトのコプト教徒(東宝共計系のキリスト教徒)21人が殺されたとき、このコプト教徒のキャプションにはやはり「十字軍兵士たち」とついているのです。
後藤さんの件に関して、アメリカの国連大使が彼の仕事を讃えたりするのは、後藤さんがキリスト教徒であることと関係しているのです。意外と日本人が気づかないのがこうした宗教の問題です。こうしたことにセンスを敏感にしておく必要はあると思うんです。
もすごい面倒くさいことに、アメリカのオバマ政権は、スンニ派が中心の「イスラム国」の攻勢にあって、シーア派のイランは厳しい状況にあるため、イランのロウハニ政権もうまくすればある程度、味方にできるんじゃないかと思いはじめているんです。
エネルギーだけでなく、
核を結ぶ新しい枢軸に要注意
手嶋 アメリカの対イラン外交は、いまの国際政局がいかに複雑で大変かを物語っています。ほんとうに自国の国益に敵う外交の選択肢とは何かを冷静に見極めることが大切です。その見極めが不十分だと、言葉を変えれば、インテリジェンスの分析が不十分なままだと大変なことになってしまう。いま水面下でアメリカとイランが急接近しているのはその悪しき例でしょう。
これではアメリカの盟友イスラエルも離反してしまいます。また中東最大の産油国サウジアラビアも離反することになります。いくらイランを縛る協定を結んでも、アメリカは、イランの核武装を事実上容認していると受け取られてしまう。佐藤さんは、イラン、ロシア、中国の絆を「新しい枢軸」と呼んでいますね。
佐藤 そうです。「新しい枢軸」によって出てくる、いちばん恐ろしい話は何か。イランが仮に核を持った場合、イスラエルはそれに対して上げしく反発することは明らかですが、もう一つはいま、手嶋さんが指摘したサウジアラビアなのです。実はサウジアラビアが核保有国になるかもしらえないのです。
パキスタンははっきり言ってあまりお金のない国です。それなのになぜ核開発をすることができたのか。実はサウジアラビアがお金を出したからです。パキスタンの核兵器開発のオーナーはサウジアラビアなんですよ。
ですから、インテリジェンス世界のプロは、サウジアラビアとパキスタンの間に秘密協定があると見ています。すなわちイランが核を持つ事態になれば、パキスタンの領内においてある核弾頭をサウジアラビアの領内に密かに移動する。アメリカ政府もそれを阻止することはできません。同時に「サウジが核を持つなら、我々も」と、アラブ首長国連邦やオマーンやカタールも核弾頭を買いつけるでしょう。そこまで予測する専門家はいるのです。「イスラムの核」が拡散する事態となれば、従来の核の均衡な成立しなくなります。
そんな状況でサウジアラビアの王朝が倒れたら、そこに「イスラム国」が入ってきて、核を手に入れてしまう。「イスラム国」が核を持つというシナリオ、これこそが悪夢にほかなりません。そうなれば、「イスラム国」は早々に核を使うでしょうね。
手嶋 恐ろしい話ですが、現実に起こり得る事態なんです。リビアのカダフィ政権が2011年に倒れました。実は2003年のことですが、当時、イラク戦争をはじめたアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、唯一といっていい成果を挙げたんです。リビアの独裁者カダフィに核を放棄させたのです。あのとき、もしカダフィのリビアが核兵器の開発を続けていればどうなったか。そう考えるだけで恐ろしい。そのあとリビアに革命が起こったわけですから。イスラム過激派の手に核弾頭が渡ることになってしまった可能性がありました。
いま、テヘラン、モスクワ、そして北京という戦略上の拠点を結んで、石油エネルギーの絆が強化されているだけでなく、核兵器を保有したり、保有する潜在力がある者同士の枢軸がうっすらと姿を現しつつあるのです。ロシアは隣国、中国に長期にわたって天然ガスを供給する中ロ協定を結び、中ロ両国はイランの核開発を阻止する協定で、イラン側の意向を暗に代弁しています。結果的に海洋国家を呼号する中国は一層力をつけ、日本への風圧は強くなる恐れがあります。
佐藤 ですから、この中国・ロシア・イラン枢軸の形成には、日本としてほんとうに注意が必要です。
>>「イスラム国」や中国・ロシア・イランの「新しい枢軸」の動向には注意していきたい
「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」(池上彰著、NHK出版)より
第七章 日本と日本人――いつ、どのようにして生まれたのか?
「日本」という名前の由来
国家意識というのは不思議なもので、自分たちだけでは生まれてきません。つまり、自分とは異質な人たちと接触をして初めて、彼らとわれわれは違うという認識が生まれてくるわけです。
日本という国名の由来にもそのことが表れています。
日本の名前の由来には、大きく二つの説があります。一つは太陽のもとの国ということから「日の本」となり、それが日本となったという説。もう一つは、対中国とのかかわりの中で、中国大陸から見て「太陽が昇るもともとの場所」という意味で日本になったという説です。
後者の説は、「聖徳太子」が遣隋使の小野妹子に持たせたという国書の中の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という一節にも通じています。中国を意識して自分たちの国を「日出づる処」と呼んでいるわけです。
ニッポンかニホンか
2009年に、政府はニホンとニッポン、両方とも使われているので、どちらかに統一する必要はないという閣議決定をしています。閣議決定ですから、公式にニホンとニッポン、どちらでもいいということに決まったわけです。
国の呼び方が二通りある。そして日常的な場所とあらたまった場所で使い分けるというのは、いかにも日本的な感じがします。
「日本人は」1873年に誕生した
明治になって1871年に戸籍法が制定され、その後、1873年に太政官布告というものが交付されます。
太政官布告以前は、国籍という考え方がなかったのです。日本人と外国人が結婚したらどうなるんだ? 明治初期にこういう想定をしたとき、初めて国籍という概念が生まれてきたのです。
ということは、それまでは近代的な概念でいう日本人は存在しなかったということになります。
日本人という概念が政治的につくられたことで、初めて日本人というものが制度上、存在するようになりました。
健全な愛国心とは何か
健全な愛国心というのは、上から押しつけられるものではなくて、みんなが自然に持つものです。
韓国・中国と東南アジアの違い
中国と韓国は建国神話にもとづいて反日教育を行ってきたという経緯があります。東南アジアではそういう教育はありません。反日教育をしているかどうかが、現在の日本との関係にも大きく影響しているのです。
他者との関係から自分・自国を認識する
日本だけが単独で存在していたら、日本という名前は必要ありません。他者が、つまり他国があってこそ、私たちは日本ということを自覚できるし、日本人としての誇りもまた生まれてくるのだと思います。
学ぶという営みは、必ず過去の蓄積を下地にしています。歴史が書き換えられることもあるし、新しい科学的な発見が生まれることもある。でもそこには必ず、過去の下地や蓄積がありました。過去を見直すことによって、学問は発展し成長するということです。
現代の私たちの前には、過去の膨大な蓄積があります。そして、この過去の蓄積を生かすことで、進歩という言葉が適切かどうかはわかりませんが、私たちはそれまでより豊かな暮らしや社会を築くことができるようになると思います。
現代に生きる私たちにとって、知識の重要さもそこにあります。単に受け取るだけではなく、それを現代に生かし、より良い社会をつくり、より良い人生を築いていく。それがリベラルアーツというものの価値なのです。
おわりに
今、私たちは、どこへ行こうとしているのか。
国際社会の紛争は続き、経済的混乱も、相変わらず起きています。
しかし、21世紀になってからは、少なくとも20世紀中のような世界大戦は起きていません。数千万人や数百万人単位の餓死や虐殺も起きていません。
また、世界大恐慌も、起きなくなっています。2008年のリーマンショックは、「100年に1度」と言われるほどの経済的大打撃でしたが、世界恐慌の再来は防ぐことができました。
それらを見るだけでも、21世紀は、20世紀よりマシなのではないでしょうか。これは「進化」と呼べるのか。歴史に学ぶことができた点で、進化と呼べるのでしょう。
このように考えて、私は人類の未来を楽観しています。もちろん、過去に学んでいれば、との留保つきですが。
改めて問います。私たちは、どこへ行こうとしているのか。その進路を決めるのは、私たちなのです。
>>私も、リベラルアーツを修得して、それを現代に生かしてより良い社会をつくって、より良い人生を築いていきたい
「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」(池上彰著、NHK出版)より
第一章 宗教――唯一絶対の神はどこから生まれたのか?
風土によって異なる宗教が生まれる
各地の自然条件によって、いろいろなタイプの宗教が生まれてきたわけです。
ユダヤ教とキリスト教の違い
ユダヤ教徒キリスト教の違いは、二つの宗教の広がり方とも関係している。ユダヤ教徒は、あくまでユダヤ人だけが救われるという民族宗教なので、世界中には広がりませんでした。それに対してキリスト教は、すべての人が信じれば救われるということですから、場所や民族を問わずどんどん広がっていくわけです。やがてローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になると、信者は爆発的に増えていきました。このように世界中に信者が増えていく宗教のことを世界宗教といいます。
「旧約」「新約」とはどういう意味か
キリスト教の聖典である『新約聖書』は、「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」という四つの「福音書」から成り立っています。「福音」とは「良い知らせ」という意味で、イエスの言行を伝えた書ということです。
ではなぜ、キリスト教の聖典を「新約聖書」と呼ぶのでしょうか。「旧約」「新約」の「約」は、約束の約です。神がイエスをこの世に遣わされたことによって、人びとは神と新しい約束(tsetament)をした。キリスト教ではこのように考えて「新約」と言います。キリスト教徒から見ると、それまでのユダヤ教の聖書は古い約束なので『旧約聖書』と呼ばれるようになりました。
このように『旧約聖書』というのは、あくまでもキリスト教徒の立場からの言い方です。だからユダヤ教徒に『旧約聖書』と言うと、嫌な顔をされます。ユダヤ教徒にとっての『聖書』は、キリスト教徒が言うところの『旧約聖書』だけです。聖書は一つしかないのです。
ムハンマドが聞いた天使の声
さあ、次は今から1400年ほど前のことになります。アラビア半島にムハンマドという男がいて、、あるとき洞窟で瞑想していたら、突然、何者かに羽交い絞めにされて「誦め」と命じられたというのです。これは「今から言う言葉を声に出して読め」と命じられたということです。ムハンマドは読み書きができなかったものですから、「私は読めません」と答えたのですが、「今から言うことをちゃんと復唱しろ」と言われました。
ムハンマドはビックリして、その洞窟から逃げ帰り、こんな怖い目に遭ったと奥さんに話したところ、奥さんは「それは天使が神さまの声を、あなたに伝えたのよ」と言ったのです。
そう言われたムハンマドは「ああ、さっきの声は天使の声だったのか。神さまからの言葉が私に伝えられたのか」と考えたというのです。奥さんも「その神の言葉をみんなに伝えていかなければいけない」と言って、自ら第一号の信者になりました。これがおイスラム教の始まりです。
この天使の名は、イスラム教の経典である『コーラン』には「ジブリール」と書いてあります。 実はジブリールはアラビア語読みで、これはキリスト教で言う天使ガブリエルのことです。
天使ガブリエルは、マリアに受胎告知をした天使です。『新約聖書』には、マリアがまだ結婚する前に「あなたのお腹には男の子が宿りましたよ」と天使が伝える話が出てきます。この天使がガブリエルです。
つまり、マリアに神の子が宿ったと伝えた天使ガブリエルは、アラビア半島においては、ムハンマドにアラビア語で神さまの言葉を伝えたとうことになります。神の言葉は直接、人間は聞くことができない。間に神さまの言葉を人間に伝える通訳がいる。その通訳が天使ガブリエルということです。
『コーラン』は、「声に出して読むべきもの」という意味です。だからイスラム世界に行くと、『コーラン』を黙読している人はいません。大きな声で読んでいる人もいるし、さすがにまわりの人の目を気にして大声を出せない人は、ブツブツと小さな声でそれを読み上げています。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は同一
神は、ユダヤ教徒に神の言葉を伝えた『聖書』を与えた。ところが、ユダヤ教徒たちは神の言葉を守らない。そこで、今度はイエスに神の言葉を新たに伝えた。それがいわゆる『新約聖書』ということになります。しかしそれでもキリスト教徒は、まだ神の言葉をしっかり守っていない。そこで神は最後にムハンマドに神の言葉を伝えた。それが『コーラン』である、という位置づけになっているわけです。
したがって、ユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神はみな同じ神です。アラブ人たちはアラビア語で神のことを「アッラー」と言います。アッラーというのは、英語で言えば「ゴッド」です。アラビア語の「アッラー」も英語の「ゴッド」も同じ唯一の神のことです。
世界には現在、およそ15億人から16億人のイスラム教徒がいると言われています。一方、キリスト教徒はさまざまな会派を合わせると20億人ぐらいいます。まだ世界ではキリスト教徒のほうが多いのですが、いずれイスラム教徒に追い越されるかもしれないと予測する人もいます。
ゴーダマ・シッダールタの出家
イエスが生まれるよりずっと前の紀元前5世紀ごろ、古代インド(現在はネパール領)ルンビニーで、当時の釈迦族の王に息子が生まれました。男の子は「ゴータマ。シッダールタ」という名前が与えられました。
人の生老病死を目の当たりにした彼は「なぜ人は生きるのか」と考え、悩んだ末、29歳のときに妻子や地位を捨てて、修行に入るのです。
その後、悟りを求めて、6年間にわたって苦しい修行をしたものの、なかなかうまくいかない。こんな苦しいことをやってもダメだと気がつき、ふと菩提樹の下で座禅を組んで思索にふけっていたら、ついに悟りをひらくこができたというのです。以降、ゴータマ・シッダールタはインド中を旅して、弟子を増やしていきます。この弟子たちがさらに教えを広めていく。こうして、悟りを開くことによって、煩悩から来るさまざまな苦しみから逃れようという仏教が、アジア各地に広まっていくことになりました。
仏教は「仏の教え」であり、「仏」とはブッダを指します。ブッダのことを「お釈迦さま」とも言います。
古代インドの言葉はサンスクリット語です。サンスクリット語で、ゴータマ・シッダールタは「ブッダ(真理に目覚めた人)」と呼ばれました。そしてブッダの教えが中国に広まると、ブッダには「仏陀」という漢字が当てられます。やがてこの漢字が日本にも入ってきて「仏陀の教え」となり、「仏さま」という言い方にもなりましたが、「仏」はもともとはブッダの当て字にしか過ぎなかったのです。「お釈迦さま」という呼び方は、ゴータマ・シッダールタが釈迦族の出身だったことによります。
「輪廻」と「解脱」
古代インドにはバラモン教という宗教があり、ブッダも、もともとはバラモン教とでした。このバラモン教から仏教徒ヒンズー教が生まれます。だから仏教もヒンズー教も実は親戚のような関係にあるのです。
仏教の基本的な考え方である「輪廻」の思想も、バラモン教の影響を受けているし、ヒンズー教にも輪廻の思想は存在します。輪廻とは人間を含めたすべての生きるものが、死んでも再び別の人間や生き物に生まれ変わり、いつまでもそれを繰り返すサイクルのことです。ただしヒンズー教の場合は、カースト制度という非常に厳格な身分制度があって、生まれ変わっても同じ身分で生まれてくるという考え方です。だからヒンズー教はインドだけの宗教になり、世界宗教にはなりませんでした。
それに対して仏教は、誰でも生きている間に善行を積めば、次はより良いステージに生まれ変わることができると考えます。悪いことをすれば、次は動物(畜生)になってしまうかもしれないと考えます。このように人びとのあり方を固定化しないからこそ、仏教は世界宗教になっていくわけです。
仏教の「輪廻」とは決して明るい考え方ではありません。仏教は、生きていることは苦しいことだと考えます。輪廻を繰り返すこと、つまり何度も生まれ変わることで、苦しみがいつまでも続くことになります。
この輪廻から抜け出すことが「悟り」と開くこと、すなわち「解脱」です。
ゴータマ・シッダールタは、もともとバラモン教徒ですから、死んだら、また生まれ変わってくると思っているわけです。死んでも、またこの苦しみの世界に生まれてくる。なんとかその苦しみから逃れるすべはないだろうかと考えて、悟りを開いた。悟りを開くとは、輪廻の輪の外に出るということです。
ゴータマ・シッダールタは、三十五歳のときに菩提樹の下で悟りを開いたので、もう二度とこの世に生まれることはありません。二度と生まれ変わらずに、一切の苦しみから解放された境地に至る。これを「涅槃に入る」といいます。解脱して涅槃に入ることが仏教の理想なのです。
これは、いささか驚きではありませんか。「良い状態に生まれ変わること」を求めているのではなく、二度とこの世に生を受けることがないのが理想の姿。こういう考え方が本来の仏教です。他の地域の宗教とは、大きく異なるものなのです。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には、いずれも世界を創造した唯一絶対の神が存在しますが、仏教では、そういう存在は想定されていません。宇宙も世界も、既に存在していることが前提になっています。その世界の中で、どう正しく生きるか。それを考え、修養する宗教です。唯一絶対の神を信仰する人たちからすると、「神が存在していないのだから、無宗教だ」ということになったり、「宗教ではなく、仏陀が説いた哲学だろう」と考えたりする人もいるのです。
宗教は変化する
各地の自然条件や気候風土によって生まれる宗教が違ってくるということは、最初にお話ししました。それと同時に知っておきたいのは、ある宗教は、それが広がっていく過程にさまざまに変化していくということです。
イスラム教は、大きくスンニ派とシーア派に分かれています。
スンニ派は、お墓を重視しません。人間は死んでも、地面の中でこの世の終りが来るのを待っているにすぎないと考えるからです。それに対してイランのようなシーア派は、アジア的な色彩が濃く、立派なお墓を立てます。聖人君子の場合は、亡くなった後に聖者廟というお墓を立て、そこには大勢の人がお参りに来るのです。
イランには、イラン・イスラム革命を指導したホメイニ師のお墓があります。ここには大勢の信者がやって来て、お祈りや願いごとをします。その中には願いごとを書いた紙を金網のところに縛りつけていく人たちがいます。
この様子、日本のおみくじとそっくりです。日本の神社なのでおみくじを引くと、吉なら持って帰りますが、凶の場合は近くの木などに縛って置いていきます。この様子の外見が、シーア派の振る舞いととてもよく似ているのです。
またシーア派の信者は願いごとがかなうとお礼参りに来て、お金を出します。これも御賽銭とどこか似ています。イスラム教なのにアジア的な性格の強いシーア派になると、日本人のお参りに近くなってくるというのはとても興味深いことです。
さらに、現在内戦状態が続いているシリアでは、アラウィー派という一派があります。アサド大統領もアラウィー派に属しています。このアラウィー派も広い意味ではシーア派ということになるのですが、アラウィー派にはイスラム教なのに輪廻転生の考え方があるのです。
さきほど説明したように、イスラム教では、死後は世界の終りが来るまで地面の下で待っているはずなのに、アラウィー派の考えでは、悪いことをしていると動物などに生まれ変わってしまうのです。仏教と同じですね。
こうした例を見ると、同じ宗教でも、それぞれの気候風土や文化によって中身が大きく変わってくるということがわかると思います。
キリスト教、仏教の変化
キリスト教や仏教も、時代が進むにしたがい、大きく変化していきました。
キリスト教の場合、四世紀末にローマ帝国が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれると、東ローマ帝国の信者たちのキリスト教は、ギリシャ正教というものになっていきます。ギリシャ正教はやがて東ヨーロッパに広まり、ロシア正教、セルビア正教、グルジア正教、ウクライナ正教など、東方正教会と呼ばれるものに変わっていきます。
西ローマ帝国に残ったキリスト教は、やがてカトリックと呼ばれるようになります。「カトリック」は「普遍的な」という意味です。カトリック教会では、バチカンに立派な教会をつくるためのお金が必要だということで、「免罪符」というものを売り出しました。免罪符を買えば、罪が帳消しになる。そう宣伝して資金集めをしたのです。
このカトリックに対して、宗教の堕落だと抗議する人たちが現れ、そこからキリスト教のプロテスタントが生まれます。プロテスタントは「抗議する人」という意味です。
このようにキリスト教も、カトリック、東方正教会、プロテスタントと大きく分かれていきました。さらにプロテスタントには、その中にもたくさんの宗派があるのです。
仏教もブッダが亡くなった後、信者たちの中で考え方が分かれていきます。それが「上座部仏教」と「大乗仏教」です。
位の高い人びとは、ブッダと同じように出家して修行に没頭し、自分の悟りを開こうとします。彼らはいわば伝統にのっとったグループです。それに対して、「果たして出家した僧侶だけが救われればいいのか」と疑問を呈するグループが現れました。彼らは「すべての生き物を助けるようなことをしなければいけない」という意見を持つようになり、ここで対立が起きます。
後者のグループは「私たちはすべての人たちを助ける<大きな乗り物>である」といって、「大乗仏教」を名乗りました。そして、自分の悟りを求めて修行に没頭する前者に対しては、「あいつらは自分のことしか考えていない。自分さえ救われればいいという<小さな乗り物>に乗っているんだ」と批判して、これを小乗仏教と呼んだのです。
私が子どものころは、仏教は大乗仏教と小乗仏教に分かれると習ったのですが、小乗仏教は批判を込めた言い方であることから、今では使われたなくなり、代わって「上座部仏教」と呼ばれるようになりました。「上座部仏教」とは文字通り「自分たちこそ上座にあるすぐれた教えである」という意味です。
この上座部仏教は、インド、あるいはインドシナ半島のタイに広がっていきます。それに対して、大乗仏教は中国を経由して朝鮮半島や日本にやってきます。さらに日本の中でも、さまざまな仏教の派が分かれていくことになります。
たとえば鎌倉時代になりますと、浄土宗を厳しく批判する日蓮という人物が現れました。浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えます。「南無」は「帰依します(服従し、すがります)」という意味。阿弥陀仏さまにすがっていれば、浄土に行ける。「阿弥陀仏さまに帰依します」が「南無阿弥陀仏」ということですね。ところが日蓮はそうではなくて、法華経という教えこそがもっともすばらしいんだと説きました。日蓮宗の「南無妙法蓮華経」の「妙法」とは、「大変すばらしい」ということで、「妙法蓮華経」は法華経の正式な題目です。だから、「すばらしい法華経に帰依します」が「南無妙法蓮華経」ということになります。
この日蓮宗からさらに日蓮正宗が分かれ、日蓮正宗の信徒団体として創価学会が生まれ、本山と対立した宗教団体となり・・・・・・と、日本の中だけでも仏教は非常に細かく分かれていきます。
そうすると、日本独自の変化を遂げた仏教は、もともとの仏教の思想や教えとはずいぶんかけ離れた姿になっていくわけです。僧侶は生涯独身でなければいけないのに、妻帯をしてもいいとなったり、お酒を飲んでも構わないとなったり。さらに言うと、日本の仏教では、お寺にお墓を立ててご先祖さまを敬いますが、もともとの仏教にはそういう教えはありません。
インドや初期の仏教が残っているチベットなどに行くと、遺体は焼いて灰を川に流しておしまいです。お墓はつくりません。
なぜ日本ではお墓を建てるのかというと、仏教が中国に渡って、中国から日本に来るまでの間に、中国独自の先祖崇拝という考え方が入ったからです。菩提寺にお墓を建て、ご先祖さまを弔うという発想自体、中国経由ですっかり変化してしまった仏教だということです。
宗教紛争の本質
実は宗教の争いも争いも、よく見ると土地や資源をめぐる争いなのです。
たとえばパレスチナ問題。ユダヤ人たちが、自分たちが住んでいたところに王国をつくりたいと戻ってきた。でも、そこにはアラブ人のイスラム教徒が住んでいた。そこでユダヤ人たちが「ここは俺のものだ」と言い、アラブ人たちは「いや、俺たちが住んでいるじゃないか」ということで大変は争いになってしまった。元をたどれば、両者の対立は、宗教の違いではなく領土の争いから起こったものなのです。
現代人にとっての宗教
結局、人間は弱い存在です。どうしても人間だけですべてのことはできません。だから、人間の力を超える超自然的なものに頼ってしまうということは、どんなに科学が進歩したとしても起こりうることでしょう。
それを人間の弱さと考えるのか、それとも本当に人知を超えた何らかの存在がいると考えるのか。それは私たち一人ひとりが考えていけばいいことですが、そもそも人間は弱いからこそ宗教を信じるのでしょう。自分が信じている宗教を見つめなおすことで、自分の人生も大きく異なってくるはずです。
>>自分が強ければ宗教を信じる必要はないと言えるのだろうか
「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」(池上彰著、NHK出版)より
2014年4月10日第1刷発行
序章 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?
――現代の教養七科目
すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる
「マサチューセッツ工科大学は、科学技術の最先端の研究をしています。当然、学生にも最先端のことを教えるのですが、最先端の科学をいくら教えても、世の中に出ていくと、世の中の進歩は早いものだから、だいたい四年で陳腐化してしまう。
そうするとまた勉強し直さなければいけない。そんな四年で古くなるようなものを大学で教えてもしようがない。そうではなく、社会に出て新しいものが出てきても、それを吸収し、あるいは自ら新しいものをつくり出していく、そういうスキルを大学で教えるべきでしょう」
それが教養であり、音楽も教養の一つだというわけです。
経済学は世の中の仕組みを分析する上で必要な知識である、つまり人間の教養として必要だから学ぶ。でも経営学は、会社に就職をして働く上で役に立つ学問だから、すぐに役に立ちすぎるので大学では教えない、と言うのです。私はビックリすると同時に、目からウロコが落ちた思いでした。
現代の教養として経済学は学ぶけれど、本当に経営を学びたかったら、大学卒業後、ビジネススクールに行けばいい。こういうことなのです。
日本ではよく大学に対して、社会に出てすぐ役に立つ学問を教えてほしいと言われます。ところがアメリカは意外とそんなことがないのです。すぐに役に立つものを教えるのは専門学校で、いわゆるエリート大学は、「すぐに役に立たなくてもいいこと」を教えるのです。
すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐ役に立たなくなる。すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。こういう考え方なのです。
どこかで聞いたことのあるセリフだと思ったら、これは慶應義塾大学の塾長だった小泉信三さんの言葉でした。
「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」。だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるものです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく、自分の頭で物事を深く考えることができるようになるわけです。アメリカの大学の視察をしてから、現代の教養とはそういうものだなと考えるようになりました。
現代の自由七科
「自分自身を知る」ことこそが現代の教養だろうと私は思います。自分はどこから来て、どこに行こうとしているのか。この場合の「自分」とは、文字通りの自分のことでもあるし、日本人あるいは人類のことでもあります。
私が考える「現代の自由七科」とは次のようなものです。
①宗教
大自然に比べて、人間はとても力の弱いものです。そうなると、人間の力の及ばない、もっと強くて大きな力があるに違いないと古代の人びとは考え、そこから宗教というものが生まれてきました。宗教によって、古代の人びとは世界の成り立ちを理解しようとしたのです。
②宇宙
では、世界はどういう仕組みで動いているのだろうか。
宇宙を知るという営みは、「自分はどこから来たのか」を知ることにつながるのです。
③人類の旅路
現在はネアンデルタール人と人類は、まったく別のものだということがわかってきました。
現在、人類は20万年前にアフリカで誕生したということもわかってきています。
④人間と病気
病気によって、私たちは進化してきたわけです。だとすると、病気を知ることも、私たち人間を知ることになるのです。
⑤経済学
経済学が生まれ、経済学者が新しい理論をつくることによって世の中が動いていく。私たちが生きている世の中の仕組みを知るためには、経済学を学ぶ必要があるのです。
⑥歴史
歴史は時代の勝ち組によってつくられてきたという側面があります。
私たちの過去を記した歴史をどのように捉えればいいのか、ということを考えていきます。
⑦日本と日本人
「日本とは何か」「日本人とは何か」という問いを深めていくと、それらが非常にあいまいなものであることがわかってきます。そんな思索を通じて、「自分とは何か」を考える手がかりにしたいということです。
>>すぐに役には立たないかもしれない教養が大事なのは間違いない
「相続のミカタ」(青木寿幸著、中経出版)より
STORY 4 節税と脱税のあいだ
頑固な人には、自ら招いた難儀が
一番良い教師になるに決まっています。
――ウィリアム・シェイクスピア
「税務署は『形式的に』ではなく、『実質的に』誰の財産なのかを判定します」
「未成年者が贈与される場合には、親は法定代理人として、贈与契約書に署名押印しなくてはいけません」
「時価と相続税の評価額に差があるからこそ、不動産を所有するだけで『相続税の対策』になるのです」
「『架空給与』という典型的な脱税方法です」
どんなに小さな金額であったとしても、売り上げを抜くことに対して税務署は一番怒る。
「無意識にやったのではなく、意図的にやっているからです」
「どれほどのお金持ちでも、自分の財産が少しでも減ることに不安を感じるものだ」
STORY 5 金持ち相続、貧乏相続
児孫の為に美田を買わず。
――西郷隆盛
「そもそも、生命保険金は相続財産ではありません」
「死亡保険金から『相続人の数×500万円』を控除する特例が使える」
「1億円の貸付金は相続財産になるので、相続税の対象になります」
「子どもが相続放棄できるのは、旦那さんが亡くなった日から3カ月以内という期限があるのです」
*子どもが相続放棄した時の相続税の計算式
相続人の1人が相続放棄することで、相続税が変わってしまうと、意図的に相続税を低くできてしまうため、相続税の計算は、それがなかったものとして計算する。
ただし、相続人ではない子どもが死亡保険金を受け取るため、「相続人の数×500万円」を差し引ける特例は使えなくなる。
「間違った対策は、相続人の人生を、その孫まで巻き込んで台なしにしてしまう」
STORY 6 相続税はゼロ。この相続は成功か? 失敗か?
過ぎたことで心を煩わせるな。
――ナポレオン・ボナパルト
養子でも相続人になるため、相続税の基礎控除額が増え、累進課税の税率も低くなり、節税対策になる。
「他人の財産をねたんでも、自分の財産が増えるわけでも、人生が変わるわけでもありません。そもそも財産が人間を幸福にしてくれるわけでもないんです」
「経済は供給が少ないものほど価値が高くなるんです」
「その土地をどうやって使えば、家族が幸せになれるのかを考えるなら、『売ってしまう』という選択肢でもよいはずです」
「これから家族との幸せな生活を送るためには、そんな過去のくだらないことはスッパリ忘れていまうことです」
「節税対策に成功していれば、そのメリットは澤田さんが受けることになる。メリットを受ける人が、責任を負うのが原則だ」
EPILOGUE それでも、相続しますか?
「『残された家族の暮らしを楽にしてあげたい』という、誰もが持つ願いを叶えてあげることはできない」
「香川家は『相続税の対策』は成功していたのに、こんな事件を引き起こしたのは、『相続の対策』に失敗したことが原因だ」
おわりに――相続の現実、「税金を1円でも安くすること」が目的ではない
「遺産分割のとき、家族でもめないために、今から何をすべきなのか、教えてほしい」
突然、相続が起こってしまったら、もう親の遺志を聞くことはできないのです。「あのとき・・・・・・」と後悔しないためにも、取り組むのが早すぎるということはありません。
>>『相続税の対策』よりも『相続の対策』が大切なのは間違いない
「相続のミカタ」(青木寿幸著、中経出版)より
2012年11月4日第一刷発行
STORY 1 財産は、どこへ消えた?
感謝は支払われるべき当然の義務だが、
それを期待する権利は誰にもない。
――ジャン・ジャック・ルソー
亡くなった「義父」のことを、法律用語で「被相続人」と呼ぶ。
被相続人(義父)と同居していた相続人、つまり義母や松本の夫がその自宅の土地を相続して、そのまま住み続ける場合には、その土地の240㎡まで20%で評価してくれる「小規模宅地の特例」*という制度が、相続税にはある。
*条件 ①遺産分割協議書が、作成されていること
②相続税の申告期限まで、住み続けること
「たしかに相続税には『基礎控除額』というものがあり、これを超えた場合にだけ、税金がかかるというのは正しいのですが、旦那さんの相続財産は、基礎控除額以下にはなっていませんよ」
「妻が法定相続分を超えて財産を相続したとしても、1億6000万円以下であれば、相続税はゼロになるんです」
「『相続税の対策』が必要ない人でも、もっと重要な『相続の対策』はやるべきです」
「建物は固定資産税の評価額を使うことになっています」
「1年間で贈与された金額が110万円以下であれば、贈与税はかかりません」
「被相続人の遺言書があれば、遺産分割協議書がなくても、その内容に従って自動的に財産を相続人に分割することができるんだ」
STORY 2 7年間、相続が決着しないのは誰のせい?
内で喧嘩をして居るからわからないのだ。
一つ、外から見て御覧ナ。
直きにわかってしまふよ。
――勝海舟
「もし借金が返せなくなれば、銀行に競売されてしまいますよ」
延納とは、相続税を原則5年以内に分割して支払う方法だが、財産に占める不動産の割合が大きいと、最長20年で支払うことも認められる。
銀行の借金についても、相続人が法定相続分で引き継ぐことになる。
①遺産分割とは、相続人のお金の取り分を決めること
②相続税が安くなることは、全員のメリット
お互いに協調できる提案をすること
STORY 3 その遺言書は開けないで
われわれは好んで
他人が完全であることを求めはするが、
自分自身の欠点を正そうとはしない。
――トマス・ア・ケンピス
市場の時価と相続税の評価額の差が大きくなるマンションの最上階を所有することは、『相続税の対策』になる。
「封印された遺言書は家庭裁判所に持っていき、相続人の立会いのもとで開封しなかればいけない」
「被相続人は、遺言書で自由に自分の財産を誰にあげるのか決めることができます。 相続人に最低限の取り分を保証しているのが『遺留分』です」
「この遺言書を使いたくない場合には、遺産分割協議書をつくれば、そちらが有効になります」
「自分が生きているうちに、誰がどの財産をもらい、その相続税はどうなるかを計算し、かつ節税対策まで実行できる人は、それだけ家族に対する愛情が深いということではないでしょうか」
「遺言書はそのまま読むのではなく、相続人が被相続人の遺志を酌んで、それを実現させることが大切だってことなんですね」
>>被相続人の遺志を酌んで実現させる遺言書が大切なことは自明だ
「人に言えない仕事はなぜ儲かるのか?」(門倉貴史著、角川書店)より
2005年11月10日初版発行
終章に代えて
●来るべき大増税時代に備えよう
いま、日本の財政は火の車だ。
「国の財政がどうなろうと、私には関係のないこと」と思うかもしれないが、国が背負った借金のつけは、遅か早かれ増税という形で私たち国民にふりかかってくる。
しかも、これからの増税はちょっとやそっとの増税ではすまない。びっくりして、目の玉が飛び出てしまうほどの増税になる可能性が高い。
税の世界はややこしいので、ついつい敬遠してしまいがちであるが、来るべき大増税時代に備えるには、いまのうちから税金に関する基礎知識を深め、節税のイロハを身につけておくことが重要である。
また、本書では、税負担の増大によって所得が目減りするのを防ぐための一手段として、副業することのメリットについても触れた。節税をする手立てがないサラリーマンによっては、副業は生計を維持するための重要な手段となる。実際、副業する人の数は年々増加しており、筆者の推計では、現在、副業をしているサラリーマンは日本全国で181.1万人、OLは94.9万人、合計で276.0万人に達するとみられる。大増税時代に突入すれば、副業人口は、いまの水準からさらに大きく膨らむことになろう。
政府がどうしても大増税をするというのであれば、高い水準にある所得税の最高税率をさらに上げるような愚策を避けて、まずは課税ベースの拡大に努めるべきだ。日本の所得税は、「クロヨン」、「トーゴーサン」といわれるように、所得の捕捉率に不公平があって、サラリーマンの所得はほぼ100%捕捉されているのに、自営業者や農業従業者は低い捕捉率にとどまっている。「増税、増税といういけれど、『クロヨン』、『トーゴーサン』のほうを先にどうにかしろよ」という話である。
課税ベースをできるかぎり広げて、より多くの人から税金を徴収するのが、最も公平な増税の方法だろう。
「支出税」は人々の消費支出に対して累進的な課税を行うことができる直接税。貧乏人の税負担がきつくなるといった問題を抱える間接税の「消費税」とは似て非なるもの。
「支出税」は現行の所得税のもつ様々な欠陥を克服することができる唯一の税制であり、税負担の増大による「地下ビジネス」の拡大も防ぐことが可能だ。
>>サラリーマンである我々も大増税時代に備えた対策を今から考えておく必要がある
「世界史の10人」(出口治明著、文藝春秋)より
2015年10月30日第一刷
FILE 08 1533-1603 エリザベス一世
「優柔不断」こそ女王の武器
六人の妻を娶った男
デューダー朝を開いたヘンリー七世は自分がランカスター家の傍流にすぎないことがわかっていましたから、エドワード四世の娘「ヨーク家のエリザベス」と婚姻関係を持つことで王統をつなぎます。
二人の間に生まれたのがヘンリー八世。のちに六人の妻を持つことになる有名な君主です。ヘンリー八世が最初に結婚したのはアラゴンの王女キャサリンですが、実は彼女は、ヘンリー七世の長男アーサーの妃でした。しかしアーサーは早くに死んでしまい、弟のヘンリー八世が兄の未亡人を娶ったわけです。
二人の間にはメアリーが生まれますが、男子が生まれない。やがてヘンリー八世はアン・ブーリンというキャサリンの侍女に心を惹かれ、是が非でも彼女と結婚したいと思い始める。
ところが、国王の離婚・再婚にはローマ教皇の許可が必要であり、アラゴン王フェルナンド二世は「なに、娘を離縁して女官風情と?」と、当然怒ります。それで、離婚を認めないように教皇に脅しをかけます。教皇としても貧乏くじを引きたくないため結論をためらっていると、ヘンリー八世が切り札を出す。「ローマ教皇とは縁を切るぞ」。
これがイングランド国教会が誕生するきっかけになりました。もちろん、教会の財産を自由にできるという実利も大きかった。ヘンリー八世は、「国王至上法」をつくって国王がイングランドの教会のトップとなることを定めました。そうすれば自分で自分の離婚・再婚に許可を与えることができる。なんとも身勝手なふるまいですが、問題はそれだけではおさまりません。国王が教会のトップに立つということは、世俗の権威と宗教の権威をひとりで兼ねるので、絶対王政にぐんと近づいたという、歴史上も重大な意味を持つことになったのです。
そこまでしたヘンリー八世でしたが、アン・ブーリンも男子を産めなかったために、今度はアン・ブーリンの侍女であるジェーン・モアに心を移してしまう。しかもアン・ブーリンを反逆罪で斬首してまで・・・・・・。こうして結婚を繰り返しても、男子はジェーン・モアとの間にできたエドワード六世ただひとり。ただし、アン・ブーリンの娘エリザベスが、これからお話しする物語の主人公としてこの世に生を享けたのです。
キャサリン・パーの功績
反逆罪の蒸す根はもはや王女ではないとして、エリザベスは庶子に落とされる。その前に、キャサリン・オブ・アラゴンの娘メアリーも、離婚に際して庶子に降格され、エリザベスの侍女にされていました。
アン・ブーリンが諸兄されたのは、エリザベスが三歳に満たないころでした。まだ物心がつく前でしょうが、悲痛このうえない話です。ところがエリザベスが十歳になったとき、ヘンリー八世の六番目の、そして最後の妻キャサリン・パーが王に助言します。「あなたんは男子がひとりしかいないのよ。あなたの身体も丈夫じゃないし、この際、メアリーとエリザベスを元に戻してあげたら?子どもに罪はないし、あの子たちはすくすくと育っているのだから」
キャサリン・パーは、メアリーとエリザベスを王位継承権保持者の地位に戻すために力を尽くし、さらに放っておかれたエルザべスを引き取って王女としての教育をほどこします。エリザベスの学習が始まります。もう世の中のことがわかりかける年齢になっていましたから、王命ひとつで庶子になったり王女になったりすることの不条理も学んでいったことでしょう。
教養深いキャサリン・パーは、唯一の男子であるエドワードも引き取って養育したばかりか、すでに成人していたメアリーも呼び寄せて、宮廷の仕事を与えている。キャサリン・パーがイングランドに残した功績は、かなりのものだったといっていいと思います。
実際、それから十年経ってメアリー一世として即位します。エドワード六世はヘンリー八世の死去を受けて六年間、王位にありましたが、十五歳の若さで世を去りました。それでメアリーに王位がわたったのです。ただし、彼女の即位はすんなりと運んだわけではありませんでした。
即位前、エドワード六世の後継に目されていたのはジェーン・グレイでした。へーん・グレイはヘンリー八世の妹の孫にあたる女性で、舅のノーサンバランド公が彼女を王位につけようと画策したのです。メアリーがスペイン系で、しかも頑なにローマ教会への信仰を放棄しないことが口実にされました。
ノーサンバランド公はクーデタを起こしてジェーン・グレイの即位を宣言します。しかしメアリーを捕らえて殺そうとする計画は失敗し、メアリー一派の反撃を許して、ジェーン・グレイは「九日天下」に終わります。彼女が「ナインデイ・クイーン」と呼ばれるのはそのためです。そして、ロンドン塔に幽閉され、半年後には斬首刑にされています。
ジェーン・グレイを女王と認めるかどうか、歴史学者の間でも議論があったのですが、現在は王室も彼女を正当な女王として認めているようです。
メアリー一世のローマ教会回帰
メアリー一世は別名「ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」と呼ばれています。同名の赤いカクテルがありますが、あのイメージです。
メアリー一世はイングランドの女王でありながら、そのプライドはあくまでも母の祖国スペインに由来していました。1544年に結婚しますが、その相手も、スペイン王カルロス一世(神聖ローマ皇帝カール五世)の長子フェリペ(のちのスペイン王フェリペ二世)でした。当時のスペインは豊かなネーデルランドを持ち(ブルゴーニュ公領が婚姻によりハプスブルク家に継承されたのです)、さらに新大陸の富をも手にしていた超大国です。
スペインはローマ教会を信奉していましたから、彼女は夫の機嫌を取ろうとしてプロテスタントを迫害します。イングランドがローマ教会を離れてからは、大陸から大勢のプロテスタントが逃げてきましたが、メアリー一世はローマ教会に復帰し、彼らを虐殺したのです。その数三百人にも及ぶといわれています。「ブラッディ・メアリー」の名はこれに由来します。
メアリー一世の宗教改革に反発した人びとはエリザベスを担ごうとします。メアリー一世は、エリザベスが反乱を企てていると思い込み、殺すことも考えたのですが、自分の世継ぎがいないことがネックとなって殺しきれない。それでエリザベスをロンドン塔に押し込み、そのあと移送して郊外の城に閉じこめたのです。
エリザベスはメアリー一世に充てて潔白を主張する手紙を書いています。「私は女王陛下に対して忠実です。反乱を企てたことなど一度もありません」、と。
メアリー一世にとってエリザベスは、母キャサリン・オブ・アラゴンを王妃の座から追い落としたアン・ブーリンの娘。終生、エリザベスを憎み続けました。もっとも、異母姉妹であっても父親は同じだし、庶子の身分に落とされて苦労したことも共通しています。だからメアリーの即位が決まった際には、エリザベスと手を携えてロンドンに乗り込んでいます。エリザベスはメアリー一世の次の王位継承者でもありましたから。
メアリー一世は卵巣がんで死去します。想像妊娠で出産の準備までしたのに、フェリペ二世との間に子供は生まれませんでした。跡を継げるのはエリザベスしかいない。こうしてエリザベス女王の時代が幕を開けます。1558年、彼女が25歳のときのことです。
海賊をひそかに応援
その経歴からも想像できるように、エリザベス一世はきわめて慎重な性格に育ちました。母は反逆者にされて斬首刑、自身も腹違いの姉から殺されそうになったのですから、どうしても慎重になる。彼女のモットーは「見れども語らず」。世の中を観察し、いろいろな意見は聞くけれども、自らはけっしてしゃべってはならない。――この言葉に彼女の慎重さと懸命さがあらわれています。
1568年、ヘンリー八世の姉のマーガレットの孫にあたるメアリー・ステュアート(スコットランド女王)が、政争に負けてスコットランドから亡命してきました。彼女はフランソワ二世の妃として、フランスに育ち、フランスで長く暮らしていたのです。
複雑なのは、フランスとスコットランドは同盟国であり、どちらもローマ教会であること。エリザベス一世はイングランド国教会を復活させていました。しかも血筋でいえば、メアリー・ステュアートはエリザべス一世に負けていません。エリザベスの母は王族ではないアン・ブーリンで、しかも反逆者です。
こうなると、どうしてもメアリー・ステュアートの周囲に、彼女を担ごうとする勢力が集まって来る。折しも、ローマ教皇ピウス五世の勅書なるものが出されました。「イングランド女王を僭称するエリザベスは異端である」というもので、これはメアリー・ステュアート派にとっては援護射撃となりました。
危機を察知したエリザベス一世は、逡巡の末に行動を起こしました。メアリー・ステュアートを20年間近く軟禁したあと、首を刎ねてしまうのです。その理由について、「メアリーのほうが背が高いので嫉妬した」とか、「メアリーの美貌が気に入らなかった」などという憶測が生まれますが、20年間近くも処刑をためらったところに、エリザベス一世の慎重な性格がうかがえます。
エリザベス一世は海賊を陰で応援していました。イングランドを支えているのは海賊たちであり、彼らは効率よくイングランドに富をもたらしてくれることがわかっていたからです。海賊たちが女王を守ろうとするのも当然です。
プロテスタントたちも彼女の見方でした。当時のネーデルランドはスペインの領地だったので、ローマ教会が支配している。だからネーデルランドやフランスのプロテスタントが大勢、宗教的自由を求めてロンドンなどイングランドの町に流れてきた。エリザベスは、これらの亡命者がこの国の活力になるとわかっていたのでしょう。教皇に取り締まるように言われても、のらりくらりと何もせずに放置したのです。
エリザベス一世は、何もしないで何事かを達成するという、受動的な政治感覚に優れた無類のリアリストでもあったのです。
小回りの利かなかった無敵艦隊
相変わらず海賊を応援し続けるエリザベス一世に、フェリペ二世の堪忍袋の緒が切れるときがやって来ました。スペインの「無敵艦隊(アルマダ)」が派遣されたのです。
迎え撃つイングランド艦隊の司令官は、あのフランシス・ドレーク。1588年の7月から8月にかけて、英仏海峡を舞台に海戦が繰り広げられました。およそ130隻を擁する「アルマダ」は小回りが利かず、イングランド艦隊に翻弄されます。さらに嵐が追い打ちをかけました。スペインに帰れたのは、約半数の67隻だったといいます。反対にイングランドでは、凱旋したドレークらに国中が大いに沸き、エリザベス女王万歳の空気に満ちあふれたのも大いにうなずれるでしょう。
この海戦に勝利したことで、イングランドは制海権を手に入れ、世界の海を制覇する「大英帝国」に向かって突き進んだかのように理解している人も少なくないでしょう。しかし実際は、依然としてスペインがその財力で艦隊を修復し、しばらくは制海権を握り続けたというのが史実のようです。
一般に、女王の夫の立場は難しいものです。身分の釣り合いを考えると、外国の王族から選ぶことになりますが、メアリー一世の例を見ればわかるように、外国の干渉を招くことになりかねない。
現在のエリザベス二世の夫、エディンバラ公フィリップ殿下もずいぶん苦労されたようです。ギリシャの王族とはいえ、子どものころにクーデタが起こり、フランスを経て連合王国へ亡命していたので結婚当時は一軍人にすぎませんでしたし、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公(ザクセン公家出身)とは違って、女王の共同統治者を示す「プリンス・コンソート(王の配偶)」の称号も与えられませんでした。
エリザべスにとってラッキーだったのは、私生活では得られなかった伴侶を政治の場面では得られたことです。ウィリアム・セシルという国王秘書長官や大蔵卿をつとめた人物がほぼ50年の長きにわたり、エリザベスを支え続けました。その二男ロバート・セシルも、国王秘書長官としてエリザベス朝の末期を補佐しました。
エリザベスと同時代を生きたシェイクスピア(実在しなかったとの説もありますが)の果たした役割も大きかったでしょう。彼がエリザベス時代を薔薇色に描き続けたおかげで、この時代は黄金期だとのイメージが市民の間に浸透していったからです。
後継者問題に箝口令
未婚のエリザベス一世が死んでしまえば、テューダー朝の王統は堪えます。実際はジェームズ一世が継いだのですが、彼はエリザベスが反逆罪で斬首刑に処したメアリー・ステュアートの嫡男でした。
腹心のロバート・セシルは、ジェームス一世(まだこの時点ではスコットランド王ジェームズ六世)とひそかに連絡を取って、「もし万一の事態になれば、すぐにロンドンに来て王位に就いていただきたい」と因果を含めていたのです。
のちになって、エリザベス一世からジェームズ六世に宛てられた書簡が何通も発見されています。「私はあなたのことを考えています。だから軽挙妄動はさけられますように」
おそらくこういうことでしょう。エリザベス一世自身はちゃんとジェームズを後継に考えていて、信頼するセシルを通じて本人にもそれを伝えていた。ただ、それが露見すると、また家臣たちが派閥をつくり、いろいろな人を活動として国が乱れる。だから、自分の後継問題にあれこれ言う者は死刑にすると脅していた――。
そこまでする必要があったのは、やはり自分が「反逆者の子」であることによる正当性の問題があったからでしょう。キャサリン・パーの尽力のおかげで、法的にはなんら問題はなくなっている。それでも、斬首刑にされた反逆者の子であるとの思いは、おいそれと消え去るものではありません。その思いは同じ反逆者の子であるジェームズも同じに違いない・・・・・・。エリザベス一世がジェームズを後継に選び、事を秘密裏に運んだのは、そういう理由があったからだと思います。
結果的には何の混乱もなくジェームズ一世にバトンを渡し、首尾よくステュアート朝の幕を開けることができました。メアリー一世が即位する際にはジェーン・グレイという対抗馬がいて、クーデタ騒ぎまで起きましたから、学習したに違いありません。ここにもエリザベス一世の用意周到さを見ることができます。
エリザベス一世の時代は、ローマ教会からイングランド国教会の体制に戻したおかげで宗教弾圧もほとんど発生せず、海賊もプロテスタントも伸び伸びと商売ができて(海賊は略奪が商売です)国を繁栄させ、スペインとの戦いにも勝って自信がつき、エリザベス一世のものとに団結が固まった。アルマダの海戦以降、イングランドは一流国として承認されたといってもいいでしょう。それまではヨーロッパの中小国ぐらいにしか見られていませんでしたから。
テューダー朝の一部でしかないこのエリザベス一世の時代を、特に「エリザベス朝」と呼ぶのも当然だと思います。
>>森総理(カテゴリ:森喜朗、2015/12/28付)がエリザベス一世の後継対策に学んでいれば、加藤総理が誕生していたかもしれない
「10歳から身につく問い、考え、表現する力 ぼくがイェール大学で学び、教えたいこと」(斉藤淳著、NHK出版新書)より
第五章 「学問」として各教科を点検する
1 算数・数学
形式の科学
「内部整合性」を追求する、すなわち議論の内部に矛盾がないかを考えるということですが、そのために証明手続きの作法を身につけたり、数や量の関係を抽象的に把握し、必要に応じて具体的に表現したりするための概念操作に親しんでおく必要があります。
2 理科(自然科学)
もっと数学を活用せよ!
数学が論理と証明の手続きをテコに推論していくのに対して、理科は自然界に成り立つ法則性を説明しようとする点で、算数や数学とは学ぶ目的が異なります。「外部整合性」の問題ですね。しかし、だからこそ理科は、たとえそれが小学生、中学生の範囲であっても、算数・数学で学んだ道具を応用する意味のある分野です。論理的思考の説得性を、外の未知なる世界を説明するときの武器に活用するのです。
3 社会科(社会科学)
歴史は、なぜ「史実」になったのか
学校で学ぶ「歴史」と、現代の生きた社会科学から見た「歴史分析」との間には、大きな違いがあります。現代社会科学は、それが政治学であろうと経済学であろうと、因果関係の分析を主たる関心としています。「どうしてこうなったのか?」ということを追求するのです。また、そうすることが可能な場合には、一般的に成立する法則性を理解することを重要な研究課題としています。
第六章 英語を学ぶときに覚えておいてほしいこと
1 何のために英語を勉強するのか
どのレベルを目指すのか
入試に必要な語学力とは、ゆっくり緻密に理解する力です。 一方、口頭で意思疎通するためには、緻密さは若干犠牲にしなければならないかもしれませんが、スピーディに応答する力が必要になります。さらにビジネスや研究の現場で必要な実力は、緻密さもスピードも要求されるものになります。要は最初からプロフェッショナルな実力を獲得することを念頭にトレーニングを積めば、大学入試も日常的な意志疎通も問題なくこなせるということです。
2 どんな方法で学ぶか
言語学の知見を活かして学ぶには
二十世紀に発達した応用言語学に、そのヒントを求めることができます。それは、母語習得のメカニズムを参考にしつつ、すでに獲得した母語の理解力をテコに、効率的に言語を身につけていくという考え方です。
十歳前後からは文法を理解してから読み書き聴き話す学習が効果的という説が今では支持されているのです。
3 十歳前後の学習法
腹式呼吸で発生
国語の教科書の音読、武道で気合いを入れるなど、どんな手段でも構いませんので、小さいうちから必要なときに元気よく声を出せる習慣をつけてほしいと思います。
4 外国語を学ぶことの意味
「英語を学ぶ」から「英語で考える」へ
語学力、教養や専門性だけでなく、人間としての幅広さと奥行き、そして自身がないと、なかかうまくコミュニケーションできないものです。英語がある程度までできるようになって気づいた、外国語を学ぶ意味。それは、人間として生きていくうえで、国境や文化を超えて共通して持っている価値観とは何か、そしてその限界がどのようなところにあるかが理解しやすくなったということかもしれません。
イェール人インタビュー①
「現状満足」から一歩踏み出せば、いろんな世界が見えてくる――是永淳
本当の課題は「現状満足」?
是永 いろいろと環境上の制約はあるかもしれないけれど、勉強する気になればなんだってできるんです。そういう意味では、環境が悪いというよりも、むしろ現状満足が留学から研究者を遠ざけているのかもしれませんね。日本では、現状を変えなくてはいけないという思いがないから、かたちだけになってしまうんでしょう。 いちばん問題なのは「日本がそんなに悪くない」ということかもしれないですね。
そんなに悪くないから、「今のままでもいいんじゃんない?」というような風潮がありますね。やればもっとできるのに、私は本当にもったいないと思います。
イェール人インタビュー②
なぜ考えるのか、なぜ起こるのか。人の根源について知りたい――富田進
最終的に、人生は思考力で決まる
富田 最終的には、人生は思考力です。自分のやりたいことは思考しないとできません。例えば教授に何かしろと言われて、言われたことができる子は日本にはいっぱいいるけれども、私たち研究者は誰かがやるべきことを言ってくれるわけではありません。自ら何かをクリエイトしないといけないわけです。
問いを見つけて、それにどう答えるのか。そして、答えが合っているかどうかわからないものを、いかに説得させるか。アメリカではそういう思考力が育てられます。日本の教育にはそこが欠けていると思います。
おわりに――世界のどこでも生きていける一生ものの学びを
学ぶ喜びとその作法さえ身につけていれば、世界のどこでも生きていける。つくづくそう思います。本書を通じて、読者の皆様が、学び問いかけることを楽しんでいただければ、ぼくとしては何より大きな喜びです。
>>問いを見つけて、答えが不明なものを説得させる思考力を育てた上で、現状を変え続けていきたい
「10歳から身につく問い、考え、表現する力 ぼくがイェール大学で学び、教えたいこと」(斉藤淳著、NHK出版新書)より
第二章 「問う」ための環境づくり
1 「問う」力がなぜ大切なのか
日本の子どもはなぜ質問しないのか
第一に、機会の乏しさ。まず、日本の教育課程では、自ら問いを発する機会がほとんどといってよいほどない。
第二に、間違うと否定されるし、質問をすることも自分の無知をさらけ出す作業だと考えて、リスクをとるよりは発言せずにおとなしくしているほうが得だと考える。
第三に、みんなの前で発言することは同級生や先生への貢献だ、という発想がない。
質問と間違いは、みんなへの貢献
従来の日本型教育においては、子どもの「問う力」が育まれず、「間違うチャンス」も与えられてこなかった。それは本人にとっても、同級生や先生にとっても大きな損失であったといえます。
2 「問う」力が育たない日本の教育環境
多様性の不足
米国の学校が教室内の多様性を保とうとするのに対して、なるべく均質な生徒を集めて効率的に管理しようとする日本の学校は、まったく逆方向を向いているといってもいいかもしれません。
3 問いかけやすい環境とは
「問いかけ」を見逃さないで
学問というのは、「どのように問題を解くべきか」の前に、「どのような問題を見つけるか」から始まっています。問いかけなしでは、考えることも表現することもできません。
第三章 「考える」ための学問の作法
1 「自分の頭で考える」って、どういうこと?
「知識」の一歩先へ
すでに成熟国家となった日本に生まれた今の子どもたちは、最先端の知識を開発し、価値をつくり出すように学ばなければならないし、そのためには、高度経済成長時代のように単なる詰め込みでもなんとかなっていた教育に甘んじていてはダメで、自分の力で一歩先にあるものを見つめな刈ればならないということです。
2 抽象と具体を行き来する
すべての学問は抽象化を目指す
問いを発し、論理的に考え、仮説を設定して、検証する、これが学問の手順です。この作業では頻繁に抽象と具体の間を往復しなければなりません。具体的なものを幅広く、数多く、そして深く体験することで、子どもの持つ経験的世界を育てていくことが大切です。さらに、具体的な経験から引き出される示唆について、一般化可能なものがないか考えることも、次のステップに踏み出すために大切なのです。
3 論理的思考のトレーニング
伝わりやすく書く、話す
英語の論文は、結論が最初に来ます。これは「主題」(thesis)ともいいます。言いたいことを簡潔に表現することを最優先する英語の文章作法では、主題は必ず一つの文で書くことになっています。
次に主題で行っている主張が正しいことを示す「根拠」(evidence)を並べていきます。「私がこう主張する根拠は三つあって、第一に~、第二に~」といった具合です。根拠を補強するためには、具体的な例を挙げるとより説得力が増します。これを「検証」(Illustration)と呼びます。
各段落の最初には、そこで何について論じるかをやはり一文でまとめます。これを「トピックセンテンス」(topic sentence)と呼びます。段落ごとに、段落最初の文が段落の内容を要約しているというわけです。段落の残りの部分では、トピックセンテンスを補強する根拠を述べていきます。
4 「自由研究」で育む科学的思考
自分で研究をデザインする楽しさ
よい研究を行うためには、そもそも日常的に何が課題か考え続け、検証手法についてパズルを解くようにいろいろと思いをめぐらす必要があります。性急かつ短期的に成果を求めるのではなく、長期的に自分の課題について考えられるというのは、分野にかかわらずよい研究者の資質です。そんな大人になるよう、子どものころから科学的思考の基本を理解することは、「正解」を暗記し続けるよりよっぽど尊い作業だといえます。
5 社会科と科学的思考
社会科学と自然科学の違い
理科が自然現象を説明するのに数学を用いるように、社会科学諸分野も、社会現象を分析したり説明したりするのに数学を用いることが増えてきました。学問の最先端では、分析の仕方や発想法において分野横断的につながっていたりするので、「理科は理系で社会は文系」などという発想はもはや時代遅れです。
>>ビジネスにおいても、問いを発し、論理的に考え、仮説を設定して、検証する手順が大事だと思う
「10歳から身につく問い、考え、表現する力 ぼくがイェール大学で学び、教えたいこと」(斉藤淳著、NHK出版新書)より
第一章 日本の子どもが得意なことと苦手なこと
1 「読み書きそろばん」が得意な日本の子ども
与えられた課題は真面目にこなす
平均的には真面目に、与えられた課題に対して、指示された方法でコツコツ取り組んできた日本の生徒像です。これは、自分の子ども時代を振り返ったり、今教えている生徒たちを見ていてもうなずけます。日本でいわゆる「優等生」といえば、こういうタイプをイメージするでしょうし、みなさんも、普段お子さんに「勉強しなさい」と言うとき、多くの場合、「サボらずに、机に向かって黙々と課題をこなしなさい」という意味で言っているのではないでしょうか。
2 ぺーパーテストでは測れない力
「数値化できない力」を見落とすな
学力テストの類で測れるのは「過去に学んできた達成度」であるということです。「未来」に向けて社会全体を牽引するような、イノベイティブな力はそこには反映されていないということをふまえて冷静に見るべきです。
それまでにない価値を創造するようなタイプの知は、社会全体を活性化します。科学研究においては、ひと握りの天才的な研究者や技術者の成果が日本全体の知的財産を底上げするだけなく、世界規模で社会に貢献することができます。例えば、新しい免疫機構のメカニズムが解明されれば、基礎研究の歴史に新たな視点を与えることができるし、新薬が開発されれば、製薬会社にはビジネスチャンスが生まれ、病に苦しむ多くの人は助かります。そういう知を育てるためにこそ、「問い、考え、表現する力」を伸ばす環境づくりが必要とされるのです。
学ぶ力の「伸びしろ」を見るアメリカの大学
論文の多くは志望動機を問うもので、「これまでに自分が何をどのように学んできて、この大学で何を学びたいか。どうしてそれが学びたいか。そして自分は学問を通して社会にどんな貢献をしたいか」を数百語程度で書きます。字数としてはそれほど多くありませんが、これが実際にやってみると実にきついのです。
今までは、受験というゴールに向かって点を稼ぐ勉強だけをしていればよかったけれど、そうではなく「なぜ自分は学ぶのか」「自分はどんな人間なのか」という根本から問い直し、自己分析しなければならないから、多くの受験エリートは大きな壁にぶつかります。
キース・ライト副学長の「筆記試験では創造的な才能は測れない」というコメントも紹介されていました。面接を担当したイェールの卒業生によると、「イェールはリーダーとなる人物を出したい。指示待ちの子より、新しいことに挑戦する、ある意味『いたずらっ子』を求めている」とのこと。たしかに「いたずらっ子」具合はペーパーテストでは測れませんね。
3 中学受験で得るものと失うもの
入試問題はふるい落とすためのもの
中学受験に詳しい森上教育研究所の森上展安氏は、教育情報サイトで保護者へのアドバイスとして次のように述べています。
受験問題は受験生を振り落とすためのもので、基本的に「誤答誘導」の問題。子どもがまちがえるのは当然で、わざわざ道に迷わせておいて「まちがえてだめだね」などと言ったら、子どもは勉強嫌いになってしまいます。(中略)なぜ解けないのかを自分で考え、発見していくのが勉強であり、「解けなくて悔しい」から「解けるようになりたい」と感じるのが人間の思考です。保護者は、子どもが「やろうとしているのできない」ことをぜったい叱ってはいけません。
保護者のみなさんには生活のなかで、学ぶことの喜びを折にふれて伝え、できなかったことを叱るより、できたことをほめてあげるようにしたいものです。
計画力を受験勉強で鍛える
業務マネジメントの定番的な手法として、PDCAサイクル(Plan<計画>→Do<実行>→Check<評価>→Act<改善>の四つを繰り返すこと)は、ビジネスの世界ではもはや常識になりつつありますが、これは受験勉強にも応用できそうです。
せっかく時間と労力をかけて勉強するならば、のちのち本格的に学問をするときに役立つような学び方、勉強すればするほど楽しくなって、もっと学びたくなるような学び方をしたほうが生産的ではないでしょうか?
そのためには、学問の本質について十代のうちからイメージを持っていることが大切です。ペーパーテスト重視型の教育で一定の成果が出ていることを認めつつ、それでもぼくは、より大きな問題があると感じています。あらかじめ設定された問いの枠組みのなかでどれだけ技術を磨いても、学問の本質である「問うこと」ができなければ、学びの道は成就しないでしょう。
なぜなら、「学問」とは、自ら「学び問う」営みそのものだからです。
そういうわけで、十代の子どもたちにまず身につけてほしいのが、自由に問うという態度です。周りの大人には、子どもに「問いかける自由」を用意する責任があります。
学問において「問う」ことがなぜ大事なのか、どうして日本の教育では問う力が育ちにくいのか、問う力を育むために家庭でできることはどのようなことか。次章ではそれを考えていきたいと思います。
>>「未来」に向けた知を育てるための「問い、考え、表現する力」を伸ばす環境づくりが必要なのは間違いない
「10歳から身につく問い、考え、表現する力 ぼくがイェール大学で学び、教えたいこと」(斉藤淳著、NHK出版新書)より
序章「グローバル時代」な必要な知力とは
1 「グローバル人材」とは
親の願いと実業界の要請と
2011年4月に出された「産官学連携によるグローバル人材育成のための戦略」では、「グローバル人材」として、次のような人物像を想定しています。
世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間
ここで「グローバル人材」は「競争」のみならず、「共生」にも対応しなければならないという意識がはっきりと示されるようになります。そこで必要な資質として挙げられているものをまとめると、次のようになります。
・日本人としてのアイデンティティ
・広い教養と専門性
・相互理解に努めるコミュニケーション能力
・新しい価値を創造できる能力
・社会貢献意識
「グローバル人材」は英語ができたらそれでよい、というようなものではなさそうです。
英語「で」何を問い、考え、話すのか
競争のスタート地点に到達するためには、英語がえきるのは当たり前。肝心なのはその中身、つまり英語を使って「何を問い、考え、表現するのか」がなければ、意味がないのです。日本語を母語にするものにとっては、何が自らの価値の源か、よく考えてみる必要があるのです。
「グローバル人材」という不思議な言葉
日本の競争力強化のために、「グローバルに」活躍する「人材」が必要だ。そのために習得させるスキルはまずもって英語だ、だから学校教育でも企業でも英語を習得させなければならない。そのうえで、相互理解のためのコミュニケーション能力や従来の発想にとらわれない柔軟な思考力という武器も装備すべきである(でもその内容はあいまい)。
多様な価値観の存在を認識するだけでなく、自分の主張が相手にどのように受け取られるかも含めて多様性に向かい合う必要があります。
2 「これから」を生き抜くためのリベラルアーツ
「ゼロから考える力」が問われる
時代の変化に直面しつつ、生き抜く力として本質的に重要なのは、新しい価値を発見したり、つくり出したりすることができる力です。その基盤、土台となるのが「教養」、それも、新しい時代に必要な教養です。
では、教養とは何なのか。あらためて考えてみましょう。
「リベラルアーツ」とは
「教養」を英語でいうと「リベラルアーツ」(liberal arts)になります。
歴史的源流としては必ずしも新しいとはいえないリベラルアーツ、基礎教養の考え方は、新しい時代の変化に応じて重要度が増しています。それはなぜか、またなぜ十代の子どもたちの教育にこそ教養という視点を取り入れるべきであるのかを、ぼくが大学院生として六年間、後に教員として四年間在籍したイェール大学での教育、研究活動の実践をふまえて、説明していきたいと思います。
イェールの教育哲学
「専門知識の重要性が高まっているこの時代に、なぜ教養科目にこだわるのですか?イェールは時代に逆行しているのではないですか?」
レヴィン総長からの答えは次のようなものでした。
「科学の最先端に立ってみればわかりますが、何が真理かは必ずしも自明でなくなることがあります。新しい検証課題に対して、新しい手法を考案しながら立ち向かわなければならないことが多いのです。
真に革新的な課題に取り組んでいるときには、それまでに答えのない課題に対して批判的に、そして真剣に取り組んだ経験が生きてくるものです。だからこそ、将来は物理学者になるかもしれない若者が、第一次大戦がなぜ勃発したのか議論することが大切なのです。未来の生物学者が、シェイクスピアを分析的に読んでいくことも同じ意味で必要なことです。困難な時代だからこそ、政治や実業の世界で指導者としての役割を果たしたいなら、情報を分析的かつ論理的にみつめる能力が必要になります。だから法科大学院に進学する学生が解析学や離散数学を学んだりする必要があるのです」
そんなイェールで学びながら、また教えながら感じたことをひとことで記すなら、「誰もが学び考え抜くことを楽しみ、そうすることで新しい価値をつくり出していく使命感にあふれている」ということです。
偏った教育情報が不幸な親子を生む
総じて、保護者が目指す教育目的とそのための過程、手段が合致していないケースが多いと感じます。「これ」が子どもにとってよい選択なのかどうか確信が持てないまま、教育産業の広告に煽られて、周りに後れを取るのが怖くて、あるいはなんとなく流されて、いつのまにか親子ともども、競争ゲームに呑み込まれていく。
そんななかでも、子どもが自分なりに試行錯誤して学ぶ喜びを見つけられればよいのですが、勉強する意味も喜びもわからず苦行のようにひたすら問題集を解いて何年も過ごした結果、学ぶ意欲自体をなくしてしまう場合もあります。せっかく志望校に合格したのに、喜ぶでもなく、「どう?お母さん、これで満足?」と言い放ち、いっさい勉強をしなくなった子もいたと聞きます。
3 人間にしかできないことって何だろう
「正解」をほしがる子どもたち
学問や実業の世界での「正解」は、受験勉強で選択肢のなかから選ぶような「正解」はないことが多々あります。いきなり正解に飛びつくのではなく、正解を導く過程や、失敗したときの対処法こそが大切なのです。正しいかどうかわからない、不確実性が高い場合にどのような判断をしたほうがよいのか、これも含めて考える力を養っていかなければなりません。
生きていくうえで「正解がない」状況は頻繁に発生します。むしろ重要な課題ほど正解がないことが多いのです。この「正解がない」状況というものは、いかなるものでしょうか。第一に、事実かどうか判断する材料に乏しく、正解かどうかわからない場合です。第二に、価値判断に関わる問題については、判断する主体の数だけ正解がありえます。
「正解」は常に更新される
問われるべきは「正解とされてきたものは何か」ではなく、「正解という前提が崩れてしまったときに、どのように対処すればよいのか」ということです。それはとても苦しい営みです。答えはすぐには出ず、試行錯誤の連続でしょう。
日本の教育は、ある意味で最低限必要な常識を入手するためには適しているのかもしれませんが、自分で深く物事を考えたり、世の森羅万象を理解するためにこれまでに存在しなかったものの見方をしたりするにはあまり適していないのではないかと感じることがよくあります。
「正解がない」の二つめ、価値判断による問題がまだ残っていました。
頼朝像のような、事実認定に関する問題については、正解か否かは、真か儀かの判断とその不確実性というかたちで処理できます。しかし善悪、美醜といった価値判断を含む問題については、何通りも正解が存在することになります。むしろ、なぜそのように考えるか、説明をしていく作業が重要になります。
そのために必要な知的基礎となるのが、自分の頭で「問う」「考える」「表現する」力です。頭から正解を覚え込もうとする態度は、問いかける問題の種類を最初から制限し、考える作業を放棄しているという点で大変に怠惰です。そして、ある意味で日本の教育は、こうした怠惰な態度を押しつけているともいえます。
機械にはできないこととは
正解の存在しない時代を生き抜くために必要な力は、先にも述べたように、新しい価値を発見したり、つくり出したりすることができる力です。新しい価値を発見する前提として、自分にとって「価値がある」とはどのようなことかよく理解する必要があります。
第三章でもふれますが、自分の価値観を理解するためには、それを言葉で表現する力が必要になります。そして他者にとっても「価値がある」とはどのようなことか、同じようによく理解することが必要になります。つまり人間の幸せの基盤に何があるのかをよく考え、納得していることが大切だといえます。
それは、見方を変えれば、「人間にしかできない」営みとは何かを問いかけ、到来する未来を見越して可能性を開いていこうと努力することだともいえます。
人間の仕事が、判断に特化していけばいくほど、「価値観の多様性とどう向き合うか」が重要になります。利害や価値観の対立を乗り越え、合意を形成していかなければならない場面では、自分や相手がどこまでなら譲れるのか理解し、平和的に共存していくためのメカニズムを構築していかなければなりません。これはかなり創造力が必要な仕事であり、これこそが人間にしかできない仕事だといえます。
このように変化しつつある世の中で自分はどのような役割を果たしたいか、自分が一生かけてやりたい、取り組みたいことは何か。これこそ、決まった解はありません。人間だから、自分だからできることとはすなわち、自分の頭で問い、考え、表現することそのものなのです。
>>「正解」をほしがることなく、自分の頭で問い、考え、表現することが大切なのは自明だ
「10歳から身につく問い、考え、表現する力 ぼくがイェール大学で学び、教えたいこと」(斉藤淳著、NHK出版新書)より
2014年7月10日 第1刷発行
はじめに――自ら学び、問うために
子供たちに「学ぶ方」を教えたい
「勉強の正しいやり方を覚えるのは早ければ早いのどいいから。それに、受験対策に追われる日本の子どもにこそ、イェール大で実践しているような教養教育が必要だと思ったから」です。
ぼくは今、東京と山形の酒田で、小中高生を相手に英語と教養教育の塾を運営しています。東京では今年から学童保育事業にも参画することになり、小学生対象の指導も本格的に開始しました。
都会と地方の差はあれ、どちらの子どもたちも、勉強の計画がすべて受験から逆算されて組み立てられていること、将来の夢と今やっている勉強がどう結び付くのかわかっていないようすであること、学ぶことの意味、勉強法についてきちんと教わったことがなく育ってきたこと、については同じです。
「正しく学ぶ方法と、自ら問うことを忘れなければ、君は何にだってなれるんだよ」
将来、どんな道に進むにしても必要になるのは、自ら問いを発見し、しっかりと自分の頭で考え、判断し、それを表現する力です。それは、学問というものの本質に通じます。
10歳といえば、四則演算や漢字をひと通り覚えて、そろそろ抽象的な思考ができるようになってくるころです。家族や友だち、宣誓とのかかわりのなかで自尊心も育まれます。そんななかで、身の周りのできごとと社会で起こっていること、自然現象がつながっているということもわかってきます。学問の本質を直感的に理解するにはもう十分な年齢といっていいでしょう。しかし、そもそも学問とはどういう営みであるのか、正しい学び方とはどのようなものであるのかがわからなければ、いくらドリルを解き続けても、勉強の喜びを感じることはできないでしょう。それはとても、もったいないことです。
ぼくが塾を開いた理由
イェールが目指す教養教育、それは、ひとことでいえば、どんな困難な状況でも適切に判断を下し、問題を解決し、新しい価値を生み出す原動力となる不動の学びです。それはそのまま、先行き不透明な時代を生き抜くための知力といっていいと、ぼくは思います。
「日本の教育を変えた」。そう思って一度は衆議院議員に立候補し、政界から働きかけることを目指しました。しかし、しだいに、政策と通して国の教育全体にはたらきかけるよりも、私自身が自分の経験をふまえて、直接子どもたちに教えたい、知の喜びと学問の作法をじかに伝えたいという気持ちが大きくなっていきました。
それで学習塾を開くことにしたのです。
生き抜くための教養を、十代のうちから
将来、どのような専門分野に進むことになっても、社会に出てからも役に立つこと。それは世界共通の学問のルールを知っておくことであり、どんな学問をするためにも必要な「問う」「考える」「表現する」力を養っておくことです。
そしてその準備は、できれば早く、10歳くらいから始めることにこしたことはないと思います。人はいくつになっても学ぶことができますが、いざ受験戦争に本格的に呑み込まれてしまうと、入試への最適化に時間と労力を割かざるをえない現状があるからです。
逆にいえば、中学受験に果敢に挑戦する子どもたちにこそ、何のために勉強するのか、受験勉強と将来やる学問は何が共通していて何が違うのかを理解したうえで過酷な競争を乗り切ってほしいと思います。
日本の子どもに、学ぶ喜びを。世界のどこでも通用する知識基盤を。
>>「問う」「考える」「表現する」力を養っておくことが必要なことは間違いない
「たけしのグレートジャーニー」(ビートたけし著、新潮社)より
発行/2014年5月15日
Mission 04 ゴリラから人間関係を学べ ゴリラの達人 山極寿一
ヒトとゴリラはかくも似ている
山極 遺伝的にDNAを開設すると、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、ヒトというのは「ヒト科」に属しています。ですから、類人猿は人間に非常に近い仲間なんです。それとサルは全然違います。
ニホンザルと類人猿が違うのは、類人猿の場合、仕草として対面するコミュニケーションがすごく多くなります。人間の場合も、対面しながら話し合います。しかし、もし情報だけを伝達するんだったら、後ろ向いて話していても構わないじゃないですか。ニホンザルは決して向き合わない。なぜならば、顔を見つめると威嚇になってしまうから、必ず弱い方が顔を背けるわけです。
類人猿と人間が大きく違うところ
山極 最も違うところは何だと思いますか。
それは人間が劇を作ることなんです。チンパンジーやゴリラは劇を見ても意味が分からない。その中に自分が入っていけない。劇中で、AとBという人間がいたとしたら、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で何をやろうとしているのか、我々は劇中の人物に共感しながら見るわけです。しかし、類人猿にはそれができないんです。
彼らは現実に起こっている事実からあまり離れられない。しかし、我々は現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけです。
みんなと一緒に食べることと、トイレでウンコをすることが当たり前のことに思えるのは、子どものときから強制的に躾けられているからなんです。でも、子どものときに体験してなければ、なかなかできない。ちょっと前に新聞で読んだのですが、みんなと一緒に食堂で食べられないので、かわいそうにトイレの中で食べている東大生がいるという。
人間の家族はこうして出来た!?
山極 人間社会では、男に平等に繁殖させるために家族というものを作り上げていったのではないかなと僕は思っているわけです。だからこそ、人間の男は家族から出ていろんな集団で生活することができる。会社に行って、社長にペコペコしても、家族に帰れば自分が繁殖できる場というのは保証されているわけだから。他の霊長類ではそうはいきません。人間は家族があるから、融通無碍に集団を行き来しながら生きられるのではないかなと思うんです。
ゴリラの赤ちゃんは四歳で脳が二倍になって500CCになる。ところが、人間は1500CCにしなくてはいけない。そのためにどうしたかというと、一歳で二倍まで脳を大きくした後、十六歳まで脳を徐々に大きくするようにしたんです。ところが、脳の成長にはものすごくコストがかかるので、身体の成長を遅らせたわけです。ある程度、脳が成長したときに、今まで貧弱だった身体にエネルギーをどっと送る。それが人間の思春期です。男も女も、あっという間に大人になるから、心身がものすごいアンバランスになるわけです。そこで男も女も体をもてあますようになる。男は自分の体を試したくなって、粗暴になって喧嘩をしたりする。だから、その年代の男子は事故死などの死亡率が高くなる。女の子のほうは、男をいっぱい試すようになって、非常に性的に活性化してくるんです。
今でこそ、その時期の女の子というのは社会的に非常に抑圧されています。だけど、大昔はどうだったんでしょうか。ゴリラのメスだったら、性的活性化の時期に、自分の生まれ育った集団を出て行く。つまり、いいオスを見つけるために集団を渡り歩いて行くわけ。セックスができる体と生理状態を持ったメスというのは、どこでも人気があるから、どのオスの群れも受け入れるわけですね。
出会ったオスとうまくいかないと、見限って他の群れに移っていく。最終的に気に行ったオスのところに身を落ち着かせて、自分の子どもを産んで、その自分の子どもをオスに預ける、それがゴリラのメスのやり方です。人間の女性も、ひょっとしたら昔はそうだったのかもしれないなと思います。今、また、そうなりつつあるのかもしれませんけど。
>>確かに、躾けにより食事をみんなでしたり、トレイでウンコをしたり、空想の中でドラマを作ることが人間の特徴であろう
「お金に強くなる生き方」(佐藤優著、青春出版社)より
第3章 プロに騙されずにお金を増やすには
副業で稼ぐにはいい時代
意外なものが意外な値段で売れる
スモールビジネスの大原則
ビジネスで成功するポイントは、初期投資を抑えると同時にできるだけ借金をしないで始めること。独立して始めるなら、副業などで最低でもタネ銭として300万円、できれば500万円くらいの資金を貯めてから、なるべく固定費である人件費がかからないよう、一人で始めるのが現実的です。
労働力は単なる材料費の一部
働く人の労働力を生産の手段や材料費ととらえることが資本主義の本質です。そこで搾取が生まれるのですが、ビジネスを大きくするということは、このような搾取の構造をつくり出して利益を最大化し、拡大再生産することに他なりません。
そのうえで、競争力を高めて他の企業に打ち勝ち、シェアを獲得しようとするわけです。食うか食われるかという、まさに弱肉強食の世界。これが資本主義でのビジネスの現実だということをまず認識しておきましょう。
第4章 人生を台なしにしないお金の実学
健康には惜しみなく投資する
ます、自己投資には惜しみなく使ってください。問題は何を自己投資とするかですが、勉強してスキルを身につけること以外にも、私が強調したいのは健康への投資です。
まず自分の体の状態をよく知ること。
健康に投資すると、病気を防げるだけでなく、生活自体が規則正しく、節度あるものになります。
そうやって自分を律し生活全体をマネジメントできる人だからこそ、出世するのだとも言えそうです。健康が維持できていて体力もある。すると仕事にも好影響を与えるし、上司からもしっかりした人間だと認識され、出世が近くなる。そんな正のスパイラルが出来上がっているのでしょう。
人を味方につけるお金の使い方
健康への投資以外に有効なお金の使い方は、人間関係に使うこと。分相応であれば、後輩におごるというのも生きたお金の使い方です。
生きたお金というのは人間関係、信頼関係を強くします。いざというとき力になってくれる人をどれだけつくれるか。そこが分かれ目なのです。
100万円の使い方で人格がわかる
結局、大切なのは人とのつながりです。ギャンブルや趣味など自分の楽しみだけに費やすのではなく、いろんな人と時間と空間を共有する。そのために使ったお金は、そのときははかなく消えてしまうように感じますが、私たちの記憶にとどまり、時間がたつにつれて輝きを増してくる。
ギャンブルや投資などより、ずっと大きなリターンがあります。
お金と主体的につき合う
お金とどうつき合うかは、結局自分とどう向き合うかということそのものです。資本主義の原理にしたがってひたすらお金を追求するのか、自分と生活をコントロールして今あるお金を有意義に使うことに注力するのか。
自分を律するという点で、誰の奴隷にもなっていない、真に主体的な自己がそこにあるからです。
第5章 お金と人間の幸福な関係を考える
「仕事」と「労働」は何が違うか
外国人、特に欧米の人は日本人に比べてずっと時間の割り振りが上手い。仕事の時間は仕事の時間、自分の時間は自分の時間と明確に割り切っています。
余暇の質と仕事の質は密接にかかわり合っている。刹那的な時間の使い方をしているうちは、仕事は単なる収入のための苦役になりがちです。逆に言うなら、時間の使い方を変えれば、仕事も余暇もまったく違うものになっていきます。
旅行にしても趣味にしても、そういう時間の費やし方はプロレタリアートではなく中産階級的。中産階級の時間を増やしていくことが、人生を豊かにしていくポイントです。
お金に依存しないためには
評論家の岡田斗司夫さんは、評価経済という新しい経済の概念を提唱しています。評価経済とは、お金で価値基準を測るのではなく、評価に価値を置く経済のこと。貨幣経済に対するアンチテーゼです。
ネットやSNSなどでつながりながら、この人は面白いとか、この考えはすごいという人に人や情報が集まり、ネットワークが発生して協力し合う関係ができる。さらに情報とお金が集まり、新しい価値が生まれていく。
他者の評価を集めることができるかどうかがその人の能力であり、パフォーマンスを決定します。家にいながらにして全世界の人とつながることができるSNSの発達が、評価経済を生み出す原動力になっているのです。
ネット社会であろうとなかろうと、世の中にお金という存在がなくなったら、最後に勝つのはコミュニケーション能力の高い人であり、多くの人に好かれ支持され、助けてもらえる人であることは間違いありません。
大切なのは、だからこそ「お金のない生活、社会はどうなるのか」と、あり得ない状況を想像してみることです。日ごろ当たり前だと思っていることや、当然だと考えている前提を疑ってみる。
同じように、この世に「国家がなくなったら」「会社というものがなくなったら」「家族という単位がなくなったら」という問いを発してみると、これまでにない新しい考え方や視座を発見する糸口になるはずです。
>>仕事と余暇の質を同時に高めつつ、お金に依存しない真に主体的な自己を追求し続けたい
「お金に強くなる生き方」(佐藤優著、青春出版社)より
2015年10月15日第1刷
まえがき
お金とは、人間と人間が商品やサービスを交換する必要から生まれたものです。繰り返しますが、資本主義社会でお金を抜きに生きていくことはできません。だから、お金をバカにしてはならないのです。しかし一方で、お金に振り回される生活をしても幸せな一生を送ることはできません。
本書では、私が経験もしくは見聞きした「お金に強くなる生き方」を紹介するとともに、お金とどうつき合っていくかについての率直な考えを記しました。この本に書いていることを消化し実践していただければ、お金とのつき合い方が少し楽になるはずです。
2015年9月11日 佐藤優
第1章 私たちを衝き動かすお金という幻想
分配の場に労働者はいない
「企業(資本家)は、利益を社員(労働者)には分配しない――」
このことは、マルクスが『資本論』で明確に指摘しています。会社に雇われる、雇用契約を結ぶということはどういうことか。マルクスによれば、そこで働く人はその段階で労働力を会社に売っていると考えます。
これに対して、マルクス以後の近代経済学は賃金を「分配」だと考えます。会社で働く人たちの毎月の給与は企業収益の分配だとするのです。しかし、分配であれば利益が2倍になったときは賃金も2倍になっていいはずですが、実際にはそうはなりません。
どちらの理屈がより現実社会をとらえているかといえば、私たち自身の周囲を見渡す限り、どうやらマルクスのほうに軍配を上げざるを得ないようです。
これから必要な「お金」のとらえ方
人生の幸福度は、けっしてお金をたくさん持っているかどうかでは決まりません。お金がある人は、得てしてそれを自分の努力のたまものだと考え、自分の力とお金に頼る。お金に群がる人を見て人間不信に陥り、信用できるのはお金だけだと考えてしまう。それは、けっして幸せな生き方だとは言えないはずです。
中途半端にお金を持つより、家族や友だち、地域のつながりなど、強いコミュニティを持っているほうが、ずっと強いセーフティネットになります。
今のお金の本質や世の中のカラクリを知ると同時に、最低限、資本の論理に食い物にされたり、騙されたり借金返済に追われたりしないよう、マネー防衛額、マネー衛生学を知っておくべきです。以下の章で、それらを探っていきましょう。
第2章 大格差時代を生き抜くお金の極意
国家体制の違いで貯蓄率が変わる
高福祉社会では貧富の差が小さく、将来の不安が少ないので貯蓄性向は低くなります。また、家族との関係やコミュニティのつながりを重視するため出生率は高くなります。
国民のお金に対する意識は、このように国家の体制、特に税金と社会保障のあり方に大きく関係しています。
低信用社会ほどお金に価値を置く
一般的に、高信用社会では国家や社会制度に頼ろうとし、低信用社会では社会制度に頼れないので、自分たちの仲間を大事にしたり自分の資産に頼ろうとするわけです。
高負担・低福祉社会という最悪の道
現実は高負担・低福祉という、最も救いのない方向に進みつつあるのが日本の現状だと思われます。
3分の1もの家庭が「貯蓄ゼロ」
大きな問題は、金融資産非保有世帯、つまり貯蓄ゼロの世帯が全体の3分の1も存在するという事実です。
これから格差はますます広がる
大多数の日本人はさほど賃金が上がった実感もなく、物価上昇だけは感じているという状況ではないでしょうか。アベノミクスが続き、新自由主義的な経済が進めば進むほど、この二極分化はより鮮明になっていくはずです。
相互扶助の経済に活路がある
厳しい時代だからこそ、私たちは相互扶助の考えをどこかで温め続けた方がいいように感じます。それは人間関係、特に深い友人関係をどれだけつくれるか。「あいつのためなら」とひと肌脱いでくれる人をどれだけつくれるか。目先のお金や出世に汲々とする前に、そういう目に見えない部分の蓄積に思いをはせてみることも大切です。
>>確かに、相互扶助の考えに基づく友人関係をどれだけつくれるかは大切であるに違いない
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
終章 なぜ戦争論が必要か
■新帝国主義と過去の栄光
佐藤 さて最後に、この本での議論の総括をしてみます。
冷戦の一番の特徴は、イデオロギー対決でした。ところが、グルジア情勢をめぐるグルジア、ロシア、アメリカの対立には、イデオロギーの対立はどこにもない。典型的な領土争いであって、旧来型の帝国主義の対立です。では、そこになぜ「新」がつくのか。
一つは、帝国主義の特徴は、全面戦争をすることでしたが、そうせずに局地戦にとどめている。おそらく制約要因は核兵器です。帝国主義国が核兵器をもっているから。
もう一つは、植民地を獲得しようとしないこと。第二次大戦後の経験で、植民地の経営にかかるコストが認識されたからです。植民地をもたず、全面戦争もしないけれども、帝国主義だから、「新帝国主義」だということです。
外交面においては、ニュートン的な力学モデルです。すなわち力による均衡。新帝国主義国は、相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張する。相手国が怯み、国際社会が沈黙するなら、そのまま権益を強化していく。他方、相手国が必死に抵抗し、国際社会も「やり過ぎだ」と言う場合には譲歩する。それは心を入れ替えたからではなくて、譲歩をしたほうが結果として、自己の利益を極大化できるという判断によるものです。
池上 それぞれの国にとっての「過去の栄光を再び求める動き」が剥き出しに出てきているのではないか。佐藤さんの分析を私なりに補足すると、そういうことになっているという気がします。
■嫌な時代
佐藤 これからの世界を生き抜くために、個人としては、嫌な時代を嫌な時代だと認識できる耐性を身につける必要がある。そのために、適時性においては、歴史を知り、共時性においては、国際情勢を知ること。知識において代理経験をして、嫌な時代に嫌なことがたくさんある、というのをよく知っておくことです。
池上 歴史を改めて勉強することが必要ですね。学生時代は、歴史を何のために勉強しているのかまったく理解できなかったし、全然おもしろくなかった。今になって、歴史を読むと「ああ、歴史は繰り返す」と思います。その通りには繰り返さないけど、何か同じようなことが起こる。
>>「新帝国主義」を理解するためにも歴史を改めて勉強してみようと思う
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第7章 弱いオバマと分裂するアメリカ
■教養が邪魔するオバマ
池上 前任者のブッシュ大統領に比べて、はるかにインテリで、思慮深くて、いろんなことを考えるわけですが、あれこれシミュレーションもするものだから、決断に時間がかかる。
佐藤 彼は非常に複雑なことを考えているのでしょうが、大統領として下すべき決断は、単純にならざるを得ないのです。たとえば、イラクではイランと組んで殺しをやるのかどうか、とか。シナリオの種類は限られている。しかし、そう思いきるには、やはり教養が邪魔するのですね。
池上 イラク撤退後のアメリカは、イラクで使っていた軍用兵器が余っています。とくに装甲車が大量に余ったので、全国の警察に無料の払い下げを始めたため、ミズーリのファーガソンの警察も、その装甲車を使っている。黒人のちょっとした抗議行動に対し、通常の警察が使う装備のレベルを超えて、アメリカ陸軍がイラクで使っていた装甲車が出動した。すると、黒人側からすれば、「おいおい、われわれはアメリカの敵なのか」と憤慨する構図になるのです。
佐藤 これは、アメリカの公民権運動が、未だ成功していない、ということを示す象徴的事件ですね。
アメリカという移民国家が根源的に抱える問題が、初の黒人大統領というオバマ自身を通して現れているのではないかという気がします。
■「白人」だけの民主主義
佐藤 エマニュエル・トッドというフランスの人口学者が『移民の運命』という本のなかで、アメリカで、今後、次のような事態が起きるだろうと予言しています。
極論すると、民主主義が成立する国は限られていて、それは、相続が兄弟間で平等な国だけである。相続が平等な国は、世界でも、フランスのパリ盆地と地中海沿岸のヨーロッパにしかありえません。
日本のような長子相続、あるいはアングロサクソンのような遺言による相続の社会では、兄弟は差別されます。日本でも、戦前は長男の味噌汁には卵が入っていたり、一つおかずが多いのは、当たり前でしたね。
アメリカの場合は、「黒人の差別の上に白人だけの平等が成り立っている」という構造があって、この構造はいくら公民権運動をやっても変わらない、というのがトッドの見方なのです。
■アメリカの宗教事情
池上 これまでアメリカ国内にいるムスリムは、中東で情勢が険悪化して逃げてきた人たちが大半でしたが、これからは違います。アメリカで生まれ育った黒人が、差別される生活のなかで、本当に神のもとで平等なのはイスラム教なんだ、と考えてムスリムに改宗する動きが起きています。ニューヨークやワシントンでも、街角で突然、メッカの方角に向かってお祈りを始める人がいますから。
「明日午前八時にね」「オッケー」と約束しても、最後に「インシャラー」とあいさつされたら、「本当に八時に来るかどうかわかんない」と思わなければいけない。インシャラーというのは「アッラーが望むならば」という意味ですから。
>>教養が邪魔して決断できないというのはいただけない
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第6章 中国から尖閣を守る方法
■中国の思惑通りに進む尖閣問題
佐藤 一方が問題があると主張し、他方がないと主張する場合、外交の世界の現実では、自らが実効支配している側は、領土問題は存在しないと言い続けるのが基本です。
たとえば、対馬に関して、韓国の一部の人たちが領土要求をしている。しかし、韓国政府は要求していません。主体はあくまで国家ですから、日韓の間に対馬の領土問題は存在しません。
日本の場合、困ったことに、竹島と尖閣が裏表になってしまった。竹島は実効支配され、尖閣は実効支配している。どちらか一つならば、一つの論法で良いのですが、この二つでは相反する論法をとらざるを得ません。竹島については、「韓国よ、客観的に見て領土問題は存在するではないか。それだけはお互いに認めようよ。そこからスタートしよう」と主張しています。が、尖閣については、中国から、「日本よ、尖閣に客観的に問題が存在するところからスタートしよう」と要求されることになってしまった。
むしろ「1970年代初頭までは中国は尖閣諸島に関する領有権を主張したことがない」とだけ繰り返していればよかったのです。領有の正当性を秘密閣議決定などを根拠に主張しては、立場が弱くなるに決まっています。
中国の最大の弱点は、「台湾省の中に尖閣諸島がある」と認定していることです。当事者である台湾を除外することはできないのです。
今のやり方では、ぎりぎり頑張っても「棚上げ」で、「台湾は中国のもの」で、だから「尖閣諸島は中国のもの」という三段論法ですね。つまり、「台湾は中国の一部だ」と言い続けている。
中国にとっても必ずしもマイナスではありません。中国の中でも、尖閣問題に積極的なのは主に海軍や国家安全部といった、いわば新参の役所です。これに対して陸軍は慎重です。ベトナムとの中越戦争の経験がトラウマになっているのでしょうね。
池上 1979年ですね。「ベトナムを懲罰する」と言って侵攻したけれども、大損害を受けて撤退する結果になりましたから。
■中国の空母は怖くない
佐藤 中国は、いま航空母艦をつくっていますが、これをわれわれは怖れるどころか大歓迎しないといけない。歴史上、航空母艦を五隻以上実戦で運用した経験があるのは、アメリカとわが連合艦隊だけです。最低三隻ないと空母は安定的に運用できません。
吉村昭さんが『戦艦武蔵』で描いている世界とそっくりな話です。
池上 現代版大艦巨砲主義ですね。
「遼寧(旧ワリヤーグ)」は、しばらく試験航海した後に港に戻って、それから出てこないですね。相当のトラブルが起きたのではないかと言われています。
■毛沢東化する習近平
池上 経済関係は、李克強首相の専管事項だったはずが、気がつけば、すべて自分のほうにもってきている。
李克強は名ばかりの存在になって、ありとあらゆる権力が習近平に集中しています。明らかに毛沢東をモデルにしていますね。
佐藤 やはり権力はポストにつくわけですよ。中国では、権力は人につくと言われてきましたが、それには、その人物がカリスマをもっていないといけない。
池上 習近平体制下での七人構成になってから、長方形のテーブルの奥に習近平が一人座れるようになったと言われています。これが事実だとすれば、象徴的ですね。「一番偉いのはおれだ」と、すべてを国家主席に集中させている。
そんな習近平にとってのアキレス腱は、江沢民元国家主席との関係が微妙なことです。自分が絶対的な力をもちたいのでしょう。
中国では、68歳が指導者の定年ですから、三年後の二期目開始時に残っている常務委員は、習近平と李克強の二人だけです。 まさに現代版毛沢東のようなカリスマ性を手にしようとしている最中だ、と私は見ています。
■ネットと世論は同じか?
池上 日本では、新聞・テレビの世論調査もあるから、ネットは世論の一部でしかないことがわかる。しかし中国では、ネットだけを参考にせざるを得ません。
佐藤 結果として、ネット上で人々が一団となって変更した意見などに段階的に押し流されてしまう「サイバーカスケード現象」が中国で起きてしまうのも、やむを得ない面があります。しかし、ネットが偏っているというのは中国だけでなく、日本も同じ。今の選挙によって選ばれている政治家も明らかに偏っています。
■トルコと回族がつながるウイグル問題
佐藤 戦前には、東トルキスタン独立運動がありました。また戦後の中ソ対立期にも、ウイグル民族運動に対するソ連の工作がありました。ウイグル人は差別されるから、カザフスタンを中心にした形でウイグルスタンをつくれ、とウイグルのナショナリズムをソ連が煽ったのです。そういう過去がありますから、中国当局は、ウイグルのナショナリズムに対して非常に敏感です。
ところが、その中国当局にしてもイスラム主義に関しては、まだ把握しきれていません。だから、かなり長い間、ウイグル人がメッカ巡礼に行くことも放任していた。巡礼に出ている間に、ワッハーブ派やアルカイダに近いような連中にオルグされて帰国する可能性があるにもかかわらず、です。
今は誰も注目していませんが、イスラム主義は、今後、中国国内のイスラム教徒である回族のネットワークにつながる可能性があります。北京に羊料理を出す店が結構ありますが、あれば回族の店です。イスラム教徒で豚を食べないから羊料理になる。
■中国にとって尖閣よりウイグルこそ重要
佐藤 中国をよく見ているロシア人が、不謹慎なのだけれども、「ウイグルで衝突が起きたら日本は一息つけますね」と言っていました。西と東の両方で揉め事を抱えるわけにいかないから、中国の国家安全部長は叱責を受けたはずだ。「何をしでかしたんだ、東で挑発している間に、西が滅茶苦茶になっているじゃないか」と。
中国にとって東は経済発展のために必要で、紛争を起こす必要はない。国家安定のために必要なのは、西での安定なのです。
>>中国にとって、東は経済発展のため、西は国家安定のために必要という視点は面白い
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第5章 日本人が気づかない朝鮮問題
■期待値上げオペレーション
佐藤 日本が再制裁に動いて、金を送れなくなるような流れをつくりたい。そのためには、拉致問題の期待値を上げてしまうのです。事前に期待値をどんどん上げておけば、北朝鮮が何人か帰すと言っても、日本の世論が満足しません。そういうオペレーションをアメリカ通の日本人記者がしているのではないかと私は見ています。
私も外務省の現役のときにやったからよくわかるのですが、外交当局は期待値下げオペレーションをやるものなのです。落語の「手遅れ医者」と同じです。始めに手遅れと言っておけば、うまく治ったときは名医ということになる。一方で、期待値下げオペレーションをやりすぎると、まったく進展がないと思われてしまい、その結果、国民が当該外交案件にまったく関心を示さなくなる。北方領土交渉がそうだけど、このへんの匙加減は難しい。
池上 日経新聞の中にも、安倍政権はどうも反米的な性格があっていかがなものかと危惧する人がいるのでしょう。日経新聞の社是は、自由と資本主義と親米である。この三つの柱が揺らぐようなことがあったら、日経新聞は全力で闘う、と聞かされたことがあります。
■北朝鮮のミサイルは、日本への求愛行動
池上 日朝関係をいざ進めようと言うときに、北朝鮮はわざわざこれ見よがしにミサイル発射実験をやっているでしょう。挑発的というか、日本がどうせ反対しないだろうと瀬踏みしてやっている感じがします。
佐藤 求愛を恫喝で示すというのが、あの国の文化ですから。これは相当愛してくれているみたいだ、朝鮮総連本部ビルの競売問題でも、日本の司法権の独立は強いはずなのに、結果として当面ビルは使っていられそうだし、安倍内閣は本当にいい政権だという感じになっているのではないですか。
付き合ってほしい女の子の家に言って、「ぼくと付き合わないと逆噴射してやる」と言って、バキュームカーのホースをもって立っている。そのバキュームカーが相当なオンボロなので、ちゃんと動くのかどうかはわからない。しかし、もし本当に逆噴射したら大変だから、「とりあえず話だけは聞いたほうがいいんじゃない?」と親は娘に言うわけです。
■金正日と金正恩の違い
池上 父親の金正日は、権力を承継するかなり前から、金日成のもとで後継者になる準備をし、いずれ自分がトップになったときに、父親の取り巻きをどうするかを考えていました。
かつてスターリンがマルクス主義を「レーニン主義」もしくは「マルクス・レーニン主義」と呼び、実質的にはスターリン主義を確立したのと同じ手法です。これによって遺訓政治からの脱却を狙っている。つまり、「金日成・金正日主義」の名において、「金正恩主義」を訴えているわけです。だから、日本との関係でも、お父さんがやったことをいともオーバーライドするような真似ができるわけです。金正日は「拉致問題は最終解決した」と言ったのに、日本と拉致問題で新たな交渉をするというのは「あれは最終解決ではなかった」ということですからね。それをやっても構わないのは、「金日成・金正日主義」を名乗っているからです。
佐藤 親族の金正男(金正日の長男)も、金敬姫(金正日の妹)も、その夫の張成沢国防委員会副委員長もダメだということです。2013年までの演説を集めたものですから、この論集がつくられた時点で張成沢を粛正する準備は着々とできていたというわけです。
■張成沢はなぜ処刑されたか
池上 張成沢が改革者と見なされるのは、彼が中国とのパイプ役をつとめていたからですが、中国に対する不信感が滲み出ている発表です。金正恩体制への転換と、中国と北朝鮮の関係の変化は、明らかに連動しているでしょう。中国は、石油供給もストップしました。
佐藤 ロシアの専門家がこういう見方をしていました。
「金正恩体制が一番恐れているのは中国だ。というのも、中国への依存度がどんどん強まっている。 そうなった場合、朝鮮半島の地政学図はまったく変わる。北朝鮮は完全な従属国になる。ロシアはそれを非常に心配している」
裏返していうならば、国家の自主性、自らの体制の自主性を維持するには、やはり核をもたないといけない。しかし核によって得たフリーハンドは、必ずやあるい時点で中国とぶつかります。張成沢と金正恩の間で、核政策で何か根本的な方向性の違いがあったのではないかという感じがするのです。
■日本のカネが頼りの北朝鮮
池上 1965年に日韓基本条約を結んだときに、韓国に日本は、官民合わせて約11億ドルのお金を「独立祝い金」として出しています。それと同じくらいの金額を現在の物価水準に合わせて渡さざるを得ないだろうし、北朝鮮もそれを期待している。
しかし、今、北朝鮮に金を渡したら、何に使われるか明白です。
佐藤 自らの安全を保障するためにはアメリカ本土に届くミサイルをつくるしかないのですから。
池上 アメリカはカンカンになって怒りますよ。絶対それは許さないでしょう。日本にとって難しい局面になっている。
佐藤 しかし、そのことに日本政府は気づいていないのではないでしょうか。外務省は気づいていますが、官邸はどうか。 今の外務省幹部の顔ぶれを見ても、余計なことは言わないでしょう。ちゃんと説明しないと言うより、聞かれたことだけを説明していて、「何で説明しなかった」と追及されたら、「いや、聞かれなかったから」と答える。
池上 拉致問題だけ解決して食い逃げできると思っているのかな。
■「日本人大量帰還」は北朝鮮のカード
佐藤 「大量の日本人の帰還」というのが、実は今後の北朝鮮の重要なカードになる可能性もあります。 六十何歳以上の対象者全員に希望をとり、「10万人帰す」と言ったら、相当強力な外交カードになります。日本としては、「頼むから帰さないでくれ」
■日本VS.朝鮮、一対一の戦争はなかった
佐藤 元韓国大使の小倉和夫さんの『日本のアジア外交』の指摘を読んで初めて気づいたのですが、日本が戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も、朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。
「過去2000年近くの間に、日本と中国は、五回戦争を行った。唐と日本の戦争(白村江または錦江の戦い)、元寇(蒙古の日本進攻)、明軍との戦い(秀吉の朝鮮進攻と明の介入による戦闘)、19世紀の日清戦争、1930年代以降の日中戦争の五回である。
いずれの戦争も、その始まりは、朝鮮半島における勢力争いだったことである。1930年代の日中戦争は、満州(東北地方)の権益の問題が、導火線であるようにも見えるが、その背後には、日本の朝鮮半島支配の安定化(朝鮮独立運動の阻止と日本における革新勢力の台頭阻止)という、歴史的流れがあった。
このことは、朝鮮問題についての日中対話が、現在及び将来において、いかに重要であるかを物語っている」(『日本のアジア外交――2千年の系譜』(藤原書店、223~223頁)
そう考えると、やはり中国といかにうまくやるかということが、韓国の生き残りにとっては死活問題になります。朴槿恵はそう気づいているのでしょう。
池上 2009年、日本と韓国は安全保障上の関係強化のための軍事協定を結ぶ方向で協議を進めていましたが、調印のわずか一時間前に韓国がキャンセルしました。中国から「日本と新たな軍事協定を結ぶな」と脅されたのです。朝鮮戦争では、多くの韓国人が中国軍によって殺されています。本来なら中国に謝罪要求や責任追及をしてもいいはずですが、中国に対してはそんな感情を抱いていない。これが韓国の「事大主義(小が大に事える)」ですね。韓国は、歴史上、長い間、中国に「事大」し、中国の臣となることで生き延びてきましたから、今も大国・中国の懐に抱かれているのが、心地よいのでしょう。
■中・朝「歴史戦争」が始まる
佐藤 つまり東アジアの秩序が、冷戦よりもはるか昔に戻っているのです。歴史になぞらえると、南北朝鮮は、三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできます。あるいは、北朝鮮が渤海だと考えたほうがいいかもしれません。新羅は中国に朝貢していましたが、渤海は日本に朝貢していました。朝鮮半島に統一王朝がない状況で、渤海がなぜ日本に安全保障を求めて来たのか。
金正日が金日成総合大学の学生時代に書いたという、三国時代に関する歴史論文があります。朝鮮半島の統一は、高句麗、新羅、百済の三国のうち、新羅が主になったと言われてきたが、実はそうではなく、高句麗が主であって、新羅は中国に隷属して自主性のない国だったという内容です。この論文が企図しているのは、北朝鮮による歴史の書き直しです。その結果、中国とも論戦になりました。中国は、高句麗を、「朝鮮民族の国」ではなく、「中国の地方政権」と位置づけているからです。いずれにせよ、金正日論文の図式からすると、韓国人と朝鮮人は、もともと別なのだという見方も出てくるのかもしれません。実際、言語は、いまや南北で少し違ってきています。
池上 人名の「季」さんも、北では「リ」と読むのに、南では「イ」と読みますね。ですから、前韓国大統領・李明博は、「イ・ミョンバク」になる。
佐藤 もうひとつ、歴史になぞらえることで連想されるのは、1970年代の東ドイツで起こった「プロイセン見直し運動」です。 「西ドイツ南部のバイエルンとは違う」と、
「プロイセン的なドイツ人」という別民族を立てて行こうとする運動でした。
池上 バイエルンのほうに行くと、「ラテンだな」と感じますね。北のドイツ人は、ムスッとして、エレベーターで一緒になっても挨拶もあいない。それがミュンヘンあたりでは気軽に「ハーイ」ですから。
佐藤 朝鮮半島からの日本人の帰還問題を考えるにしても、ロシアからのドイツ人の帰還問題や古代の渤海とのアナロジーなど、「未来としての過去」が重要になってきます。そして近代以前の歴史となると、必ず宗教が絡みます。宗教と歴史が、これからの国際情勢を読むときのカギになって来ると思うのです。
>>宗教と歴史を通した「未来としての過去」の理解に努めたい
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第4章 「イスラム国」で中東大混乱
■アラブの春の後の無残
池上 ここでまず基本的な知識を整理します。イスラム教徒は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。それは、預言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立です。
ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれ、預言者の代理人です。
このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべきという信者とで意見が分かれたのですが、当初の三代は、血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があったほうの後継者が続きました。
四代目でようやくアリーという、ムハンマドのいとこであり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子どもは、ムハンマドの血を引いていることになります。アリーとアリーの血を引くものこそがカリフにふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称されます。
一方、血統にこだわらないでイスラムの慣習を守ればいいと考える信者たちは、「慣習(スンナ)派」と呼ばれました。日本や欧米のメディアではスンニ派という呼び方が定着しています。全世界のイスラム教信者の85%をスンニ派が占め、シーア派は15%。スンニ派の大国がサウジアラビア、シーア派の代表的な国がイランです。
■シリアのキーポイントは、アラウィ派
佐藤 シリアは、第一次大戦が終わった1918年、それまでの植民地支配から国際連盟のもとでフランスが委任統治をすることになりました。するとフランスは、現地の行政、警察、そして秘密警察までを、アラウィ派に担わせたのです。すなわち、政治をすべて被差別民に任せたということです。多数派に統治させると独立運動などを起こしかねない、少数派ならば、フランスへの依存から逃れられないだろう、という計算があったことは疑う余地もないでしょう。
池上 アラウィ派は輪廻転生を認めていて、現世で悪いことをすると犬畜生に生まれ変わることもあるという、ヒンズー、仏教的な、いかにもアジア的な要素が入っている。
だからスンニ派からしてみれば、イスラム教として認めがたい。でも、レバノンやイランが、あえて少数派ゆえにシーア派と認定して勢力を拡大しようとしている。たしかにシーア派の中では、「アラウィ派は認めない」とする勢力もありますが、周辺地域への影響力を維持したいという政治的な思惑もあって、一応シーア派と認定しているのが現状です。
日本の新聞も「シーア派」と書くけれど、本当はそう言ってはいけない。私は「シーア派系」と言ったりします。時間があれば詳しく説明しますが、余裕がない場合はそんな言い方をしています。
■ムスリム同胞団を皆殺しにしたアサド父
佐藤 一連の「アラブの春」では、ほとんどの国で「ムスリム同胞団」という反政府勢力の名前が聞かれました。これはエジプト出自の組織です。
池上 1981年、ムスリム同胞団は、エジプトのサダト大統領暗殺事件を起こし、跡を継いだムバラク大統領に非合法化され、徹底的に弾圧されます。それ以降、同胞団は、地域の医療活動や慈善活動の団体として生き述べてきました。それが、アラブの春で一気に表に出て来たのです。
佐藤 そのムスリム同胞団が、シリアにはいません。かつてはいましたが、現在のバッシャール・アル=アサド大統領の父親のハーフィズ・アル=アサド前大統領が皆殺しにしたのです。
池上 1982年、首都ダマスカスの北およそ200キロのハマ市で、ムスリム同胞団が武装蜂起したときのことですね。
佐藤 その数2万人と言われます。2000万人余りのシリアの人口からすると、0.1%もの大きな数です。
そもそも現大統領のバッシャール=アル・アサドは、本来、イギリスに留学経験もある眼医者で、インテリです。ところが兄バーセルが1994年に事故死したため、無理やり父親の後継大統領にされた。宗派対立をのりこえて、国民和解の必要があると、夫人をスンニ派からもらいました。スンニ派の金持ちたちを味方につけ、軍の要職にも少しスンニ派を入れました。ですが、こうした努力もむなしく、やはりうまくいかなかった。紆余曲折を経て、結局、毒ガスを使うことにもなりました。
■オバマ大統領の失敗
池上 反政府勢力の支配地域で毒ガスのサリンが使われ、大勢の死者が出ました。
佐藤 アメリカは「毒ガスを使ったやつは殺す」というのが基本的な戦略です。基本的に西部劇の世界の延長線上にある発想ですね。しかし、シリア問題では、ロシアの横槍が入ったため、西部劇がうまくいかなかった。
池上 シリアでは少数派であるアラウィ派のアサド政権が、多数派のスンニ派住民を抑圧してきましたから、スンニ派住民が自由を求めて決起した形です。アサド政権がこれを弾圧すると、政府軍の幹部の中にも、自国民を殺すのは嫌だ、という人たちが出て離反し、「自由シリア軍」をつくって内戦状態になりました。
そこにスンニ派国家のサウジアラビアやカタールが大きく支援を入れて、反政府勢力が豊富な資金と軍事物資を持つようになった。その自由シリア軍と政府軍がぶつかり合っているところに、レバノンからシーア派の過激組織ヒズボラ(神の党)がアサド政権の支援に入って、一気に政府側が盛り返すのです。
佐藤 サウジアラビアとカタールも、シリアに自前の反体制派を抱えていましたが、最終的には、そこへアルカイダ系の人たちが入り込んだため、ますます収集がつかなくなりました。
■「イスラム国」の横取り戦略
池上 そこに付け込んだのが、「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」、今の「イスラム国(IS)」です。
「イスラム国」といっても、国家ではありません。イラクのスンニ派地域に「イラクのイスラム国」という名のごく少数の勢力として存在していて、支持拡大は果たせなかった。ところが隣国シリアで紛争が始まったので、しめたとばかりに「シャーム(シリア・イラク地域)のイスラム国」と名前を変えてもぐり込んでいったのです。たとえて言うなら、1970年前後の日本の革命運動勢力の一部がやったようなことをやったのです。
まるで親アサド派であるように、どんどん勢力を伸ばし、イラクに凱旋して戻ってきたわけです。この過程で中東各国どころか、世界各地から「聖戦に参加したい」という若者たちを集めて、組織を大きく拡大しました。
彼らは、シーア派のマリキ政権によって不利な立場に追いやられていたスンニ派住民の支持を受けて、イラク北西部を制圧し、首都バグダッドに向けて進軍を開始した。一時は、イラク政府軍が総倒れになるところまで行きました。
もともとアルカイダ系でしたが、あまりの特殊さと残虐さゆえにアルカイダからも破門されてしまったという過激な組織です。イラク北西部で捕虜にしたイラク軍兵士や警察官1700人を処刑し、その映像をネットで公開しました。さらには、アメリカのジャーナリストやイギリスのNGOメンバーを斬首する映像を流して世界に衝撃を与えています。
■アメリカとイランの接近の理由は?
佐藤 シリアで活動していた「イスラム国」の連中も、「アサド政権はまだもつ。いま戦っても勝てない」と、シリアよりも国家統治機能が弱いイラクに移動しました。
それと、彼らがイラクに移動したのは、油田の獲得も目的でした。「イスラム国」は、シリア最大のオマル油田を抑えましたが、日量7万バレル程度の産出量です。それに対し、イラクの油田は桁違い。クルド族が押さえているキルクーク油田だけでも、一日数十万バレルは産出できる。イラクの油田をおさえることで、大きな資金力をもったのです。
サダム・フセインが倒された後、移行政府を経て、2014年8月までイラクを統治していたマリキ政権は、アメリカの傀儡です。アメリカの傀儡なのに、なぜ成り立っていたのか。宗派は12イマーム派のシーア派で、すなわちイランの国教と一緒だから、イランからもマリキ政権に対する支援がありました。アメリカとイランの両方がサポートしてくれるという、世界でも珍しい状態でした。
そうした不可思議で、かつ外からは見えなかったパワーバランスが、今回、「イスラム国」が前面に出て来たことによって、すべて露見してしまったのです。
面倒なことに、「イスラム国」が支配したのは、石油産出地区です。彼らが石油を算出してうまく換金できるかはわかりませんが、少なくとも混乱が生じて、石油価格が上がり始めている。ガソリンがリッター165円になっている。日本の新聞は「中東情勢の悪化等に伴い」としか書いていませんが、大変な事態です。
そこで興味深いのは、(2014年)6月14日に、イランのロウハニ大統領が記者会見で、「対テロ対策だったらアメリカとも協力できる」と発言したことです。
ロウハニ大統領は、ハタミ政権時代、国際社会との交渉役に立った人で、オバマ大統領とも電話会談したりと、雪解けの流れを推進しています。同じ日にアメリカは、空母と巡洋艦をペルシャ湾に派遣すると言明しました。7月7日には、イランのラフサンジャニ大統領が朝日新聞の単独インタビューで、イラク問題について「必要であれば(アメリカと)協力する」と述べました。
今にいたっては、アメリカも、イランと仲良くしたくて仕方がない。ところがそうなると、イランと反目している親米国サウジアラビアが怒る。アメリカは、そういうジレンマに陥っています。
■湾岸の黒幕、サウジアラビア
佐藤 一歩踏み込んで、アラブの春によって、中東における共和制型の政権を倒すことに関心をもった国がある。それはどこかと言うと、湾岸の王政の国々、とくにサウジアラビアです。アラブの春による混乱に乗じて、サウジアラビアが中東における覇権を確保することを狙っていたのではないか。
池上 湾岸のバーレーン王国は、スンニ派支配の国ですが、地図を見ればわかる通り、サウジアラビアの東の外れの先っぽにあります。そして、その先の海を渡った向こうにイランが控えているので、このあたりにもシーア派の勢力が存在していて、それをスンニ派政権が抑えつけている。
そういうシーア派の動きに対して、周辺のスンニ派の国には、当然、警戒心がある。サウジアラビアは、ペルシャ湾に浮かぶバーレーンに「友好の橋」という大きな橋を架けました。
この地域の国々(サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、カタール、クウェート)は、湾岸協力会議(GCC)という集団安全保障体制をつくっています。これもイラン対抗策の一環です。イラン発のイスラム革命によってシーア派の勢力がここまで迫ってきたら、小さな湾岸諸国はひとたまりもないというので、大国サウジアラビアを入れてGCCをつくりました。バーレーンが危機を迎えると、サウジアラビアが、「友好の橋」を使ってバーレーンに軍を送り込み、反政府運動を弾圧したのです。
「友好の橋」が何のためのものか、これではっきりしました。集団安保です。どこか一国の政権が危うくなると他の国の政権が協力して、反政府運動を弾圧するわけです。
中東情勢を知る上で欠かせないのは、中東のCNNとも称された「アルジャジーラ」です。アルジャジーラは、最初にできたときは本当に自由な報道をすると言われていたし、事実そういう面がありました。けれども、最近はカタールの国策に則ってやっていますね。佐藤さんが言われるように、湾岸の王制国家が相当の危機を板いているのは、そうでしょうね。
いまや露骨に、カタール、あるいはスンニ派、サウジアラビアの意向に沿った報道しかしません。
アラブの春が始まってから多くのアラブの王制を批判してきたアルジャジーラですが、サウジアラビアだけは絶対批判しない。これは徹底しています。 あのあたりの広告代理店は全部サウジアラビアがおさえている。
■一夫多妻と「時間結婚」
池上 サウジアラビアには王子が一万人いると言われていますからね。イスラムでは夫人を四人までもでる。しかも新しい人が好きになったら前の四人のうちの誰かと離婚して新たに結婚すればいい。もともと結婚するときに、離婚したら財産をこれだけ与えると契約してありますから。
佐藤 イランなどでは時間婚というのが発達しています。結婚時間三時間、慰謝料三万円とか。
池上 一時婚というのですね。
佐藤 イスラムでは売春は死刑、それも石打ちの刑です。 拳くらいの大きさの意思をぶつけ続けて時間をかけて殺す。しかしこのエスコートクラブは売春ではなく、三時間の結婚で、分かれるときは慰謝料300ポンドとすれば逃れられる。
基本的に「サウジアラビア」というのは「サウド家のアラビア」という意味ですから、家産国家です。30年くらい前まで国家予算というものがなかった。国家予算と家計が渾然一体となっていた。
国会も国政選挙もありませんが、国すなわちサウド家が国民の生活の面倒を全部見てくれる。汚い仕事やきつい仕事はイエメン人やパキスタン人にやらせて、サウジアラビア人は高級官僚になる。
池上 「サウジアラビア」は「サウド家の土地だよ」という意味であって、われわれがそれを勝手に国家と呼んでいるだけです。
■スンニ派で一番過激な派は?
佐藤 スンニ派は四つの法学派から成り立っています。まずハナフィー学派。これはトルコに多いです。次にシャーフィー法学派。これはインドネシアと、ロシアの北コーカサスにいる。それからマーキリ法学派で、エジプト、チュニジア、リビアにかけての地域にいる。しかしこの三つは忘れてもいいのです。各社会の慣習や祖先崇拝と適宜折り合いをつけているからです。過激になりにくい。
過激な運動が出て来るのは、四番目のハンバリー法学派です。これは原理主義そのもの。コーランとハディース(ムハンマドの伝承集)しか方言として認めない。だからお墓に一切価値をおかないし、聖人を認めない。
このハンバリー派の中のかなり急進的なグループがワッハーブ派です。ただしこれは他称で、自分たちではワッハーブ派とはいいません。サウド王家のサウジアラビアの国教が、これなのです。そしてちょっと乱暴に整理すると、ワッハーブ派の中の最大の過激派で武装集団であるのがアルカイダや「イスラム国」です。
その考え方は、アラーは御一人であり、それに対応して天上の法律も一つ、地上の法律も一つ。したがって、一つの法律を一つの国家、カリフ国家が体現して、それを支配するのがカリフ皇帝であるという独裁制を狙っている。サウジアラビアも建前はそうです。ところが、「今のサウジアラビアは何だ。酒を飲んだりしてけしからん」とオサマ・ビン・ラディンたちは非難したわけです。それに対しては「コーランでは葡萄でつきうった酒を飲んだらいかんとされているだけだ。ウイスキーは飲んだって構わない」とか言い訳しています。
問題なのは、今、世界的にハンバリー法学派が増える傾向にあることです。
異教徒が、スンニ派とシーア派も一緒になって反米活動をやっていたということはいくらでもありえます。そこをアメリカ人もよくわかっていないから、イランのシーア派は「悪い原理主義」だが、サウジのスンニ派は「善い原理主義」だという二分法で、アフガニスタンでビン・ラディンたちを支援したわけです。
反対にわかっているのは、イギリス人とロシア人です。イラクの統治をしたのはイギリス人でしょう。
イギリスは、植民地支配するときに近代的な裁判所や行政機構をつくったりしないのです。部族どうしが殺し合いをするときは、イギリスの警察署に計画を提出しろ、そして殺してきたあとは、どれだけ戦果があったか報告しろ、それだけやっていれば構わないという。
「第一次大戦後、イギリスの委任統治領となっていたイラク国家は、襲撃者たちが遠征の前と後とに最も近い駐在所に報告し、殺人と略奪とのきちんとした官僚的な記録を義務として残すという条件の下に、部族による襲撃を大目にみていた」(『民族とナショナリズム』アーネスト・ゲルナー著、加藤節監訳、岩波書店6頁)
西側基準の文明的な統治をする考えはいっさいないわけです。自分たちの統治に服していればあとは適宜やらせておいて構わない。これがイギリス流です。
池上 賢いというか、悪いというか・・・・・・。
■白人は皆、若くて強い!?
佐藤 結果的に多文化主義というのか、非常にシニカルなのです。
それにイギリスは植民地担当官を五十代くらいでみんな本国に帰してしまいます。だから現地の人間は、年取った白人というものを知らない。年寄りがいないのだから、白人は年を取らない、白人はみんな若くて強いと思っている。
「イラク-狼の谷」というトルコ映画があります。10年くらい前の作品ですが、二ヵ月でトルコ人600万人が見たと言われています。今までにおそらくイスラム圏全体で一億人近い人が見ています。トルコがつくった半米映画です。
あるときトルコ軍の部隊が囲まれて、この中にテロリストがいるからと検査される。こんな侮蔑はないが、軍本部は、トルコはNATOの一員でアメリカとの同盟を維持しなければならないからと検査に応じさせる。この傍若無人のCIAのやり方に抗議して司令官が自殺する。その息子がトルコの情報機関にいて、トルコのためと親の復讐のために立ち上がってアメリカと徹底的に戦うという映画です。
これを見ると、イスラムから見たアメリカ観がわかります。意外と映画による刷り込みというのは影響が大きい。大衆娯楽映画だから。
■十二イマーム派とハルマゲドン
佐藤 先ほどスンニ派で過激なのは、ハンバリー法学派と言いましたが、シーア派はとりあえず十二イマーム派を押さえておけばいい。
池上 スンニ派に言わせると、ムハンマドは後継者を指名しないまま死んだのだけれど、シーア派、つまりアリーに従う勢力のほうでは、ムハンマドがアリーに「あとはよろしく」と言ったという話がある。これは、毛沢東が死んで華国鋒が後を継いだときに、毛沢東が「君に任せれば安心だ」と言ったという話が出て来たのと似ていますね。アリーこそが後継者になるべきだと言った人たちが、四代目にようやくカリフになったアリーを、これこそムハンマドの代理だと言って、イマームと呼びました。
佐藤 「導師」という意味ですね。
池上 そして四代目カリフのアリーが初代イマームになり、その後イマームが続いている。
佐藤 一番極端なのが、この前までイランの大統領だったアフマディネジャドが属しているグループです。あの人たちは、ハルマゲドンを信じている。
イランのハメネイ最高指導者は、合理的に行動しているから心配ない。とこがアフマディネジャドはハルマゲドン、世界最終戦争のときにお隠れイマームが出て来てエルサレムのイスラム教徒だけを助ける、と確信している。そういう確信を止めることはできない。だからアフマディネジャドならエルサレムに核ミサイルを討ちかねないと非常に心配していたわけです。
最後の審判に再臨するというと、お隠れイマームがだんだんキリストのイメージに近くなってくる。だからシーア派というのは、その意味ではキリスト教と強い親和性が高いとも言えます。
池上 ユダヤ教でもキリスト教でも、この世の終りが来る前に救世主が現れ、人々を導いてくれると考える。ここは同じです。イエスに従ったものたちは、イエスこそがユダヤ教でいう救世主だと考え、キリスト(救世主)と呼んだのです。イスラム教のシーア派では、十二代目のイマームが救世主ということになる。しかしたとえば今、誰かが「私が十二代目のイマームだ」と言ったら、みんな信じるでしょうか。「きっと信じないでしょう」と私は思うのですが、信者の人たちの反応は違います。「十二代目イマームはとっても素晴らしい人だから、現れれば誰でもわかる」と口を揃えるのです。
■嘘つきシーア派
佐藤 シーア派の特徴として、嘘をついていい、ということがあります。シーア派は、イスラムの中の非主流派です。主流派のスンニ派はインチキなんだから、インチキに対して、「あまえはシーア派か」と問われたら「とんだもない、私はスンニ派です」と答えてもいいのです。
約束をしたら守る、「合意は拘束する」というのがローマ法の原則として決まっているでしょう。それが西側社会の原理になっている。しかし、「約束はしたけれども、約束を守るとは約束していない」というのが含まれると、メタ理論が入ってきて、ものすごい複雑系になります。
シーア派が主流で権力を握っているのは、国家としては、イランとアゼルバイジャンだけです。
池上 イラン・イスラム革命(1979年)をおさらいすると、ホメイニは、12代目のイマームがお隠れになった後、再来するまでの間は、イスラムの教えを極めた人間、イスラム法学者の仲の最も優れたアヤトラと呼ばれるイスラム法学者が代って政治をすればいいのだという理論を打ち出しました。
これを「ベラヤテ・ハキーフ(イスラム法学者による統治)」といいます。それに基づいてイラン・イスラム革命が起きて、ホメイニが最高指導者になり、現在はハメネイが最高指導者を継いでいます。あれは12代目のイマームがお戻りになるまでの間の中継ぎなのです。
ハメネイ師のような黒いターバンを巻いている人はイスラム派としては尊敬すべきではあるものの、アラブ系であるために一般のイラン人からは敬遠される存在でもあるのです。
■アサド政権を支持するイスラエル
佐藤 その点では今、不思議な現象が起きています。イスラエルが全力を挙げて、シリアのバッシャール・アル=アサド政権を支持している。これは要するに、イスラエルからすれば、アサド政権は予測可能な敵であるというのです。もう四回も戦争をした相手で、大体何をやるかわかっている。政権が倒れてシリアが混乱したら何が起こるか予測不能だから、それよりはわかる人たちに敵としていてほしいというわけです。
池上 もう一つ、今イスラエルが最も恐れているのは、隣国ヨルダンの王制が崩壊することでしょう。イスラエルと国交を結んでいるのは、アラブではヨルダンとエジプトだけですから。
佐藤 ヨルダンは国王暗殺があったら崩壊します。後継者がきちんと育っていないから。サウジアラビアが「サウド家のアラビア」であるのと同様、ここは「ハシム家のヨルダン」です。中東情勢で一番怖いのが、預言者ムハンマドの出身部族のクライシュ族につながっているところのハシム家のヨルダン。もし今、テロでアブドゥラ国王が殺されたら、この国は本当にカオスになります。「実は『イスラム国』が狙っているのはそれだ」というのが、私の「アラブじゃない中東某国」の友達の見方でした。
池上 今の国王はイギリス生活が長くて、父親が亡くなって国王を継いだ後、議会で演説するとアラビア語がたどたどしくてみんなに馬鹿にされた。今はだいぶ上手になったらしいけど。
■モサド長官の交渉力
佐藤 フセイン前国王は、イスラエルとの国交を樹立しました。そのときのイスラエル側の交渉担当がエフライム・ハレヴィという、後のモサド(イスラエル諜報特務庁)長官で当時は副長官でした。
PLO(パレスチナ解放機構)と過激派ハマスのテロが続き、ハマスのマシャル政治部長がヨルダンでそれを指揮していた。そこでモサドはマシャルを殺すことにした。ところが、毒薬の量とかけ方を間違えて、マシャルは死ななかった。それだけではなく、モサドの暗殺部隊の二人が拘束され、残りの三人がアンマンのイスラエル大使館に逃げ込んだのです。
このときハレヴィさんはもうモサドを引退してEU駐在のイスラエル大使をやっていました。
何かお土産を考えろと言われて、ハレヴィはイスラエルの刑務所に入れてあるハマスの指導者ヤシンを釈放してヨルダンへ送ることにするのです。イスラエルの首相は腰を抜かして、「釈放なんかしたらまたテロを起こすじゃないか」と反対したけれど、どうせイスラエルの刑務所にいたって仲間に指示を出してテロをやってるじゃないか、ここは釈放するしかない、そのあとで殺せばいいんだ、という考えてヨルダンに送ったそうです。
フセイン国王も喜んで、これでメンツが立ったとしてイスラエルの工作員を返した。ヤシンはパレスチナに凱旋し、案の定、徹底的にテロを始めました。そしてその後イスラエルははやりヤシンを殺したのです。
無人機、空飛ぶ五寸釘のような誘導器で殺した。もちろん、ヤシンを釈放したためにテロでイスラエル人も相当死
んだわけです。
何が教訓かと言えば、取引というのはそのくらいの覚悟でしないとダメだよ、ということです。そういう耳学問をしていると、「そうか、そんなふうに考えるんだ、中東で生きるこの人たちは」とつくづく思います。
イスラエル人は、外見は白人みたいでも、ヨーロッパやアメリカと一緒と思ったら大間違い。みんな「中東の人」なのです。イスラエルの連中と話すと、中東の人たちが何を考えているのか、こういうときには何をするのか、皮膚感覚でわかってきます。
>>今日の「イスラム国」を理解するために、その背景にある関連各国の歴史を学ぶ必要がある
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第3章 歴史で読み解く欧州の闇
■エネルギーが世界を動かす
佐藤 2014年7月17日に、ウクライナ東部のドネツク州上空でマレーシア航空機が墜落しました。さまざまな情報を総合すると、同地域を支配する親ロシア派武装集団が地対空ミサイルで撃墜したものと思われます。
この親ロシア派に対し積極的な工作を行っているのはGRU(ロシア軍参謀本部諜報総局)と見られます。これを黙認してきたプーチン政権の責任は重い。また同時に、対話ではなく親ロシア派の支配地域に空爆を行うなど、内戦をエスカレートさせたウクライナ政府の責任も重いと思います。今のウクライナ政権は、自国の領域を実効支配できておらず、首相の辞任すら収拾できないなど、これまた「破綻国家」の様相を呈しています。
重要なのは、この事件によって、アメリカが対ロシア批判を強め、米ロ関係が決定的に悪化したことです。
ここにつけこんで、最大限に利用するのが「イスラム国」でしょう。米ロがにらみ合い、中東で身動きが取れないなかで、支配地域の拡大を図るはずです。
池上 中東とウクライナに共通しているのは、ともにエネルギー問題が深く関わっている点ですね。
とくにヨーロッパにしてみれば、ロシアから天然ガスを輸入するパイプラインがウクライナを通る。エネルギーの危機管理上、これは非常に困るので、何とかしなければいけない。だから今、アゼルバイジャンからウクライナを迂回してトルコを通る南側のルートをつくっていて、その完成を急いでいます。
佐藤 カタールが石油のスポット売りをやり始め、ロシアも通常はやらない天然ガス供給の長期契約の値引きをしました。
池上 そもそもウクライナ紛争の発端は、2014年2月、ウクライナの反政府勢力が大統領府を占拠して、親ロシア派だったヤヌコビッチ大統領を解任したことです。その時の最も深刻な対立は、ウクライナがEUに加盟するかどうかをめぐるものでした。
ウクライナ西部では新欧米派が優勢で、EU加盟を推進していたのに対し、東部に基盤をおくヤヌコビッチ大統領が調印準備を凍結してしまったのです。
親ロシア政権が倒されると、ロシアのプーチン大統領は露骨にウクライナへの干渉を始めました。とりわけクリミア半島に対して「ロシア人の安全を守るため」と称して、ロシア軍の特殊部隊を派遣しました。ロシア軍に守られながらクリミア半島の「クリミア自治共和国」は、住民投票を実施し、ロシアへの編入を決めたのです。
■ウクライナの内部断絶
池上 西部ウクライナの人たちからすると、「自分たちはヨーロッパの人間で、ソ連に力で併合された」という歴史感覚をもっていたのですね。
佐藤 そうです。そして東部や南部のウクライナ人は、日常的にロシア語を喋って、ロシア正教を信仰していて、「自分たちがウクライナ人なのか、ロシア人なのか」を詰めて考えていなかった。ところが、こういう事態になった、初めて真剣に考えざるを得なくなっている。もともとウクライナは、こういう断絶を内部に抱えていたのです。
池上 封印されていた民族、宗教問題のパンドラの箱が開きかねないですね。
■肉屋に人肉が吊るされていた
佐藤 ソ連末期の1980年代末、モスクワの日本大使館で仕事をしていたときに、確か『アガニョーク(ともしび)』だったと思いますが、その雑誌を見て驚いたのは、肉屋で人間の肉を吊るして売っている写真が出ていたことです。食糧危機で人肉を販売せざるを得なくなった。人肉の「配給」を余儀なくされたのは、ウクライナだけでしょう。
池上 ソ連の独裁者スターリンにとって、社会主義とは私有財産の否定です。農家の私有財産である農地や農機具などの生産手段を取り上げ、集団農場に集めました。そして農民は、集団農場で働く労働者になったのです。
これに抵抗する大農場の経営者は処刑され、農地は集団農場のものになりました。そうすると、いくら農業に精を出しても農産物は自分のものにならず、働いても働かなくても給料は同じ。やる気を失って、生産性は低下しました。豊かな穀倉地帯だったウクライナを大飢饉が襲いました。
■ナチスに協力したガリツィア
佐藤 それほどの状況になったからこそ、ソ連よりはナチス・ドイツのほうがましだと、ナチスに協力するウクライナ人が出てきたのです。
第二次大戦中には、ガリツィア地方を中心として、30万人のウクライナ兵がナチス側に加わり、1945年には、彼らは「ウクライナ民族解放軍」として、ソ連赤軍と叩きました。ちなみに赤軍には200万人のウクライナ人が加わりました。
極東のサハリンや北方領土にウクライナ人が多いのは、ウクライナでソ連政府から不純分子とみなされた人々が戦後に移住させられたからです。ナチスに居力した幹部連中は、赤軍によって皆殺しにされました。赤軍の政治将校(コミッサール)には、裁判なしで銃殺する権限が与えられていたのです。
ソ連の支配下に入るのを潔しとしない人たちは、海外に亡命しました。とくにカナダのエドモントン周辺地域に移った人が多く、今でも120万人のウクライナ人が住んでいて、ウクライナ語を喋り、ゲーという文字を使っています。
いずれにせよ、こうした軽の反省から、戦後は、ウクライナに優遇政策をしなければいけないということになりました。ウクライナ語も使えるようにする。ただし、「ゲー」の文字は使わせない。宗教も、ウクライナの正教はよいが、ユニエイト教会は認めない。部分的なウクライナ化政策です。
ソビエト時代には、「形式において民族的、本質においてソビエト的」という、ソ連共産党のスターリン書記長が唱え、ブレジネフ書記長の時代にイデオロギー担当のスースロフ書記が理論化したテーゼがありました。「ソビエト人」という、民族を超えるアイデンティティが生まれるのだと主張したわけです。それに沿った民族政策だったのです。
■クリミアのロシア人とウクライナ人は仲がいい
佐藤 あれほど国際世論の反発を受けながら、プーチンがなぜクリミアを編入したのか。これも歴史を振り返らないと、読み解けません。
クリミアには、もともとジンギスカンの子孫がつくった「クリミア汗国」がありました。ここは水がなく、ディアスポラ(離散定住)のギリシャ人が住んでいた。そこに入ってきジンギスカンの子孫たちが何をやったかと言えば、ウクライナ人が居住するウクライナに行って、穀物や家畜を略奪してく女性まで拉致して、ペルシャやアラブに売り払う。それでみんな逃げて、キエフにもぺんぺん草が生えるようになりました。
しかし、もともと国土地帯で肥沃な場所ですから、犯罪者、逃亡農民などがたくさんやって来て、税金も払わずに勝手に住みつき、武装して農村をつくった。これがコサックです。
このコサックが、ポーランドのカトリックとクリミア汗国のイスラム教徒と戦て、領域を徐々に大きくしていきます。そして1654年、ペレヤスラフ協定を結んで、ロシアの庇護下に入る。それからロシアの力を利用してクリミアを占領するわけです。
池上 そうそう。19世紀に到って、クリミア半島をオスマン帝国が支配すると、ロシア帝国は、「ロシア正教徒の保護」を口実に軍事介入します。
2014年2月、ウクライナで親ロシア政権が倒されると、ロシアのプーチン大統領が「ロシア人の安全を守るため」と称して、クリミア半島にロシア軍を派遣しましたが、これと同じ構図ですね。
クリミア戦争(1853~1856年)では、オスマン帝国と同盟したイギリス・フランスと、ロシアとの間で大規模な戦闘が行われました。「白衣の天使」フローレンス・ナイチンゲールの活躍が有名です。1917年のロシア革命後、クリミアは、ボリチェビキ(後のソ連赤軍)によって占領され、その後は、ソ連内の自治共和国になりました。
佐藤 第二次大戦中にナチス・ドイツがクリミアに入ってくると、クリミアの先住民族タタール人、すなわちジンギスカンの末裔たちの一部がナチスに協力します。これにスターリンが激怒し、1944年にクリミアを赤軍が「解散」すると、タタール人を強制移住させ、その後にロシア人を住まわせました。このとき、なぜウクライナ人ではないのかと言えば、当時は、クリミアはロシア領だったからです。
池上 ペレヤスラフ協定300周年の1945年に、ソ連のフルシチョフ共産党第一書記がクリミア半島をウクライナに移管しました。ウクライナのご機嫌をとるためです。そのフルシチョフも、まさかその後、ウクライナが独立することがあるなどとは考えていなかったでしょう。
■避暑地とソ連のセックス事情
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第2章 まず民族と宗教を勉強しよう
■毛沢東の予言
佐藤 毛沢東に「十大関係について」という講和(1956年4月25日、中国共産党中央政治局拡大会議)があります。
その「十の重要な関係」の一つは「民族の関係」だとして、次のように述べています。
「わが国の少数民族は人数が少なく、占めている地域が広い。人口についていえば、漢族は94%を占め、圧倒的に優勢である。もし漢族の人たちが大漢民族主義をふりかざし、少数民族を差別するならば、それはきわめてよくないことである。では、土地はどちらのほうが広いか。土地は少数民族のほうが広く、50ないし60%を占めている。中国は土地が広大で物産が豊富、そして人口が多い、というが、実際には『人口が多い』のは漢族、『土地が広大で、物産が豊富』なのは少数民族であって、すくなくとも地下資源については、少数民族のほうが『物産豊富』だろう」
あの毛沢東も、民族問題については非常にバランスのよい見方をしていたのです。
今、中国で起きているのは、大きく見れば、産業化、近代化です。しかし近代化は、ネーション・ステート(国民国家)なしに可能なのかどうか。つまり、中国の場合、漢族ではなく「中華民族」という新たな民族意識を形成し、国民国家をつくることが近代化に不可欠なのか。それとも、ネーション・ステートの形成を経ずに、今の共産党政府に従い、後は自分たちの父系親族である宗教のセーフティー・ネットワークさえあれば、近代化は可能なのか。いわば中国は、プレモダンの国が、近代的な民族形成を迂回してポストモダンに辿り着けるのか、という巨大な実験をやっていると思うのです。
■ダライ・ラマと五回会った
佐藤 チベットに関しては、モンゴルという補助線が重要だと思います。
戦前の中華民国の時代に、ソ連と中華民国とイギリスの間で不思議な現象が起きました。まず、ソ連が外モンゴルを独立させるのをイギリスは事実上認めた。一方、ソ連はチベットの独立を事実上認めた。互いに緩衝国家として認めたわけですが、モンゴル問題とチベット問題は連動しているのです。さらにモンゴルとチベットの宗教は、同じチベット仏教ですからつながりが非常に深い。
その後、中国の人民解放軍がチベットのラサに入る際、これを正当化する論理のひとつは、奴隷制度からの解放でした。それまでチベットに奴隷制があったのは間違いのない事実です。これによって、チベットにおける中国の正当性は、実は比較的保たれているのです。
ダライ・ラマは、西側で評判がよいのですが、彼自身が西側の民主的な世界観の人なのかというと、果たしてどうか。中国への対抗という政治的な思惑から評価が高まっている側面がかなりあるように思うのです。そこにはインドの世界戦略も関わっています。日本では、中国に抵抗するダライ・ラマは、とくに保守派に評判がいいのですが。
■「宗教は毒だ」と毛沢東はダライ・ラマに囁いた
池上 1955年春、チベットへ帰る前日に毛沢東が自分の執務室に彼を呼び出します。
「最後に、ぐっと身体を近づけ、『あなたの態度はとてもいい。だが、宗教は毒だ。第一に、人口を減少させる。なぜなら僧侶と尼僧は独身でいなくてはならないし、第二に、宗教は物質的進歩を無視するからだ』といった。これを聞いて、わたしは激しい嵐のような感情が顔に出るのを感じ、突然非常なおそれを抱いた。『そうなのですか。あなたは結局ダルマ(法)の破壊者なのですね』わたしは心のなかで怒りをこめて呟いた」(『ダライ・ラマ自伝』山際素男訳、文春文庫、163頁)
そしてチベットに戻ってみると、自分の留守の間にチベット仏教がすっかり弾圧されていた。それで反発し、インドに亡命することになりました。
■中国政府 vs.ヴァチカン
佐藤 要するに、チベット仏教といっても、中国からすると二つあるわけです。中国に土着しているのがパンチェン・ラマのチベット仏教。それに対してダライ・ラマのは「外来のチベット仏教」。カトリックも、ヴァチカンのものは「外来のカトリック」。それに対して、天主教愛国会こそ「土着のカトリック」である、と。そして土着のものは認める。
これは中国側の論理で、宗教の論理とは噛み合いません。ですから、チベット仏教だけではなく、カトリックとも、プロテスタントとも折り合いがつけられない。宗教の感覚がわからないから、迷信だといって弾圧を加える。
太平天国の乱が結びついて統制不能になったように、中国で大乱が起きるときは必ず宗教と結びつく、共産党政権は宗教によって転覆させられる危険性があるのではないかという。歴史につながる恐怖をもっているような感じがします。
■クリスチャンだった金日成
佐藤 ソ連で、宗教弾圧を本格的に行ったのは、レーニンとフルシチョフです。それ以外の政権では、共産党と宗教はうまく折り合いをつけていた。すたーりんにしても神学校出身(中退)でしたから、中国とはまったく違います。
北朝鮮でも、金日成は非常に宗教的な感覚がいいでしょう。彼自身クリスチャンでしたから。
金日成は、キリスト教の思想と主体思想は基本的に同じものと思っている、ということまで言っています。
「全世界の人が平和でむつばじく暮らすことを願うキリスト教の精神と、人間の自主的な生き方を主張するわたしの思想とは、矛盾しないものとわたしは考えている」(『金日成回顧録――世紀とともに 1』82~83頁)
中国に入ると、禅でも、天台宗でも、インドの仏教とはまったく違うものになる。
池上 だから、インドから中国を経由して日本に来た仏教は、みんな不思議な仏教でしょう。
■フランスは完全世俗国家
佐藤 宗教との関係で、常に構造的な緊張をもっているのは、フランスです。イラクのような宗派間の対立を抱えているわけではありません。フランスは完全世俗国家で、政教分離を徹底させていく。この観点からすると、中国とフランスをアナロジーでとらえるのがいいのかもしれない。
池上 トルコも、アタテュルク(トルコ共和国初代大統領)が徹底的な政教分離をしました。それ以来、トルコでは、公の場で女性がスカーフをかぶってはいけない、という世俗国家を貫いてきました。ところが、今のエルドアン大統領は、イスラム的です。首相の頃から奥さんは、公の場にスカーフをかぶってくる。これが大問題になりました。そして「世俗国家の体制を守れ」と主張する若者たちが、2013年、イスタンブールで暴動を起こしたわけです。
エルドアンは、汚職摘発を名目に軍を徹底的に弾圧した。そのために骨抜きになって、今のトルコ軍は、エルドアンに反抗できない状態になっています。
佐藤 政教分離が建前にはなっているけれども、大統領就任式にはロシア正教会の総主教が出てきて、プーチンは、その前で憲法に手を添え、宣誓する。前回の就任式の際は、プロテスタントも、イスラムも、いろいろな宗教の代表者を読んで横に立たせていました。しかし、そのなかでもロシア正教は一段高い位置に置かれます。なぜならロシア正教は、単に数ある「宗教」のうちのひとつではなく、「ロシア人の習慣」だからです。これは、戦前の日本の国家神道とも似ています。
池上 「国家神道は宗教ではない」ということで、仏教の上に置いたわけですね。
■「イスラム国」の正体は?
佐藤 マルクス主義では、「本来、国家は死滅すべきものだ」ということになっているのに、ロシア革命において、どうしてソビエト国家ができたのか。レーニンは、これは「国家」ではなく「半国家」であると言いました。国家は、階級抑圧の道具だから、本来、悪である。ソビエトも、最終的には全世界に革命を起こして国家を廃棄する。けれども、今は帝国主義国家に囲まれている。囲まれているかぎりにおいては、それに対抗するための「半分国家であるようなもの」が必要だ。ただし、国家は悪で階級抑圧の道具だけれども、そういう悪がまったくないのがソビエト国家である、というのです。
原罪をもたない国家です。その国家の目的は、世界のプロレタリア革命を行うことにある。
「イスラム国」の場合は、この「世界プロレタリア革命」を「世界イスラム革命」に置き換えればいいのです。
アフガニスタンのタリバン政権も、一国イスラム主義のように見えましたが、目的は世界イスラム革命でした。一時期、チェチェンとダゲスタンの間にできた「イスラムの土地」みたいなグループも、目的は世界イスラム革命でした。「イスラム国」は、そういう過渡期国家を目指して、実際にそれを半ばつくってしまったわけです。
池上 カリフ(イスラム指導者)をトップに据え、シャリーア(イスラム法)を適用する政教一致国家です。イスラム教の創始者ムハンマドの時代、ムハンマドを指導者にして、ムハンマドが伝える「神の言葉」に従って人びとは敬虔な暮らしをしていた、と考える人たちが、その理想の社会を現代に取り戻そうとしているのです。
この考え方を「イスラム原理主義」と呼びます。イスラムの理念を復興させようというものですから、必ずしも過激な武装闘争と結びつくものではありません。平和裡に行動しているイスラム原理主義者も多いのです。
「イスラム国」の中期的な目標は、「西はスペインから東はインドまで」です。かつてのイスラム王朝が支配していた土地を取り戻したい、というものです。
■破綻国家とビル・ゲイツ
池上 結局、「アラブの春」で露呈したのは、不安定で脆弱な中東諸国の実態だったのですね。
佐藤 最も成功したとされるチュニジアでさえ、破綻国家の仲間入りをしていると見たほうがいいでしょう。どこも、首都を中心とした一部の領域しか統治できていません。
池上 ナイジェリアでは、ボコ・ハラムというイスラム過激派が女子高生約300人を拉致し、イスラム教に改宗させて、人質交換を迫る事件を起こしました。北部の貧困地域で勢力を伸ばし、政府関係施設や警察などに対するテロ攻撃を行っています。
佐藤 国際法上の国家として承認されるための要件は、第一に、当該領域の実行支配が確立していること、第二に、国際法を守る意思があることです。
シリアの場合などは、自国民に毒ガスをまくなどして国際法を守る意思もなく、当該領域の統治もできていませんから、従来の国際法の解釈からすれば、すでに「国家」ではないのです。その意味で、「国家ではない国家」がたくさん出現しているのが、今の世界の特徴です。
イスラエルのネタニヤフ首相の官房長を務めた人が、おもしろいことを言っています。
―― 金融政策や財政政策といったって、世界の富は、国家を迂回して動いているんだ。安全保障の分野だってアメリカは膨大な情報を集めているけれども、それがテロの防止に役立ったことは一度もない。スマートフォンを使いこなす大学生のほうが、政府高官より情報を入手できる可能性が高いという有様。冷戦後、20年も経って、政府が情報とマネーを統制できなくなっている――
リアルな情報分析です。国家が空洞化している、ということですね。
そして続けて、こうも言いました。
――ただし、世の中には旧来型の戦争観をもっている国がある。戦争の勝者には、歩留まりはいろいろだけれども、戦利品を獲る権利がある。そう思っているのが、ロシアであり中国であり、イランだ。ウクライナもそうだ。民主主義国は、極力戦争を回避して外交によって解決しようとする。ところが戦利品が獲れるという発想をもつ国は、本気で戦争をやろうとする。すると、短期的には、戦争をやる覚悟をもっている国のほうが、実力以上の分配を得る。これが困るところなんだ――
■慰安婦問題はアメリカが深刻
佐藤 それと、国家の空洞化と並行して、ナショナリズムの新たな形態も生まれています。とくにアメリカで大きな問題になるのは、遠隔地ナショナリズムです。アメリカが世界各地のトラブルの発生地になる可能性があります。
現在、慰安婦が深刻な問題になっていますが、その追及の激しさを比べてみると、韓国国内よりもアメリカのほうが激しいのです。
池上 アメリカでは、訴訟になって話題になったカリフォルニア州のグランデールほか各地に慰安婦像が建てられています。
佐藤 それは、もはや韓国には帰らず、また韓国語よりも英語のほうが上手になり、子どもたちもアメリカ社会に同化させようと思っている在米韓国人たちがやっている運動です。ふるさとの韓国で、その歴史について勉強したこともなかった韓国で、こんなことが行われていたんだ、と聞いて、自分たちの心の祖国を大事にしたいという、ナショナリズム論でいうところの「遠隔地(遠距離)ナショナリズム」が働いている。ナショナリズム論のベネディクト・アンダーソンは、こう言っています。
「このナショナリズムは、生真面目なものではあるがしかし根本的には無責任であるような政治活動を生み出す。 彼らを釈迦の周辺に追いやり、彼らに負の烙印をおす当の国民国家が同時に、地球の反対側では一瞬にして、彼らに国民的英雄を演じる力を授けているのである」(『比較の亡霊』126~127頁)
■「遠隔地ナショナリズム」が世界を覆う
佐藤 今回、ウクライナ情勢がこれだけ険悪化したことの背景にも、カナダのエドモントン周辺に住んでいるウクライナ人(約120万人)の遠隔地ナショナリズムが関わっています。
「民族のサラダボウル」と言われるアメリカが、それぞれの遠隔地ナショナリズムの発生地になりつつあるのです。
こうなると、世界各地の地域紛争がアメリカから生じてくることになる。その第一号が慰安婦問題ではないか。ですから、慰安婦問題に関しては、日本がいくら韓国と交渉しても埒があかない。アメリカ政府と交渉しても打開できません。在米韓国人ときちんと交渉しないと解決しないと思いますが、これが非常に難しいわけです。
池上 彼らは、日本の歴代の首相が元慰安婦にお詫びの手紙を送ったことを知りません。「日本は謝罪を拒否している」と思い込んでいます。「日本は謝罪している」という事実を伝えることから始めるしかありません。「慰安婦を強制連行した証拠は見つかっていない」とだけ言っていると、謝罪していないと誤解されてしまうのです。
>>>「遠隔地ナショナリズム」が考慮されていないように見える、今回の韓国との外相会談で慰安婦問題は解決されるのだろうか
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
第1章 地球は危険に満ちている
■クラウゼヴィッツ『戦争論』は古くない
佐藤 今の世界を見回したとき、私の印象は、クラウゼヴィッツの『戦争論』はまだ古くなっていない、というものです。プロイセンの軍人だったクラウゼヴィッツが、ナポレオン以降の近代戦争を初めて体系的に研究し、没後の1832年に刊行された、戦争と政治の関りを包括的に論述している古典的な名著です。そのポイントは「戦争は政治の延長である」というテーゼになりますが、ベルリンの壁崩壊から四半世紀が経ち、戦争と政治の境界線が再びファジーになっています。
「核兵器がつくられて以来、クラウゼヴィッツは無効になった」「核兵器は人類を滅亡させるところへ行きつくから、もう大国間の戦争はなくなった」というのが、ついこの間までの常識でした。しかし、どうやら人類には、核を封印しながら、適宜、戦争をするという文化が新たに生まれてきているのではないでしょうか。
■イスラエルの無人機は“暗殺者”
佐藤 現在、日本の安全保障政策やインテリジェンス能力は、世界の現実と大きく乖離しているわけですが、対イスラエルについては、実は、安倍外交の一番の成果と言えるような大きな動きがありました。2014年5月12日に発表されたイスラエルとの共同声明です。イスラエルとの防衛協力が言われています。
これは、いわば日本の中東政策が全面転換したわけです。日本の論壇では、イスラエルの立場に配慮する傾向が強い私ですら、「こんな親イスラエル路線に急激に転換して大丈夫なのか」と心配になるくらいです。
池上 ひょっとすると、そういう含意を、政府はまったく自覚していないのではないですか。
佐藤 そういう感じがします。
日本が導入する可能性のあるイスラエルの先進兵器に無人機があります。今後は、これがアメリカの無人機との採用争い、売り込み競争でぶつかることになるでしょう。
池上 ガザでイスラエルと衝突していたハマスも、イスラエルがハマスの軍事部門の指導者を個別に暗殺し始めた途端に折れて、停戦しました。ハマスの幹部連中が身の危険を感じたのですね。
佐藤 どこまで自覚しているかはわかりませんが、こんな踏み込みを安倍政権はやっているのです。日本国内の安全保障にも影響を及ぼす可能性があります。
■「イスラム国」は四割が外国人兵士
佐藤 政権だけではありません。民間人も、日本はおかしなことになっている。
たとえば、中田孝という人がいます。 最近、内田樹木さんと本(『一神教と国家』集英社新書)を出しいます。
その人がジハード体験記を『文學界』(平成26年7月号)に書いている。殉教者になりたいということで、トルコからシリアに密入国したという体験記です。この文章の末尾で中田さんは、「大地を人類に解放するカリフ制の再興のためにジハードに身を投じて殉教するべく、持ち家を処分して私はホームレスになった。仮の住まいは地球の全土。帰る我が家は天の楽園」と述べています。
しかし、こういう人が純文学雑誌に平気で登場するとなると、その背後にはさらに裾野が広がっていると思わなければならな。日本で極端な思想をもつ人たちの受け皿が、かつてのような左翼過激派ではなく、イスラム主義になる可能性は十分にある。集団的自衛権で日本が中東に出て行った場合、向こうからすれば、イスラム世界への侵略だということになるわけだから、それに対する防衛ジハードとして、日本国内でテロが始まり得る。
池上 「イスラム国」の大きな特徴は、一部の報道によると約四割が外国人という兵士の国籍という点にあります。国籍は70カ国以上におよぶと言われています。インターネットを使った活発な広報活動により、先進国からも若者が続々と集まっているようです。こうなると、2020年の東京オリンピック開催時の治安対策も、これまで以上に難しくなるかもしれません。
■殺しが下手なアメリカ――攻撃・暗殺・テロの有効性
佐藤 イランはこういう、相手に心理的な打撃を与える暗殺が上手です。イランのイスラム革命防衛隊の聖職者たちは、ときにはベドウィンの格好をし、ときには「イスラム国」の戦闘員みたいな恰好をして、イラクに入ってきます。アラビア語もペラペラだし、少しくらい訛りがあっても、遠くから来た義勇兵だと思わせればいい。
そういうイランの連中がイラクに潜入していることは、アメリカも知っている。事実、イランの連中がどんどん殺してくれているからイラク情勢もこの程度で収まっている。見て見ぬふりをしているのです。
ただ、イランと反目するサウジアラビアは怒っています。「なぜアメリカは見過ごすんだ。アメリカはイランと手を握ったのか」と疑っています。
池上 皮肉なことにアメリカがイラクへの空爆で破壊しているのは、実はすべてアメリカの兵器なのですね。戦車や装甲車など、アメリカがイラク軍に供与したものが、みんな「イスラム国」に奪われてしまった。アメリが軍の兵器をアメリカ軍が空爆してつぶしているわけです。
ただ、アメリカ兵の命の値段が高くなってしまっていて、地上軍を派遣しようとしても、実際には難しい。
佐藤 そのイスラエルがうまいのは、自分たちを「野蛮なテロリスト国家」とイメージづけられるのではなく、ハリウッドと組んで新しい物語をつくったことです。
ポール・ニューマン主演の「栄光への脱出」(1960年)。あの映画を見た人は全員、キング・デイヴィッド・ホテルの爆破はやむを得なかったと思うことになる。そういったアフターケアを時間をかけてやっている。非常にしたたかですね。
■エボラ出血熱の背後に人口爆発あり
佐藤 怖いことに、ダン・ブラウンの『インフェルノ』(越前敏弥訳、角川書店)という小説が欧米で大ベストセラーになっているでしょう。あれは、結論から言えば「エボラ出血熱歓迎」という本なんです。要するに、人口は感染症によって調整するしかないんだ。ということを是認している。
池上 ウイルスによって人口問題が解決される、というわけですか。
佐藤 人類の三分の一が不妊になるウイルスをマッド・サイエンティストが開発して撒き散らす。WHOがはじめは止めていたのだけれども、最終的には「われわれの計画と一緒だ」とほくそ笑むところで終わる。このモチーフはダンテの『神曲』から取っているのですが、ああいうものが大衆小説として可能であることが示しているのは、人口抜溌に対する白人たちの恐怖です。
佐藤 彼らにとっては、中国の一人っ子政策は大歓迎なのですよ。
実のところ、欧米が感染症問題になぜ本気で取り組まないのか。もっと本気で取り組んだら解決できるのです。ジェネリック医薬品など、いくらだってつくれますから。それをやらないでいるところに、白人たちの恐怖が示されている。
私のナショナリズムも、ここで刺激されるわけです。経済力をもたなければいけない。そうでないと国家はなめられる。どうしてアフリカがなめられるかといえば、経済力がないためなのですから。
>>一度、クラウゼヴィッツ『戦争論』を読んでみたいと思う
「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(池上彰・佐藤優著、文藝春秋)より
2014年11月20日 第1刷発行
序章 日本は世界とズレている
■自民党も朝日新聞も信者
佐藤 そもそも閣議決定の文書自体がきちんと読まれていません、もっとも読んでも論理が錯綜していて、よくわからない。複数の解釈が可能になる一種の宗教文書です。経典と同じで、あれを読んで「自衛隊の海外出動と止めた」と考えるのが公明党信者で、「これで日本は勇ましくなって自衛隊を送れるようになった」と考えるのが自民党信者。信者によって読み方が変わる。
ところが、社民党信者も、共産党信者も、そして朝日新聞も、「これで自衛隊が自由に動けるようになった」と認識する点で、自民党信者と同じなのです。
池上 第一次安倍内閣で、パパ(安倍晋太郎元外相)が果たせなかった総理大臣になれた。だから第二次安倍内閣では、おじいちゃんができなかったことをやる。「間違いなくそうなるだろうから、これはもうどうしようもないな」と思ったのです。やはり男は父親を乗り越えたいという気持ちがあるのですね。
一方、尖閣問題では、アメリカが迷惑がっています。とくにアメリカの民主党は、もともと中国重視ですから、「何かあったらアメリカは日本に肩入れしなっきゃならないんだから、中国と事を荒立てるようなまねはするなよ」という思惑が強いですね。
尖閣が日中どちらのものかについてはコメントしない。ただし日本が実効支配しているから日米安保条約が適用される。こういう立場をはっきりさせています。
■慰安婦問題の本質とは?
佐藤 慰安婦の問題もそうです。マスメディアや有識者が、朝日新聞の記事に誤報があったこと、あるいはその後の、とくに池上さんをめぐる対応を批判するのは当然のことです。しかし、慰安婦問題における現在のグローバルスタンダードは、何なのかということは、峻別して考えなければなりません。
本書のタイトルは、『新・戦争論』。最初に述べたように、こうした時代は、国家においては、政治も、軍事も、経済も、科学技術も、あらゆる「力」を総合しなければ生存できないのですが、どうも今の日本は世界からズレている。ズレが日本国に暮らすわれわれ日本人は、あらゆる力を使って生きのびなければなりません。とりわけ情報力、分析力といったインテリジェンス能力が個人にとっても重要になってきます。本書では、その方法を池上さんと二人で考えていきたいと思います。
>>情報力、分析力を駆使して、横串さしてあらゆる「力」を使い、総合しなければ、国家として生存できないという意識を独りひとりが持つ必要があるのは間違いない