「プリンシプルのない日本」
「プリンシプルのない日本」(白洲次郎著、新潮文庫)より
連合国側は、日本側からはとうてい満足できる新憲法法案が自主的に出てくるはずがないと予期していいたのか、それとも始めからの計画であったか知るよしもないが、日本政府から提出された松本試案などは問題にならないとボツにされ、英文で書かれていた「新憲法」の案文なるものを手渡された。渡された場所は当時外務大臣公邸であった麻生市兵衛町の元原田積善会の建物であった。日本側でこれに立会ったのは当時の吉田茂外務大臣・松本烝治国務大臣と私であったように記憶する。GHQ側はホイットニー以下の民政局の一行である。
彼らの弾圧は、そのあくる日までに全部を和訳して日本政府案として発表せよというかたちで表れた。ソビエットの動きを察してもうそれ以上待てないというのが彼らのいいわけである。
私は他にも用があったからこの室に入りびたりではなかったが、お気の毒にも当時もう相当の御年配の翻訳官ニ氏はこの室で徹夜の憂目にあわざるを得なかった。GHQ勤務のアメリカ兵用の食事を与えられ、煙草もアメリカのものを充分支給されたのをいまだに憶えている。
こうやって出来上がったものが「日本人が自主的につくった」新憲法の草案である。この翻訳遂行中のことはあまり記憶にないが、一つだけある。原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である。余談になるが、後日学識高き人々がそもそも象徴とは何ぞやと大論戦を展開しておられるたびごとに、私は苦笑を禁じ得なかったことを付け加えておく。
(「諸君!」1969年10月号)
>>日本国憲法第一条の「象徴」がこんなふうに決まったというのは何とも愉快だ