【 山田洋次監督:母と暮らせば 】
先日、長崎市の原爆犠牲者慰霊平和記念式典絡みで、山田洋次監督の「母と暮らせば」を観た。
以下は、添付インタビューからの一部抜粋。
若者はもっと生意気であれ
山田洋次監督が語る「母と暮らせば」
https://www.70seeds.jp/hahatokuraseba-118/
描いたのは「突然いなくなってしまう」という出来事
ナチス時代に行った様々な残虐なことで多くの人を苦しめたということについて、未来永劫忘れちゃいけないというのが、今のドイツの考え方だからね。
日本人も同じ罪を犯しているわけだから、そのことは教えなきゃいけないし、伝えなきゃいけないんだけど、それをちゃんとやっていないから、若い世代に戦争がしっかり伝わっていないのだと思います。
‐若者よもっと噛み付いてこい、と?
そうです。もっと若者は生意気でいいんだと思います。若者は大人しくいうことを聞けっていうのが、今のこの国の政治のやり方になってしまっている。
どんどん意見を言ってくれ、その意見を聞いて私たちは国を治めていくんだ、と今の政治家が考えているとは思えないのです。
型破りな人が活躍できる世の中に
‐最後に今を生きる2-30代へのメッセージをお願いします。
抽象的な言い方になってしまうけれど、世の中を疑ってほしい。今の新聞や雑誌を通して報道されることには嘘が多いと思う。そんな嘘を見破ってほしい。真実とは何かを探る能力を持って欲しいのです。
“蛇のように疑い、深くあれ”という言葉の通り、素直にいうことを聞いちゃだめだっていうことですね。騙されるな、と。
ご参考1)山田洋次監督 息子を愛することは切ない
https://www.asahi.com/special/hahato/yamada/
自伝を読むと、家族についてつらい思い出があるのがわかる。両親の性格は正反対だったそうだ。
父・正さんは九州大学工学部を卒業した技術者。実直で黙々と仕事をこなすタイプで大阪にあった汽車製造会社で蒸気機関車の設計をしていた。
一方、満州(現在の中国東北部)の旅順で生まれた母・寛子さんは楽天的で明るい性格。女学校を卒業するまで内地の土を踏んだことがなく、開放的で日本的な因習に染まらない女性だった。
「戦時中も頑としてもんぺをはかず、禁止されていたパーマをかけていました」
性格の不一致は歴然としていた。実際、監督が大学に入ったころ両親は離婚した。
監督は言う。「結構つらい思いをした。だって、家庭がなくなっちゃったんだからね」。それでも、自作の中で家族のあり方を繰り返し問い続けてきた。それは亡き父、亡き母への鎮魂。心に受けた傷を両親ゆずりのジャンプ力で芸術に昇華してきた、と言えるのではないだろうか。
ご参考2)【井上ひさし 生誕90年・第2弾】こまつ座『母と暮せば』待望の再々演!出演は富田靖子・松下洸平に決定!
https://magazine.confetti-web.com/news/54568/
<感想>
「母と暮らせば」には、監督の亡き母への鎮魂を感じ、若者には、監督同様、もっと生意気になって欲しいと思った。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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