己のための道楽と他人本位の職業?
【 夏目漱石:道楽と職業 】
以下は、夏目漱石の「道楽と職業」からの一部抜粋。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/757_14957.html
職業というものは要するに人のためにするものだという事に、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択分量の多少すべて他を目安にして働かなければならない。要するに取捨興廃の権威共に自己の手中にはない事になる。
またこれは個人の例ではないが日本の昔に盛んであった禅僧の修行などと云うものも極端な自然本位の道楽生活であります。彼らは見性のため究真のためすべてを抛って坐禅の工夫をします。黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味にも世間とは没交渉である点から見て彼ら禅僧は立派な道楽ものであります。したがって彼らはその苦行難行に対して世間から何らの物質的報酬を得ていません。麻の法衣を着て麦の飯を食ってあくまで道を求めていました。
要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。
ご参考)「ヘタな人生論より夏目漱石」(本田有明著、河出書房新社
単純明快な説明だ。現代の視点で考えると、やや単純すぎるといえるかもしれない。
僧侶が道薬ものであるとの指摘には、ちょっと驚かされるのではないか。かつては漱石自身も寺で座禅を組んで究真に励んだこともあれば、僧侶を自宅に泊めて面倒をみたこともある。僧侶の存在を決して軽んじているわけではない。職業として考えると、このような区分になるといっているだけだ。
<感想>
(僧侶のように)己のための道楽が他人本位の職業になったら良いように思う
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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