「護憲派メディアの何が気持ち悪いのか」(潮匡人著、PHP研究所)より
第1章 護憲派メディアが奏でる反軍平和主義
「準戦時状態」を宣言した北朝鮮
2010年3月には、韓国の哨戒艦が北朝鮮による魚雷攻撃で撃沈。兵士46人が死亡した。同年11月には、「北方玄海船」に近い延坪島が北朝鮮軍に砲撃され、韓国軍兵士2人と民間人2人の合計4人が死亡した。当時の韓国国防部の発表によれば、北朝鮮は二度にわたって延坪島に向け、合計訳170発の砲撃を行い、そのうち約80発が陸地に着弾した。
なぜ然るべき反撃が取られなかったのか。その疑問を解く鍵が、ゲーツ国務長官(当時)の回顧録『DUTY』(邦訳未刊)にある。
同書は、バイデン米副大統領の資質を痛烈に批判したり、韓国の盧武鉉元大統領が「アジアの安全保障上の最大の驚異は、米国と日本だと言っていた」と暴露しながら「反米的で、おそらく少し頭がおかしかった」と酷評したりしたことで話題を呼んだ。日本に関しても、アフガニスタンに自衛隊を派遣せず、資金拠出すら渋ったと失望感をにじませた記述が注目された。
メディアは朝鮮半島情勢を無視した
韓国の元々の報復プランは、航空攻撃と砲撃を実施する計画であり、不釣合いに攻撃的だとわれわれは考えた。エスカレートする危険を懸念した」
こう懸念したアメリカ政府はどうしたか。
「(オバマ)大統領、クリントン(国務長官)、マレン(統合参謀本部議長)と私(国防長官)が数日感にわたって韓国側のカウンターパートと電話会談した結果、最終的に韓国は、北朝鮮の砲台に砲撃するにとどまった」(括弧内は当時・筆者の補記)
要するに、アメリカ連邦政府がこぞって韓国に圧力をかけた。その結果、韓国は北朝鮮に対する航空攻撃を実施できなかった。そういうことである。
第5章 間違いだらけの「文官統制廃止」批判
「『文民』は『武人』に対する用語であり(中略)元自衛官は、過去に自衛官であったとしても、現に国の武力組織樽自衛隊を離れ、自衛官の職務を行っていない以上、『文民』に当たる」(政府見解)。
そもそも「文民統制は、シビリアン・コントロールともいい、民主主義国家における軍事に対する政治の優先、または軍事力に対する民主主義的な政治による統制を指す」(『防衛白書』。)民主的に選ばれた衆議院議員が防衛庁長官や防衛大臣となることに「シビリアン・コントロール上の問題」などあるはずがない。それどころか文民統制の理想形である。
かつて福田恆存はこう説いた(「防衛論の進め方についての疑問」『中央公論』昭和54年10月号)。
「軍の暴走は軍のみにその責めを帰し得ず、文民優位の護符一枚で防げると思ふのは大間違ひで、優位に立つ文民はぐんと対等に渡り合へる専門家でなければならないのである」
諸外国と違い、日本には(防衛大学校以外)軍事を教える大学もなければ、学部もない。その意味でも、中谷大臣の再登板は意義深い。一部テレビ人の批判はまったく当たらない。くだらぬ中傷は無視するに限る。
>>北朝鮮を含む脅威に対峙するために自衛隊の現場が動き易い枠組みを作ることが必要だ
「護憲派メディアの何が気持ち悪いのか」(潮匡人著、PHP研究所)より
2015年10月1日 第1版第1刷
序章 新聞、テレビこそが国益を損ねている
国民の不安を煽る護憲派メディア
NHKや朝日新聞の関連報道は、集団的自衛権の定義から始まり、2015年5月に閣議決定された「平和安全法制」(安保法制)の細部に至るまで、すべて「間違いだらけ」である。
元内閣総理大臣も総理就任前の自著でこう名言していた(野田佳彦『民主の敵』新潮新書)。
「問題は、集団的自衛権です。政府見解としては、集団的自衛権は保持しているけれども、憲法上、それは行使できないということになっています。これを踏み越えることができるかどうかが一番の肝です」「やはり、実行部隊としての自衛隊をきっちりと憲法の中で位置づけなければいけません。いつまでたってもぬえのような存在にしてはならないのです」「にもかかわらず、いまだに、何か事が起こったときごとに、特別措置法という形で、泥縄式に対応しています。これは非常に問題だと思います」「私は新憲法制定論者です。20世紀末ごろには憲法議論がいろいろなところで出てきていたと思いますし、そういう機運は高まっていました。ようやく国民投票まではいきました」
いま読めば、安倍総理の答弁を聞いているかのような錯覚さえ覚える。
同書の出版後、現実に民主党への政権交代が起き、その後、野田佳彦政権が誕生した。その野田政権の閣議決定に基づいて開催された「国家戦略会議フロンティア分科会」(大西隆座長)は、報告書のなかで「『能動的な平和主義』を実践していく」と明記した。
民主党政権は批判せず、安倍政権には猛反対
後任者(安倍晋三)が掲げる「積極的な平和主義」と中身も表現も瓜二つではないか。言葉尻をとらえた揶揄ではない。
実際に、危険な紛争地帯である南スーダンに(国連PKO<国連平和維持活動>として)自衛隊を派遣したのは民主党政権である。そうした自衛隊の実務に関するかぎり、野田政権と安倍政権の政治姿勢に大きな違いはない。右の報告書はこうも明記した。
「情報の共有の前提となる秘密保全縫製が必要である。さらに、中長期の制作を政府全体として立案・実行していく体制の構築が急がれる。日本版国家安全保障会議(NSC)等の名称でこれまでも議論されてきたが、政治家と官僚、専門家が協力して政策を立案し、政府として分担して実行していく体制をつくらなければならない」
以上の提言を実行したのは野田政権ではなく、後任の安倍内閣である。右の「秘密保全法制」は「特定秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律)」として整備され、実際に日本版「国家安全保障会議(NSC)」が設置された。野田政権時代は「秘密保全法制」を批判しなかった新聞が、安倍政権の「特定秘密保護法案」には猛反対した。彼ら護憲派マスコミの党派性を象徴している。
そればかりか、報告書は集団的自衛権について、こう明記していた。
「安全保障協力を深化させるためにも、協力相手としての日本の価値を高めることも不可欠であり、集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行の見直し等を通じて、安全保障協力手段の拡充を図るべきである」「適切な防衛力のあり方について不断に検討を行うとともに、他国との連携・ネットワーク力を高めるためには、集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行を見直すことも検討されるべきである」
実際に「集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行を見直す」責任を果たしたのは野田内閣ではなく、安倍内閣である。民主党政権では実現できなかった課題を、いま安倍内閣が一つひとつ解決している。そう考えれば、護憲派マスコミによる執拗活かつ悪質なキャンペーン報道が何を意図したものか、浮かび上がる。
ただし、現在の「安保法制」批判は、それまでの「特定秘密保護法」批判などとは質も量も違う。いわゆる「安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)」(柳井俊二座長)の報告書が公表された2014(平成26)年5月15日以来、すでに1年4ヵ月もキャンペーンを張っている。この間、休むまもなく集団的自衛権行使と安保法制への批判を続けている。
>>「積極的な平和主義」に基づく安倍内閣の旧来の制度慣行の見直しを評価すべきだ