「失敗の研究 巨大組織が崩れるとき」②
「失敗の研究 巨大組織が崩れるとき」(金田信一郎著、日本経済新聞社)より
終章 大企業の未来
大企業の社会的責任--。その経営判断は、従業員や株主、取引先だけでなく、消費者や地域住民といった人々に影響を与える。無理な拡大路線や利益偏重の決断は、社会全体を混乱の渦に巻き込む危険を孕む。
その「大企業の判断」の重さと難しさを、トヨタは本能的に嗅ぎ取っているに違いない。
テキサス工場での取材の時、トヨタ幹部はこんな話をしてくれた。ハイブリッド車の開発に乗り出すかどうか。判断に揺れた時のこと。巨額の開発コストがかかる計画だが、もし完成した時に、消費者の環境意識が高まっていなかったら、売れないかもしれない。そうなれば、トヨタの経営は大きく傾くことになる。激論が続いたが、最後はこう腹を括ったという。
「社会にとっていいことだから、それで倒れたら仕方がないじゃないか」
すでに、世界の巨大企業は、その域に達している。自動車業界だけではない。製薬業界でも、主な疾患に対する医薬は開発し尽くされ、残った難病に巨額の新薬開発のコストをかけても、患者数が少なくて回収が見込めない。利益を求めるなら、開発を止めて、今ある薬の「効果」を作り出した方が確実に儲かる。いわゆる「病気を作る」マーケティング戦略だ。
しかし、そうなった時、巨大企業の社会的意義は何なのか? その巨体と有り余る資金や人材は、何のために集めたのか。
巨大企業の窮状は、多くの業界に合てはまる。人口減少社会で、しかもマイナス金利の時代が到来している。投資すれば、将来の損失につながる世界となった。
21世紀、巨大企業は極めて難解な設問を突きつけられている。正しい道を歩むには、大きなリスクが待ち受ける。そこから逃げるには、縮小解体か、あるいは不正しか選択肢はない。
多くの大企業は、リスクに挑戦すると言うだろう。ならば、巨大組織の利点を発揮できるように、社内の設備と資金を解放し、人材を縦横無尽に交流させ、失敗に寛容でなければならない。巨大組織の病を抱えた硬直的な組織のまま、目標だけを命じていれば、中間層は見て見ぬふりをして下に指示を投げ、最後は現場が追い込まれて、不正に手を染めることになる。現在の巨大企業が頻発している不祥事は、ほぼすべて、組織的な問題に端を発している。
繰り返しになるが、巨大企業を成長させること自体に、大きなリスクを伴う時代が到来した。その視点を欠いたまま、巨体を次なる目標に駆り立てる会社は、遠からぬうちに破綻や不正といった事件に巻き込まれることになるだろう。
>>リスクに挑戦するためには、確かに、硬直的な組織を開放して人材を縦横無尽に交流させ、失敗に寛容である必要があろう