「羽生善治 闘う頭脳」(文藝春秋 文春ムック)
キーワード5 大局観
経験を経ると大局観が大切になってくる。すなわち、いかに「手を読まない」か。
中年・熟年の有力な武器
対局の現場で、棋士は「読み」と「大局観」の二つを駆使しています。「読み」とは、「自分がこう指せば相手はこう来て、さらに自分は・・・・・・」と順序立ててロジカルに考えていく作業です。「読む」力と体力は若い人の方が上です。一方、「大局観」とは、ある局面を見て、「攻めるべきか」「守るべきか」とは、ある局面を見て、「攻めるべきか」「守るべきか」「長い勝負か、短い決着か」を論理ではなく、パッと判断できる能力のことです。これは長年の経験の積み重ねから培われるもので、若い人よりは中年・熟年の有力な武器になります。
「大局観」を身に付けると、あらかじめ選択肢を絞ることができ、思考を省略化することができます。いかに「手を読むか」から、いかに「手を読まないか」に。人間は多くの選択肢から一つを選ぶよりも、少ない選択肢から一つを選んだときの方が、判断への後悔は少ないものです。「大局観」によって、あらかじめ大きな方向を定め、迷いを少なくし、最善の判断に近づくことができます。
キーワード6 モチベーションの維持
奥深い将棋の世界をどこまでも解明したいという気持ちが、自分を支える。
人間が解析するには難しすぎる
米長邦雄先生と芹沢博文先生(九段)が若いころ、お互いに「将棋の全体を百としたとき、そのうちどのくらい理解しているか」と話したことがあるそうです。米長先生が「四」といい。芹沢先生が「五」とおっしゃった。
私も人間にはそのくらいが限界かもしれないという気がします。何十年も将棋と取り組んできて、膨大な量の可能性がある局面のうち、一人の棋士が出会えるのは限界があります。難しい、難しいといっても、未知のもっと難しい局面があるだろう、という思いは消えません。
次の三十年に向けて
私が四段に昇段してプロの仲間入りをしたのは、1985年12月18日、15歳のときでしたから、早いもので今年(2015年)で30年目を迎えることになります。
今から30年たつと、私は今の加藤一二三先生とほぼ同じ年齢になっています。
その頃将棋界は今から予測もつかない様相になっているかもしれません。でも、どう進むかわからない不確実な状況を、楽しみをみつけながら進みたいと思います。
(2015年2月21日収録)
対談 垂直な人間関係、水平な人間関係
山折哲雄×羽生善治
学問と将棋――「師弟」に基づいた世界で活躍するふたりが、日本人の人間関係の本質に迫る
師弟関係は単なる上下関係ではない
羽生 師弟というのは弟子の側のあり方によって決まる。師匠がどんなにすばらしくても、弟子が受動的では絶対にだめだと思うんです。強くなりたい、成長したいからこの人のもとで学びたいという姿勢がないと。
山折 それから尊敬の気持ちがないとね。人間、だれしも欠点があるのだから、その人のすべてを尊敬するというのはむずかしいけれども、たとえば自分より技術が優れているということだけでも尊敬できるわけで、そういう意味でゃある種の謙虚さが必要だと思いますね。
>>受動的ではなく、成長したいとか学びたいという姿勢を失うことなく生きていゆきたい
「羽生善治 闘う頭脳」(文藝春秋 文春ムック)
平成27年3月24日発行
日本屈指の天才が明かす、その思考のすべて
ビジネスに役立つ 発想のヒントが満載
巻頭ロングインタビュー
勝つための6つのプロセス
羽生善治の情報処理術は?
モチベーションをどう維持しているのか?
これが最強の男の「闘う手順」だ。
キ-ワード1 目標設定
情報は刻々と変わっている。目先の成果を目標にしない。毎日の積み重ねの中に、究極の目標が見つかる。
羽生 スケジュール調整は半年先くらいまで進めていますが、将棋の戦術的な面は、日進月歩、ほんの二週間くらいで更新されて進化していきますから、数カ月先の対局のことを考えても仕方がない。もちろん将棋の戦術については気にしていますし、常に新しいものを探しています。そういう日常の営みの中で、少しずつ考えていくというところですね。
数カ月後の名人戦を「こう戦おう」といま戦術を考えても、そのまま戦ってうまくいくことはまずありません。ですから、今年はこのタイトルを獲ろう、とか、誰に勝とう、というような目標の立て方は、私の場合はしないですね。
三十年間ずっとプロ騎士を続けてきたわけで、その理由がなにかと考えてみますと、「将棋の全容を少しでも解明したい」という静かな気持ちはあります。あえて言えば、これが騎士を続けるモチベーションになっているのかも知れません。
将棋の解明が難しいということはよく認識しています。将棋の局面の可能性は十の約二百二十乗通りあると言われています。そのうち、この目で見ることができるのは、0.1パーセントもないでしょう。それでも、少なくとも自分が対した局面については、できる範囲で突き詰めたいという気持ちはあります。
考えれば考えるほど、将棋というのは精密にできているゲームだなあ、と強く思います。つくった人々の英知をいつも感じています。
個人であれ、団体であれ、「今までにない領域」「次なるステージ」を目指すこと、つまり自分にとってのブレイクスルーを目指すことを目標とするのがいいのではないでしょうか。私の場合は、それは将棋の新しい発見をすることですね。
キーワード2 情報処理
その情報が自分に必要かどうか、大まかに考えて判断する。必要のないものは大胆に捨てる。
羽生 将棋の戦術の「賞味期限」は、かなり短くなっています。昔のように独自の研究成果を秘密兵器として、ここ一番の対局にぶつけてやろう、というやり方は、いまの時代ではほとんど不可能に近い。自分が思いつく戦術は、たいていは他の誰かも気づいていると考えたほうがいいです。私もそこは過信しないように、と自戒しています。
この背景には、一般社会と同じくコンピュータやコミュニケーション・ツールの発達があることは間違いありませんが、さらにいえば、今までの将棋の常識を覆すような序盤作戦が2000年前後から次々に開発されたことの影響も大きいです。私はここから、未知の情報に対する接し方を学びました。
情報過多な現代では、自分にとって必要な情報、知識というのは、日々刻々と変わってゆくものです。だから。迷ったら大胆に捨ててしまい、必要なタイミングで拾いあげればいいのです。
コンピュータ将棋から人間が見える
考えてみれば学習によって強くなるというのは、人間と同じプロセスです。言葉でいえば簡単ですが、そもそも「学習」とは何なのか。初心者は最初に基本的な知識、データを記憶した後、とにかく時間をかけて反復練習を繰り返せばたいてい上達しますが、では、何をどうすれば、どこに働きかけてどう強くなるのか。
この研究が進めば、「学習」というものの本質が、目に見える形になっていくのではないでしょうか。
キーワード3 自己管理
どんなに疲れていても将棋を指すのがプロ棋士。先のことは考えすぎない。目の前のことに集中する。
羽生 先のことを思い悩まない、深く考えすぎないということが、将棋の場合、集中力を高めるために特に大切だと思います。
キーワード4 コミュニケーション力
勝負にあたってはポーカーフェイスで。自分の思い通りにはならないと思い到るところから始まる。
羽生 棋士の根本的な考え方は、やはり「自分で何とかする」ということだと思います。盤に向かっている時は、もちろん一人で指し手を決断しなければならない。実生活においても、何事も一人で決めるという人の方が多い。これは棋士に共通する性向だと思います。
しかし同時に、将棋の半分は相手の指し手ですから、自分の考えだけではどうにもならない。自分が一手指してしまうと、相手にすべての選択権が移り、何をされるのかは全く予測できません。自然と、物事は自分の重い通りになる場合は少ない、ということを将棋から思い知ることになります。当たり前のようんですが、そういう他力任せな状況から来る奥深さというものは、年を経るごとに感じるようになります。
もう一つ棋士に共通する性向としては、喜怒哀楽をはっきり見せないことが挙げられます。 やはり勝負事ですから、抑制が利いたポーカーフェイスのほうがいいでしょう。
>>目先の成果を目標にしないで毎日の積み重ねの中に究極の目標が見つかれば幸せだ