「経済と人間の旅」(宇沢弘文著、日本経済新聞出版社)より
ヒューマン・キャピタル
学校教育、というよりは教育一般について、デューイの三原則に加えて強調したいことがある。それは、教育というのは、子どもたちの一人ひとりがもっている本有的(innate)な能力をできるだけ伸ばし、発展させることだということである。子どもたちの一人ひとりは、それぞれ固有の分野について、すばらしい本有的な能力をもっている。それは、ちょうど花の蕾のようなものである。それは絵を描くことであったり、歌をうたうことであったり、むずかしい数学の問題を解くことであったり、生物の生態を観察することであったり、一人ひとりの子どもについて、それぞれ特有の分野についてである。
教育のもっとも大切な機能は、一人ひとりの子どものもっている、この本有的な能力の蕾を大事に育てて、みごとな花に開花させることだ。子どもたちのもっている、この蕾はじつに繊細な、こわれやすいものである。しかも、子どものときに、適当な刺激を与えて、蕾が大きくなるようにしなければならない。ある程度、子どもが成長してしまうと蕾はしぼんでしまって、どんな刺激を与えても、駄目になってしまうものだからである。
学校教育の経済的意味
フリードマンは、各経済主体は、すべての経済行為について、自らの主観的効用を最大にするように選択するという前提の下に議論を勧めている。そして、すべての希少資源に対して、私的所有ないしは私的管理の原則が貫かれ、完全競争的な市場を通じて、希少資源の配分と所得の分配が行われるときに、「最適」な状態が実現することを強調した。ベッカーの教育経済学も、経済体制のあり方にかんするフリードマンの考え方をそのまま踏襲し、希少資源の私有制の下における分権的市場経済制度を想定して考えを進めようとするものである。
これに対して、学校教育を社会的共通資本の一つの構成要素と考えるとき、教育の本来の目的が達成されるように、教育にかかわる専門家たちが、その職業的規範にしたがって最良の教育を行うように努力することが要請され、そのときに生じる財政的コストは何らかの形で社会的に負担しようということになるわけである。このことは、社会的共通資本一般に適用されるのである。 (初出 1998年1月1日~16日付『日本経済新聞』「やさしい経済学」)
>>子どものもつ蕾がしぼむ前に大きくする学校教育を本気で考えねばなるまい
「経済と人間の旅」(宇沢弘文著、日本経済新聞出版社)より
日本経済を社会的共通資本から考える
三つの類型
社会的共通資本の具体的な形態は、三つの類型に分けられる。自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つである。この分類は必ずしも、網羅的でもなく、また排他的でもない。社会的共通資本の意味を明確にするための類型化と考えてもらって構わない。
最も重要な教育と医療
社会的共通資本としての制度資本を考えるとき、教育と医療がもっとも重要な構成要素である。教育は、一人ひとりの子どもたちが、それぞれもっている先天的、後天的能力、資質をできるだけ育て、伸ばし、個性ゆたかな一人の人間として成長することを助けようとするものである。他方、医療は、病気やけがによって、正常な機能を果たすことができなくなった人々に対して、医学的な知見にもとづいて、診療を行うものである。いずれも、一人ひとりの市民が、人間的尊厳を保ち、市民的自由を最大限に享受できるような社会を安定的に維持するために必要、不可欠なものだからである。
学校教育の三つの機能
デューイは、人間が神から与えられた存在ではなく、各自が置かれている環境に対処して常に人間としての本性を発展させようとする知性をもった主体的存在としてとらえようとする。そのとき、リベラリズムの学校教育にかんする基本的な考え方が提示されるわけである。それは、デューイがその古典的な名著『民主主義と教育』のなかで、学校教育制度が果たす機能として挙げた三つの機能に要約される。社会的統合、平等、人格的発展の三つの機能である。
デューイが学校教育の果たす第一の機能として取り上げているのは、社会的統合だ。子どもたちが、各自の育った狭い家庭的、地域的環境を超えて、多様な文化的、民族的、社会的背景をもった子どもたちと、学校でともに学び、遊ぶことによって、お互いに人間的共感をもち、社会的存在としての意識を育てるのが、学校教育の果たす重要な機能であるとデューイは考えたのである。
第二の機能は、平等にかかわるものである。子どもたちの一人ひとりが、その経済的、地域的、社会的集団の枠を超えて、斉しく学校教育を享受することができるようにすることが学校教育の重要な機能であるとデューイは考えた。学校教育によって、社会的、経済的体制によって必然的に生み出される不平等を効果的に是正することができるというこのデューイの理念は、公立学校の制度の下ではじめて実現することになるわけである。
デューイが強調した学校教育の第三の機能は、子どもたちの知的、精神的、道徳的な発達をうながすという点。一人ひとりの子どもは、それぞれ異なった身体的、知的、道徳的、芸術的能力をもっていて、学校教育を通じてこれらの戦時的能力を十分に発達させることが可能になってくるとデューイは主張したのである。
>>学校教育を改めて見直す時期にきているに違いない