「花燃ゆ」(大島里見・宮村優子 作、NHK出版)より
第九章 面白くない男
その夜、寅次郎は兵法について話していた。
「『人を致して、人に致されず』つまり、よう戦う者は、己の戦い方を貫くことができる。敵の戦い方に翻弄されてはならんということです」
久坂は闇の中で本を閉じた。それから静かに寅次郎に話しかけた。
「・・・・・・松陰先生、医者の私でも、この長州を、この日本国を守れる男になれると、思いますか?」
「・・・・・・それは君の志しだいだと思います。君は、何を志しますか?」
高杉はおぼつかない足取りで幽囚室に入り、隅に腰を下ろした。寅次郎が問いかける。
「アメリカがイギリスから独立を勝ち取ったとき、百姓も商人も、船乗りも、医者も身分に関わりなく、鉄砲を持って戦いました。君は、このことについて、どう考えますか」
「百姓、商人、医者風情が集まるだけでは烏合の衆にすぎん。束ねる者、政をする者がいる。それこそ武士の務め」
「ならば、お前は武士の務めを果たしとるんか!?」
高杉に詰めよりかけた久坂を、寅次郎はそっと制した。
「高杉君。君の志は何ですか。この国をよくすることです。志があれば、罪人でも生きるんは楽しい。やる気が尽きることはない。志を立てることは、すべての源です。君がもし、この小さな萩のご城下で、由緒ある武家の跡取りとして、人生を考えとるなら、君にとってはつまらんことでしょう。君はそれを望んじゃおらんのだから。・・・・・・志は誰も与えてくれません。君自身が見つけて、それを掲げるしかない。君は、何を志しますか?」
第十章 塾生たち暴れる
自宅蟄居を命じられた寅次郎が、わずか三畳半の幽囚室で始めた塾は、武士・農民・町人の別なく学を志す者が集い、昼夜を問わず常に開かれているという型破りな学舎となった。
伊藤利助が寅次郎のもとを訪れたのは、安政四(1857)年秋のことであった。このとき利助はまだ十七歳。まだ足軽にすぎなかった。
「もとは周防の百姓です。一家丸ごと足軽の伊藤様の養子にしていただき萩へ参りました」
「で? --君は何を志しますか?」
利助は一瞬考え、それから「立身出世です」とさらりと言った。
安静四年十一月、杉家の裏の納屋を改修し、新しい講義室を作ることになった。幽囚室だけでは集まってくる塾生たちを収容しきれなくなったからだ。納屋を改修して八畳一間の塾舎を作り上げる。
わずか三畳半から始まった塾は最良のときを迎えていた。やがて城下や明倫館のみならず、萩から遠く離れた村からも訪れる者が現れるようになる。
第十一章 すれちがう恋
「今、異国の申すままに通商を承諾しては、日本はいずれ清国のごとくすべての金銀と土地を収奪され、異国の侵略を許してしまうことになりまする。決して条約を認めてはなりませぬ!」
椋梨の指示で、伊之助に向かって従者が走る。伊之助を取り押さえるためだ。だが、敬親がそれを制止し、伊之助の顔をじっと見て思うところを述べるよう促した。伊之助は敬親に一礼し、改めて語りだす。
「ご公儀はわれらに服従を求めているんではない、意見を求めているんです。ならば諸外国の武威に屈しての通商条約は時期尚早。そのようにはっきりと申し上げることこそ、ご公儀への何よりの忠義と存じまする。三方を海に囲まれたわが藩なればこそ、異国の驚異をつぶさに、心よりご公儀に説くことができるんです。そのようにこの日本国に、ご公儀に尽くすことができるんは、わが藩をおいてほかにありませんぬ! 今この意見書をおざなりなままに済ませれば、いずれわが藩の、日本国の! 決して譲れぬまことの大事を見誤ることになりますぞ!」
第十二章 妻は不美人
そのころ、幕府は、アメリカとの通商条約締結に向け動き出していた。
目付の岩瀬忠震は、主要都市の開港を要求するハリスに対して、江戸ではなく神奈川、大坂ではなく神戸を開港すること、そして江戸と大坂に関しては商取引のための滞在のみを許すということで何とか同意をとりつけた。
だが幕府を悩ませているのは、それだけではなかった。将軍の後継問題が持ち上がっていたのだ。
「島津家ら、水戸に与する大名らがこぞって、一橋殿を次なる将軍にと」
江戸城の溜の間で、老中・松平忠固が言うと、溜の間詰上席・井伊直弼が苦々しげに吐き捨てた。
「何を言うか。臣下が主君を選ぶなど笑止千万」
「ハリスの要求に屈し、公方様への目通りを許したご公儀への不満が、日に日に高まっております」
「徳川家、すなわち幕府が力を持たなくては、日本国は異国の侵略を許してしまうことになるという道理が、なぜ分からんのか。ご公儀を批判する者どもには、厳しい処罰が下されることになろう」
井伊直弼--この男が、のちに寅次郎の運命を握ることになる。
久坂が江戸へ向かった二か月後の安政五(1858)年四月二十三日、井伊直弼が大老に就任した。
こののち、世に言う「安政の大獄」が始まることを、文はまだ知らない。
>>志を自分自身で見つけて、それを掲げ続けて行きたい
「花燃ゆ」(大島里見・宮村優子 作、NHK出版)より
第六章 女囚の秘密
「孟子はこう言われました。『万物皆我に備わる。身を反みて誠あらば楽しみこれより大なるはなし』つまり、すべての感情は、もともと人の本性の中にそなわっているもんなんです。悲しみや、悪だけでなく、善もまたしかり。喜びもまたしかり!一生獄の中にあろうと、心を磨き、己の心に目を凝らし、誠を尽くせば、人は生まれ変わることができる」
「つまり、天は、あるものを見込んで、その才を試そうとするとき、まず試練を与える。逆境こそが人を育てる。人を大いなるものにする。獄もまたしかり--」
第七章 放たれる寅
文が帰ると、寿は伊之助に訴えた。
「・・・・・・旦那様は、なぜいつも兄のために力を尽くそうとされるのです?」
「今度のことは、あいつのために働いたんではない。・・・・・・長州藩をもっと強くしたい。洋学所を興し、反射炉を築き、洋船を造り。日本のどこにも負けん開かれた藩にしたい」
「そんなことを・・・・・・。そのために兄を?」
「あいつを思うと力が湧くんじゃ。・・・・・・あのような男がおる、ともに国のため力を尽くし働いとる、そう思うだけで、大したことない私の人生にも、なんかみずみずしい色がついたような、そういう気持ちになれるんじゃ・・・・・・。私が手放さなくてはならんかったもんを、あいつは持っとる。家族、才能、一途な魂、それから--」
「これからどうする」
「そうじゃな。本も読みたい。意見も述べたい。魂はどこへでも行ける。蟄居など何の妨げにもならん」
第八章 罪人の塾
安政2(1855)年12月、吉田寅次郎は野山獄から出ることを許された。ペリーの黒船に乗り込んでから、二年近い月日が流れていた--寅次郎はこのとき、二十六歳。
また、文にとって運命の相手となる男--久坂玄瑞は十七歳になっていた。
翌朝、久坂は「吉田様からご書状が来ておりますよ」という長屋の住人の声で目が覚めた。
何を今さらと思う。だが、読み進めるうちに再び頭に血が上った。
『返事が遅くなりましたが、決して怠けていたわけではありません。君はすぐに頭に血が上って大きなことを言う人のようなので、待っていたんです。そろそろ頭は冷えましたか? さて、今や幕府はすでにアメリカ、ロシアの二国と和親条約を結んだのですから、こちらから国交を絶つべきではありません。あなたの言うように、つまらない昔の例にならって、外国の使節を斬って気晴らししても、無意味です。あなたの意見にひとつひとつ自らの実践から出たものではなく、一語として空論でないものはありません。大いに残念』
「どうです? 僕は教えることはできませんが、よかったらともに学びませんか? 友人として。友人と学ぶのに、身分や立場など、どうでもいいこと。講義ではないんで、もちろん謝礼など無用。それから、握り飯付き」
握り飯を作るのは自分の役目だと文は悟った。寅次郎が笑って付け加える。
「このとおり、たった三畳半しかありませんが」
数日後、幽囚室に稔麿、亀太郎、彦助がやって来た。たちまち議論が始まった。寅次郎が稔麿に尋ねる。
「まずは、君の考えを聞かせてください」
「わしは百姓が国の政に関わるなど、到底無理だと思います」
「アメリカでは何故、それができているのでしょう?」
ガタッと音がして、もうひとり、その輪に加わった。久坂だった。
「久坂君は、どう思いますか?」寅次郎が久坂を見て微笑んだ。
このとき、誰が信じただろう。明治維新が、この三畳半の私塾から始まったということを--。
そして、もうひとり。この国を大きく変える「暴れ牛」となる若者が動き始めた。高杉晋作である。
>>現代にもこの三畳半があればたいそう面白いに違いない
「花燃ゆ」(大島里見・宮村優子 作、NHK出版)より
第二章 波乱の恋文
「・・・・・・本気で思うか? この国を守れると。この国を変えられる、と」
「『至誠にして動かざるは、未だこれ有らざるなり』誠を尽くせば、動かせんもんなんぞない、違うか?」
寅次郎が姿勢を正して言うと、伊之助は、そうなるような気がしてくる。見識の深さはもちろん何ひとつ疑うことなく己の信念を持ち続ける寅次郎の無垢な魂に、伊之助は強烈に惹かれていた。
「知らぬのか? 小田村の実の父のことだ。医者の分際で、殿様に建白書を奉りおった。年貢が厳しすぎると。お聞き届けられぬとなって、当てつけのように自害しおった。おのが分をわきまえず、正義を振りかざす者の肩を持つ・・・・・・おぬしも同じじゃ」
第三章 ついてない男
「寅、それは子どもの理屈じゃ。これをしたい、と思うたらもう歯止めが利かん。それでは子どもと一緒じゃ。俺は時々、お前が恐ろしゅうなる。日本国を守りたいというお前の気持ちはよう分かる。じゃが、そのためなら世間のしきたりも、お家のおきても、主君への忠義も、お構いなしに踏み越えようとする。そのことで一家が後ろ指をさされ路頭に迷おうとも、お前は、『公のため』『天下万民のため』やと言うんじゃろう。・・・・・・じゃが、それは詭弁じゃ。勝手を許されんかった五歳の子どものわがままと変わらん」
第四章 兄の大失敗
「国禁を犯し密航を企てたからには、もとより死罪は覚悟のうえ。死罪となってこの企てが天下に露見するならそれも本望。それこそが義の始まりである! 今海外でどんなことが起きちょるかご存じか。清国はアヘンによって列強に侵食され力に屈した。列強の矛先は今や日本に向けられつつある。今こそ五大洲を探索し、敵を、異国を学ばにゃならん! それが罪であるというんなら、喜んでわが死をもって異国の脅威を天下に知らしめる警鐘となろう!」
第五章 志の果て
「この国は生まれたての赤子と一緒じゃ。己の足で立って歩くために、もっともっと多くのことを知らねばならん。やむにやまれぬ思いで踏み切った。悔いはない」
「それが大義ということですか」
「あの夜--。僕たちは光を見たんじゃ。目指した船の先に新しい日本があると・・・・・・」
>>新しい日本のため、敵を学ぶために、死を覚悟した行動をとることができるだろうか
「花燃ゆ」(大島里見・宮村優子 作、NHK出版)より
第一章 嵐を呼ぶ妹
この名もなき若者たちが、のちに明治維新と呼ばれる大変革を成し遂げることになる。
主な松下村塾出身者は以下のとおりである。
久坂玄瑞(攘夷を実行)、高杉晋作(奇兵隊初代総監)、吉田稔麿(情報収集の天才)、伊藤博文(初代内閣総理大臣)、入江九一(奇兵隊参謀)、野村靖(第二次伊藤内閣内務大臣)、山縣有朋(第三代内閣総理大臣)、山田顕義(近代法典の編纂、初代司法大臣)、品川弥二郎(駐独公使、内務大臣)、前原一誠(越後府判事[現在の新潟県知事]、明治政府参議)、河北俊弼(在韓代理公使)、正木退蔵(東京職工学校[現東京工業大学]初代校長、瀧弥太郎(佐賀、長崎地方裁判所判事)、飯田俊徳(鉄道庁大技長)、渡辺蒿三(長崎造船局長)、木梨信一(第百十国立銀行[現山口銀行]頭取)、境二郎(島根県令)、国司仙吉(秋田県権令)、松本鼎(和歌山県知事)、妻木狷介(第三高等中学校医学部[現岡山大学医学部]設立)、横山幾太(福井県の教育行政に尽力)、尾寺信(伊勢神宮禰宜)、山根孝中(眼科医)、黒瀬真市郎(向島[山口県防府市]の児童教育者)、久保断三(徳島県権令)・・・・・・
彼らが「先生」と慕った人物こそ、山鹿流兵学師範・吉田松陰。
「皆に問いたい。『人は、なぜ、学ぶのか?』私は、こう考えます。学ぶのは、知識を得るためでも、職を得るためでも、出世のためでもない。人にものを教えるためでも、人から尊敬されるためでもない。・・・・・・己のためだ。己を磨くために、人は学ぶんじゃ」
伊之助は生徒たちに向かって語りかける。
「『人は、なぜ、学ぶのか?』・・・・・・お役に就くためでも、与えられた役割を果たすためでもない。かりそめの安泰に満足し、身の程をわきまえ、この無知で、世間知らずで、何の役にも立たぬ己のまま生きてゆくなど、御免です。この世の中のために、己がすべきことを知るために学ぶのです!私は、この長州を、日本国を守りたい。己を磨き、この国の役に立ちたい。そのために、学びたい。まだまだ、学びたい」
「私も同じ考えにございます!」
伊之介と寅次郎の目ががっちりと絡み合った。生涯の友となるふたりの劇的な出会いだった。
>>己がすべきことを知るために学び続けてゆきたい