何日かで1知識 鳩山一郎
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「自省録」



「自省録」(中曽根康弘著、新潮社)より



 鳩山一郎--党人派の元祖



 戦後の日本政治の中で、いちばん華やかで燦然と輝いていた権力をめぐる政党の闘いと党人政治家の活躍の時代というのは、吉田内閣を倒して、鳩山内閣を作ったあの昭和二十年代末期の政争劇の時代でしょう。

 
 三木武吉、大野伴睦、鳩山一郎、緒方竹虎、重光葵、岸信介、河野一郎、石橋湛山といった屈強な古武士たちが政界に登場して、秘策と秘術の限りを尽くして攻防戦を繰り広げたわけですから。

 その代表格である鳩山一郎は吉田茂のアンチテーゼであって、吉田が官僚派の元祖なら、党人派の元祖であるといえるでしょう。鳩山は、いわば坊ちゃん式の大衆路線で、脱官僚政治を志し、憲法改正と日ソ交渉という象徴的な政策を掲げて、昭和二十九年の選挙に勝ったわけです。

 鳩山内閣というのは非常に短命だったため、歴史的な存在感がわりあいに希薄かもしれません。しかし私は長い間、それは間違いだと言ってきました。なぜならば、鳩山さんは占領政策を転換して、独立日本へと前進させようという意識を明確にもって、ある程度の路線も示しえた政治家だからです。いわば政治路線転換の転轍手の役目を果たしました。鳩山さんが主張した憲法改正や日ソ交渉などは、そうした例にあげられます。憲法改正というものは内政上の自主独立路線であり、日ソ交渉というのは、外交上の自主独立路線なのです。



 残念ながら、鳩山内閣発足以後、自民党の長期政権となって、社会党との論戦はしだいにマンネリズムに陥っていきます。冷戦が続いて、世界は米国体系、ロシア体系、インドなど第三勢力体系に分かれ、日本は米国体系の温室の中で経済主義と国権回復に専心し、ロシア体系と思われた社会党は万年野党で、冷戦終結の1993年まで自民党政権が続きましたが、冷戦下の日本の政争は政権獲得が中心でなく、政策論争にも既成パターンのようなものが出来てしまっていて、熱情は感じられなくなっていくのです。

 ですから、昭和27年から30年の頃は、日本の政治史上においても非常に輝かしい時代だと私は回想しています。今を生きる日本人が、あのころの国会の議事録というものを、もう一度虚心に読んでみれば、いくつもの国家像についての知恵が数多く入っていることに気付くはずです。あの時代の政治史こそ、究める必要があると思います。

 鳩山さんや、安保条約改正をうたい、憲法調査会を発足させた岸信介さんは、占領政策の下請けをやった吉田政治の打倒、独立国家体制整備を志した、いわば列車の側線を替えた転轍手の役目を行ったと思います。


>>自民党結党により政策論争に熱情がなくなりマンネリ化したのは間違いない



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