フィッシュストーリー
「フィッシュストーリー」(伊坂幸太郎著、新潮社)より
『僕の孤独が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出すに違いない』
ハンドルを握りながら、昔読んだある小説の一節を思い出した。ずいぶん昔の作家だ。晩年は廃屋にこもって、その壁に文章を書き続け、二十年前に死んだ、という日本人作家の遺作、その冒頭だった。
『僕の勇気が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと若さで、陽光の跳ね返った川面をさらに輝かせるだろう』
ハイジャック事件の起きる十分前、わたしは手元の文庫本に目をやり、その文章を読んでいた。家を出てくる際、父の書斎から勝手に引き抜いてきた一冊だった。名のみ知る作家だったが、巻末の解説を読むと、晩年を廃屋で過ごした変人であることが分かった。
『僕の孤独が魚だったなら、巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出す。きっとそうだ』
その歌詞が頭を叩く。ここで演奏している俺たち自身が、時流から取り残され、獰猛な孤独に手を焼いている。その魚を消し去ろうと、俺は渦を作る。渦に飲まれろ、飲まれろよ、魚!と思う。
「あまり一般の人には知られていませんが、橘さんがいなかったら、本当に、今頃みんなどうなっていたか分からないですよ」と僕はお世辞ではなく、そう言った。
すると彼女はまた、居心地悪そうに笑ったが、「それを言うなら」と続けた。「わたし、十年ほど前に、ハイジャックに遭遇したことがあるんですよ」
「冗談ではなくて、わたしたちはみんな、あれで死んでいたかもしれません。自暴自棄の、無目的の犯人たちでしたら。でも、それを助けてくれた人がいるんですよ」
「お礼は、その人のお父さんに」彼女はそう言ったが、僕には意味が分からなかった。
参考文献
三谷龍二さんの作品を見たことで、長い時間と場所を漂う物語を作りたいと急に思い立ち、「フィッシュストーリー」ができあがりました。表紙にも使わせていただくことができ、とてもうれしく思っています。
>>いろいろな事象が無関係でなく、繋がっている