何日かで1知識 三木武吉
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「男の生き方」40選


「男の生き方」40選(城山三郎編、文春文庫)より


 保守合同と女と三木武吉  御手洗辰雄


 三木武吉の一世一代の大仕事といえば「保守合同」である。この保守合同の立役者・鳩山一郎と三木は大選挙区時代には同じ選挙区、中小区となっては隣同士であり、政敵として、東京の市政指導権の争奪戦で、血みどろの争いをくりかえしてきた仲である。

 国会では、片や政友会のホープ、片や民生党切っての闘士、そして大野伴睦は鳩山直参の旗本で、三木とは積年の怨敵同士である。

 このような三十年来の政敵・鳩山一郎を何故、盟主に仰いでまで保守合同を、あえて三木がやりだしたのか、私がある時、三木にただしたことがある。その時、三木が言うのに、

「戦争中、軍部の圧力に屈しなかった政治家で一番の男は鳩山だった。あとはほとんど軍部にしっぽを振ることに一生懸命だったが、鳩山と、鳩山周囲の河野一郎とか大野伴睦、それに不肖この三木や中野正剛など数人だけが、軍に屈せず議会政治の権威を守り、国民の自由を死守してきたんだ。その時から鳩山はえらい奴だ、まさに将に将たる器だと思っていた。

 俺も政治家として無力だとは思わぬが、人間には持って生まれた挌というものがある。いくら力があり知恵がある、金がある、信望があるなんて言ったところで、将の将たるものでなけりゃ、天下統一はできないよ。資格のない者が無理にやっても破綻が起きるだけだ。殊に旧政治家で筋を守り通した大物は鳩山だけじゃないか。これが、俺が鳩山を、三十年来の仇敵関係を捨てて盟主と仰いだ本当の理由だよ」

 と語った。


 三木がもし、いわゆる昔風の策士なら当然、自由党の切り崩し、あるいは分裂工作をやっただろうし、それは必ずしも出来ない相談ではなかった。政権を離れた自由党内は吉田側近派、官僚派、党人派でゴッタ返していたのである。三木はそれをやらず、考え苦しんだ。そこに現れたのが初当選したばかりの正力松太郎だった。

 正力は総選挙毎に革新勢力の得票と議席が伸び、特にその左派が強く右派は衰兆にあることを眺めて憂えていた。

 敗戦直後、読売新聞の運命を賭けて共産党と血戦した正力としては、政界の状態は放ってはおけなかった。それには大合同による政局の安定、新日本再建の長期政策が絶対必要と考え、嫌い抜いた政界入りを七十になって決心したわけである。

 しかも自由党と三木と、双方からの手厚い招きを断り無所属で出馬した。それは合同の産婆役となるためだった。

 当選するとその翌日、三木に会って大合同を説いた。三木もやりたくはあるが、

「政界は君が思うように簡単にはいかぬよ」

 と中々承知しない。正力は、

「できるかできないかはやってみなけりゃ分からんじゃないか。この成否は君と大野の二人が腹を割って握手出来るかどうかだ。俺が大野を口説き落とすから、君も真剣に過去を洗い捨てることだ」

 と彼一流の真剣さでねばり続けた。三度まで三木を訪ねたが、三木は難しいといい、自由党がグズグズいうなら再解散で叩き潰すまでだと、強気である。しかし国会は難航し、政局は不安である。三月末の二十七日、三木は突然正力を訪ね、今度は逆に、

「いろいろ考え抜いたが、君のいう保守結集しか日本を安定させる道はないと決心した。それには僕と大野の協力以外方法はない。よろしく頼む」

 過去はスッカリ水に流すというのだ。


>>敗戦後の日本を立て直すための安定政権をつくるという強い当時の意思を今改めて共有したい



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