あれっ、首相は理想を語るべきでない?
「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)
以下は掲題書からの抜粋(その3)
第四章 保守と近代
安易に理想を語るな
適菜 そういう保守の感性が指導者には必要です。
安倍が憲法について変なことを言っていたのですが、「憲法についての考え方の一つとして、国家権力を縛るものだという考え方がありますが、しかし、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方であって、今まさに憲法というのは日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないかと、このように思います」と。
頭が痛くなりましたね。王権が絶対権力を持っていた時代に立憲主義が存在するわけはないし、「理想と未来を語る」って、極左のジャコバン派の憲法観じゃないですか。ベンチャー企業の社長ではあるまいし、国のトップは安易に理想なんて語るべきではないんですよ。オークショットは、保守的政治家は統治される人間を夢に押し付けるのではなく、むしろ夢の実現に向けて情熱的になっているところに節度を保つという要素を投入することだと言っている。
国のトップが率先して、理想と改革を唱え、日本の国柄自体を変えてしまうようなことをやっている今のような状況は、大衆社会の末期的症状と判断せざるを得ません。
藤井 きちんとした保守的な政策は刺戟がないので、大衆的な人気が出ない。だから、大衆社会は保守的な政治家が生まれにくい土壌であることは間違いない。
人間の生物としての性向上、保守的な傾向がないと、生命を維持できない。そもそも毎日、すみかや食習慣をバンバン変えるような生物は、その変化への対応に莫大なエネルギーを割かないといけなくなってしまい、結果的に衰弱し、最後には死滅する。一方で、単に「守旧」という態度なら、気候や政治的状況が変化したときに、臨機応変に対応できず、滅びる。つまり、何もかも昔のものを大事にするというのは愚かです。そして保守はそんな愚かな選択をしない。
適菜 復古主義も革新主義も根本は理想主義です。過去にユートピアを見出すか、未来に見出すかの違いだけで。特に革新主義は宗教です。現状を変えればよくなるという信仰ですね。根本にあるのは、キリスト教、ヘーゲル、マルクス的な進歩史観。それが近代の発想につながってくる。合理的に思考を積み重ねれば、結果的に正しい未来がやってくるという信仰は、日本の「保守」にも根付いています。
藤井 「偽装保守」という問題で言えば、そこが一番深刻な問題です。彼らがなぜ偽装するかと言えば、結局は偽装により精神的、物理的、金銭的満足が得られるから。特に政治家が「偽装保守」だとまずい。個人的な金儲けやええ格好しいのために国が潰れるなんて最悪です。
<感想>
本来、夢の実現に向けて情熱的になっている国民を保守的政治家が抑えるというのが理想であろうが、バブル崩壊後25年間デフレが続く日本ではそれを望むべくもない。首相自身で理想と改革を唱えるのが大衆社会の末期的症状との指摘が正しいとしたら、それを阻止せねばなるまい。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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