あれっ、天皇は祭祀を司る存在?
「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より
以下は、掲題書からの抜粋(その5)
第6章 因習・伝統・近代主義の葛藤
皇室の古代以来の伝統、それは祭祀を重んじることだ。
皇室には、因習と伝統が混在している。
皇室の祭祀は伝統して重要である。
祭祀によって国の平安と民の安寧を祈る、無私の存在。
それが天皇である。
三島由紀夫は天皇についてこう指摘した。
「大統領とは世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる」
古今東西に「国王」などの世俗的君主はあまた存在する。
そして民を虐げ、私利私欲に走った王の話もまた枚挙にいとまがない。
そのような歴史の中で滅びた王制も数多い。
しかし日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは歴史上いまだかつてない。
それは天皇が世俗的とは君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。
公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。
「公」の心が失われたところには、安定した国家は築けない。
国の中心に、公のために祈る無私の存在「天皇」を置くというのは、国を安定させるために人類が考えうる最も賢明な策であり、他に類を見ない偉大な英知なのである。
7世紀末の持統天皇(女帝)の時代に、伊勢神宮の式年遷宮と、天皇が一代一度行われる大嘗祭が始まった。
今も受け継がれる最も重要な二つの祭祀の成立である。
持統天皇は日本書紀に書かれている最後の天皇であり、これをもって古代日本は完成したといえる。
<感想>
利己主義とは真逆の私利私欲とは全く無縁の祭祀を司る天皇の存在は日本における奇跡のようにも思われる。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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