あれっ、玉音放送以外の選択肢はなかった?
「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より
以下は、掲題書からの抜粋(その1)
第1章 「平成の玉音放送」に至った理由
平成22年7月22日の参与会議──その日の出席者は、両陛下のほか以下の通り。
羽毛田慎吾(宮内庁長官)
川島裕(侍従長)
湯浅利夫(元宮内庁長官)
栗山尚一(元外務事務次官)
三谷太一郎(東大名誉教授)
「私は譲位すべきだと思っている。」
「摂政では駄目なんだ。」
天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない。
皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らなければならない。
安倍は、尊王心がひとかけらもない政治家であり、上っ面だけ天皇を尊崇しているようなふりをしながら、天皇を政権に都合よく政治利用することしか考えておらず、天皇のご心配を平然と無視した。
天皇陛下は最初に退位の意向を表明した際は80歳を(平成25年)をめどにしたいとしていたが、その年も過ぎ、「平成30(2018)年までは頑張る」とされていた。
官邸は天皇退位のご意向を伝えられても、一切動かない。
「玉音放送みたいな方法しかないんじゃないか?」
平成27(2015)年4月24日の夜の会議で宮内庁参与・三谷太一郎東大名誉教授は言った。
官邸に天皇のご意思が伝わらないのであれば、国民に直接かたりかける以外にないという考えに至ったのである。
<感想>
天皇の玉音放送に至る経緯やお言葉の内容について、掲題書から読み解いてみたい。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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