元証券マンが「あれっ」と思ったこと 2017年04月
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あれっ、憲法十三条に基づく個別的自衛権?


「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)

 以下は掲題書からの抜粋(その4)

  
第八章 改革詐欺と思考停止社会

 安保法制における思考停止

適菜
  今回の安保関連法案に、中国や韓国、朝日新聞、毎日新聞、民主党、共産党は反対している。
 一方、イギリスやドイツ、オーストラリアをはじめ多くの国は賛成している。世界はこんなに賛成しているんだ。安倍さんのやっていることは間違っていないと。
 でも、日本の集団的自衛権の行使により、益を得る国が賛成するのは当たり前ですよね。それが日本の国益になるかどうかは別。この手の思考停止もかなり多い。
 私は改憲派ですし、集団的自衛権自体を否定しているわけでもない。自衛隊は国軍にして軍備は強化すべきだと思っています。でも、正当な手続きなしに、違憲の法案を通していいかはまったく別の話。これを破れば、法秩序の連続性が切断されることになる。これは左翼全体主義の手口で一種のクーデターですよ。

藤井  一般論で言うなら、思考停止している人々は、感情、気分、ムードで動いています。それは水ものですから変化していく。だから彼らには筋を通すなんて不可能。ムードの裏側にある筋なんて見えるはずがない。

適菜  民主党政権のときに法令解釈担当大臣みたいなのを置いて、内閣法制局長官の答弁を禁止したんです。小沢一郎も菅直人も憲法について相当デタラメなことを言っていた。それで私は論壇誌で批判したんです。今回は、それとまったく同じロジックで、安倍の手法を批判しているのですが、民主党政権のときは「よく言った」と喜んでいたような連中が、民主党よりもっとデタラメなことをやっている安倍に声援を送っているわけですね。ネットでも、安倍を擁護するためのテンプレートみたいなものがあって、それをひたすら貼ってくるわけです。


 
「解釈」の連続性を壊すな

適菜
  今はネットレベルの思考停止が、全国紙や論壇誌、評論家の中でも進んでいる。先日、読売新聞の世論調査の項目を見て絶句しましたよ。「安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか」だって。単なる誘導尋問でしょう。

 時の政府の解釈で何でも通せるということになれば、また民主党が政権を取ったらどうなるのかという話です。悪しき前例をつくることになりますよ。万が一、「個別的自衛権も認めない」という政権ができたら自衛隊をなくすんですか?そういう勝手なことをさせないための憲法なのに、頭の中がとっ散らかってるんですね。「保守系」と呼ばれるメディアがこの惨状なのだからどうしようもないんです。

藤井  憲法十三条が優越するので、九条があっても個別的自衛権が発生するというロジックさえ共有されていないですからね。その共有認識がないのに、集団的自衛権の説明をするのも難しい。

適菜  集団的自衛権は同盟国である他国の戦争をお手伝いする権利ですね。だから、歴代の内閣、法制局長官、防衛省(庁)も違憲という立場だった。

藤井  自分を護る権利の延長に他社を護ることが含まれる場合があるとしたら、集団的自衛権は広義の個別的自衛権とも言える。ただし、どこまでが個別的自衛権の範囲なのかの線引きは難しい。

適菜  反対派も賛成派も議論が変。反対派は「憲法九条が」とか「徴兵制になっちゃう」とか左翼の思考停止を引き継いでいるのが多いし、賛成派は安全保障担当の総理補佐官である礒崎陽輔が本音を漏らしたように「法的安定性は関係ない」と。こうした中、粛々とロクでもない方向に政権が向かっている。非常に危ない状況です。

藤井  もちろん政府は合憲だと主張しているわけですから、理性ある者なら誰もが納得できる説明が求められている。

【憲法】
第二章 戦争の放棄 
第九条   日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2   前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第三章 国民の権利及び義務
第十条~第十二条 省略
第十三条   すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


<感想>
 憲法九条があっても十三条が優越するので個別的自衛権が発生するという認識を持った上で、改めて集団的自衛権について考えてみる必要があるかもしれない。

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あれっ、首相は理想を語るべきでない?


「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)


 以下は掲題書からの抜粋(その3)

  
第四章 保守と近代

 安易に理想を語るな


適菜  そういう保守の感性が指導者には必要です。
 安倍が憲法について変なことを言っていたのですが、「憲法についての考え方の一つとして、国家権力を縛るものだという考え方がありますが、しかし、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方であって、今まさに憲法というのは日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないかと、このように思います」と。
 頭が痛くなりましたね。王権が絶対権力を持っていた時代に立憲主義が存在するわけはないし、「理想と未来を語る」って、極左のジャコバン派の憲法観じゃないですか。ベンチャー企業の社長ではあるまいし、国のトップは安易に理想なんて語るべきではないんですよ。オークショットは、保守的政治家は統治される人間を夢に押し付けるのではなく、むしろ夢の実現に向けて情熱的になっているところに節度を保つという要素を投入することだと言っている。
 国のトップが率先して、理想と改革を唱え、日本の国柄自体を変えてしまうようなことをやっている今のような状況は、大衆社会の末期的症状と判断せざるを得ません。

藤井  きちんとした保守的な政策は刺戟がないので、大衆的な人気が出ない。だから、大衆社会は保守的な政治家が生まれにくい土壌であることは間違いない。

 人間の生物としての性向上、保守的な傾向がないと、生命を維持できない。そもそも毎日、すみかや食習慣をバンバン変えるような生物は、その変化への対応に莫大なエネルギーを割かないといけなくなってしまい、結果的に衰弱し、最後には死滅する。一方で、単に「守旧」という態度なら、気候や政治的状況が変化したときに、臨機応変に対応できず、滅びる。つまり、何もかも昔のものを大事にするというのは愚かです。そして保守はそんな愚かな選択をしない。

適菜  復古主義も革新主義も根本は理想主義です。過去にユートピアを見出すか、未来に見出すかの違いだけで。特に革新主義は宗教です。現状を変えればよくなるという信仰ですね。根本にあるのは、キリスト教、ヘーゲル、マルクス的な進歩史観。それが近代の発想につながってくる。合理的に思考を積み重ねれば、結果的に正しい未来がやってくるという信仰は、日本の「保守」にも根付いています。

藤井  「偽装保守」という問題で言えば、そこが一番深刻な問題です。彼らがなぜ偽装するかと言えば、結局は偽装により精神的、物理的、金銭的満足が得られるから。特に政治家が「偽装保守」だとまずい。個人的な金儲けやええ格好しいのために国が潰れるなんて最悪です。


<感想>
 本来、夢の実現に向けて情熱的になっている国民を保守的政治家が抑えるというのが理想であろうが、バブル崩壊後25年間デフレが続く日本ではそれを望むべくもない。首相自身で理想と改革を唱えるのが大衆社会の末期的症状との指摘が正しいとしたら、それを阻止せねばなるまい。

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あれっ、民意が反映されるのは立法府だけ?


「デモクラシーの毒」 (藤井聡・適菜収、新潮社)

 以下は掲題書からの抜粋(その2)

  第三章 「大衆社会」に抗う

 ゾンビと「大衆」

適菜
  改革派官僚、脱藩官僚みたいな滑稽な人たちが暴走することにより、ますます官僚の弊害が大きくなるという話が『大衆社会の処方箋』の中にありますね。
 よく、官僚組織は開かれていないと批判されますが、開かれていないことが官僚制の優れた点でしょう。国民の声が簡単に官僚に届いたら、逆に問題ですよ。わが国は議会制であり、民意が反映されるのは三権のうち立法府だけです。また、司法、行政には民主主義に対する防波堤の役割がある。
 もっとも、裁判員制度や参院廃止論、政治主導という名の行政府支配により、国の根幹が攻撃されているのがここ20年の傾向ですが。

 藤井さんがおっしゃっていたNHK『ピタゴラスイッチ』に登場するピタゴラ装置の話と同じで、最初の時点で玉が見当違いのところに転がっていくと、あとのシステムは全部関係なくなってしまう。「日本」という主語が抜けているから、政府が率先して売国に励むようになる。

【三権分立】(出所:http://consti.web.fc2.com/14shou1.html
 わが国、日本の憲法は統治のしくみとして三権分立を採用しました。
 三権分立とは、国家権力を立法権(法律の制定を担当)、行政権(行政を担当)、司法権(裁判を担当)の3つに分けて分離し、お互いに抑制と均衡を図る制度のことです(チェックアンドバランス)。
 立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は裁判所に割り振っています。
 こうして権力が一極集中して暴走してしまうことを防ぎ、人々の人権を保障するための制度なのです。

<感想>
 民意が直接反映されるのは三権のうち立法府だけ、司法・行政には民主主義に対する防波堤の役割があると言われて、「なるほどそうだなぁ」と改めて思う。

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あれっ、閣議で憲法を拡大解釈?


「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)
2015年10月15日発行


 以下は掲題書からの抜粋(その1)


  
第三章 「大衆社会」に抗う

適菜  特に五人ひどい政治家を挙げるなら、小沢一郎、その手法を踏襲した小泉純一郎、そして菅直人、橋下徹、安倍晋三だと思います。もちろん、プチ小沢、プチ小泉みたいな奴は大勢いますけどね。

 一時期《戦後民主主義》という言葉がよく使われましたが、その一番病んでいる部分がこの五人の政治家に表れている。菅直人と安倍晋三は言っていることも政治観もそれほど変わらない。自分は選挙で国民の審判を受けたのであり、だから憲法の解釈も仲間内で変更できると。こうして議会を形骸化させていく。民主主義と全体主義はきわめて似通ったイデオロギーですが、これらは議会主義の敵なのですね。

 一番の問題は、政策がどうこう以前に、法治国家としてありえないことが白昼堂々と行われていることです。議会と法を平然と踏みにじっている。改憲が難しいから96条をいじると言い出し、それも難しいから憲法の解釈を変更すると。

 閣議で拡大解釈できるなら、党是の改憲も必要なくなる。私は、自衛隊は軍隊にすべきだと思っていますが、政府がその場に応じて解釈できるなら憲法の意味がない。大事なことは「正当な手続き」です。首相の私的諮問機関にすぎない安保法制懇の意見を優先するなら、議会の軽視も甚だしい。これは国の根幹を揺るがす革命思想そのものでしょう。左翼の連中は、集団的自衛権がどうこうと表層的な部分しか見ていないけど、安倍のやっていることはもっと危険なことです。 

 かつて民主党時代の小沢一郎は、内閣に法令解釈担当大臣を置き、政府主導で憲法を恣意的に解釈しようとした。民主党がやれば大騒ぎし、安倍が同じことをやれば拍手喝采する。結局、内容ではなくてバカを騙すための「見せ方」なんです。


<感想>
 
 閣議で憲法を拡大解釈することは、確かに、議会と法を平然と踏みにじる、法治国家としてはありえないことと言えよう。

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あれっ、天皇陛下の13項目の国事行為?


「天皇論 平成29年」
(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その10)


  
第13章 天皇の基礎知識2・皇居と国家元首


 東京に遷都する以前、千年以上も天皇がいた京都御所には堀も石垣もなく、外界と隔てているものは、数人でかかれば壊せそうな塀だけだった。

 しかも御所は定められた期間に庶民が自由に参詣できる、身近な信仰の場でもあった。
 こんな無防備でも千年地位を脅かされることがなかった王など、世界に他にはいない。


 歌を詠むことは日本人の教養であり、たしなみであった。


 現在のような歌会始が行われるようになったのは明治からで、最初は天皇のごく側近だけで行われていたが、次第に参加者を広げ、明治7(1874)年から一般国民も参加できるようになった。

 歌会始は皇室の不幸により天皇が喪に服した年以外は必ず行われた。
 大東亜戦争敗戦の翌年、世情すべてが混乱の中にあった昭和21(1964)年でも中止されなかった。

 歌会始はそれほど貴重な皇室と一般国民を結ぶ行事なのである。

  ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ
  松ぞ ををしき 人もかくあれ

 その年の昭和天皇御製である。
 深い雪の中でも、松が緑を失わないように、日本人もこの敗戦の試練に耐え、日本人の節操を曲げないで、雄々しく生き抜いてほしいという祈りの歌だ。


 この歌会始以外に「松の間」では信任状捧呈式が行われる。
 これは新任の外国の特命全権大使が天皇に信任状を渡す儀式で外務大臣が侍立する。
 そもそも国際慣習では、大使などの着任にあたり、派遣国の元首が発する信任状を受けるのは駐在国の「元首」ということになっている。

 各国は信任状を天皇に対して発し、大使などの着任の際に天皇に捧呈している!
 日本の元首は天皇であるというのは国際常識なのだ。


 さて、天皇の「明仁」という署名・・・
 そして、「天皇御璽」と刻まれた天皇の実印・・・
 まとめて「御名御璽」ともいうが、この二つがなければ日本の国家は動かないということを皆は知っているだろうか?

 憲法では天皇は「国事行為」を行うとされている。
 具体的には次の13項目が定められている。

1.国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する。
2.内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命する。
3.憲法改正、法律、政令、条約を公布する。
4.国会を召集する。
5.衆議院を解散する。
6.国会議員の総選挙を公示する。
7.国務大臣その他の官吏の任免、全権委任状、大使、公使の信任状を認証する。
8.大赦、特赦、減刑などを認証する。
9.栄典を授与する。
10.批准書その他の外交文書を認証する。
11.外国の大使、公使を接受する。
12.儀式を行う。
13.国事行為を委任する。

 これらに関する書類は閣議決定後、天皇陛下のもとに届けられ、陛下はこれに署名なさる。
 そして侍従職が押印する。御璽は金製で重さが3.55kgもある。

 天皇陛下が署名・押印する書類は年間1000件を超える。
 しかも陛下はその書類をすべて丁寧に読んだうえで署名されるので、大変なハードワークである。


 戦前の昭和天皇も「立憲君主」であり、内閣が機能不全となったたった2回の例外、「二・二六事件」と「終戦時」以外は、自らの意思で政策を実行させたことはない。
 天皇は常に内閣の決定を承認する役割だったのである。


 我々は自分の国を、世界最古の王室を頂く立憲君主国であると誇るべきなのだ。
 実際に海外からはそう評価されているのだから。
 なにゆえに、天皇をはっきり「元首」だとも言えないような空気が日本の中でだけ作られ、天皇が何をしているのかも若者が知らないというおかしな状況になっているのだろうか?


<感想>

 世界最古の立憲君主国である天皇に関する教育が皆無なことが問題だと国民一人ひとりが認識するところから始める必要があろう。


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あれっ、一世一元も明治以降?


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その9)


  
第12章 天皇の基礎知識1・天皇には姓がない


 昭和天皇の本名は「裕仁」である。
 天皇の本名は「明仁」、皇太子の本名は「徳仁」である。

 「仁」の字は第56代清和天皇(在位858~876)の名前「惟仁」で初めて使われ、第70代冷泉天皇の「親仁」以来、わずかの例外を除き「仁」を使うのが通例になっている。

 明治以降、皇子(天皇の息子)には「仁」、皇女(天皇の娘)には「子」をつけることが正式に定められた。
 日本の天皇も亡くなる別の名前がつけられる。

 生前の事蹟を称える「諡号」が、住まいの呼び名などに由来する「追号」だ。
 「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」はいずれも「追号」であり、生前に呼ばれた名ではない。

 在位中の天皇を「今上天皇」と呼ぶ。
 崩御して諡がつけられるまでの間は「大行天皇」という。

 若い人は、現在の天皇ことを「平成天皇」とは決して言わないということも知らないものが多いようなので、念のために書いておく。

 天皇・皇后、および皇太后(先代天皇の后)、大皇太后(先々代天皇の后)の敬称は「陛下」。それ以外の皇族への敬称は「殿下」である。

 このような慣習からすると、現在ニュースなどで平気で「愛子さま」と呼んでいるのは、正式ではない。
 本来は、称号の「敬宮殿下」が正しい呼び方だ。

 一方、秋篠宮の子供は皇太子の甥・姪なので、称号はない。
 だから「眞子内親王殿下」「佳子内親王殿下」、「悠仁親王殿下」が正式な呼び名である。

 天皇や皇族には戸籍がない。
 代わりに「皇統譜」という帳簿がある。

 そして、天皇の名に関してはこれが最も重要なことなのだが、天皇や皇族には「姓」がない。


「明治」「大正」「昭和」「平成」といった元号は、日本では大化の改新の「大化」(645~650)が最初で、数度の中断をはさみ、「大宝」(701~704)から現在まで続いている。

 現在の日本の元号は、「一世一元」といい、天皇一人の在位期間に一つと決められている。


 明治以降は、「一世一元」で天皇の命がそのまま時代とリンクして、国民の時代意識を形成することになった。
 今でも「昭和」や「平成」が時代や文化の指標として当たり前のように使われている。

 だから左翼は元号が大嫌いなのだ。元号がダメで西暦がいいという理由も全くわからないのだが!


<感想>

 明治以前は天皇の在位中も天変地異、騒乱や将軍の代替わりなど様々な要因で頻繁に改元が行われ、一つの元号は平均5年弱程度しか続かなかったという。これも明治前後の違いの一つであり、明治以降を所与と考えてしまうことの誤りともいえよう。

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あれっ、男系男子の皇位承継に拘らず?


「天皇論 平成29年」
(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その8)


  
第11章 尊皇を掲げる朝敵たち


 自ら「旧宮家」の娘との結婚を拒み、古い貴族社会の因習を断ち切った今上陛下が、今さら「旧宮家」の子孫を皇室に入れるなんてことにこだわるだろうか?

 まして、その男たちを自分の孫娘と結婚させようなどとお考えになるだろうか!?

 そして、制度上、自ら発言ができない天皇陛下を代弁するかのように、陛下の信頼の特に厚いと言われる側近中の側近、羽毛田宮内庁長官(当時)と渡邉允前侍従長(当時)が揃って「女性宮家の創設を」と発言し、それを後押しするように秋篠宮殿下が「一定数の宮家は必要」と発言されている。

 天皇陛下のすぐ側で、10年以上も仕えた渡邉前侍従長がテレビに出演して「女性宮家の創設」を訴えたのだから、これはもう99.9%陛下のご意志なのだと拝察するのが国民の常識というものだ。

 昭和天皇は側室を廃止し、女官制度の大改革を行った。
 今上陛下は民間から妃を迎えた。

 いずれも「前例がない」と言われることだった。

 だが「伝統を護る」とは単なる「前例踏襲」ではない。
 伝統と因習は、似て非なるものである。

 美智子皇后陛下は結婚50年の会見で伝統の大切さを十分強調した上で、こう仰っしゃっている。

  一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い習慣が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは、好ましく思いません。


 昭和天皇や今上陛下が因習を墨守し、皇室に今でも側室があり、結婚相手は上流貴族のみだったとしたら、それでも皇室は国民の敬愛の対象であり続けられたであろうか?

 そして、「必ず男子を産まなければならない」ことに雅子妃が苦しみ抜かれているのを目の当たりにしても、なお天皇陛下は「男系堅持」を墨守するのがいいことだと考えられるのだろうか!?


<感想>

 今こそ、皇室典範第第1条(皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。)について、天皇側近の方々のご発言の真意を忖度する必要があるのではなかろうか。

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あれっ、天皇の慰霊に癒される?


「天皇論 平成29年」 (小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その7)


  
第8章 今上天皇の大御心・御即位二十年・慰霊


 今上天皇が即位後初めて沖縄を行幸したのは平成5年。
 歴代天皇としても初の沖縄訪問となった。

 両陛下はこの時も真っ先に南部戦跡に初めて国立沖縄戦没者苑に献花、参拝をされた。
 次に、近くの沖縄平和祈念堂で、県内各市町村の遺族の代表150名とご対面になった。


  即位後、早い機会に沖縄県を訪れたいという念願がかない、今日から4日間を沖縄で過ごすことになりました。
  先の戦争では実に多くの命が失われました。
  なかでも沖縄県が戦場となり、住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲になったことに対し、言葉に尽くせぬものを感じます。
  ここに深く哀悼の意を表したいと思います。
  戦後も沖縄の人々の歩んだ道は厳しいものがあったと察せられます。そのような中でそれぞれの痛みを持ちつつ、郷土の復興に立ち上がり、今日の沖縄を築き上げたことを、深くねぎらいたいと思います。


 約5分間、陛下は原稿なしでお言葉を述べられた。


 即位後初の沖縄ご訪問を果たした翌年、平成6年には両陛下は硫黄島、父島、母島を慰霊のためご訪問された。
 硫黄島ではこのような歌を詠まれている。

  精魂を 込め戦ひし 人未だ
  地下に眠りて 島は悲しき

 これは硫黄島守備隊指揮官栗林忠道大将が大本営に打電した決別電報の

「国のため 重き務めを 果たし得で
 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」

 ・・・の辞世の句に対する返歌となっている。

 硫黄島の遺骨収集は未だに4割程度しか終わっていない。
 そのことに思いを寄せた歌である。


 終戦50周年の「慰霊の旅」を終えられた両陛下が慰霊のための訪問を切望された場所がある。
 南洋諸島である。

 そしてようやく終戦60年に当たる平成17年、両陛下のサイパン訪問が実現した。
 天皇が慰霊だけを目的に海外をご訪問されたのはこれが初めてだった。


<感想>

 どれほどの国民が陛下の慰霊で救われたことだろう。

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あれっ、国民と共にある皇室?


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その6)


  
第7章 今上天皇の大御心・御即位二十年・福祉


 最近の中学歴史教科書では、「仁徳天皇陵」と書かれていなくて、「大仙古墳」と書かれている。

 (聖徳太子)もカッコ括りの記述になっていて、「厩戸皇子」と書かれている。

 さらに鎌倉幕府の成立も1192年ではなくて、1185年と記述している。
 源頼朝の支配権が西国に及んだ時を幕府の成立にするらしい。
 要するに頼朝が天皇から「征夷大将軍」に任じられた時にしたくないわけだ。

 「大仙古墳」「厩戸皇子」「1185年・鎌倉幕府」・・・つまりこれらの記述の変更は日本史から」「天皇」の権威を消そうとする企みがあるとわしは見ている!

 「天皇なき日本史」を考えている左翼学者どもが歴史の改竄を行っているのだ!


 玉音放送で昭和天皇が朗読された「終戦の詔書」にはこういう一節がある。

 「朕ハ、茲ニ国体ヲ護持シ得テ、忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ、常ニ爾臣民ト共ニ在リ」
 ・・・わたくしは、今ここに、国体を護持し得たとともに、国民のまことの心に信頼しながら、いつも国民と共にいる。

 この一言があったからこそ、国民は敗戦を受け入れ、その傷から立ち直り、希望を持ち、復興を遂げることができた。

 今上陛下は、今日の時代に合わせつつ、歴代の天皇と国民の関係を受け継いでこられたのである。

 日本の天皇と国民の関係に階級対立史観は全く当てはまらない!

 天皇は国民の支配者ではない!

 国民は「大御宝」であり、天皇の「大御心」は健常者が普段忘れがちな障害者にも及んでいる。

 わしはそのことを大変ありがたいと感じる。


<感想>

 教科書での歴史の改竄は許し難い。
「国民と共にある皇室」には心より感謝申し上げる。

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あれっ、天皇は祭祀を司る存在?


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その5)


  第6章 因習・伝統・近代主義の葛藤

 皇室の古代以来の伝統、それは祭祀を重んじることだ。
 皇室には、因習と伝統が混在している。
 皇室の祭祀は伝統して重要である。

 祭祀によって国の平安と民の安寧を祈る、無私の存在。
 それが天皇である。
 

 三島由紀夫は天皇についてこう指摘した。

 「大統領とは世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる」

 古今東西に「国王」などの世俗的君主はあまた存在する。
 そして民を虐げ、私利私欲に走った王の話もまた枚挙にいとまがない。
 そのような歴史の中で滅びた王制も数多い。
 
 しかし日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは歴史上いまだかつてない。
 それは天皇が世俗的とは君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。

 公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。
 「公」の心が失われたところには、安定した国家は築けない。

 国の中心に、公のために祈る無私の存在「天皇」を置くというのは、国を安定させるために人類が考えうる最も賢明な策であり、他に類を見ない偉大な英知なのである。


 7世紀末の持統天皇(女帝)の時代に、伊勢神宮の式年遷宮と、天皇が一代一度行われる大嘗祭が始まった。
 今も受け継がれる最も重要な二つの祭祀の成立である。

 持統天皇は日本書紀に書かれている最後の天皇であり、これをもって古代日本は完成したといえる。


<感想>

 利己主義とは真逆の私利私欲とは全く無縁の祭祀を司る天皇の存在は日本における奇跡のようにも思われる。

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あれっ、「君が代」は敬愛する人の長寿を祈る歌?


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その4)


  
第3章 わしが「君が代」を歌うようになったわけ


 「君が代」の原歌(もとうた)は、古代にまでさかのぼるが、初見は延喜5(905)年、醍醐天皇の勅命で撰進された『古今和歌集』である。

  わが君は 千代にましませ
  さざれ石の いはほとなりて
  苔のむすまで

 これは『古今和歌集』の賀歌(がのうた)に、「よみ人しらず」で出てくる。賀歌とは長寿を祈る歌だ。

  私の敬愛する人よ、千年も先まで、
  小さな石が巨岩となって、
  さらにその表面を苔が覆うようになるまでの
  永い歳月を、どうか息災でいてください

 ・・・という意味で「わが君」は「天皇」という意味ではない。自分にとっての敬愛すべき相手だ。

 「わが君は」が「君が代は」に、「千代にましませ」は「千代に八千代に」に変化しながら、庶民が個人個人の敬愛する人の長寿を祈って、一千年の永きにわたってこの賀歌を伝えてきたのだ。


 古代から愛誦され、千年以上庶民によって歌い継がれ、日本列島のほとんど全域に拡がっていたこの賀歌を、国歌にしたのは、もちろん明治になってからである。

 イギリス人の軍学長の「国歌を作るべきだ」という助言によって、薩摩藩の砲兵隊長・大山巌が、「その歌詞は古歌から選ぶべきだ」と、自分が愛誦していた「君が代」を選んだという。

 これに曲がつけられて、明治13年、天長節(11月3日)の宮中宴会で、明治天皇の前で正式に奏楽された。

  君が代は 千代に八千代に
  さざれ石の 巌となりて
  苔のむすまで

 このように「君が代」一つとっても、国歌なのに誰からも意味や由来を教わっていないのが、今の子供や若者ばかりか、大人までの現状である。


<感想>

 「君が代」の成り立ちや「君が代」が敬愛する人の長寿を祈った歌である、ということを学校で教える必要があると思う。


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あれっ、天皇陛下が内閣を牽制?


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その3)


  第2章 お言葉の徹底分析 


 改めて強調しておくが、譲位が始まったのは35代皇極天皇からで、禁止されたのは122代明治天皇の時代。

 火葬も持統天皇に始まり、土葬に戻ったのは110代後光明天皇から。


 天皇陛下は、長い天皇の歴史全体を見渡し、むしろこちらの方が天皇本来の姿といえる形に戻そうとしておられるのだ。

 これに反対している者たちは、無知ゆえに明治以降の天皇の姿が天皇の伝統の全てだと思い込んでいるのである。


 そもそもこのお言葉は、天皇の「公的行為」とみなされる。

 公的行為は憲法に定められた「国事行為」とは違って「内閣の助言と承認」は必要とせず、天皇のご意志を基に行われるべきものである。

 ただし、公的行為に関する事務は内閣が担当する「一般行政事務」(憲法73条)の一種とされ、内閣が責任を負うものとされている。

 当然、このお言葉も内閣の責任によってなされたものであり、実際に内閣は、発表の前にお言葉の内容をあらかじめ承知し、その放送については具体的な関与を行っている。

 内閣の責任においてお言葉の発表を行った以上、内閣にはそのお言葉に沿った措置を行う責任が自ら生じる。これに公然と反するような措置を内閣がとることは自己矛盾となり、到底許されないのである。

 平成28年12月の天皇誕生日に際した記者会見の中で陛下はお言葉の発表について「ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました」とおっしゃっている。

 あえて「内閣とも相談しながら」の一言を入れ、お言葉の実現に内閣が責任を負っていることを示唆し、にもかかわらず、内閣がそれとは異なる措置をしようとしていることを牽制されていると思われる。


 陛下は最後に「国民の理解を得られることを、切に願っています」とおっしゃっている。

 これだけのお言葉を賜りながら、それでも理解しない者は、もう日本国民ではないと言っていい。


<感想>
    
 2017/4/18現在、天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議の最終報告構成(案)※が検討されているようだが、天皇陛下の譲位を1日も早く制度化する必要がある。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/kaisai.html

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あれっ、官邸が皇室に報復?


「天皇論 平成29年」 小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その2)


  第1章 「平成の玉音放送」に至った理由


 7月13日、NHKがスクープを報じ、日本中が騒然となった。

 「天皇陛下『生前退位』の意向示される」

 陛下のお気持ちを受けた秋篠宮殿下が宮内庁幹部の仲介でNHKの記者に会い、内々に天皇陛下の意向を伝え、それがスクープにつながったということで、報道は宮内庁にも官邸にも寝耳に水だった。

 こんな非常手段によって陛下のご意思を公にしなければ、「玉音放送」への道すら切り開くことはできなかったのである。

 そして陛下がお言葉を表明する数日前、宮内庁から官邸に原稿案が届く。


 最初の原稿案は、より強くよりストレートな表現で、政府にできたのはその表現を和らげることだけだったという。

 そして8月8日、「平成の玉音放送」は公表された。

 このお言葉を受けて、陛下の願いを実現しようと考えなかったら、尊王心のある愛国者とは決して言えない!


 官邸は9月15日、70歳の誕生日を迎えた風岡宮内庁長官を退任させ、後任に山本次長を昇格させた。

 宮内庁長官は70歳になった年度末に退任するのが慣例であり、誕生日に即退任という異例の措置は、事実上の更迭だった。

 続いて官邸はNHKのスクープの際、秋篠宮殿下とNHK記者の仲介をしたとされる西ケ廣宮務主管を退任させた。

 宮務主管に定年はなく、前任者は10年務めているところを、わずか2年半で退任させるという、露骨な報復人事だった。

 宮内庁は組織上、内閣府に置かれてはいるが、内閣の意向よりも天皇陛下のご意向を尊重するという重要な慣習があり、宮内庁長官は陛下の意思を代弁して政府に苦言を呈することもあった。

 歴代内閣もその慣習を尊重しており、小沢一郎も「一役人が」と暴言を吐いたものの、それで宮内庁長官を更迭することはできなかった。

 ところが安倍政権は畏れ知らずにもそのタブーを破る暴挙に出たのである!

 そして宮内庁次長の後任に据えられたのは、内閣危機管理監の西村泰彦という人物である。


 天皇陛下が信頼を置く宮内庁幹部を奪い去り、政権の手下を送り込むということは、天皇陛下に対する「報復」に他ならないのだ。


 天皇陛下に「報復」した首相など、日本史上に例を見ない。

 現在は、皇室と安倍政権の全面戦争に突入しているといっていい。

 天皇陛下の願いが叶えられるかは、全く予断を許さない。


 もしこのまま安倍が天皇陛下のお気持ちを踏みにじったまま終わるようなことがあれば、その名は間違いなく歴史に残るだろう。

 権勢をほしいままにして、天皇の権威を踏みにじった蘇我入鹿をもはるかにしのぐ、日本史上最悪の天皇への反逆者として!


<感想>

 天皇のご退位に至る官邸の対応を注目して行きたい。


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あれっ、玉音放送以外の選択肢はなかった?


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その1)


第1章 「平成の玉音放送」に至った理由

 平成22年7月22日の参与会議──その日の出席者は、両陛下のほか以下の通り。

  羽毛田慎吾(宮内庁長官)
  川島裕(侍従長)
  湯浅利夫(元宮内庁長官)
  栗山尚一(元外務事務次官)
  三谷太一郎(東大名誉教授)

 「私は譲位すべきだと思っている。」
 「摂政では駄目なんだ。」

 天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない。
 皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らなければならない。


 安倍は、尊王心がひとかけらもない政治家であり、上っ面だけ天皇を尊崇しているようなふりをしながら、天皇を政権に都合よく政治利用することしか考えておらず、天皇のご心配を平然と無視した。

 天皇陛下は最初に退位の意向を表明した際は80歳を(平成25年)をめどにしたいとしていたが、その年も過ぎ、「平成30(2018)年までは頑張る」とされていた。

 官邸は天皇退位のご意向を伝えられても、一切動かない。


 「玉音放送みたいな方法しかないんじゃないか?」

 平成27(2015)年4月24日の夜の会議で宮内庁参与・三谷太一郎東大名誉教授は言った。

 官邸に天皇のご意思が伝わらないのであれば、国民に直接かたりかける以外にないという考えに至ったのである。


<感想>

 天皇の玉音放送に至る経緯やお言葉の内容について、掲題書から読み解いてみたい。

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あれっ、派遣先の同一事業所への派遣は3年が限度?


【 改正派遣法上の期間制限 】


 2015/9/30に改正労働者派遣法が施行され、派遣先の事業所に対し派遣できる期間(派遣可能期間)は、原則、3年が限度とされた。
(出所1:http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11600000-Shokugyouanteikyoku/0000102915.pdf

 派遣制度は、「常用代替防止」を基礎となる考え方の一つとして作られており、「常用代替」とは、派遣先の常用労働者が派遣労働者に代替されることとされてきた。(出所2:http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11654000-Shokugyouanteikyokuhakenyukiroudoutaisakubu-Jukyuchouseijigyouka/0000016027.pdf

 このため、派遣先が3年を超えて派遣を受け入れようとする場合は、派遣先の事業所の過半数労働組合などからの意見をきく必要がある。(出所1)


<感想>

 安倍内閣が主導する「働き方改革」において、「非正規雇用」の処遇改善(=同一労働同一賃金)が大きな課題の一つとされている。

 派遣先における常用労働者と派遣元事業主における派遣社員のそれぞれの立場を尊重した均等・均衡待遇により、特に後者のモチベーション・アップによる労働生産性の向上が望まれる。

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あれっ、株式交換 or TOBによる子会社化?


【 簡易株式交換・TOBによる子会社化 】

 2017/4/12、ヤマダ電機(9831)がベスト電器(8175)を簡易株式交換*により、また、興和が丸栄(8245)をTOB(公開買付)**により、完全子会社化することを発表した。

*
http://www.yamada-denki.jp/topics/download.t.pdf/1226

<簡易株式交換>
 株式交換完全子会社の株主に交付する株式交換完全親会社の株式の数に1株当たり純資産額を乗じて得た額と株式交換完全親会社の株式等以外の財産の帳簿価額等の合計額が、株式交換完全親会社の純資産額の5分の1(20%)を超えない場合、株主総会決議は不要(796条2項)

**
http://blog.s-maruei.com/wp-content/uploads/2017/04/140120170412440138.pdf


 なぜ、興和はTOBを選択したのか?

 興和は未上場企業のため、丸栄株主にとっては興和株式を受領しても市場売却ができない(株式を非公開にしている興和がそもそも株主を増やしたいと思うはずがない)ため、簡易株式交換の選択肢はなかったものと思われる。


 一方、コールバーグ・クラビス・ロバーツ(Kohlberg Kravis Roberts: KKR)による日本企業の大型買収では、TOB+特別配当が活用された(2016年11月:日産自動車からカルソニックカンセイ株式、2017年1月:日立製作所から日立工機株式を取得)。これは、「受取配当等の益金不算入制度」(株式を保有している子会社、関連会社等から親会社が受け取る配当金の一部又は全部について、親会社の税金計算の対象から除外する(益金不算入))を活用したもの***。

***
http://nagafinance.hatenablog.com/entry/2017/02/04/113920


<感想>

 売り手、買い手のニーズ、税務メリット等の違いにより、それぞれ最適な手法を選択する必要があることが分かる。


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あれっ、シリア攻撃は予行演習?


【 トランプ大統領のシリア攻撃 】

 以下は(敬愛する)青山繁晴参議院議員の2017/4/7のブログ(
http://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=619)からの抜粋。


冒頭に重要な追記をして再掲 ~アメリカ海軍による巡航ミサイル・トマホークの一斉射撃をめぐって~

▼まずは予行演習として戦争が始まりました。
 それがトランプ政権下のシリア攻撃です。

 予行演習というのは、ずばり北朝鮮攻撃への予行演習です。
「二正面作戦は大変だから、これで北朝鮮への攻撃は遠のいた」という受け止め方は間違いです。
 しかし一方で、これでアメリカ軍が北朝鮮を攻撃することが定まったということでは全くありません。
 こうやって新政権下で軍を実際に動かしてみて、アメリカの国内外で起きる波紋を含め、すべてのナマの情報を集めて、それを元に、朝鮮半島についてもいずれ決断していくということです。


<感想>

 緊迫の度合いを増す北朝鮮情勢。
 なぜ国会で真剣な議論がなされないのか。
 今後も北朝鮮絡みの動きには注目して行きたい。

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あれっ、電通は変われたのか?


「電通事件 なぜ死ぬまで働かなければならないのか
」(北健一著、旬報社)より


 以下は掲題書からの抜粋(*、**筆者追記)


 労働基準法では1日の労働時間の上限は8時間で、1週間の上限は40時間と決められている(*32条1項、2項)。会社がそれを越えて労働者を働かせると労基法違反となり、罰則もある。これが原則だが、例外として、従業員の過半数が加入する労働組合(過半数労働組合)か、そうした組合がない場合は労働者代表(従業員が選挙で選ぶ)と会社が時間外労働の上限についての労使協定を交わし、労基署に届け出る。
 労基法三六条に規定があることから、三六(さぶろく)協定と呼ばれ、三六協定で決めた範囲内なら、残業をさせても刑事罰を科されることはない(なお、会社による残業指示に労働者が従わなければならないかどうかは三六協定の問題ではなく、就業規則など契約上の根拠の有無と、残業の必要性と労働者の生活との兼ね合いも含め、残業指示が会社の権利濫用にあたらないかという個別事項の問題と考えられる)。
 電通が労基署に届けていた三六協定の上限は、通常は月70時間で、特別な事情があるときは100時間だった(特別条項)が、特別条項さえ守られていなかった。

*(労働時間)
第32条  使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
2  使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。


 三六協定違反の背景には、「労働時間の自己申告制」がある。労働時間は、使用者(会社)が自ら確認して記録するかタイムカードなどで客観的に記録するのが原則だが、労働者による自己申告制も認められている。1991年に起きた最初の電通事件**は、過労自死と使用者(会社)の安全配慮義務に関する最高裁判例にもなった。その教訓から、電通は本社入口に「フラッパーゲート」と呼ばれる駅の自動改札に似たゲートをもうけ、社員証をタッチして出入りすると入館時刻が自動的に記録されるしくみを作った。

**1991年の電通過労自殺に関する2000/3/24最高裁判決:
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52222


 三田労基署は、その記録をもとに高橋さんの労働時間が月100時間を越えていたと認定している。ところが、自己申告にもとづく記録では月70時間の範囲に収まっていた。


 終業(仕事が終わったと申告した時間)と実際に退館した時間の乖離に過少申告の増加があったのかと会見で問われた中本祥一副社長は、「そういうところに原因があったなと思っています」と認めた。「三六協定順守」の号令の下で過少申告が急増したとすれば、上司が明確に命じたかどうかはともかく、会社の問題だったと考えざるを得ない。


<感想>

 2000年の自社への最高裁判決ではあったが、電通は真の意味で変わることはなかったようだ。

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あれっ、直木賞受賞シリーズ最新作も痛快?


「喧嘩(すてごろ)」(黒川博行著、角川書店)より  


以下は掲題書帯より。 

 ミステリ史上最凶コンビが、史上最悪のピンチを迎える。累計110万部突破 直木賞受賞シリーズ最新作

 「売られた喧嘩は買う。わしの流儀や」  

 建設コンサルタントの二宮は、議員秘書からヤクザ絡みの依頼を請け負った。大阪府議会議員補欠選挙での票集めをめぐって麒林会と揉め、事務所に火炎瓶が投げ込まれたという。麒林会の背後に百人あまりの構成員を抱える組の存在が発覚し、仕事を持ち込む相手を見つけられない二宮はやむを得ず、組を破門されている桑原に協力を頼むことに。選挙戦の暗部に金の匂いを嗅ぎつけた桑原は大立ち回りを演じるが、組の後ろ盾を失った代償は大きく--。

 腐りきった議員秘書と極道が貪り食う巨大利権を狙い、代紋のない丸腰の桑原と二宮の「疫病神」コンビ再び。 


  以下は本文より一部抜粋。

「桑原さんはどうなったんや」
「復縁するでしょ。若頭の襲名の功労者です」
 桑原は嶋田に、鳴友会との手打ち料をふくめて、一千万円を超える金を差し出したらしい、と木下はいう。
「なるほどな。それもあのひとの世渡りか」 
 桑原も金の撒きようを考えていたということだ。
「口では復縁なんかせんというてたけど、桑原さんは堅気では生きられんひとです」
「それはよう分かる。あのひとはどこまで行ってもヤクザや。けど、あれほどのイケイケやったら、組の看板なしでもやっていけんことはないと思うけどな」
「返しでしょ。鳴友会だけやない、桑原さんはいままで極道をボロにしてきた。返しが怖いと、大手を振ってキタやミナミを歩けませんわ」
 極道すなわち代紋。イケイケだけではシノギができない、と木下はいう。 


<感想>
 頭と度胸を兼ね備えた桑原が戻ったら、当面は二蝶会も安泰であるに違いない。  次回以降の活躍にも期待したい。


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あれっ、危機を煽っての武器輸出?


「テレビじゃ言えない」
(ビートたけし著、小学館)より


 以下は掲題書よりの一部抜粋(その2)


  
トランプ米大統領を生み出したのは、「インテリの傲慢」と「B層マーケティング」


 まぁ、個人的にはトランプってのはけっこうクレバーなんじゃないかと思ってるけどね。共和党も周辺のスタッフに優秀なヤツをつけてガチガチに固めるだろうし、きっと「大統領らしく」進めていくことになるだろうよ。

 「ニッポンや韓国を守ってやる必要はない」「核軍備したらいいじゃないか」なんて言っているのも、したたかな計算なんじゃないかってさ。北朝鮮との危機を煽って、緊張をわざと高めておいて、ニッポンと韓国に武器を売りつけるという作戦かもしれないぜってね。


 オイラが「核武装しちゃえ」とか「ジジイ・ババアを姥捨て山に」なんてヒンシュク丸出しのネタをやってるうえに、トランプと一緒で過去にスキャンダルを山ほど抱えてるってことで「似てる」って声が出てきてるらしいんだけどさ。

 別に「なるほど」と納得するのは勝手だけど、この論はひとつ大きなことを忘れているよ。オイラは若い頃から「笑いのネタ」としてこういう話をしていて、要はこういう極端な話で「政治」やら「社会」のヘンな部分を横から突っついているわけだよ。一方でトランプは、「政治」という土俵に乗っかって、大マジメに極論を言ってるわけだよな。

 これってたとえ同じ「極論」を説いていたとしても、そのスタンスは真逆だぜ。こっちはお笑いだから許されるんであって、トランプみたいに拳を振り上げたことなんてないんでさ。そのことに気がつかなきゃダメだよ。


<感想>

 危機を煽っての武器輸出、(お笑いと違う)政治家の大マジメな極論など、ビートたけしの見方は的確であるように思う。


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あれっ、インテリ知識層の限界?


「テレビじゃ言えない」(ビートたけし著、小学館)より


以下は掲題書からの一部抜粋(その1)


 
トランプ米大統領を生み出したのは、「インテリの傲慢」と「B層マーケティング」


 とうとうドナルド・トランプ大統領が誕生となったね。

 最初は単なる泡沫候補と思われていたトランプが、結局、民主党候補のヒラリー・クリントンに勝っちゃったのは衝撃的だったよ。だけどトランプへの投票を「恥ずかしい」と最後まで隠してた「隠れトランプ」のアメリカ人が多かったって話は笑ったよな。

 で、まるでそいつらが悪者みたいに言われちゃってさ。メディアが勝手に結果を予想して外しただけなのに、そりゃないだろってさ。


 まぁ、マジメなことをいえば、今回の件は、世界的に「インテリ知識層の限界」みたいなものがやってきてることのわかりやすい例だと思うんだよな。

 ニッポンを見たってそうでさ。戦後からこのかた、「教養人」「知性派」と名の付く人は、やたら左がかった意見を言わないと認められなかった。右翼的発言やら、人権軽視やら、「民主主義的なもの」と相容れない思想は、全部「知性がない」というふうに笑われてきたわけだよな。それがいつの間にか「正論扱い」をされるようになってきて、安倍さんみたいな人が総理大臣になって、いつしか世の中の「真ん中」のほうに来るようになったわけだよ。

 やっぱり、インテリ層の理想が、あまりにも机上の空論というか、現実感のないものとして捉えられるようになったからだよね。移民や人種の問題、麻薬や拳銃の拡散がここまで来ちゃったら、どんなキレイゴトを並べたって、まるで説得力がない。昔だったら、「移民は追い返せ」なんて主張するのは内在的に憚られるという国民性がアメリカにもあったけど、トランプが堂々と言ってるのを聞いて「もういいのかもな」と国民がみんな思っちまったことじゃねェかな。


 まぁ、もうひとつは「ヒラリーが男にも女にも嫌われちまったな」ってのはあるよね。ニッポン人に置き換えて考えると、元総理の奥さんが「私も仕事できるから総理やってみていい?」なんて言い出したら総スカンだよね。下手すりゃ夫婦合わせて16年、クリントンに牛耳られるのかって思っちまう。これはニッポン的な感覚じゃなく、ある程度普遍的な価値観だったのかもしれないよ。


 ヨーロッパもそうだけど、やっぱりアメリカってのは「安い移民の労働力が支えてる」って真実があるからね。移民を全部追い出したって、きっと白人の貧困層「プアホワイト」と言われてる人たちは、その移民と同じような給与水準じゃ働かないよ。

 そうなると企業も競争力が落ちて、世界に太刀打ちができなくなる。そんなことになりかねないワガママを、アメリカで力を持っている人たちが許したりしないよな。あんまりひどけりゃ、マジで暗殺されちゃう国だからね。


<感想>

 インテリ層の理想=机上の空論、安い移民の労働力が支えるアメリカなど、ビートたけしの見方は的確であるように思う。

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あれっ、「テロ等準備罪」法って必要?


【 「テロ等準備罪」法案 】


 2017/4/6、組織犯罪処罰法改正案が審議入りした。

 今、何故、「テロ等準備罪」法なのか?


<国際組織犯罪に対する国際社会と日本の取組>

 外務省のHP※によれば、概要は以下の通り。
 ※http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/soshiki/boshi.html

2000/11「国際組織犯罪防止条約」締結
2003/05 同条約締結の国会承認
     ⇒条約実施のための国内法が国会で未成立
2016/12現在 日本以外のG8諸国含め187か国が条約締結済
 

<国際組織犯罪防止条約の説明書>

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/treaty156_7b.pdf

第5条1項 締結国は、故意に行われた次の行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとる。


<感想>

 恒常的な監視社会になることは避けたいが、2020年の東京五輪・パラリンピックを控えて、テロ対策としての条約締結のための法整備は必要であると思われる。

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あれっ、個人的な話を普遍的な話に昇華?


「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」 (杉田俊介著、毎日新聞出版)より 


以下は掲題書からの一部抜粋。


  
第六章 幽霊的な友愛のほうへ 

  幽霊的な友愛の原理


 『Fantome』は、全身の骨格としては、死者たち(母親/東日本大震災の死者たち)に向き合ったいくつかの楽曲が背骨としてまずあり(一曲目の「道」、三曲目の「花束を君に」、七曲目の「真夏の通り雨、十一局目の「桜流し」)、その合間合間に、他のアーティストたちとのコラボ曲が内臓器官のように配置されている、という形になっている。そして背骨以外の楽曲たちにおいては、様々な曲調や新機軸の歌詞が試されている。   


 
 愛と別離に感謝をーー「花束を君に」「真夏の通り雨」                     

 インタビューの中で、宇多田は次のようなことを言っている。

 これは母への思いを書いた曲である。しかし、娘として母に向き合っているだけでは、なかなか歌が完成してくれなかった(先ほども触れたように、母の死後には、もう二度と音楽を作れないかもしれない、と感じていた時期もあったし、自死遺族の会合に通っていた時期もあったのである)。

 そんなときに、別のイメージが重ねられていった。つまり、過去につらい恋愛をした女性が悲哀を思い返している、救えなかった人を置いてきてしまって罪悪感を抱えている、今は子どももいる、でも「あの人は、今どうなってしまったんだろう」とまだひきずっている。そのような一人の女性のイメージを、娘である宇多田自身と母の関係に重ねていくことで、ようやく、この曲は完成したのです、と(インタビュー、『ぴあMUSIC COMPLEX』vol.6)。


<感想>

 

 個人的な話を普遍的な話に昇華させることによって一つの作品が生まれていく。宇多田ヒカルのこうした取り組み方が好きだ。

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あれっ、世界がフラット化?


「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」(杉田俊介著、毎日新聞出版)より  


以下は掲題書からの一部抜粋。


  第六章 幽霊的な友愛のほうへ  


  世界に開かれた感覚
 

 『Fantome』は、シンプルで王道的なボップソングが中心のアルバムである。実際にはかなり複雑な試みがなされているとしても、少なくとも、そこにはポップな聴き方を許すような親しみやすさがある。  

 今回のアルバムでは、言葉を何より大事にしたかった、美しい「日本語のポップス」で勝負したかった、宇多田は何度もそう言っている。つまり、日本語でいう「唄」にしたいのだ、と。実際に、『Fantome』の中で、英語やフランス語のフレーズはほんのわずかに出てくるだけである。しかし、それだけではない。

 いろいろな状況の、いろいろなタイプの人々に当てはまるような普遍的な曲を目指した。実際に、宇多田が向き合っているテーマは、宇多田ヒカルの個人的な体験や宿命的な出自に深く根差しながらも、だれもが経験しうるような普遍的なもの(親子の別れや友達との関係など)であり、透明な純水のように、ぎりぎりまで不純物を取り除いたものである、という感じがする。  

 そして、現実的に『Fantome』は発売直後から売れた。 

 発売から三週連続、国内のアルバムのトップの売上を記録した。それは宇多田にとってすら、デビュー十八年目で初めてのことだという。 

 国内だけではない。諸外国でもヒットした。発売日翌日9月29日のiTunesアルバム総合ランキングでは全米3位を記録。フィンランドで一位となり、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、スウェーデンなどでトップ20以内にランクイン。アジア各国においても、香港、台湾、シンガポールで一位となる。全世界のiTunesアルバム総合ラインキングでも6位を記録した。

 本人やスタッフは率直な驚きを表明している。

 海外に向けての大掛かりな展開や仕掛けのようなものは、ほとんどなかったという。作品の圧倒的なクオリティと洗練が、国境を超えて伝播する原動力となったのだろう。

 それは、すでに「海外進出」という言葉に意味がなくなり、「国内」と「海外」の間の壁が大きなものではなくなり、つまり、音楽環境として「日本という国も、英米以外のヨーロッパやアジアや南米の各国と同じように、グローバルに広まるポップカルチャーと特殊な自国カルチャーが混じりあう一つの国でしかない」という状況にふさわしいのかもしれない(芝那典「宇多田ヒカル『Fantome』、国内外で大反響-グローバルな音楽シーンとの“同時代性”を読む」、「RealSound」2016年10月3日配信)。   


<感想>

 『Fantome』が諸外国でもヒットしたのは、2004年に全米で勝負した『EXODUS』の時代と違い、世界は(iTunes等を通して)フラット化が進み、言葉は関係なく、良いものは良いということなのだろう。


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あれっ、宇多田ヒカルの原体験?


「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」(杉田俊介著、毎日新聞出版)より  


 以下は掲題書からの一部抜粋。


  第六章 幽霊的な友愛のほうへ  

   母の死と向き合う-『Fantome』
 

 2016年9月28日。8年半ぶりのアルバム『Fantome』が発売される。 「Fantome」とは、「幻」や「気配」を意味するフランス語だという。母国語である日本語でも英語でもなく、フランス語を使うことが妙にしっくりきたという。 

 <<今回のアルバムは亡くなった母に捧げたいと思っていたので、輪廻という視点から“気配”という言葉に向かいました。
 一時期は、何を目にしても母が見えてしまい、息子の笑顔を見ても悲しくなる時がありました。
 でもこのアルバムを作る過程で、ぐちゃぐちゃだった気持ちがだんだんと整理されていって。
「母の存在を気配として感じるのであれば、それでいいんだ。
 私という存在は母から始まったんだから」と。 >>(「私という存在は母から始まったんだから 宇多田ヒカル、待望のニューアルバム『Fantome』をリリース」、『トレンドニュース GYAO!』2016年9月2日配信)

 これは本人による解説としてわかりやすいし、家族問題としては第三者の私たちの感覚としても納得がしやすい。

 2012年に発表された「桜流し」は別として、アルバム収録曲の中ではまず「真夏の通り雨」を作り、次に「花束を君に」を作ったそうである。

 これらの曲を作るのは、とても苦労したという。特に歌詞の面で難航した。いくつかのキーワードがぽつりぽつりと浮かんでも、題材がデリケートなだけに、なかなか完成してくれなかった。母の死後には、もう二度と音楽を作れないかもしれない、そんな覚悟をしていた時期もあったという。

   現在の宇多田はすでにとまどわず、何も臆することなく、『Fantome』というアルバムには自らを癒すためのセラピー的な側面があった、そう語っている。それを真っ直ぐに公然と語りうるところまで、自分をもってきた。 

 母の生前は、いろいろなことを公にできず、「秘密」を抱え、自分を制限してきた面もあった。けれども、母の死とともに、内なる「センサーシップ(=検閲)」のようなものが解除された。それはもう恐れるものが何もない、という場所へと自分を開くことだった。母をめぐる「秘密」を公然とお天道様の下にさらすことだった。「全部裸になっちゃった、どうしよう」。

 そしていざ、そのことに気づいてみると、想像以上に、自分は「自由」だった。自由になってしまっていた。これほど、みんなに聞いてほしい、と素直に感じたアルバムは、これが初めてかもしれない、そうも言っている。 

 「桜流し」「真夏の通り雨」「花束を君に」以外の、今回のアルバム収録曲の歌詞のほとんどは、2016年の4月から7月までの約3ヶ月の間に一気に書き上げた。これまでで最短記録だった。 

 母の死は、自分に「自由」をもたらした。母を亡くしたこと、また再婚して男の子を産んで、自らが母親になったことで、急激に「大人」になった。大人にならざるをえなかった。宇多田は、そうも言っている。逆に言えば、どんなに成長し、成熟したとしても、彼女はそれ以前はまだまだ母の「娘」であり、母なるものの呪縛の中にあった。そういうことだろう。    


<感想>
 再始動の1曲目となった「真夏の通り雨」。

「汗ばんだ私をそっと抱き寄せて たくさんの初めてを深く刻んだ」

 自分が母になって子供を育てることで、自分が母にどんな初めてを教えられ、その積み重ねにより今日の宇多田ヒカルが生まれたとも言えよう。

 亡くなった母への想いが強く感じられるアルバム最良の曲だと思う。


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あれっ、宇多田ヒカルの再始動の背景?


「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」
(杉田俊介著、毎日新聞出版)より 


以下は掲題書からの一部抜粋。

 
第六章 幽霊的な友愛のほうへ 

  母の死、結婚出産、そして再始動へ   


 宇多田ヒカルは、2010年8月9日、年内をもって「アーティスト活動」をいったん休止して、「人間活動」に専念します、と宣言した。 

 2013年8月22日、宇多田ヒカルの母親である藤圭子が、東京都新宿区のマンション前で倒れているのが発見される。搬送先の病院で死亡が確認された。警察は自殺と判断した。   

 母の死(2013年8月22日)から半年弱が過ぎた2014年2月3日、宇多田は、イタリア人の男性と近々結婚する予定である、と報告した。相手は一般男性であり、職業はバーテンダーとのことだった。 

 さらに2015年7月3日、宇多田は「ファンのみなさんにお知らせ」として、次のように報告した。 

<<みなさんにお知らせがあります。 えー、この度、 うちに赤ちゃんが産まれました!・・・>>

 そして2016年4月15日、宇多田ヒカルは新曲「花束を君に」と「真夏の通り雨」を同時配信した。「花束を君に」は2016年4月からスタートしたNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌として。また後者は「NEWS ZERO」の新しいエンディングテーマ曲として。 こうして宇多田ヒカルは、音楽活動の再始動を公式に宣言した。


  <感想>

『Fantome』が生まれ、音楽活動を再始動したのは、2010年以降の宇多田ヒカルの個人的な経験が背景にあるに違いない。明日以降、本書を通じてそれを確認してみたい。

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あれっ、知事の職権乱用?

【 自民党東京都連の反撃開始 】

 2016/12/20、最高裁は、仲井眞前知事の埋立承認を翁長知事が職権で取り消したことを、不作為の違法(地方自治法251条の7第1項)に当たるとして、国の勝訴(翁長知事の敗訴)を決定した。判決文は以下の通り。http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/358/086358_hanrei.pdf

 東京では、小池知事が職権で豊洲の移転を延期した結果、オリンピック公約の道路の整備や移転補填費用のための都民の負担等にも影響が出始めている。

 一方、自民党東京都連はこれまでの戦略を変更し、小池知事との対決姿勢を鮮明にし始めた。http://president.jp/articles/-/21615?display=b

 個人的は、今すぐ、沖縄同様、国(by 自民党の働き掛け)が小池知事を(このままだとオリンピック公約を果たせない)「不作為の違法確認」目的で提訴して徹底的に戦った上で、7月の都議会選挙に臨んでみたら面白いと思っている。


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あれっ、海外投資家は日本国債を買い続けている?


「アベノミクスは進化する」(原田泰・片岡剛士・吉松崇編著、中央経済社)


 以下は掲題書からの一部抜粋。


 
第10章 財政赤字は長期金利を暴騰させるのか 宮嵜浩

 財政赤字が拡大しても日本の金利は上昇しないが、あるときいきなり長期金利が急騰し、日本国債が暴落するという理論。
 ⇒ そのようなことはない。


 
おわりに

 経常収支の黒字を安定的に計上している日本では、2010年以降にGIIPS諸国で発生したような、政府債務危機による長期金利の急上昇は発生しにくい。また、一部の論者が指摘する、円に対する信念の低下がキャピタルフライト(資産の海外逃避)を招くリスクについても、日本における円相場と株式相場の逆相関関係や、潤沢な経常黒字の存在を前提とすれば、現実味に乏しいリスク・シナリオといえる。そもそも経常黒字国では、財政収支が長期金利に及ぼす影響度合いは小さい。

 仮に、日本が経常赤字国に転じた場合でも、サブプライム危機以降のアメリカやイギリスのように、大規模な量的緩和を実施することによって、中央銀行は長期金利のリスクプレミアムを引き下げることができる。

 さらに、日本がデフレから脱却し、量的金融緩和に伴う日銀の国債購入が減少した場合でも、金融緩和の強化による財政リスクプレミアムの低下や、ツイスト・オペを通じた長短金利差の縮小によって、長短金利の急上昇は避けられる。

 ただし、日本が経常赤字国に転じ、インフレ率が2%を上回る状況において、財政リスクプレミアムが上昇した場合には、日銀による長期国債の買入れが正当化されず、長短金利が急騰する可能性がある。そのような事態を避けるためにも、日本が経常黒字国であるうちにデフレ脱却を実現し、長短金利の財政リスクプレミアムを縮小させるとともに、デフレ脱却後もインフレ目標に強くコミットした金融政策運営を維持する必要がある。


<感想>

 2017/3/17に日銀が公表した「2016年第4四半期の資金循環(速報)」※(P10)によれば、海外投資家の日本国債の保有比率は伸び続け、113兆円(構成比10.5%)を占めるまでになっている(キャピタルフライトの逆)。※
http://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf

 安定的な経常黒字を計上している今こそ、金融緩和の継続による、早期のデフレからの脱却に的を絞った政策が望まれる。


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あれっ、量的金融緩和が不徹底だった?


「アベノミクスは進化する」(原田泰・片岡剛士・吉松崇編著、中央経済社)


 以下は掲題書からの一部抜粋。


 
第6章 金融緩和政策が財政赤字を招くのか 村上尚己


 金融緩和が財政規律を毀損させ、財政赤字を拡大して、財政を破綻させるという理論。
 ⇒そのようなことはない。



 おわりに

 日本で1990年代半ばにデフレが始まってから、歳出・歳入双方の要因で財政赤字と公的債務は拡大した。歳出抑制の不徹底よりも、デフレと名目GDP停滞長期化による税収減少が、財政赤字を拡大させた影響が格段に大きかった。金融緩和政策の不徹底がもたらしたデフレは日本だけで起きた現象であり、それが先進国の中で突出した公的債務を拡大させた主因である。

 また、リーマンショック後に量的緩和強化を先行させた米英は経済安定化と財政赤字縮小に成功した。金融緩和が財政規律を毀損させることはなく、むしろ金融緩和強化によって税収増加に成功し財政収支改善を求め後押しした。金融緩和によって財政規律が毀損するという経路は、ほとんどの先進国において、独立した中央銀行とインフレ目標制度によって遮断されている。

 また、リーマンショック後に量的金融緩和を強化させた米英においても、政府支出抑制が実現し財政収支改善が実現した。そして、日本においても、量的金融緩和が機能してデフレが和らいでいる時のみ、財政収支が改善している。


<感想>

 リーマンショック後に、米英同様に量的金融緩和を強化していたら、税収増加を通じた早期の財政収支改善に繋がったに違いない。



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あれっ、量的緩和で国債が暴落?


「アベノミクスは進化する」(原田泰・片岡剛士・吉松崇編著、中央経済社)


  以下は掲題書からの一部抜粋。


第5章 中央銀行のバランスシート拡大と財政への信任 吉松崇


  中央銀行の量的緩和に伴うバランスシートの拡大が財政ファイナンスと認識されて、財政への信任が毀損され、国債の暴落を招くという理論。
⇒そのようなことはない。


おわりに

  財政の規模(財政赤字の規模)を決めるのは中央銀行ではなく政府である。政府の徴税能力に限界がある以上、財政赤字を無限に拡大することはできない。したがって、量的緩和という政策に対する評価を考えるうえで重要なのは、「財政赤字に伴い発行された国債が市場で十分に消化されている状況で、中央銀行による大量の国債購入はどういう経済的な意味を持つのか?」という問いである。

  イギリス、アメリカ、日本で行われた量的金融緩和は、まさにこの状況に当てはまる。この状況が当てはまらない事例(例えば、政府財政の粉飾が明るみに出た国債が暴落したギリシャ)を持ち出して、これらの国の政策を批判するのは的外れである。

  そういう前提のもとでは、本章で示したとおり、「量的金融緩和に伴う中央銀行による大量の国債購入、すなわち国債のマネタイゼーションが財政に対する信任を毀損する」という批判には、経験的にも理論的にも根拠がないことが明らかである。


<感想>

  日・米・英国の国債のCDS(Credit Default Swap)のスプレッド推移を見る限り、中央銀行の量的緩和に伴うバランスシートは拡大しているものの、財政に対する信任が毀損されてはいないことが理解できる。


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