あれっ、終戦で皇室は明治維新前に戻るだけ?
【 孤高の国母 貞明皇后 】
先日来、『知られざる「昭和天皇の母」孤高の国母 貞明皇后』(川瀬弘至著、産経新聞出版)を読んでいる。
以下は、一部抜粋。
この間、悲壮な決意の昭和天皇が、どうしても会っておきたかった人がいる。
13日、宮相の石渡荘太郎に言った。
「16日に大宮御所へ行きたい」
事態は切迫しており、石渡は延期を願ったが、昭和天皇は重ねて言った。
「私の身はどうなるか判らない、だからこれが最後と思つて一度お目にかかつておきたい・・・・・・」
そして8月15日正午、終戦を告げる玉音放送ーー。
国民は慟哭した。
秩父宮邸でラジオを聞いていた勢津子妃は、たまたま訪れていた喜久子妃と声を上げて泣いた。
だが、大宮御所の貞明皇后は泣かなかった。
そして言った。
「これで皇室は明治維新前に戻ります」
貞明皇后には、これから始まる過酷な占領政策が見えていたのかもしれない。
5日後、新たな試練に備えるため、軽井沢へ移転した。
ご参考)大日本帝国憲法 1989年2月
https://www.kodomo.go.jp/yareki/archive/archive_05.html#:~:text=
第四条では天皇は、「元首」であり、「統治権の総覧」者であること、第十条では、天皇には官僚を任じたり辞めさせたりできる権利が記されています。さらに天皇は陸海軍を率いる統帥権(とうすいけん)を持つこと(第十一条)や、戦争を始めたり、講和したりする権利を持つこと(第十三条)の定めもあり、陸海軍は内閣からも独立して天皇に直属していました。このように天皇が国家を治める権利の全てを握ることが記されていました(天皇大権)。
<感想>
天皇が国務上の大権を持たれたのは、大日本帝国憲法下の僅か60年弱の話であり、玉音放送直後に、貞明皇后が狼狽えることもなく言われた「皇室は明治維新前に戻ります」という言葉が皇紀2600年の皇室の歴史には極めて相応しいと思われた。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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