SCRIBBLINGofCARLOS カルロスの雑記
気の向いたままに・・・・・
新鮮で瑞々しい響きが・・
OCTOBER・31
今朝は雲の多い天気だ。
早いもので今日で10月も終わりか~
さて、今回のブルーノート・ジャズメンは1960年代ジャズ・ヴィブラフォンの可能性を大きく切り拓いたボビー・ハッチャーソンだ。
ヴィブラフォンは1920年代アメリカで開発された楽器でジャズに限らず奏者は少ない。
最初にヴィブラフォンがジャズ界で認知された奏者はライオネル・ハンプトンで、’30年代半ば頃から本格的に演奏して人気を博した。
Carlosが昔観た映画「ベニー・グッドマン物語」の中で、レストランの経営者がヴィブラフォンをベニー・グッドマン等に弾いて聞かせ、そして皆で演奏した場面を思い出す。
あの時の奏者がライオネル・ハンプトンだ。
’40年代後半から’50年代のビー・バップ&ハード・バップ全盛期にはミルト・ジャクソンが活躍し、メロディー楽器としての魅力を世に知らしめた。
そして’60年代ジャズ・ヴィブラフォンの奏法に革命を起こしたのがボビー・ハッチャーソンだ。
ハッチャーソンは1941年ロサンゼルスで、煉瓦職人の父の元に生まれ、姉はジャズやR&Bを歌う歌手だった。
ピアノ教師で聖職者の叔母から5歳の頃にピアノのレッスンを受けるがあまり好きになれなかったという。
15歳の時,ミルト・ジャクソンのヴィブラフォンのレコードを聴き深く感動し、夏休みに父の仕事を手伝い、得た金でヴィブラフォンを購入し、高校の友人が組んでいたピアノ・トリオに加入する。
高校卒業後カウント・ベーシー楽団出身のジャッキー・マクリ―ン(as)のリハーサルに呼ばれ、彼のレギュラー・クインテッドに抜擢される。
’60年代はモード(音階)を使用するモード・ジャズや西洋の音楽理論やスタイルにとらわれず、自由に表現するフリー・ジャズ等様々なスタイルが現れ、彼はこのような様々なスタイルを優れたバランス感覚とテクニックで見事に表現し最先端のアーティストとして活躍した。
彼は従来の演奏にない斬新なハーモニーやコード進行、そして複雑なリズム等を駆使して、ジャズ・ヴィブラフォンの可能性を高めたといっても過言ではないだろう。
代表作に「8/4ビート」があり、今回のCDにも収録されている。
’70年代に入ると、アルバム作りはより多彩なものになって、ストリングス・オーケストラとの共演やラテン・ジャズ、フュージョンなど様々な作品を発表している。
’80年代以降はストレートアヘドなジャズのスタイルにもどり、ヴィブラフォンノ第一人者として活躍。
近年ではベテランと若手の人気ジャズメンによるサンフランシスコ・ジャズ・コレクティブに在籍するなどその実力は健在である。
2010年には国立芸術基金からジャズ・マスターフェロシップ賞を授与されている。
そして近年では親子で共演し、不動の人気を誇って現在尚活躍中である。
(以上ブルー・ノートより)
4本のマレット(ばち)を使ってヴィブラフォンを弾いた最初のジャズマンはゲイリー・バートンだと言われているが、ほぼ同時期にニューヨークで活躍していたハッチャーソンも4本のマレットを使っていた。
従来の2本ではなく、4本のマレットで複雑な和音を駆使し、画期的演奏を聴かせたバートンとハッチャーソンが世界中のヴィブラフォン、マリンバ奏者に与えた影響は計り知れない。
今回配布のCDで、ハッチャーソン自作自演の代表曲「リトル・Bズ・ポエム」があるが、チャーミングなワルツのリズムに乗ってヴィブラフォン特有のクールな音色の演奏とハービー・ハンコックのピアノが絶妙に絡み合って楽しめる曲だ。
第22回ブルーノート・ジャズメンでした。
今朝は雲の多い天気だ。
早いもので今日で10月も終わりか~
さて、今回のブルーノート・ジャズメンは1960年代ジャズ・ヴィブラフォンの可能性を大きく切り拓いたボビー・ハッチャーソンだ。
ヴィブラフォンは1920年代アメリカで開発された楽器でジャズに限らず奏者は少ない。
最初にヴィブラフォンがジャズ界で認知された奏者はライオネル・ハンプトンで、’30年代半ば頃から本格的に演奏して人気を博した。
Carlosが昔観た映画「ベニー・グッドマン物語」の中で、レストランの経営者がヴィブラフォンをベニー・グッドマン等に弾いて聞かせ、そして皆で演奏した場面を思い出す。
あの時の奏者がライオネル・ハンプトンだ。
’40年代後半から’50年代のビー・バップ&ハード・バップ全盛期にはミルト・ジャクソンが活躍し、メロディー楽器としての魅力を世に知らしめた。
そして’60年代ジャズ・ヴィブラフォンの奏法に革命を起こしたのがボビー・ハッチャーソンだ。
ハッチャーソンは1941年ロサンゼルスで、煉瓦職人の父の元に生まれ、姉はジャズやR&Bを歌う歌手だった。
ピアノ教師で聖職者の叔母から5歳の頃にピアノのレッスンを受けるがあまり好きになれなかったという。
15歳の時,ミルト・ジャクソンのヴィブラフォンのレコードを聴き深く感動し、夏休みに父の仕事を手伝い、得た金でヴィブラフォンを購入し、高校の友人が組んでいたピアノ・トリオに加入する。
高校卒業後カウント・ベーシー楽団出身のジャッキー・マクリ―ン(as)のリハーサルに呼ばれ、彼のレギュラー・クインテッドに抜擢される。
’60年代はモード(音階)を使用するモード・ジャズや西洋の音楽理論やスタイルにとらわれず、自由に表現するフリー・ジャズ等様々なスタイルが現れ、彼はこのような様々なスタイルを優れたバランス感覚とテクニックで見事に表現し最先端のアーティストとして活躍した。
彼は従来の演奏にない斬新なハーモニーやコード進行、そして複雑なリズム等を駆使して、ジャズ・ヴィブラフォンの可能性を高めたといっても過言ではないだろう。
代表作に「8/4ビート」があり、今回のCDにも収録されている。
’70年代に入ると、アルバム作りはより多彩なものになって、ストリングス・オーケストラとの共演やラテン・ジャズ、フュージョンなど様々な作品を発表している。
’80年代以降はストレートアヘドなジャズのスタイルにもどり、ヴィブラフォンノ第一人者として活躍。
近年ではベテランと若手の人気ジャズメンによるサンフランシスコ・ジャズ・コレクティブに在籍するなどその実力は健在である。
2010年には国立芸術基金からジャズ・マスターフェロシップ賞を授与されている。
そして近年では親子で共演し、不動の人気を誇って現在尚活躍中である。
(以上ブルー・ノートより)
4本のマレット(ばち)を使ってヴィブラフォンを弾いた最初のジャズマンはゲイリー・バートンだと言われているが、ほぼ同時期にニューヨークで活躍していたハッチャーソンも4本のマレットを使っていた。
従来の2本ではなく、4本のマレットで複雑な和音を駆使し、画期的演奏を聴かせたバートンとハッチャーソンが世界中のヴィブラフォン、マリンバ奏者に与えた影響は計り知れない。
今回配布のCDで、ハッチャーソン自作自演の代表曲「リトル・Bズ・ポエム」があるが、チャーミングなワルツのリズムに乗ってヴィブラフォン特有のクールな音色の演奏とハービー・ハンコックのピアノが絶妙に絡み合って楽しめる曲だ。
第22回ブルーノート・ジャズメンでした。