【WORLD VIEW】(108) バンコクで生きる…俳優の覚悟
バンコクに近いパトゥムターニーの街には大学が幾つかあり、学生向けの集合住宅も多い。ここで最近、分譲物件を購入するミャンマー人が増えているという。売れ筋は手頃な価格のワンルームだそうだ。タイに暮らすミャンマーの人達といえば、国軍による戦禍や弾圧から何とか避難してきたという人と接する機会が多いので、不動産購入と結びつかず、半信半疑でパトゥムターニーに向かった。「今年に入ってから毎月5~6件の契約があって忙し過ぎるくらいです」。タイ人と共同で不動産業を営むミャンマー出身のコナーミンさん(27)が、こう教えてくれた。取り扱うのは100万~200万バーツ(※約420万~840万円)程の物件が多いという。ミャンマー経済は2021年に国軍がクーデターにより全権を掌握して以降、経済制裁の影響もあって停滞。混乱が長引くにつれて自国の通貨や銀行への信頼度は下がり、富裕層を中心に不動産を購入して資産を海外に移す動きが活発になった。タイの不動産情報センターによると、バンコクと近郊でミャンマー人が購入した物件は、2021年は24件だったが、2022年に333件に急増し、2023年も前年を上回った。コナーミンさんも、昨年は毎月2~3件の物件を仲介。殆どが投資目的で、オーナーは購入後もミャンマーで暮らし、物件は賃貸に出すことが多かったという。ところが、今年2月に国軍が18歳以上の国民を対象に徴兵制の導入を発表したことで、様子が変わった。徴兵から逃れる為、子供をタイの大学等に送り込みたい親が購入するケースが増えたのだ。「勿論、学費を払って部屋まで購入できる人は限られ、中間所得層では難しいでしょう」。
活況ぶりに目をつけた開発業者が手がける集合住宅は、完成前にも拘わらず、既に数件の契約を仲介した。「業者はミャンマー情勢をよく見ています。何が引き金になって売れ行きに変化が出るかわかりませんから」とコナーミンさん。ロシア人の購入も多いという説明に、国際情勢の機微が垣間見えた。「6戸を内見して、静かな環境が気に入って、ここに決めました」。バンコク中心部から車で40分程。購入したばかりの集合住宅の一室で、女性(38)が満足そうに話した。ミャンマーの最大都市ヤンゴンにある中国企業にIT技術者として勤める夫と、4歳の息子との3人家族。2階の角部屋は台所とトイレ、シャワーがついたワンルームで、基本的な家具や家電も付いて150万バーツ(※約630万円)だった。ミャンマーでは、治療が難しい持病がある息子の診療の為に、3ヵ月に1回、2週間程度バンコクに滞在する生活を続けていたが、ホテル代も嵩む為、購入に踏み切った。ヤンゴンで自宅とは別に持っていた賃貸物件を売却して購入資金に充てたといい、「ミャンマーはインフレが酷くて、不動産価格はタイのほうが安いくらいです」と明かした。タイの不動産情報はSNS上で簡単に入手でき、同じ建物には他にミャンマー人が5人程住んでいるという。夫の仕事の都合で暫くはヤンゴンと行き来することになるが、「ミャンマーでは教育や医療面で安心して子育てできないので、できれば完全に移住してしまいたい」と話す。一方、投資目的や快適で安全な生活の為に不動産を購入できる層は限られ、タイで暮らす多くのミャンマー人は、クーデターや経済的な理由から選択を迫られてやって来た。バンコクの下町にあるアパートの一室で暮らすフォンセットゥインさん(34)も、その一人だ。家賃は光熱費込みの月6000バーツ(※約2万5000円)で、エアコンが付いていることが決め手になったという。
今はイタリアンレストランで店員として働くが、母国では名の知れた男優で、3年前まではテレビのドラマシリーズで何度も主役を演じ、映画にも出演していた。コメディー作品が多かったといい、「情熱の全てを演技にかけていました」と胸を張るが、クーデターで状況が一変した。国軍に抵抗する為に職場をボイコットする不服従運動に加わり、国軍が関連するテレビ局との契約も切った。何度も説得され、一度は俳優業に戻ることも考えたが、俳優仲間らと一緒に抵抗を呼びかける動画をSNS上で配信した自分が屈服するわけにはいかないと、闘争運動を続けている。タイ北西部の国境の町に不法入国したのは2022年6月。避難民が多く暮らす小さな町では仕事が少なく、あっても月給9000バーツ(※約3万8000円)が関の山だった。タイでの就労許可と身分証を得た後、2倍以上は稼げるバンコクに移った。レストランで正午から深夜まで働き、休みは月6日。ここでは観光客が多く、英語が話せることが就職に繋がったという。大都会に紛れることで、国軍関係者からの監視に怯える必要はなくなったが、俳優だと気付かれることもなくなった。長期休暇が取れる時は国境の町に戻り、国軍に抵抗する民主派が製作する動画や短編映画に出演する。SNS上での反響にやり甲斐を感じ、民主派の支援イベント等に参加すれば、以前と変わらずファンに囲まれる。ただ時折、虚しさがこみ上げるという。「ここでは同胞も生きることに必死ですから。働いて食べていかないといけない。革命だ何だと言っていられないことは理解できます」と寂しそうに話す。それでも国軍に抵抗した選択を後悔していないし、「いつかミャンマーに戻れたら、俳優に復帰してドラマや映画を作りたい」という希望も捨てていない。それまでは、ここで暮らしていくつもりだ。 (アジア総局長 武内彩)
2024年5月5日付掲載