「今日は桃鉄をやります」。担任の小池翔太教諭(35)が告げると、子供達の歓声が弾けた。「やったー!」「俺が絶対に勝つ!」。あまりの熱量に、教室の温度が少し上がった気がした。6月中旬、東京学芸大学付属小金井小学校(※東京都小金井市)。2年2組の教室で、子供達が4人1組に分かれてタブレット端末にかじりついていた(※右画像、撮影/渡部直樹)。夢中になっているのは国民的な名作ゲームだ。
『桃太郎電鉄』。1988年に家庭用テレビゲーム機『ファミリーコンピュータ』向けに第1作が発表されて以来、“桃鉄”の愛称で世代を超えて親しまれてきた。鉄道会社の社長となり、双六方式で全国の鉄路を巡る。ライバルと競って各地の駅で“物件”を買い集め、最終的な資産額でプレイヤーの順位を競う。
登場する地名は実在のもので、物件も実際にある産業や名産品、観光地を反映している。室蘭なら“製鉄所”、鳥取であれば“二十世紀梨園”、鹿児島に行くと“黒豚しゃぶしゃぶ屋”といった具合だ。小金井小学校で見た光景は、休み時間を使った遊びではない。れっきとした学校の授業の一環だ。
シリーズを製作する『コナミデジタルエンタテインメント』は昨年1月、学校等教育機関に向けて桃鉄の教育版を提供し始めた。反響は凄まじかった。僅か1年半で1万校以上が手を挙げた。小学校だけ見れば、全国の2割以上で桃鉄を授業に取り入れた計算になる。人気ゲームが教材に?――俄かには信じられなかった。小金井小学校を訪ねたのは、そんなもやもやを払拭する為だった。
教育版といっても、内容は市販の桃鉄と大差ない。プレイヤーの邪魔をする“貧乏神”をなくす等、授業に配慮した微修正を加えた程度だ。学校で初めて桃鉄を知ったという児童も少なくないが、共通していることがある。皆、時間を忘れて没頭しているという点だ。「これが桃鉄の力なんです」と小池教諭。こんなエピソードを教えてくれた。
“近”という漢字を使った言葉を作る授業での出来事だ。未だ習っていない筈なのに、“近江牛”や“近畿地方”等の回答が次々と返ってきた。「桃鉄で遊びながら、自然と覚えていったとしか思えない」。小池教諭は桃鉄効果に目を見張った。「テストでは測ることができない子供達の探究心を伸ばしてくれる。そんな魅力がある」。
教育版が生まれるきっかけは、ある人からの“だめもと”の依頼だった。2019年秋、桃鉄の生みの親であるゲームデザイナー、さくまあきらさん(72)の目が1通のメールに留まった。書いてあったのは、こんなメッセージだ。「桃鉄を教育現場に活かしてみませんか?」。差出人は現役の小学校教諭、正頭英和さん。ブロックを組み合わせて様々なモノを作り出すアメリカのゲーム『マインクラフト』等を使った授業で注目され、“教育界の革命児”と言われる。
「桃鉄で地理を、産業を、漢字を学んだという思いは僕らの世代の共通認識なんです」と正頭さん。だからこそ、確信があった。「桃鉄を教育現場に取り入れることができれば、日本の教育界は大きく変わる」。正直、反応があるとは思わなかった。しかし、年が明け、コナミから「詳しい話を聞かせてほしい」と連絡が入った。聞けば、さくまさんからメールの存在を知らされたという。「きたー」。思わず、叫んだ。
コナミの製作陣に正頭さんも加わり、教育版の開発が始まった。最初に決めたことがある。教育版を希望する学校に無償で配布するということだ。たとえ1円であっても、有償であれば導入のハードルがぐっと上がることを、正頭さんは肌感覚で知っていた。ただ、これではコナミにとってメリットは薄くなる。しかし、指揮を執るさくまさんは二つ返事で無償配布にOKを出した。
何故か。さくまさんがゆっくりした口調で理由を説明してくれた。「桃鉄を使って、子供達の為になることをしたい。こんな思いがずっとあった」。背景には、黎明期のテレビゲーム業界が直面してきた苦難の歴史がある。内容に拘わらず、ゲームというだけで大人から目の敵にされた。
「ゲームをすると頭が悪くなる」「教育の敵だ」。いわれのない激しいバッシングにさらされても、ぐっと耐えるしかなかった。そんな時、心の支えになったのが桃鉄をプレイした子供達から届く手紙だ。「桃鉄のお陰でテストで良い点が取れました」「嫌いだった地理が好きになりました」。汚い字も少なくない。でも、一生懸命に書いたであろう率直な声が何よりの励みになった。
あの日、桃鉄で遊んだ子供達がやがて大人になるに従い、ゲームに対する偏見は薄れていった。そして現在。桃鉄を教育現場に普及させようと奮闘しているのも、教職員や保護者等桃鉄で育った“嘗ての子供達”だ。様々な人の思いが鉄路のように連なっていく。桃鉄を巡る不思議な物語を辿った。
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テーマ : 教育
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