category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 後記 【地の巻】 後記 武蔵のあとがき 五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!右、一流の兵法の道、(朝な/\夕な/\勤おこなふに依て、おのづから廣き心になつて 多分一分の兵法として、世に傳る所、始て書顕す事、地水火風空、是五巻也。我兵法を学んと思ふ人ハ、道をおこなふ法あり。第一に、よこしまになき事をおもふ所。第二に、道の鍛錬する所。第三に、諸藝にさハる所。第四に、諸職の道を知事。第五に、物毎の損徳をわきまゆる事。第六に、諸事目利をしおぼゆる事。第七に、目にみヘぬ所をさとつて知事。第八に、わずかなる事にも気を付る事。第九に、役に立ぬ事をせざる事。大かた、かくのごとくの利を心にかけて、兵法の道鍛練すべき也。此道にかぎつて、直なる所を、廣く見立ざれば、兵法の達者とはなりがたし。(朝な/\夕な/\勤おこなふに依て、おのづから廣き心になつて此法を学び得てハ、一身にして、二十三十の敵にもまくべき道にあらず。先、氣に兵法をたへさず、直なる道を勤てハ、手にてうち勝、目にみる事も人に勝、又、鍛練を以て、惣躰自由なれば、身にても人に勝、又、此道になれたる心なれば、心を以ても人に勝。此所に至てハ、いかにとして、人に負道あらんや。又、大なる兵法にしてハ、善人をもつ事に勝、人数をつかふ事に勝、身をたゞしくおこなふ道に勝、国をおさむる事に勝、民をやしなふ事に勝、世のれいほうをおこなふに勝。いづれの道におゐても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道也。●現代語訳●我が兵法を学ぶ人の心得を記すものである。 第一に 邪心を持たぬこと 第二に 二天一流の道を厳しく修行すること 第三に 広く諸芸に触れること 第四に さまざまな諸芸にもふれること 第五に ものごとに利害損得をわきまえること 第六に あらゆるものの真実を見分ける力を養うこと(景気を読む) 第七に 目に見えない本質を悟ること(心眼 観の目) 第八に わずかなことでも注意を怠らないこと 第九に 役にたたないことはしないことわが兵法の道は、鍛錬により、広い視野と心を練れ、集団の利益となり個人の利益ともなるものである。広い視野と心を練れれば、何事にも負けることはないだろう! また広義の兵法として、立派な人物を部下に持ち、その部下を上手く使い、自らも正しい行いをして、国を治め、民を養うことができるものである。 原文はここまで この先に 拍子を私は加えたい! いづれにせよ、鍛錬により、人に負けない自信がつき、身を助け、名誉をあげること それが兵法の道何ごとにも、「拍子」というものがあるが、特に「兵法の拍子」というものは 鍛錬なく身につかないもの しっかり鍛錬しましょう!次回は、【地の巻のポイント 】です。つづく・・・・・※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします! く 2014/06/05(Thu)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 兵法の拍子 【地の巻】 兵法の拍子 武蔵の兵法の基礎 ※個人的には、地の巻で 一番好きです。五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!1、兵法の拍子の事。物ごとにつき、拍子ハ有ものなれども、取わき兵法の拍子、鍛練なくしてハ、及がたき所也。世の中の拍子、顕て有事、乱舞の道、伶人管弦の拍子など、是皆よくあふ所のろくなる拍子也。武藝の道にわたつて、弓を射、鉄炮を放し、馬に乗事迄も、拍子調子ハ有、諸藝諸能に至ても、拍子を背事ハ有べからず。又、空なる事におゐても、拍子ハあり、武士の身の上にして、奉公に身をしあぐる拍子、しさぐる拍子、はずの相拍子、はずのちがふ拍子有。或ハ、商の道、分限になる拍子、分限にても其絶拍子、道々につけて、拍子の相違有事也。物毎、さかゆる拍子、おとろふる拍子、能々分別すべし。兵法の拍子におゐて、さま/\有事也。先、あふ拍子をしつて、ちがふ拍子をわきまへ、大小遅速の拍子のうちにも、あたる拍子をしり、間の拍子をしり、背く拍子をしる事、兵法の専也。此背く拍子、わきまへ得ずしてハ、兵法たしかならざる事也。兵法の戦に、其敵々の拍子をしり、敵の思ひよらざる拍子を以て、空の拍子をしり、知恵の拍子より発して勝所也。いづれの巻にも、拍子の事を専書記す也。其書付を吟味して、能々鍛錬有べきもの也。●現代語訳●何ごとにも、「拍子」というものがあるが、特に「兵法の拍子」というものは、鍛錬なく身につかないもの しっかり鍛錬しましょう!世の中で拍子が、他人の目にもはっきり分かるのは、能楽の道、楽人弦楽の拍子などあるが、これらは、みな、「拍子」があうことにより、より一層の演出が可能となる。一方武芸の道(弓の射的、鉄砲打ち、騎乗など)においても、「拍子」や「調子」があり、いろんな芸能も「拍子」を無視してはいけないものである。また形のないものにも「拍子」もある。武士の身上で、奉公して栄達する「拍子」 失脚する「拍子」思いがかなう「拍子」 思いが遂げられない「拍子」商売の道でも、財産家になる「拍子」 破産する「拍子」それぞれの道において、有形無形を問わず、「拍子」が、あるものである。兵法の「拍子」もいろいろあり、「合う拍子」 や 「異なる拍子」をわきまえて、「大小の拍子」、「速さの拍子」、「間の拍子」などを知ることは、とても重要である。実際の戦の場面では、敵の「拍子」を知り、敵の予想しえない「拍子」で当たったり、空の「拍子」(相手に見えない拍子)であたったりする。五輪書の各所に「拍子」を記しているので、書かれていることを良く理解して鍛錬しなければ、ならない。 ※武蔵の云う「拍子」とはなんだろう? 単純に解釈すれば「リズム」 これもあながち間違いではない! 別の五輪書の概説書によれば、「拍子」とは「気・機・波」だと 「気」とは、呼吸や気迫(息を吸うところは、防御できませんね剣道でも) 「機」とは、「きざし」や「機会」 「タイミング」のこと 「波」とは、浮き沈みの流れ、野球やバレーにも流がありますね! 流れを相手に渡すと格下の相手でも、強敵になりますね! 先日老剣士に六段の条件はと 教えを乞うたところ、自分で考えなさいと つれない返事 ただし ヒントは、「気」「機」「間」だと! 正直、さらに分からなくなりました。 まずは、正しく、まっすぐで、強い剣道には、普段からの体調(気)を整えて、 稽古試合審査には、気合の充実(気) させ(漫画風なら孫悟空のスーパーサイヤ人なか? 全身を気合の炎で包む)て臨む ここまでなら自分本位 さらに相手の気迫の充実具合(気)を把握して、合気となり 相手の動きのきざし(機)をとらえて、打込む! そして、全体の流れ(波)を自分に優位になるように、 逆に流れ(波)を相手に取られたら、相手の想像でき ない虚をつく(空の拍子)機などで、流れを自分側に取り戻す。 と 云った感じでしょうか 難しいですね! 剣道だけでなく、現代人としては、人生の「拍子」は どうなのかも、考えてみたいものですね! 今が、乾坤一擲で打込むタイミング(機)かもしれませんよ! 仕事も恋愛も・・今でしょ!・・・・・次回は、【地の巻 後期】です。つづく・・・・・※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします! く 2014/06/04(Wed)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 武器の利点を活かせ 【地の巻】 兵法の意味 武器の利点を活かせ 五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!兵法に武具の利を知と云事。 武具の利をわきまゆるに、何れの道具にても、おりにふれ、時にしたがひ、出合もの也。脇指は、座のせばき所、敵のミぎハへよりて、其利多し。太刀ハ、何れの所にても、大かた出合利有。長刀ハ、戦場にてハ鑓におとる心あり。鑓ハ先手也、長刀ハ後手也。おなじ位のまなびにしてハ、鑓は少強し。鑓長刀も、事により、つまりたる所にてハ、其利すくなし。とり籠りものなどに然るべからず。只戦場の道具なるべし。合戦の場にしてハ、肝要の道具也。されども、座敷にての利を覚へ、こまやかに思ひ、実の道を忘るゝにおゐてハ、出合がたかるべし。弓ハ、合戦の場にて、かけひきにも出合、鑓わき、其外ものきハ/\にて、早く取合する物なれば、野相の合戦などに、とりわき能物也。城責など、又敵相二十間を越てハ、不足なるもの也。當世におゐてハ、弓は申に及ばず、諸藝花多して、実すくなし。左様の藝能は、肝要の時、役に立難し。城郭の内にしてハ、鉄炮にしく事なし。野相などにても、合戦のはじまらぬうちにハ、其利多し。戦はじまりてハ、不足なるべし。弓の一徳は、はなつ矢、人の目に見へてよし。鉄炮の玉ハ、目にみヘざる所不足なり。此儀、能々吟味あるべき事馬の事、強くこたへて、くせなき事、肝要也。惣而、武道具につけ、馬も大かたにありき、刀脇差も大かたにきれ、鑓長刀も大方にとをり、弓鉄炮もつよくそこねざる様に有べし。道具以下にも、かたわけてすく事あるべからず。あまりたる事ハ、たらぬとおなじ事也。人まねをせずとも、我身にしたがひ、武道具は、手にあふやうに有べし。将卒ともに、物にすき、物を嫌ふ事、悪し。工夫肝要也。●現代語訳●strong>●【武器を活かし 武器を使い切れ】武具の効用が判ってくると、どんな武器でも、得意な場面があります。武具の強みを知っていれば、その時々場面で活用できるもの。たとえば、脇差 狭い場所 や 接近戦で有利太刀 これはどんな場所でもたいていは使え有利長刀 戦場では槍には劣ることがある。後手に回れば有利な場面もあるが、狭い場所は不利弓 平地での戦の駆け引きや野戦にも有利、でも 敵との間が36m以上ある場合は、不十分。当世では、弓をはじめ諸芸ともに、花が多くて、身が少ないものが多い、肝心な時に役立たない。鉄砲 城にこもっているときは、勝るものはない。(一番効果的) でも白兵戦だと役に立たない。馬 耐久性があり、反応がよくて、クセのないことが大切様々な武具も、片寄った好みはダメです。他人の真似ばかりしないで、自分にあった武具を使うもの。そして工夫するものである。 ※竹刀の長さ 手元の重さのバランスを少々変えるだけで なにやら うまくなったような錯覚ありませんか? 武器の特性 剣道なら 足さばきも武器 技も武器 竹刀も武器 ビジネスなら 情報も武器 交渉術も武器 見せ方も武器 勿論 誠意が最大の武器 色々工夫したものですね!次回は、【兵法の拍子】です。つづく・・・・・※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします! く 2014/05/31(Sat)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 兵法の意味 【地の巻】 兵法の意味 太刀にて兵法を磨く 五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!兵法二の字の利を知事。 此道におゐて、太刀を振得たるものを、兵法者と世に云傳たり。武藝の道に至て、弓を能射れば、射手と云、鉄炮を得たる者ハ、鉄炮打と云、鑓をつかひ得てハ、鑓つかひと云、長刀を覚てハ、長刀つかひと云。然におゐてハ、太刀の道を覚へたるものを、太刀つかひ、脇指つかひといはん事也。弓鉄炮、鑓長刀、皆是武家の道具なれば、何も兵法の道也。然ども、太刀よりして、兵法と云事、道理也。太刀の徳よりして、世を治、身をおさむる事なれば、太刀ハ兵法のおこる所也。太刀の徳を得てハ、一人して十人に必勝事也。一人して十人に勝なれば、百人して千人に勝、千人して万人に勝。然によつて、我一流の兵法に、一人も万人もおなじ事にして、武士の法を残らず、兵法と云所也。道におゐて、儒者、佛者、数奇者、しつけ者、乱舞者、これらの事ハ、武士の道にてハなし。其道にあらざるといへども、道を廣くしれば、物ごとに出合事也。いづれも、人間におゐて、我道々を能ミがく事、肝要也。●現代語訳●兵法の文字の意味は、太刀による武士のこと この道において、太刀を使いこなせる者を兵法者と世間では読んでいる。弓を良く使う人を射手 鉄砲を極めた人を鉄砲うち 槍を使うひとを槍使い 長刀に長けた人を長刀使いと云います。同じように太刀なら太刀使い 脇差なら脇差使いといいそうなものである。弓も 鉄砲も 槍も 長太刀も 太刀も 脇差も いづれも武家の道具であり兵法の道である。しかし太刀の道だけを、兵法というのは、もっもな道理がある。太刀筋のの優劣により、世を治め、自らを治めるから、太刀は兵法の大元だからである。武士の心得るべき法をすべて、兵法というのである。道といえば、儒者、仏者、風流人、礼儀しつけもの、能楽者、これらは、武士の道ではないが、本来の道でなくとも、その道を極めれば、ほかの場面でも活かせるようになるのである。人間として、兵法以外であっても それぞれの道を充分に磨くことが大切である。※少々、武蔵が何を言いたいのか、考えてしまいますが、太刀の優位性を 存分に、活用すれば、自らも磨き上げ、さらには、世を治められると書いている。 これは、後述の 大の兵法(大勢の合戦) 小の兵法(個人戦)に つながって行くのであろう・・・次回は、【武器の利点を活かせ】です。つづく・・・・・※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします! く 2014/05/30(Fri)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 二天一流となずける 【地の巻】 二天一流となずける なぜ二刀流なのか? 五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!一 此一流二刀と名付る事。二刀と云出す所、武士ハ、将卒ともに、直に二刀を腰に付る役也。昔ハ、太刀、刀と云、今ハ、刀、脇指と云。武士たる者の此両腰を持事、こまかに書顕すに及ばず。我朝におゐて、しるもしらぬも、こしにおぶ事、武士の道也。此二ツの利をしらしめんために、二刀一流と云也。鑓長刀よりしてハ、外の物と云て、武道具の内也。一流の道、初心の者におゐて、太刀、刀両手に持て、道を仕習ふ事、実の所也。一命を捨るときハ、道具を殘さず役に立度もの也。道具を役にたてず、腰に納て死する事、本意にあるべからず。然ども、両手に物を持事、左右ともに自由にハ叶がたし。太刀を片手にて取習ハせんため也。鑓長刀、大道具ハ是非に及ばず、刀脇差におゐてハ、何れも片手にて持道具也。太刀を両手にて持て悪しき事、馬上にて悪し、かけはしる時、あしゝ、沼ふけ、石原、さかしき道、人こミに悪し。左に弓鑓を持、其外何れの道具を持ても、皆片手にて太刀をつかふ物なれば、両手にて太刀を搆る事、実の道にあらず。若、片手にて打ころしがたきときハ、両手にても打とむべし。手間の入事にても有べからず。先、片手にて太刀を振ならわせんために、二刀として、太刀を片手にて振覚る道也。人毎に始て取付時ハ、太刀重くて振廻しがたき物なれども、萬、始てとり付ときハ、弓もひきがたし、長刀も振がたし。何れも其道具/\に馴てハ、弓も力強くなり、太刀も振つけぬれバ、道の力を得て振よくなる也。太刀の道と云事、はやく振にあらず。第二、水の巻にて知べし。太刀ハ廣き所にて振、脇指ハせばき所にてふる事、先、道の本意也。此一流におゐて、長きにても勝、短にても勝故によつて、太刀の寸を定めず。何れにても勝事を得るこゝろ、一流の道也。太刀ひとつ持たるよりも、二つ持て能所、大勢を一人して戦時、又とり籠りものなどのときに、能事あり。か様の儀、今委しく書顕すにおよばず。一を以て万をしるべし。兵法の道、おこなひ得てハ、ひとつも見へずと云事なし。能々吟味有べき也。●現代語訳●わが兵法を二刀流と名づけること 二刀流と名乗るのは、武士も武将も、兵卒も、二刀を腰にさすのが務めだから。昔は、「太刀と刀」といい 今は、「刀と脇差」という。(昔は両方とも刀だったのだ)この二刀の有利性を悟らせるために、「二刀一流」というのである。槍、長刀などは、刀と脇差とは、また別の戦いの道具である。わが兵法では、初心の頃より、太刀と刀両方を手に持って修行する。戦とは、命を掛けてのやりとりである以上、持てるかぎりの武器を残さず、役立てるべきである。武器を使用せずに、腰に差したまま死ぬのは、不本意である。一方、両手に刀を持つと、左右ともに自由自在に動かすのは、難しい。二刀と云うのは、片手でも太刀を使いこなせるようにする為である。槍や長刀、弓などの大きなものは、しかたないが、刀や脇差は、いずれも片手でももてる武器である。一本の刀を両手で持つべきと決めつけるべきではない(実践的なやり方ではない)。両方の手に一刀づつ持つべきである。片手で自由に太刀を使いこなすために、二刀を同時に持つのである。勿論だれでも、重たい太刀を片手で自由自在に振り回せるものではないが、最初はそういったものである。弓も長太刀も 太刀も振ることに慣れれば、使い方を会得し、力もついて振りやすくなるも。また太刀の使い方は、早く振ればよいというものではない、そのことは、第二巻水の巻に記す。この二天一流では、長い太刀でも勝ち 短い刀でも勝つもの よって太刀の長さの定めがない。どんな武器でも勝ち得るという精神、これがわが兵法である。あまり ごちゃごちゃ書く必要はない。一事をもって万事を知るべきである。兵法の道を体得すれば、何一つ見えないということはない。よくよく鍛錬すべきである。※二天一流、二刀流、二刀一流 3種類の言い方がこの章にはでてきます。 私の読解不足なのか、 そもそも五輪書は写本の為、模写した人 時期によってかわっいたのだろうか? 後者だと感じてならない・・・次回は、【兵法の意味】からです。つづく・・・・・※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします! く 2014/05/29(Thu)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 兵法書5巻からなる 【地の巻】 兵法書5巻からなること 武蔵による五輪書の目次五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!此兵法の書、五卷に仕立事。 五ツの道をわかち、一巻/\にして、其利をしらしめんために、地水火風空として、五巻に書顕すなり。地之巻におゐてハ、兵法の道の大躰、我一流の見立、劔術一通りにしてハ、まことの道を得がたし。大なる所より、ちいさきところをしり、淺より深きに至る。直なる道の地形を引ならすに依て、初を地之巻と名付る也。第二、水之巻。水を本として、心を水になす也。水ハ、方圓の器にしたがひ、一てきとなり、さうかいとなる。水にへきたんの色あり。清き所をもちゐて、一流の事を此巻に書顕也。劔術一通の理、さだかに見分、一人の敵に自由に勝ときハ、世界の人に皆勝所也。人に勝といふ心ハ、千万の敵にも同意なり。将たるものゝ兵法、ちいさきを大になす事、尺のかねを以て大佛をたつるに同じ。か様の儀、こまやかには書分がたし。一を以万を知る事、兵法の利也。一流の事、此水の巻に書記すなり。第三、火之巻。 此巻に戦の事を書記す也。火ハ大小となり、けやけき心なるによつて、合戦の事を書也。合戦の道、一人と一人との戦も、萬と萬との戦も同じ道也。心を大なる事になし、心をちいさくなして、よく吟味して見るべし。大なる所は見へやすし、ちいさき所は見へがたし。其子細、大人数の事ハ、そくざにもとをりがたし。一人の事ハ、心ひとつにてかはる事はやき、に依て、ちいさき所しる事得がたし。能吟味有べし。此火の巻の事、はやき間の事なるに依て、日々に手なれ、常の事とおもひ、心の替らぬ所、兵法の肝要也。然に依て、戦勝負の所を、火之巻に書顕す也。第四、風之巻。 此巻を風之巻と記す事、我一流の事に非ず。世の中の兵法、其流々の事を書のする所也。風と云におゐてハ、昔の風、今の風、其家々の風などゝあれバ、世間の兵法、其流々のしわざを、さだかに書顕す、是風也。他の事をよくしらずしてハ、ミずからのわきまへなりがたし。道々事々をおこなふに、外道と云心有。日々に其道を勤と云とも、心の背けば、其身ハ能道とおもふとも、直なる所よりみれば、実の道にハあらず。実の道を極めざれバ、少心のゆがみにつゐて、後にハ大にゆがむもの也。ものごとに、あまりたるハ、たらざるに同じ。よく吟味すべし。他の兵法、劔術ばかり、と世におもふ事、尤也。わが兵法の利わざにおゐてハ、各別の儀也。世間の兵法をしらしめんために、風之巻として、他流の事を書顕す也。第五、空之巻。 此巻、空と書顕す事。空と云出すよりしてハ、何をか奥と云、何をかくちといはん。道理を得てハ道理を離れ、兵法の道におのれと自由有て、おのれと奇特を得、時にあひてハ拍子をしり、おのづから打、おのづからあたる、是皆空の道也。おのれと實の道に入事を、空の巻にして書とゞむるもの也。兵法の道、士卒たるものハ、大工にして、手づから其道具をとぎ、●現代語訳●兵法書 5巻のあらまし 兵法のあらまし、マクロ的な視点からミクロをとらえて、浅きところから深きに至る。まっすぐな道を地固めする意味において地の巻とした。 ※兵法の土台を固めるという意味ですかね! ビルの建築もそうです、土台ができると意外と先は早いものです。 現代剣道に 置き換えて考えれば、基本中の基本は、まず足さばきだと思います。 水の巻について 水を手本として、心を水の様にする。水は、丸や四角、容器のかたちに、したがって姿を変える。小さな一滴にもなれば、大きな海にも 青い色にもなる、正に変幻自在。その清らな水のはたらきを通して、わが流派のことを書くものである。一を知って、万を知ることが兵法の道理。我が兵法の基本はここにあり、その基本を水の巻とした。 火の巻について 戦いのこと記する巻である。火は、大きくなったり小さくなったり激しくなったりするさまは、正に戦と同じ。戦で、一人を相手にするときも、万人と万人のときも 大局を洞察し、細かく吟味するもの。 大きいところは、見えやすい、小さいところは見落としやすい、また個人の心は、すぐ変化するので分かりにくい。 大勢の合戦では、瞬間 瞬間の判断が必要です。烈火のような変化の中、いかに戦うか兵法の急所 よって戦闘や勝負のことを火の巻とした。 風の巻について わが流派のことでなく、他の流派のことを記す。他流を知らずして、勝負になりません。 わが流派の「理合」と「業」は、他流派と全く異なっている。世間一般の兵法との違いを知る為、風の巻とした。 ※風の巻は、武蔵が他の処世術に長けた(時代を読めた)兵法を嫌い、わが二天一流の優位性をのべてます。 五輪書の最重点を纏めたポイントでもあります。 空の巻について この巻を「空」と書くのは、空というからには、兵法の奥義もはじまりもなく、道理を体得しても、そこにこだわらないことである。 何もかも力を抜き自由自在となり、非常な力量を得て、更に戦いの場では、その拍子を知り、敵を打倒し、自ずから相対する。この自然と真実の境地を空の巻とした。 ※小さな剣友会で、気迫を剣先にって意識して稽古をしています。 でもいつも指導部長の先生に、「はい~いらっしゃい」という気持ちが 大切だと 武蔵の「空」の世界に、 先生は近づいているのかもしれませんね次回は、【二天一流となずけること】からです。つづく・・・・・※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします! く 2014/05/28(Wed)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 兵法の道 【地の巻】 兵法の道 普段から道具を磨き、心も整える五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!兵法の道、士卒たるものハ、大工にして、手づから其道具をとぎ、色々のせめ道具をこしらへ、 大工の箱に入てもち、棟梁の云付る所をうけ、柱、かうりやうをも、てうなにてけづり、床棚をもかんなにて削り、すかし物、彫物をもして、能かねを糺し、すミ/\めんだうまでも、手ぎハよく仕立所、大工の法也。 大工のわざ、手にかけてよく仕覚へ、すミかねをよくしれば、後は棟梁となるもの也。大工の嗜、能きるゝ道具をもち、すき/\にとぐ事肝要也。其道具をとつて、御厨子、書棚、机つくゑ、又は行燈、まな板、なべのふた迄も、達者にする所、大工の専也。士卒たる者、此ごとくなり。能々吟味有べし。大工の嗜、ひづまざる事、とめを合する事、かんなにて能削事、すり(ミ*)かゝざる事、後にひすかざる事、肝要也。此道を学ばんと思はゞ、書顕す所の一こと/\に心を入て、よく吟味有べき者也。●現代語訳●今度は棟梁ではなく、平大工の仕事について記す。平大工の仕事も兵法者と同じである。平大工の心得は、良く切れる道具(カンナやノミ)を持ち、 暇を見ては、自ら道具を手入れや工夫する。カンナの表面を単に、磨くのではなく、後々になって歪みが出ない様に、いい仕事ができるように、道具にも 心にも隙なく 磨くのである。 棟梁のいうこと(先輩技術者)の云うことを素直に聞き、また見て考え、隅々まで念には念を入れて立派な仕事を仕上げられる様になれば、やがてその平大工は、一人前の棟梁になれるものである。すべての鍛錬は、成功へ導く、まさに兵法と同じである。兵法を志す者は、ここに(五輪書に)書いたことをひとつひとつ念入れ、良く検討し自分のものにする必要がある兵法を大工の道にたとえて比較するとわかり易い。 ※武蔵の兵法は、現場たたき上げ型 名選手=名監督とは 限らない部分も 私はあるかと考えますが(オーケストラの指揮者なども)、武蔵は、まず平大工の様に、 兵法者も、ビジネスも守破離の守が大切であると解いている。次回は、【兵法書5巻からなること】からです。つづく・・・・・※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします! く 2014/05/27(Tue)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 大工の道と兵法の道 【地の巻】 大工の道と兵法の道 他の兵法書にない例え ですよね?五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!一 兵法の道、大工にたとへたる事。 大将ハ、大工の棟梁として、天下のかねをわきまへ、其国のかねを糺し、其家のかねをしる事、棟梁の道也。大工の棟梁ハ、堂塔伽藍のすみかねを覚へ、くうでんろうかくの指圖をしり、人々をつかひ、家々を取立事、大工の棟梁、武家の棟梁も同じ事也。家を立るに、木くばりする事、直にして節もなく、見付のよきを表の柱とし、少ふしありとも直に強きを裏の柱とし、たとひ少弱くとも、節なき木のミさまよきをバ、敷居、鴨居、戸障子と、それ/\につかひ、節有とも、ゆがみたりとも、強き木をバ、其家のつよみ/\を見分て、能吟味してつかふにおゐてハ、其家ひさしくくづれがたし。又、材木のうちにしても、節おほく、ゆがミてよハきをバ、あしゝろともなし、後には薪ともなすべき事也。棟梁におゐて、大工をつかふ事、其上中下を知り、或ハ床まはり、或ハ戸障子、或ハ敷居、鴨居、天井已下、それ/\につかひて、あしきにハ、ねだをはらせ、猶悪きにハ、くさびを削せ、人を見分てつかヘバ、其渉行て、手ぎハ能もの也。はかのゆき、手ぎハよきと云所、物ごとをゆるさゞる事、たいゆうを知る事、氣の上中下を知事、いさみをつくると云事、むたいを知と云事、か様の事ども、棟梁の心持に有事也。兵法の利、かくのごとし。●現代語訳●兵法を大工の道にたとえて比較するとわかり易い。武家の棟梁は、大いなる工の統括責任者として、天下の物差しである道理をわきまえて、その国や家の道理を正せる。大工の棟梁は、目標の建物の設計寸法を正確に覚えて(脳裏に刻みこんで)、細かい図面をみても、若い大工に指図し家を建てる。武家の棟梁も大工の棟梁も同じことである。 ※武蔵が言いたいのは、兵法とか剣道とか、離れてみても、上に立つもの、 リーダーたる人は(ビジネスも)、その世界の情勢をを大局的に観れ、 ベストな判断基準(物差し)を構築し、何を、どの様に、誰を使うべきか判断する。 その判断が、戦場でもビジネスでも勝敗を分ける(生き残れるか)だと思います。 更に武蔵は大工の例で大工の棟梁が、家を建てるとき、まっすぐで丈夫な木材ばかりではなく、様々な素材(立派な木、節があるが丈夫、曲がっている木)に応じて、土台や屋根、敷居などに組み合わせて丈夫な家を建てる。それを大工の「木くばり」と云う。また大工の棟梁は、配下の大工の腕前の上中下を良く把握していて、腕前に合わせてあるものは、床の間、あるものは、敷居などを任せるなど、人間を見分けて使えば、効率も手際(結果)も、上手くいくもの。大工の棟梁は仕事が早く、手際が良いこと、何事も手抜きしないこと、使いどころを知ること、やる気の程度を知ること、励みをつけること限度を知ること、これらが、棟梁の心得である。そして兵法も同じことであると※何やら兵法や剣道より適材適所など、ビジネス書的な感じですね次回は、【兵法の道】からです。つづく・・・・・く 2014/05/26(Mon)
category: 五輪書 地の巻 一緒に読もう「五輪書」 地の巻 序 【地の巻】 序 武蔵の身上書と五輪書の序五輪書を読み返すにあたり、原文は「「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き 現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋しつつ 週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。では早速いきましょうね ただし「序」は、原文は割愛させてください。●わが兵法の道を「二天一流」と命名し、兵法を鍛錬してきました。これを後世の為に書物にまとめて、同時に私、武蔵自身の人生の集大成、生きてきた証としたい。新免武蔵守藤原玄信 60歳●13歳の時に初めて命がけの勝負して、勝利してから、60回以上負けなし、30歳にも満たない頃であった。30歳を超えてから、振り返ってみると、まだまだ未熟者でした。そこから鍛錬して50歳にて漸く兵法を極めました。●一芸に秀でるもの・・・で兵法を極めてからというもの、何事にも頼らずに道を進めるようになりました。武蔵は、兵法を極めて、開眼して、ほかの道の教えが、不要になった。 時代は遡り山岡鉄舟も「剣法の極意は、単に剣法の極意たるにあらず、 この呼吸を得て以って軍事に臨み、之を得て以って大政に参与し、 之を得て以って外交に当たり、之を得て以って教育宗教に施し、 之を得て以って商工工作に従事すれば、往くとして、善ならざるはなし、 是れ余が所謂剣法の真理は、万物大極の裡を究るという所以と 説いており、兵法(剣法)を極めれば、道が進めた(開けた)のでしょう! とは、いいながらも剣道は、理論でなく稽古の実践だから、稽古の実践の為に 五輪書などの理論が役立てればと私は思います。 「行わざるは、道にあらず」って感じでしょうか? ●文武二道(文武両道と決めつけて解釈)1対1の個人戦に勝ち、大勢の合戦に勝ち、主君のため、自分自身のために、名をあげて、身を立てる為の命がけの道が兵法その為には、使えるものはすべて必要 使い切るべきである。武士の信念とは、いさぎよく死ぬものだと考えている人が多いが大間違い、格好悪くても最後の最後まで、本当の土壇場でも諦めずに、戦い勝つことである。 武士道は死ぬことと見つけたり・・・の葉隠とは真逆ですね! やはり平時に書かれた教本と本物の戦いを経てきた教本との差でしょうね また稽古中や試合中の「心が折れる」(戦意喪失)は、武蔵には「死」を意味する。 更に脱線しますが、「なぜ五輪書」って云うのですかね? どうやら武蔵の時代には、 五輪書とは呼ばれておらず、後世になり「五輪の書」となったようです。 たた武蔵も。仏語用語の この世は、地と水と火と風と空でできているので五巻に纏めた ことは、間違いない。 更に脱線しますが、オリンピックを五輪と訳したのは、東京五輪前で、菊池寛の随筆 のなかに、宮本武蔵の極意"五輪の書"という言葉がヒントになったようです。 武蔵の五輪書 現代でも活躍ですね次回は、【兵法の道というもの】からです。つづく・・・・・く 2014/05/24(Sat)