【火の巻】 いわおの身 君が代にも出てきますね!
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 いはをの身と云事。
巖の身と云ハ、兵法を得道して、忽巖のごとくになつて、
萬事あたらざる所、うごかざる所。(口傳)
●現代語訳●
「巌の身」というのは、兵法の道を心得ることにより、戦場で、
たちまち岩石のようになって、いかなる場合でも、当らない、
動じないといことである。以下口伝
最後に 口伝と書いてあるのは、弟子が後から
書き加えたと理解できますよね!
また週末剣道愛好家、若輩ものの視点だと 巌(いわ)の様に 心を無にして
戦いに臨みないと武蔵が云っているような気がしてなりません。
*次回は、火の巻 後記 です。 つづく・・・・・
※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします!
【火の巻】 束をはなつ
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 つかをはなすと云事。
束をはなすと云に、色々心ある事也。
無刀にて勝心有、又、太刀にてかたざる心あり。
さま/\心のゆく所、書つくるにあらず。
能々鍛練すべし。
●現代語訳●
「束(太刀の柄)を放す」というのには、いろいろ意味が含まれている。
無刀で勝つという意味もあれば、また、太刀をもってしても 勝てない
という意味もある。
その意味については、さまざまあるが、それをすべて書きつくせはしない。
各自 よくよく研究すべきである。
水の巻も 火の巻も 終わりの章は、段々と抽象的な
文面になっていると感じるのは、私だけでしょうか?
週末剣道愛好家、視点だと 手を放す位のつもりで、太刀を下げおろし、且つ 力を
抜くことだろうと、解釈します。
本当は、無刀に通ずる 極意を 武蔵は言っているのかもしれません。
*次回は、いわおの身 です。 つづく・・・・・
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【火の巻】 将は卒を知る
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 しやうそつをしると云事。
将卒を知るとハ、何も戦に及とき、我思ふ道に至てハ、
たへず此法をおこなひ、兵法の智力を得て、わが敵たるものをバ、
ミなわが卒なりと思ひとつて、なしたきやうになすべしと心得、
敵を自由にまはさんと思ふ所、われハ将也、敵ハ卒也。
工夫有べし。
●現代語訳●
「将、卒を知る」というのは、いつも合戦のとき、わが兵法の道では、
たえず五輪書の教えを実践し、その兵法の知恵などを用いて、
相手の兵力も すべて自分の卒(兵卒)と考えて、
動かせるものと心得た上で、相手を自由に引き回そうとすることである。
そこでは、自分は将でわり、相手は兵卒である。深く研究すべきである。
合戦の心得ですが、深いですね!
戦の主導権を握る 個人戦の主導権を握る
ここまでなら、ビジネスも 剣道も 同じ そのために稽古している。
でも武蔵は、相手を自由に扱う、支配すると書いているのである。
支配するような気持ちでないと、主導権は握れないという教えだろうか?
はたまた 八段の大先生が、剣道の心得は、相手を自由にすることだと・・・
だんだん若輩の自分には、わからなくなってきました。
奥が深いのが剣道ですね!
*次回は、束をはなつ です。 つづく・・・・・
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【火の巻】 鼠頭午首(そとうごしゅ) 細心にて大胆に
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 そとうごしゆと云事。
鼠頭午首と云ハ、敵と戦のうちに、たがひにこまかなる所を思ひ合て、
もつるゝ心になる時、兵法の道を、常に鼠頭午首/\とおもひて、
いかにもこまかなるうちに、俄に大きなる心にして、
大、小に替る事、兵法一つの心だて也。
平生、人の心も、そとふごしゆと思べき所、武士の肝心也。
兵法、大分小分にしても、此心、はなるべからず。
此事、能々吟味有べきもの也。
●現代語訳●
「鼠頭牛首」(鼠のような細かさと 牛の様な大胆さ)というのは、
相手との戦いにおいて、細かい部分ばかりせめぎ合い、そこばかり気を取られて、
一進一退のもつれあうような状態の場合、兵法の原理として、
つねに「鼠頭午首、鼠頭午首」と思って、非常に細かい部分も目をつぶらずに、
大きな視点を持ち、小から大へ戦略を切り替え、局面の打開を図ることである。
これは、兵法の大切な心がけである。
武士たるもの、平常時より、「鼠頭午首」の心得を身に着けているべきである。
大勢の合戦においても、一対一の個人戦においても、この心得を忘れては、ならない。
よくよく研究すべきである。
まさに武蔵の云う通りですね!
ビジネスも剣道も
剣道なら、目の前に細かい技だけにとらわれずに、相手の心境なども
大局を見て、大きな視点から、次の技を仕掛けるということでしょうね!
それが、相手の意表をつくような大技であれば、華麗な一本になりますね。
*次回は、将は卒を知る です。 つづく・・・・・
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【火の巻】 新たになる 今迄のしがらみを捨てて
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 あらたになると云事。
新に成と云ハ、敵我もつるゝ心になつて、
はかゆかざる時、我氣をふり捨て、物毎を新しくはじむる心に思ひて、
其拍子をうけて、かちをわきまゆる所也。
あらたになる事ハ、何時も、敵と我きしむ心になると思はゞ、
其まゝ心をかへて、各別の利を以て勝べき也。
大分の兵法におゐても、新になると云所、わきまゆる事、肝要也。
兵法の智力にてハ、忽見ゆる所也。能々吟味有べし
●現代語訳●
新たになる」とは、相手と当方が、もつれた感じになって、
決着がつかないような状況の場合は、それまでの自分の狙いを捨て去り、
すべてを最初から、はじめる気持になって、その新たな拍子をつかんで、
勝つ方法を会得することである。
(※同じ狙いに固執しない 水の様な気持ちで)
「新たになる」ことは、どんなときでも、相手と自分が、お互いに、ぎしぎしと
きしみあうような 接戦の状態になったと感じたら、すぐさま方針を変えて、
それまでとは、まったく違う戦法で、勝つべきである。
(※朝令暮改 ※臨機応変)
大勢の合戦においても、「新になる」というポントを わきまえることが大切である。
兵法の智力があれば、どこで新たになるかは、良く分かるようになるものである。
よくよく研究すべきである。
これも、昨日の「さんかい」と似ている。
狙いを固執しないで、自由に、変化させ、最初に戻ったり、まったく逆の戦法を
用いたりすることだと思う。
先の技を仕掛けて、次は待の先の技と 変化すれば、相手は底知れぬ 脅威を抱く
かもしれませんね
そのために、キレのある技を複数使いこなせないと、いけませんね!
*次回は、鼠頭午首 です。 つづく・・・・・
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【火の巻】 底を抜く 太刀も、心も 底を抜く
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 そこをぬくと云事。
底を抜と云ハ、敵と戦に、其道の利をもつて、上ハ勝と見ゆれども、
心をたへさゞるによつて、上にてはまけ、下の心はまけぬ事有。
其儀におゐては、我俄に替りたる心になつて、
敵の心をたやし、底よりまくる心に 敵のなる所、みる事専也。
此底をぬく事、太刀にてもぬき、又、身にてもぬき、心にてもぬく所あり。
一道にハ、わきまふべからず。
底よりくづれたるハ、我心残すに及ばず。さなき時は、残(す)心也。
残す心あれば、敵くづれがたき事也。
大分小分の兵法にしても、底をぬく所、能々鍛練有べし。
●現代語訳●
「底を抜く」というのは、相手との戦いにて有利な方法にて、うわべの表面上は当方が、
勝ったと見えても、相手の闘争心そのものを絶せない場合が多く、敵も、表面上は負けて、
本心からは、負けておらず、心の底に闘志が残ることがある。
その場合には、こちらが、速攻で攻め続けて、敵の闘争心をくじきし、
敵が、心の底から負けたという思うまで攻めて、それを確認することが、大切である。
この底を抜くことは、太刀でも抜き、また身体でも抜き、心でも抜くところがある。
やり方は一通りしかないと思い込んではならない。
相手の心の底から崩れた時には、こちらは心を残す必要はないが、
そうでない場合は、警戒心を忘れずに、完璧に叩き崩すことが大切である。
大勢の合戦の場合でも、少人数の合戦でも、相手の心の底をぬくところ、
よくよく鍛練すべきである。
剣道実戦で云々より 稽古法として、とても重要だと思う。
地稽古で、相面で双方不十分の場面で、お互いに、間をひき、もとのやや遠間に
戻ることが、多くみられます。(馴れ合いの稽古ですね)
私もですが・・・・・
でも、武蔵の云う、底を抜くでなくても、明らかに勝負を決定つけるまでは、吸う呼吸は
しないで、攻め続ける、そんな稽古でないと、成長はできないと思う。
相手が高段者の先生で、捨て身の面も、受け止められたで
そこで 止まるでなく、間髪入れずに引き技、更にそれでは勝負は決定付かないから、
大きく吸う呼吸することなく、一足一刀の間合いに詰め 次の技を仕掛ける。
息はすぐ上がります。 正直つらいです。
中年から剣道を始めた、週末剣士には、このくらいの稽古をしないと上達できない
だろうと、自戒しながら まとめてみました。
皆様は、いかがでしょうか?
*次回は、新たになる です。 つづく・・・・・
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【火の巻】 山海のかわり 三回まで!
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 さんかいのかはりと云事。
山海のかはりと云ハ、敵我戦のうちに、同じ事を度々する事、悪敷所也。
同じ事、二度ハ是非に及ばず、三度とするにあらず。
敵にわざをしかくるに、一度にてもちゐずバ、今一つも
せきかけて、其利に及ばずバ、各別かはりたる事を、ぼつとしかけ、
夫にもはかゆかずバ、又各別の事をしかくべし。
然によつて、敵、山とおもはゞ、海としかけ、海と思はゞ、山としかくる心、
兵法の道也。能々吟味有べき事也。
●現代語訳●
「さんかい(山海)の心」というのは、敵と戦っている最中に、
同じ技を何度も、繰り返すことは、よくないということである。
同じ技で相手に挑むこと、二度するのは、やむを得ないことであるが、
三度も同じ技で仕掛けるものではない。
相手に技を仕懸けるときに、一度では、成功しなければ、もう一度同じ技を仕掛けても、
その効果は、一度目には及ばないものである。
とりわけ、趣の変わった状況で、相手の意表をついて仕掛けて、
それでも決着がつかなければ、その技は、通用しないものとして、
今度は、別の技を仕掛けるべきである。
このように、相手が「山」と思っていると、こちらは「海」と仕懸ける、
相手が、「海」と思っていると、「山」と仕懸けることが、兵法の道である。
よくよく研究すべきである。
一つの技を極めることは、すごく大切だと思いますが
武蔵は、むしろ偏することを注意しているのでしょう!
良く試合では見かけますよね ひたすら出小手ばかり狙っている先生
あとから動画を見たら、種類は微妙に違えども、面しか狙ってない私なども・・・・・
武蔵の云う 山海には、ほど遠いですね!
それにしても 三回はダメと 山海 を掛けて 「さんかい」とは、武蔵先生も粋ですね!
*次回は、底を抜く です。 つづく・・・・・
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【火の巻】 ひじく 強気に押しつぶせ!
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 ひしぐと云事。
ひしぐと云ハ、たとヘバ、敵を弱くみなして、我つよめになつて、
ひしぐと云心、専也。
大分の兵法にしても、敵小人数の位を見こなし、又は、
大勢なりとも、敵うろめきて、よはミ付所なれバ、ひしぐと云て、
かしらよりかさをかけて、おつひしぐ心也。
ひしぐ事弱ければ、もてかへす事有。
手のうちににぎつてひしぐ心、能々分別すべし。
又、一分の兵法の時も、我手に不足のもの、又は、
敵の拍子ちがひ、すさりめになる時、
少もいきをくれず、めを見合ざる様になし、
真直にひしぎつくる事、肝要也。
少もおきたてさせぬ所、第一也。 能々吟味有べし。
●現代語訳●
「ひしぐ」というのは、たとえば、敵を弱いものと見なして、
こちらは強いと思い(強気)、相手を一気に押し潰す呼吸のことである。
大勢の合戦においては、相手の軍勢が、小人数であると見抜いた場合、
また大勢であっても、狼狽えて弱気になっている場合は、
頭から強く一気に押しつぶすことが大切である。
押し込みが、弱ければ、敵の勢力が、回復してしまうことがある。
だから、相手の気勢を手中に握って、一気に決着をつけることが、
大切であり、よくよく理解すべきことである。
また一対一の個人戦の場合も、自分より未熟者であったり、相手の拍子が狂い、
今にも、逃げ出しそうな気配の時は、、少しも相手に考える、余裕を与えず、
相手と目を見合わないようにして、真っ直ぐに押し潰すことが、大切である。
絶対に 二度と立ち上げれない様に、潰すのである。
そこが一番重要である。よくよく理解すること。
まさに 合戦場での ありさまだと思います。
相手に考えさせない(息もさせない)位 速度で、間を攻め続けたいものです。
大先生に逆に、ぐいぐいと 間を詰まられ、ひじかれてしまいます。
*次回は、山海のかわり です。 つづく・・・・・
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【火の巻】 まぎる 見切り 間切り
五輪書を読み返すにあたり、
原文は「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈原本現代訳」より引用させて戴き
現代語訳は「五輪書 大河内 昭爾 訳 教育者」より要点を抜粋し、つつ週末剣道愛好家視点で、読んでいきます。
また青字は、本文ではなく、コメントや余談となりますが、ご参考になれば幸甚です。
●原文 ※読むというより イメージで流してくださいね!
一 まぎると云事。
まぎると云ハ、大分の戦にしてハ、人数をたがひに立合、敵の強きとき、
まぎると云て、敵の一方へかゝり、敵くづるゝとミバ、すてゝ、
又強き方々へかゝる。大方、つゞら折にかゝる心也。
一分の兵法にして、敵を大勢よするも、此心専也。
方々へかゝり、方々にげバ、又強き方へかゝり、敵の拍子を得て、
よき拍子に、左、右と、つゞら折の心に思ひて、
敵のいろを見合て、かゝるもの也。
其敵の位を得、打通るにおゐてハ、少も引心なく、強く勝利也。
一分入身のときも、敵の強きには、其心あり。
まぎると云事、一足も引事をしらず、まぎり*ゆくと云心、能々分別すべし。
●現代語訳●
「まぎる」というのは、
大勢の合戦の場合では、相手の軍勢と味方の軍勢が、相対していて、相手が強い時、
まぎるといって、相手の一方に集中的に攻撃を仕掛けて、敵が崩れると見れば、
それを放置して、また別の強い方々へかかることである。
おおよそ「つづら折り」(相手の軍勢の中をジグザクに行軍する)のようなものである。
一対一というより、一対複数の合戦の場合では、このことは、大切である。
一方へ攻撃にかかり、その方で、相手が、逃げれば、更にまた別の強い方へ、
攻撃を仕掛けて、相手の全体の拍子を飲み込んで、こちらは、うまい拍子で、
左、右と、つづら折りの感じに攻め立てて、相手の様子を見ながら、攻撃にかかるのである。
その相手の勢力の程度を見極めて、打込む場合は、旺盛な気位で、
少しも退く心はなく、強引に勝つことである。
個人戦での、相手の懐に飛び込む、入身の時も、敵が強い場合には、
この強引な強い気位が、大切である。
まぎるということ、一足も退くことをせずに、敵の中へジグザグに攻め込むことである。
まぎるは、間を切りながら 攻め込むという意味と
敵の中へ、混じり込む という意味らしいです。
また小野派一刀流の形にも 左右攻めながら、相手の懐に飛ぶ込む技があり
武蔵の個人戦の場合に似てます。
*次回は、ひじく です。 つづく・・・・・
※ご意見やコメントを頂戴できれば、とてもうれしいです。宜しくお願いします!