近衛兵宿営地と、東京国立近代美術館工芸館
明治新政府が樹立した当初、脆弱な体制だった明治政府が、
「天皇の警護」を名目に薩摩・長州・土佐藩から約1万人の献兵を受け、
創設されたのが「近衛兵(このえへい)」です。
園内は近衛歩兵第一連隊と第二連隊の宿営地だった。
父の兄が 私をとても可愛がってくれたと母から聞いていた。
私を見せるために 帰郷した両親と私。
農村の薄暗い部屋で 囲炉裏を囲む食事に怯えて
幼子のわたしは食事をまったくとらなくなっており
叔父が 卵掛けご飯を根気よく食べさせてくれたと。
その叔父が 近衛兵として招集された。
眉目秀麗で・・学業にも規範が有り、
家庭にも条件が有ったと言う事だった。
当時は個人の家庭だけでは無く 村の誉れでも有った由。
やがて叔父は 結核にかかり・・除隊になって帰宅する。
粟粒結核だったために・・妻も二人の幼子もあっという間に死亡。
そんな過去を聞くにつれ・・わたしは 一度その建物を見てみたいと
考えていた。
1989年 上記の建物の前に立っていた。
周囲は警備の人たちや、警察があちこちに立ち 何事かと
訝るわたしに 坂の下の門を指さした ガードマン
「何ですか?」・・「皇居の門です」 札幌から来たというガードマンは
北海道を懐かしみ・・昭和天皇の崩御のためです。と・・
わたしは いわゆる 「お登りさん」だった。
建物の中は 特に警備も無く、守衛もいず するすると入り
その建造物の 一つ一つの美しさに見ほれてしまった。
中は 「静謐」と言う言葉が最も適していた。
次の年も行ってみたが 工事が始まり 修復作業が進められ
やがて 東京国立近代美術館工芸館 になると言う事であった。
時は流れて・・すっかり忘れて居たが・・
マッチ1本の灯りに照らされて・・浮かび上がる映像。
新しい工芸館 - 国立工芸館 調べたら・・
東京国立近代美術館工芸館は2020(令和2)年10月25日、通称を国立工芸館(NCM)として
皇居のほとり北の丸から、工芸のまち石川県金沢市の本多の森に移転し・・
えぞをさん わたしのユニークな体験を・・こんなことを書いていって
良いのだろうか?