海見えて

海見えて

海見えて ぼくの形に 枯ひまわり  ・・・えぞを 
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海見えて・・11 1992年11月15日 発行


         海光の あまねきコスモス 子が娶る    えぞを


     ー その時 あなたは・・ー 遠音記

11月8日 すみれが珍しく 泊まって行った。今までと何処か違って見えた。
たくさんの会話があり、これから娘の将来に関わるような話し合いもした。

世間一般の親とは異なる私たちの答えに すみれの柔らぐ一瞬の表情も
見つけたりした。
朝、寝顔を見に行った。。いつも主の居ないベッドにはウサギのぬいぐるみ
二匹と 一匹の犬が寝かされているのだが その間に挟まれて
同じくらいの大きさの娘の顔があった。 寝返りもできなかったろうにと
思う。 幼いとも言える寝顔を見ながら 自分が25歳で失わざる終えなかった
名も無い子どものことを思っていた。 
人生には誰の人生にも 時が経たねば語れない痛みがある。
その頃送っていた日々を次々と思い出していた。
その時32歳の夫は 市立小樽病院の4階に 闘病中であった。
肺結核手術の 後遺症だという。 医大の手術をした和田外科は
今や時の人・・心臓移植手術で 名をはせていた。
あの時の肺の手術は失敗だったと言い いまは心臓の手術の時代と
言われて 添書を渡された。

運命をどう乗り切るか・・・私の怨念のような戦いが始まった。
死を覚悟すれば 何も怖い物は無いと信じていた。

主治医からは 何時治るか分からないと言われていた。
色々な病院へのいわば巡礼が始まった。

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「ママどうして「「海見えて」」 書かないの?」
楽しみに待っているのだという。
「あんまり書くことがあってまとまらない」 と下手な言い訳をすると
「いや 簡単に今年あったことを箇条書きにしても良いのに」と言う。

今年2月以来一度も「「海見えて」」を発行していない。
いろいろ口実を設けて弁解しているが 結局の所書けないで居る。

時間が無いわけではない。 纏まった読書も出来ず 同様に
文章も書けないだけ。 しかし 今年こそ書き止めて置かねばならない事の
なんと多い年だったろう 申年の猿だって反省しているのだから
充分に反省しなければならない。

二人の子ども達は 私たち両親のことを それぞれ違った
呼び名で呼ぶ。  並樹は「お父さん、お母さん」ですみれは
「パパ、ママ」 である。
小学校入学間もなく 並樹が学校から帰ってくると直ぐ
「ボク今日から お父さんお母さんと呼ぶ」ときっぱり言ったものだ。

あの時学校で何があったのか 彼も覚えていないという。
然し宣言して以来 一度も間違って呼ぶことがなかった。
彼が一番最初に覚えた言葉が パパ・ママだったというのにー

今度新たに加わった並樹の妻Nさんは 私たちの呼び方をどう選択するのだろう。
そして彼らを両親として生まれてくる子は彼らに 何と呼びかけるのだろう。
                           11月10日  遠音記



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新型コロナウイルスワクチン接種

三回目の接種を 16日3時に受ける。 ( モデルナを。)

老人から始めたので 皆さん足下がおぼつかない様子。

遠音も例外ではない。 

我が町でも 中学校が学級閉鎖になる。

16日は 副作用が全くない。

17日  今朝・・・手が痛いくらいだったが 3時頃 熱が7度7分

     夕方には昔罹った 多発性関節リュウマチを思い出すような痛み

     おまけに 耳の後ろのリンパまで痛くなる。 ロキソニンとレバミドを飲む

     現在 すっかり良くなって 抜けたよう。

     これで 外出できるかも・・・

終日 スマホで音楽を楽しむ~~ こんな時間の過ごし方が有っても良いなーと。

18日  副作用の症状は消えてますが 胃痛・・鈍痛です。
      レトルトの「白かゆ}を暖めて 梅一個で これを打ちながら
      食べています。   不思議なことに治まりました。
      家の中片付け、お洗濯と・・溜まった家事をこなします。
      ヤレヤレ

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