海見えて・・9 1991年 12月 20日発行
卯根倉ーその九ー 鉱夫長屋での生活 (1) ー えぞを記
この記録は えぞをが父を亡くし(昭和14ねん~15年) 鉱夫長屋へ移動した
秋~翌年5月ー卯根倉訣別迄ーの記録である。 (注 遠音)
影コには 私が最後まで大切に為ていた 新品のゴムまりをやった。
びっくりして一度引っ込めた彼の手の中にゴムまりを押しつけると
影コは疑わしそうにゴムまりの裏をひっくり返して見て、もう一度ひっくり返して見た。
・・・昭和15年頃ゴムまりは大変貴重でした。卯根倉でゴムまりを持っているのは
私だけでした。またこの頃は野球というものを知りませんでした。
まりは黒沢尻で(北上市)買ってもらいました。・・・*注えぞを
直ぐ傍らで 土の上に五寸釘を上から振って突き刺し
地合いを競っていた仲間、サトウやタッ平たちが「陣取り」を中止して
こっちへ寄ってきた。 そしてゴムまりをみつめた。
周りがジーンとなってしまった。
遠いところで卯根倉側の雪解け奔流が鳴っていた。川に近い工業所が
醸す間合いのある機械音が 時に大きく、老人の脈動のように
ゆっくり響く。
(えぞを父ー源一 36歳 ) と写真の裏に書いてあり筆跡がとてもえぞをに似ていた。
死亡後の表彰状らしいが 歴史的価値があるのかも知れないと思い・・。
春 岩手の山峡の雪解は激しい。 三月も半ば過ぎると
立木の根元から 丸く大地の輪が広がり一斉に山が笑い始める。
しかし大量の積雪がいっぺんになくなるわけでは無い
男の子は乾いた地面を見つけては陣取りを競い
女の子たちの縄跳びが始まる。
二日前の学校からの帰り道、たまたま会った影コに声をかけられ
そのまま彼の家へ寄った。ふだんはそれほど仲良しでも無いのに
目前の別れを惜しむ心が働いたせいなのだろうか。
販売所や長屋の建っている土地から一段上に 共同浴場があり
それと並んだ少し大きめの物置小屋、入り口に荒ムシロが二枚下がっていた。
入って直ぐは土間で、続く部屋の半分に床板がなかった。
床板のある左の壁側に布団が敷かれ、大きな男の影が座っていた。
表側に面して小さな窓はあるが、小屋の中はひどく暗かった。
見たところ電灯はなく、電気も来ていないようだった。
生活道具らしいものは見当たらず 壊れた七輪とすっかり錆びた金網が
土間にうっちゃられていた。
彼の父親は体の具合が悪く、長い間収入が無い。連れ合いはとっくに離婚とか
これは子ども同士の噂である。 影コは四年生の時からずーっと学校を
欠席したままで 私たちより二歳上だった。いつも私たちの周りをうろついたいる。
彼の評判は悪く、小さな子どもを騙しては物を取り上げるという理由で
大人たちの間で評判が悪く、盗みなども疑われたりしていた。
確かに彼にはずるいところが有る。だが生きて行くために世故に長け
悪賢かったとしても 彼を責められない。 (つづく)