海見えて・・9 1991年 12月 20日 発行
ー サンタクロースが来た (2)ー 遠音記
やがて4人の枕元に サンタの贈り物が届けられ(サンタが両親だ)と知る。
もう見たくて・・我慢の限界まで待ち 靴下に手を伸ばす。カサカサと音がする
「アレー起きていたの?」と母の声。 さあこれで大ぴらになったと 歓声を上げて・・
わたしのは セルロイドのピンク色した鏡台だった。小さな引き出しも付いていて
鏡だって本物だ 大人の手の平に乗るほどの小さな鏡台。
妹は紙風船 弟は何をもらったのか覚えていない。 この夜は目茶苦茶
楽しい夜だった。 「子どもは ひとしきり騒がないと睡らない」と
諦めていたろう。両親は子どもを好きにさせてくれていた。
サンタクロースは 昭和19年が最後で それ以後現れることは無かった。
敵性語としてカタカナで表現される外国語は 一切使ってはならないという
時代に わたし達の家に 何故サンタクロースが来たのか?今もって不思議で有る。
パルコにて
サンタクロースの部屋 松岡享子著 (こぐま社)より
もう数年前のことになるが アメリカのある 児童文学評論誌に
次のような一文が掲載されていた。
「子どもたちは遅かれ早かれ サンタクロースが本当は誰かを知る。
知ってしまえば そのこと自体は他愛の無いこととして片付けられて
しまうだろう。 しかし幼い日に心からサンタクロースの存在を
信じることは その人の中に信じるという能力を養う。
わたしたちは サンタクロースその人の重要さのためでなく
サンタクロースが子どもの心に働きかけて生みだすこの能力のゆえに
サンタクロースをもっと大事にしなければいけない。」と言うのが
大要であった。
こころの中にひとたびサンタクロースを住まわせた子どもは
こころの中にサンタクロースを収容する空間を作り上げている。
サンタクロースその人は 何時かその子の心の外へ出ていってしまうだろう。
だがサンタクロースが占めていた心の空間は その子の中に残る。
この空間が有る限り、人は成長に従ってサンタクロースに代わる
新しい住人を ここに迎え入れることができる。
わたしは それから間もなく このキャパシティに戦争を置くことになる。
その時受けた恐怖と 魂のおののきを 今も忘れない。
決して生涯忘れることは無い。
(テレビのスイッチを入れると パールハーバー五十周年を繰り返している)
この不幸は、その後「たんぽぽ文庫」を誕生させるきっかけとなり
わたしが小樽を去った後も次々と地域の人々に支えられ
今年18歳になった。 開催場所は移転を重ね 文庫は「おもちゃらいぶらりーや
布の絵本グループと共に 確かな位置を刻み、運営されている。
1991年 12月 10日 遠音記 えぞを61歳 遠音54歳