海見えて

海見えて

海見えて ぼくの形に 枯ひまわり  ・・・えぞを 
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海見えて・・8 1991年11月9日発行

     ーママ友  篠木 典子さんへの手紙ー

ようやくあなたへの お訣れの手紙が書ける心境になりました。
まだ心のどこかで 「篠木さんお元気ですか?」と問えない悲しさをかみしめています。

私と同じ53才のあなたと私には 幼い頃に戦争がありましたね。
恐怖とそれに続く心と体の飢餓、 戦争について理解できない年齢に居ながら
お互い長女であるとと言う事も手伝い 背負わなければならないことの
何と多かった事でしょう。 

結婚し子育てをする時になり 自分が育った環境との落差
手本とするものが少なくて時々不安になりました。
そんなとき 篠木さんに巡り会ったのでした。すでに真理ちゃんを
高校大学と送り出しているあなたは 学校教育の現場を熟知してましたね。

母親としていま為ておかなければならない事を的確に教えて下さり
その時々に必要な情報を提供して下さいました。
「親は子どもを 助けなければならない」と 当たり前の言葉の内に
受験に立ち向かう子どもを持つ親としては 切実な意味の有る言葉でした。

教育現場に対して とかく消極的だった私に PTAの場に出てくるように
説得されました。 いつも私の事を忘れなかった友情に対し報いる間もなく
あなたは旅立たれてしまった。
遺言に 葬儀の世話役の一人として 私の名前があると
前川さんより知らされました。 その時腰椎の圧迫骨折で
入院はいやだと言い張り 自宅でコルセットをしてベニヤ板の上に寝ていました。

ご自分の死を見つめ、受容し、死後の事まできちんとして逝ったあなたの死は 
再び私のこれからの生き方の指針となりました。

旅立ちのお手伝いが出来なくてゴメンナサイ。
きっと別の町角で 私を待つあなたに出会える気がしています。

友情を ありがとう 篠木さん。
      1991年11月6日  スーパーとかち4号車中にて 遠音

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