海見えて・・8 1991年11月9日 発行
ー 今日を限りー (2) 遠音記
エゾツガザクラ
誰でも月日の中には 嬉しいこと悲しいことがある。
4月7日・・友人の悲報が入ってきた。わたしと同じ53歳だった。
死が行く手にあることを 二人して実感した。
4月8日 わたし達の結婚記念日に 並樹から電話で
「結婚したい人が居る」と伝えてきた。同じ教師だという。
まだ合ったことも無いが 私たちは息子を信頼して ためらいが無い。
息子の選ぶ人は、わたし達にとって無条件で承認できる人なのだ。
一方すみれは念願叶い、パルコのディスプレイをする仕事についた。
ーすみれの置き手紙 よりー
ママ パパへ。 旅行はどうでしたか? 8月15日 PM 7.30分
おじいちゃんおばあちゃんの仏壇に お線香上げに来ました。
すみれも 危ない橋を渡りながらも こうして良い方向へ向かって行けるのは
やっぱり可愛がってくれた おばあちゃん(えぞを母)が
守ってくれているからかもしれません。
帰ってきたらゆっくり休んで下さいね。 くれぐれも体に気をつけて
下さい。 おじいちゃん(遠音父)によろしく。
*PARCOのほうは・・なかなか良い仕事しているよ。
(お店全体の ディスプレイをしているらしい。) 鉢植えの水やりも頼んでいる。
すみれの置き手紙のあった日 私たちは旅の6日目で 然別峡野営場にいた。
管野温泉に毎夜入り・・15日は 「ウペペサンケ山」へと向かっていた。
全く展望のきかない樹林の中を 二時間ほど迷っていた。
湿地にクレソンやコモチミミコウモリが咲いていた。
エゾシカが・・
ガイドの通りの滝も見つからず、水が流れていると書かれている所に
突然川が現れたりする。 (そういえば、登山口の自然がダム工事のために
著しく破壊されていた)と気が付く。)
山はそのためにこんな奥地まで変化して来ているのだ。(どうしよう・・)
稜線がはっきりしない。(100メートル登ろうか?)心は迷う。
ヒグマが突然襲って来てもおかしくない。その時、息子の言葉を思い出す。
「登山には、引き返す勇気も必要」と
もうダイジョウブと思うところまで引き返し、清流で体を洗う。
すぐ前の木に「イヌワシ」が止まっている。目が会う!!飛び立つと
尾の縞が鮮明。えぞをは近くの沢で 30セントほどの「ニジマス」と
ヤマメ2匹を釣る。 昼食はそれをムニエルにする。
そんなわけですっかり仏様の事を忘れて居た。
すみれは おじいちゃんおばあちゃんに手を合わせ
何を祈ったのだろう・・彼女はいま 「ジムニー」が欲しいとお金を貯めている。
免許証を一回でパスした。 お兄ちゃんは一回、パパは三回落第した。
少し自慢げである。
そして並樹は 12月末「タンザニア」に行きたいと言っている。
この不穏な社会情勢の中、アフリカはどうなのだろう・・心配は尽きない。
夫は言う 「親は最後まで子どもを教育していかねばならない」
親もまた どれだけのものを子から学ぶことか
秤にかけられる量では無い。
第一腰椎圧迫骨折も・スキー歴25年の私には思いも寄らないことだった。
沖縄からの帰路、50分の低空飛行をつづけて鹿児島空港緊急着陸。
先は何も見えない。 子に伝えること、子から得ることに
どのくらいの年月が 残されているのだろう・・
1991年 11月7日 遠音記