海見えて・・7。 1991年2月19日発行
1991年(平成3年) 一月一日 こゆき 遠音記
並樹は年来の希望を叶えるために ネパールへと旅立って行った。
「この地球から 足を離すな」 という両親の言葉を背に
まるで隣町へでも出かけて行くように ザック一つを背に
数個の梅干しのにぎりめしを持ち 見送る三人へ軽く手を上げ
出かけて行った。
アメリカへホームステイで旅立った13歳の時とは大違い
心も体も大きく成長した息子を見送るわたしの心は、不安で揺れ動き
その時のままで何も変わらず成長していない このギャップは埋めようも無い。
1月19日 夜7キロほど痩せて帰宅した。
開口一番 「あの国へ学校を建てるには 幾らくらいかかるかなー」であった。
私の胸にも ずしりと重い言葉であった。
夫は 息子が帰った後に「教師をしていくなら一生のうちに一度は
それを考えなければ」と語っていた。
私たちへの土産は、チベット女性の手編みの ヤクとウールの混紡の
セーターだった。
このセ一枚の値段が、一家族の1ヶ月分の生活費に相当するという。
鮮やかに染められた緑や紫に 民族固有の文様(陰と陽を表しているという)
が バラ色で編み込まれている。
このセーターを編みながら この女性は何を思い 何を考えていただろう。
このセーターに感謝しながら 今年の我々の渓流釣りや登山のお供にしようと
話し合っている。
翌朝、教え子にも ヤクの手編みの手袋を土産に僻地4級の学校へ帰っていった。
帰りしな 「今度はアフリカへ行く」と言った。
私たちはまたこの一年、アフリカを何を見ても聞いても心に掛け
図書館からアフリカに関する書物を借り出すだろう。
そして わたしは 深い深い溜息をつき 夫は自分も若かったら・・
と思うのだろう・・・
1991年2月17日 遠音記