海見えて

海見えて

海見えて ぼくの形に 枯ひまわり  ・・・えぞを 
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海見えて・・11  1992年 11月 15日 発行


  ー列島縦断 さくらの旅ー(6)・・遠音記

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旅へ出て一週間が経った。 初めてすみれにかけた電話に
「ほんとうのところ パパ達楽しいの?」という問いかけが有ったそう・・

この頃はひたすら九州へ向かうことだけ考えていた。

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国宝以外のお城に興味が無く 宝物館などの資料にとても興味が
あった。
たぶん流衣君もそうだと思ふ。

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清正石
権力の象徴の様な礎石 この石塁の施工大名は黒田長政である。 
この石一つに どれだけの民衆の労役が必要だったろうとーー

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**************

旅へ出て 友愛ナーシングホームにいる父へ旅先初めての手紙を書く。

父上

そちらの気候はいかがでしょうか。
今日 名古屋へ入りました。パパにとっては8日目の旅です。

名古屋は矢張り大都会ですね。車の運転が大変で
わたしも道路地図を拡げて 助手席より指示で大変です。

つくば富士川鎌倉箱根湘南下田下田
松崎 江ノ島 沼津 清水 1号線をとにかく通り
浜松 豊橋 夕べ岡崎に泊まり 今日名古屋泊まりです。

たまった洗濯物を全自動で いっぺんにしている所です。
雨が降ると札幌の4月 降らないと5月半ば 陽が照ると6月上旬の
天候となります。  二人とも元気で ほんとうに長い間の夢が
叶ったねと話しながら・・珍道中をつづけています。

明日は六甲か神戸あたりでしょう。
まだ桜がほんの少し、梅が終わって 木蓮とつばき ユキヤナギが見事です。
博物館や 歴史館など見るので 思いの外時間がかかります。
ではまたお便りします。
1992年 3月24日     遠音

父も60才で退職後 日本縦断の旅に出かけている。
母を誘うも 断られての一人旅だった。列車や連絡船を使っての旅を
綿密な計画を立てて出かけた。 間違いなく父の血を受け継ぎ
並樹が受け継ぎ 流衣へと繋がる。 この不思議さに驚いている。

並樹が三年後に定年(60才)・・縦断の旅を 自転車で行うらしい。

遠音は後顧の憂いを無くすために どう生きて居れば良いか?を
考えざる終えない。

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海見えて・・11  1992年 11月 15日 発行


        ー列島縦断 さくらの旅ー(5)・・遠音記

3月22日  下田  松崎へ

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このミュージアムで知った歴史は 女性の哀しさだった。

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毎日必ず 違う温泉に入り楽しむ・・

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此処で間違いをする。 もう少し先へと欲張ったので・・渋滞に巻き込まれる。
北海道の径しか知らない者には この渋滞を抜け出すのに苦労する。
 日が暮れ・・旅で知らない街では夜の走行はとても危険だった

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海見えて・・11  1992年 11月 15日 発行

           
        ー列島縦断 さくらの旅ー(4)・・遠音記

旅行中一番困ったことは 宿泊先だった。 時間が決まったところは
きっと約束通りに動けないだろうと・・ YHに入会 数カ所に予約を入れた。
緩い約束事が有り難かったし 異国の友人達とのふれあいも嬉しかった
何と! 手話が活躍したことも発見だった。そして笑顔も~~

「旅人から これから向かうなら○○も良いよなどの情報もとても参考になった。」

長い旅は どう歩を進めるかなどの約束も無く 時間の制限も
受けないようにと 計画を立てる必要があると実感した。

寒い鎌倉に入った。  大仏が見たいと。大仏さまも寒そう・・
古都に期待したが 外れだった。

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湘南方面へは もう旅では来たくない・・と感じた。 旅人に優しくないが
冷たくも無い。 プラスアルファーが無いのだ 悪く言えば慇懃無礼だと・・
後の旅行で 京都や東京でも感じた事だった。

いまその街に 杏瑠が住み、 私もこの後 鎌倉に本社のある
宝飾店の仕事にスカウトされて15年ほど働いた。
厚遇だったし 旅が一番だと言うことも理解していただけたし
 自由も聞いてもらえたので 幸運だった。

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未だ夜も明けやらぬ刻を走行する楽しみは格別だった。
人々が動き出すときに 私たちは邪魔をせぬように 朝食をとった。

今も思い出す・・下田城から拡声器で流れる 演歌・・ どういう神経なのか
いまもって思い出し・・憤慨する。   (つづく)


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海見えて・・11  1992年 11月 15日 発行


     ー列島縦断 さくらの旅ー(3)・・遠音記

   3/19   日本三大梅園の一つ・・水戸の四季は梅に始まる。


    梅見の文化の無い北海道育ちにとって・・梅園に対し余り感動しない自分がいる

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あった! 此処にソニーのテレコが写っていました。これに毎日声で
行き場所感想などふきこんだんですね~ 残念ながら覚えていなく
残っていない。


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和人くんのお母さんに会う。 お仕事中だったから言葉少なく・・
「またね・・」と別れたけれど・・またねは 実現することがとても難しいと・・

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海見えて・・11 1992年 11月15日発行

        ー列島縦断 さくらの旅ー(2)

えぞをの記録は 日月を記して終わっている。 遠音がそれを
補足しながら どんな旅だったかを記していきたい。

そう思いたったのは 孫の流衣が 遠音の拡げている
アルバム三冊を見て 「これ欲しい!」と言い
これは 「近代史だ」と  ついで親友と このアルバム通りに
旅行をしたいと言ったのだ 


ついにあーちゃんの書いた物は 近代史となったのだね。

ソニーテレコ・¥9800にて購入 これが後にアルバム整理に
力を発揮することとなる。


今読み返してもテレコって?
並樹に聞くも・・小さな録音機じゃないかという。
テープもないし・・ソニーのテレコも無い。 ご存じの方がいらしたら
23日のコメント欄が開いておりますのでお知らせ下さい。

30年の時を経ると 孫にとっては「「近代史」」となり
私は全くテレコなど忘却の彼方である。

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写真はミノルタ一眼レフ・・交換レンズ 三脚など会わせるととても重かった。

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遠音の持っている靴袋のような物・・「レノマの袋」は
その時代一世を風靡し 手に入れるのに一ヶ月待ちは早い方

その頃遠音は 宝飾売り場で百貨店勤務だった。
             (つづく)

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海見えて・・11 1992年11月15日発行

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3月17日 出発。 えぞを記

人生の設計図通り 子育てを終え 60才からは
もう働かないという二人の約束をいよいよ実行に移す刻が来た。

えぞを61才(職安より失業手当を貰うため北海道を離れることが出来なかった)
遠音54才の春に出発した。 

苫小牧から仙台へ。
この日、道央千歳バイパスで数十台の玉突き事故があり
百数十人の死傷者が出た。

翌日遠音が千歳から空路を飛んで来て合流した。
長い旅を予定して遺言状も書き置いた。

*遠音  以前にも書いたが船酔いのトラウマからどうしても
      船には乗る勇気が持てず~ 空路で行き 仙台空港で落ち合った


3月18日の宮城は霙だった。 スタッドレスのままだったので途中
雪の箱根峠超えも易々・その後は温暖へ近づく一方だった。
雨に濡れても 桜の花びらを白い車の屋根一面に貼り付けて
素晴らしい道行きとなった。

思えば結婚30年 妻と子ども達に支えられ 生きてこられた歳月
自分では「父の寿命三十六歳まで生きられない」と思った長い時期がある。
感謝でいっぱい、南端佐多岬に達した。 事情があって53日間で
終止符を打ったが 今回残した四国 紀州を来年巡りたいと望んでいる

旅ごころの終着は難しい。

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*注・・ 遠音

53日間の旅だったが・・・ 車を乗用車からワンボックスへ取り替える
必要があると気がついた。
4時位になると・・何処へ宿を取るかで うろうろせざる終えなかったし
宿からは 黎明と共に出発とはならず。 宿の規定を守るが常識だったから
「暮らすように 旅をする」・・からは・ほど遠いものだった。
遂にたまらなくなり・・車の内部を壊し布団を入れた!

食事だけは 外食となったが・・気持ち的には少し楽になった。

まだ 車中泊をする人には 滅多に遭遇することが無く。
よく警察に夜中に起こされ 尋問を受けた。
「パジャマを着ていますね」・・などの厳しい顔の警察官
どういう意味か不明の質問!!

道の駅も殆ど無く 夜中は真っ暗な道の駅も有りだった。

携帯電話も無く 何に守られることも無く 暴走族に
取り囲まれる体験もした。

いまは そのシーンごとに懐かしいが 怖がり屋の遠音は
常に夜になると怯えていた。 えぞをはというと 全く怖がらない人だった!

でも
多くは 人の優しさに触れる旅だったから 何時もいさんで再び旅に出た   
「暮らすように旅をする」 この目標を外したことは無い。

もし このさくら旅に 同道なさる方がいらしたら・・どうぞ・・ご一緒に
三十年前に 遠音と一緒にタイムスリップなさいませんか?
そしていま 60才の方も・・54才の方も・・

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海見えて・・11  1992年 11月 15日 発行

   ・・・いつまでも・・・ えぞを記

「「両家謝辞」

これより 花嫁N子さんの愛する作家の一人「赤毛のアン」の作者でも有り
モンゴメリーの詩を 読まさせていただきます。

すでに結婚なさっておられる方 これから結婚なさる方
そして多くの恋人達のために 4人で読みたいと思います。

 テレフォンカード デザイン すみれ
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「「いつまでも」」 ルーシー・モード・モンゴメリー


(N子さん父)  いつまでも あなたと一緒にいましょう。
          陸でも海でも私の想いはあなたについていきましょう。

(N子さん母)  あなたが笑えば 私も笑い
          夕暮れでも露の中でも 快活なリズムで
          あなたと歩調を合わせましょう

 (遠音)    あなたの喜びに 私も喜びましょう。
          私の唇にあなたの悲しみは言葉をみつけるでしょう。
          あなたの苦しみの涙が落ちると
          わたしの涙が混ざるでしょう。

 (えぞを)   目覚めても夢の中でも一緒にいましょう。
          影さすところでも思い出の所でも 新月の下でも
          豊かな取り入れの真昼でも
          夜明けの白い道路から 星が消えていく刻でも

  *************  
    
*新婚旅行は仕事の都合で 10月に入ってからハワイへ行きました。

    祝賀会のテーブルに付いた名は 彼がいままで登った山岳の名前で
    Mt、キナバル、ビクトリアピークなど国外も記名されていました。

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海見えて・・11  1992年 11月 15日 発行

ー 並樹君  N子さん 結婚ー  (2) えぞを記

二人の詩の交換につづき  エンゲージリングの交換がありました。

二人の 入場は  両親からの詩の朗読に導かれながら・・・

「「美しい朝」」

詩    えぞを
朗読   遠音
音楽   ヴァイオリン・子守歌 (フォーレ)
      〃       愛の喜び(クライスラー)

新しい生命(いのち)に 何のためらいがあろう
彼も彼女も両腕を振るわせ 大きな声でこの世に生まれてきた
1964年
初冬の雪の小片が透き通るガラスの表面を滑って窓枠に舞う
朝が始まる この温かい息づかいの部屋から
地上のすべてのものに 静かな意志がひろがっていく

思惟をさえぎる峰々と沖へ導く思慕のディスタンス
灯台光に見守られて彼も彼女も育った
石炭ストーブの家では
煙突から煙が海へ飛んで行く
追いかけて行く心が トランスポートの貨物船に出会う
それら迷子になるほど遠い日々 わが子が生まれた。
その日
春は虹の下へ乳母車を押し出し
夏は裸足で渚を跳ね
秋はいっそう寡黙な家族となった
冬は北風の旗となって丘に登り
夜は暗黒のしじまに祈った
ふたたび平凡な朝が来るだろうかーー

時はどんどん過ぎていった
追い越すことも追い返すこともできない季節が流れ
無辺な大玻璃の僅かな痕跡に過ぎない私たちのその存在を
示す 100冊のアルバムがある
今も語り続ける過去と未来のーー

花を摘んではいけない 心が乱れるから
犬の眼を打ってはいけない 人間と同じ哀しみを持つから
森の死角に入りシギの警告を聞くがよい
おびえるものに夜半の電話と虎落笛
魚になろうよ 虎になろうよ 海と野原で
男の子は崖から飛んでスーパーマンを夢見た
女の子は木によじ登り魔女を気取った

日曜の庭に桃の木を植え 祭りの町を探し歩き
思い出さえむずかしく
それからも時が熟しつづけた  熱い刻がーー
やがて勁い啓示が忘我の砂丘から起ち上がり
彼らは幾千万年の光茫をたどる因子となり
いま 妻に選んだ相手と
いま 夫に選ばれた自分のために
たがいに指ふれ合い 用意された街角を曲がる

昨日 スパーマンになれなかった男の子は
昨日 魔女になれなかった女の子は
地軸が傾く地平の天の
カギっ子の町 蝌蚪の町にとまどいながら
校庭の隅にたくさんの言葉を植え
コールサインやクレヨンで物語を綴り始める
タキシードと白いドレスドレスで出かける道のなんという陽気な
遙けさ
若い二人は傲然と肩肘張って行くがよい。
若いから愚かしさも許されよう
けものにけものの径があるように 
彼らに彼らの舞台があって オーケストラがある。

語ろうよ
昨日の拍手と 今日の拍手について
昨日の微笑と きょうのほほえみについて
これまでの愛と これからの愛について
そのとりとめのなく 素敵な愛ー
ほんとうにささやかな愛について

一九九二年
いま 妻に選んだ相手と
いま 夫に選んだ相手と
たがいに指ふれ合い 用意された街角を曲がる
                      (つづく)
                           

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海見えて・・11  1992年 11月 15日 発行

   ー 並樹君  N子さん 結婚ー (1)えぞを記

とき  平成4年 9月6日

ところ  釧路市ウェデイングホールサンピア

二人の挙式は 宗教に偏することなく 両人が「二人の愛が永遠である」
事を誓い合って詩を朗読しました。

   「誓いの言葉」

(並樹)  高山の荒れ地に一輪
       頬を赤らめて 静かに咲く
       コマクサの様な君を 
       ぼくは 愛しつづけよう。

(N子)   うつむいて咲くこの花にさえ
       心をかける
       少年のような あなたと
       わたしは共に生きよう

(並樹)  やわらかな陽の光が
       青く澄みわたる山々を
       やさしくつつみこむ夏の朝
       君は真珠の首かざりをして
       輝やいている
       君の輝きは
       ぼくに 勇気をくれる

(N子)   あなたのやさしさに
       ふれていると
       小さな迷いは
       静かに 消えていく

(二人)  このときが
       永遠つづくことを信じて
       共に ほほえもう。

(並樹)  冷たいガラス片が
       針葉樹の合間から
       吹き付ける冬の朝
       小刻みにふるえる君の横に
       ぼくは手ぶくろをぬいで
       手をかざそう

(N子)   このあたたかさ
       なんに かえられよう
       いちからか そばにいて
       いつからか 心をうめ

(二人)  ダイヤモンドダストのきらめく
       そのときを信じて
       共にたえよう。 

(二人)  高山の荒れ地に
      世界一ちっぽけだけど
      世界一穏やかな
      世界一かわいらしい
      花畑をつくろう
      旅人がふっと足をとめる
      愛に満ちた花畑に


1992年 9月6日 並樹 N子ともに 28才の誕生日まじか。

                               (つづく) 
 

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海見えて・・11 1992年11月15日 発行


         海光の あまねきコスモス 子が娶る    えぞを


     ー その時 あなたは・・ー 遠音記

11月8日 すみれが珍しく 泊まって行った。今までと何処か違って見えた。
たくさんの会話があり、これから娘の将来に関わるような話し合いもした。

世間一般の親とは異なる私たちの答えに すみれの柔らぐ一瞬の表情も
見つけたりした。
朝、寝顔を見に行った。。いつも主の居ないベッドにはウサギのぬいぐるみ
二匹と 一匹の犬が寝かされているのだが その間に挟まれて
同じくらいの大きさの娘の顔があった。 寝返りもできなかったろうにと
思う。 幼いとも言える寝顔を見ながら 自分が25歳で失わざる終えなかった
名も無い子どものことを思っていた。 
人生には誰の人生にも 時が経たねば語れない痛みがある。
その頃送っていた日々を次々と思い出していた。
その時32歳の夫は 市立小樽病院の4階に 闘病中であった。
肺結核手術の 後遺症だという。 医大の手術をした和田外科は
今や時の人・・心臓移植手術で 名をはせていた。
あの時の肺の手術は失敗だったと言い いまは心臓の手術の時代と
言われて 添書を渡された。

運命をどう乗り切るか・・・私の怨念のような戦いが始まった。
死を覚悟すれば 何も怖い物は無いと信じていた。

主治医からは 何時治るか分からないと言われていた。
色々な病院へのいわば巡礼が始まった。

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「ママどうして「「海見えて」」 書かないの?」
楽しみに待っているのだという。
「あんまり書くことがあってまとまらない」 と下手な言い訳をすると
「いや 簡単に今年あったことを箇条書きにしても良いのに」と言う。

今年2月以来一度も「「海見えて」」を発行していない。
いろいろ口実を設けて弁解しているが 結局の所書けないで居る。

時間が無いわけではない。 纏まった読書も出来ず 同様に
文章も書けないだけ。 しかし 今年こそ書き止めて置かねばならない事の
なんと多い年だったろう 申年の猿だって反省しているのだから
充分に反省しなければならない。

二人の子ども達は 私たち両親のことを それぞれ違った
呼び名で呼ぶ。  並樹は「お父さん、お母さん」ですみれは
「パパ、ママ」 である。
小学校入学間もなく 並樹が学校から帰ってくると直ぐ
「ボク今日から お父さんお母さんと呼ぶ」ときっぱり言ったものだ。

あの時学校で何があったのか 彼も覚えていないという。
然し宣言して以来 一度も間違って呼ぶことがなかった。
彼が一番最初に覚えた言葉が パパ・ママだったというのにー

今度新たに加わった並樹の妻Nさんは 私たちの呼び方をどう選択するのだろう。
そして彼らを両親として生まれてくる子は彼らに 何と呼びかけるのだろう。
                           11月10日  遠音記



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