ノコシテオキタイ:SSブログ
SSブログ

須崎消防組 組旗 [資料・須崎市]

高知県須崎市山手町 須崎消防団本部の一室に須崎消防組の組旗が保管されている。
〇本ブログ「火の用心 夜警用照明具(提燈)」も参照してください。
                             (クリックすると大きな画像が表示されます)

ガラス張りの額の大きさは 幅106cm 高さ79cm。一見したら何の布だろうと思うほど変色し、破れると言うよりも溶けかけている状態の組旗。かろうじて右側上下に房が残り旗だとわかる。
デザインはシンプルで現在の警察のシンボルマークの中央に須崎の「す」が描かれ、下には右書きで須﨑消防組と黒字で書かれている。額に添付された説明によると大正末期から昭和初期の間に製作されたとのこと。

s-DSC_0292c.jpg

政府は明治27(1894)年に「消防組規則」を制定し、まちまちだった消防組織を「消防組」として、警察の指揮下において全国統一を図ることになった。この「消防組」制度は昭和14(1939)年3月31日に、空襲から身を守る防空業務を担っていた防護団を吸収し警防団に改編されるまで続いた。

大正14(1925)年の高知県統計書によれば、須崎警察署管内には須崎町、久礼町、上ノ加江町の3つの消防組があった。
須崎町消防組は、組頭、小頭を含め総勢69名の組員で結成され、装備はガソリンポンプが1、腕甲喞筒(わんこうそくとう)=手動ポンプ2、提灯2、ハシゴ1、鳶口10、引倒網1、運水具15などがあり、同年4月1日現在の消防予算経費は104万円だった。

カーブに沿った家 森岡家住宅 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市中町1丁目 T字交差点のカーブに沿って南東角を丸くした家がある。
                              (クリックすると大きな画像が表示されます)

現在は空家となり詳細を知るすべも無いが、一説によれば平屋部分は明治時代初期に流行した商店の造りで、築後約100年を経過しているとも言われている。二階部分は後年増築されたそうで、確かに二階部分と平屋部分とでは瓦が異なる。

s-DSC_0254g.jpg

側溝、壁、窓、軒、瓦まで、全てが綺麗な弧をなしている。そればかりか注意してみると、窓部分の敷居や鴨居、ガラス戸や雨戸までもが同じく緩やかに曲がっている。
海岸沿いの須崎には昔から木造船を作る船大工がいて、こうした曲線を出す技術も船大工由来のものかも知れない。

s-DSC_0280.jpg

撮影中も車が引っ切り無しにカーブをスムーズに曲がって走って行く。道路にあわせて家を建てたのか、家にあわせて道路が出来たのか分からないが、将来の車社会を見越していたとしか思えない。

s-DSC_0245g.jpg

西側から見ると、二階部分の豪華な瓦屋根が光っていた。屋根の重量に耐えるためなのか二階は南側だけにしか窓がない。また平屋部分は一部が大きく陥没して傷みも相当激しいようだ。

s-DSC_0282.jpg


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。